律と暮らし始めて1年が経った。
梓は最後までうちの大学と迷い、最終的に音楽の専門学校に進学を決めた。
自分を犠牲にして欲しくない、わたしたちの言葉の後押しからだった。
それでも定期的に会って、惰性のように今まで作った曲を演奏する。
唯や律、ムギまでもミスが目立った。
それに反比例して、梓はどんどん上手くなっていく。
入部した時だって驚くほどの腕だったのに、まだ伸びしろを持っていることに感心する。
なのに、わたしはそれに着いていこうとは思わなかった。
わたしたちの5人の関係に、もう『音楽』は必要なくなっていた。
律は相変わらず、講義には適当に出てバイトの毎日。
わたしは講義とバイトに加え、資格取得のためダブルスクールを始めた。
ブライダル業界で真面目に働きたい、そう思うようになったからだ。
忙しい毎日、我ながらよく頑張ったと思う。
誰かの幸せに携わって、自分も幸せになれる仕事。
やっぱり少し、憧れを持っているのかもしれない。
幸せそうに笑う新婦に自分を重ねた。
今のわたしには、それが出来ないから。
律は応援してくれた。
家事もほとんど担当してくれたし、休みが合わせられなくても文句は言わなかった。
愚痴だって聞いてくれたし、その度抱きしめてくれた。
自分ばっかり辛いと思っていたのは、律に甘えてたせいだろう。
三回生になった。
晴れて、1年でプランナーの資格を取得した。
律はささやかなお祝いをしてくれた。
スケジュールの都合から取れなかった講義を、その年に取る。
律とも、軽音部のみんなともたくさん遊んだ。
バイトも変わらず、出来るだけ入った。
相変わらず忙しい毎日だった。
6月。
社会はジューンブライドへの憧れを、少なからず持つようだ。
この梅雨の時期に結婚したいなんて馬鹿げてる。
その日は式が押してしまい、帰るのが遅くなった。
いつ降り出すかわからない雨。
傘を片手に、よく一緒になる同い年の男の子が、駅まで送ってくれた。
「秋山さんっていつも指輪してるよね、彼氏から?」
「うーん、ちょっと違うかな」
「…悲しい恋なの?」
「…そんなんじゃないよ」
「好きだけど、彼氏じゃないってことだよね?」
「まあ、そうなるかな」
「よかったら、話してくれない?」
「えっと…」
「話したくないならいいよ、ごめん」
「…ねえ、俺と付き合ってみない?」
「…え?」
「好きじゃなくていいよ、でも今みたいに悲しい思いさせないし」
「悲しい思いなんてしてないよ」
「じゃあ何でそんな顔したの?」
「…ごめん、付き合えない」
「いや、俺こそ…でもさ」
「その人のこと好きだから、付き合ってるから」
「…それでいいの?」
「…わかったフリしないで、ほっといて」
「…ごめん」
「ありがとう、もう1人で大丈夫だから」
きっと彼は不倫だとか、そういうものを想像したんだろう。
律は彼氏じゃないし、わたしだって彼氏じゃない。
だからって、女の子が好きで、その子と付き合ってる、なんて言えなかった。
悲しい思いなんてしてない。
心で否定して、何となくやりきれない気持ちになる。
急に律の顔が見たくなって、家路を急いだ。
律「おかえり、遅かったな」
澪「ただいま、式が押しちゃって」
律「雨降らなくてよかったな、疲れただろ?ご飯出来てるよ」
澪「律もまだなの?」
律「澪と食べようと思ってさ」
澪「お腹空いてる?」
律「うん、何で?」
澪「ううん何にもない、食べよっか」
律はその日あったことを楽しげに話す。
それはあまり、耳に入ってこなかった。
半ば惰性のように、箸を口元へ運ぶ。
味もあまり、わからなかった気がする。
律「よし、さげるぞー」
澪「あ、わたしも手伝うよ」
律「いいよ、疲れてるだろ?」
澪「大丈夫、一緒にやろ」
並んで食器を洗った。
ふたりが立つと、この流し台は狭い。
絶え間ない水音。
それにかき消されないよう、奥から言葉を振り絞る。
澪「あのね」
律「ん?」
澪「今日、バイト先の子に『付き合って』って言われちゃった」
わたしの言葉が、あるいは律の言葉が、水音に消されてしまったのかな。
律の声は聞こえてこなかった。
またわたしは話を続ける。
澪「断ったよ、もちろん」
律「…そっか」
澪「好きな人居るって、その人と付き合ってるって」
律「…」
澪「…ごめんね」
ごめんね。
自分で言った言葉なのに、その意味すら危うかった。
律「…何で?」
澪「律のこと好きだから」
律「違うよ、何で謝ったんだ?」
澪「…何でだろう、わかんない」
律「…謝ったら、悪いことしたみたいだぞ」
澪「…ほんと、そうなっちゃうな」
律「したの?」
澪「…ううん、してない」
律「…そっか」
よかった。
消えそうな声で、律は続けてそう言った。
少しだけ、ふたりの間に沈黙が降りた。
それに耐えられなくなったわけじゃない。
ただ、律に触れたくなっただけ。
「ねえ律、ベッド行こう」
うん、と小さく頷いた律の手を取る。
シャワーも浴びずにベッドへ上がった。
キスして、脱がして、抱き寄せて。
舌を這わせて、柔らかい肌に吸い付いて、自分だけの印をつける。
たったふたり、手探りで覚えた行為。
もっと深い部分に触れたくて、濡れた皮膚の間に指を滑り込ませた。
すると律は、熱い息を一気に漏らした。
「我慢しないで、わたししか聞いてないよ」
その言葉が耳に届いたのか、艶っぽい声を部屋に響かせた。
わたしは律のそんな姿を見ながら、さっきの自分の言葉の意味を探す。
ごめんね。
こんな話してごめんね。
好きになってごめんね。
わたしが女でごめんね。
わたしで、ごめんね。
そこまで言い終わったところで、律は果てた。
少しして、立場が逆になる。
律がわたしに被さって、わたしの声が響く。
愛してるよ、律。
大丈夫だから、わたしたち。
幸せだよね?
わたしの右手を握る律の左手には、指輪が光ってる。
シーツを握るわたしの左手にだって、同じものが在るんだから。
お互いの名前を刻んだ、宝物。
心で問いかけて、結局は自分に言い聞かせる。
そうしてる間に、限界に近づいてきた。
考えはふわっと消えて、わたしは体を震わせた。
その日、ふたりはそのまま眠りに落ちた。
その夜から数日、テーブルに英字の書かれた箱が置かれていた。
澪「ねえ、これ律の?」
律「あ、うん、そうだよ」
澪「タバコ?吸うの?」
律「嫌な奴になろうと思ってさ」
澪「何だそれ」
律「まあいいじゃん、苦手だった?」
澪「自分で吸おうとは思わないけど、平気」
律「何だ、怒るかと思った」
澪「成人してるんだし、いいんじゃないか?」
律「へえ…意外だな」
澪「まあ間違いなく、体には良くないと思うけど」
律「いいんだ、子ども産むわけじゃないし」
「そうだな」とも言えずに、ただ笑顔を作る。
わたしたちには、出来ないことが多い。
だから好きなことを選んで、体に悪くても楽しめばいい。
そんなことを考えていると、律はその箱を持ってベランダに出た。
閉まり切らなかったカーテンの隙間から、姿を見た。
なかなか様になっている。
わたしもベランダに出て、その姿に寄り添った。
次の日、わたしは律に灰皿をプレゼントした。
……
周りが就職活動を始める。
例外なく、わたしも唯も、走り回った。
ムギだって、親の会社に入社するつもりはないと、柄にもなく大変そうだった。
1つ下で、3年制の学校に通う梓もちょうど同じタイミングだった。
ただ1人、律だけはそんな様子がなかった。
澪「律は就活しないのか?」
律「あー、就活な」
澪「焦ったそぶり見えないけど、大丈夫か?」
律「…わたしさ、バイト先に就職しようと思ってる」
澪「もう、決めたの?」
律「店長がさ、これだけシフト入れて、学校行けてないなら自分のせいだって言ってくれてて。
卒業して、もしわたしが良ければ正社員でって」
澪「そっか、なら安心だな」
律「うん、だから卒業してもわたしはこの家に残るよ」
律「…澪は東京方面で探してるんだろ?」
澪「うん…この辺じゃ仕事ないんだ、残念だけど」
律「応援してるよ、せっかく頑張って資格取ったんだし」
澪「それも使えるかわかんないけどな、就職難って怖いよ」
こんな話するだけで、少し大人になった気がした。
就職したら、離れ離れになる。
でもそこまで遠くないし、遠距離恋愛なんて呼べる距離じゃない。
寂しければ、電話で話せばいい。
それでも寂しければ、会いに行けばいい。
そう思わせたのは、説明会や面接に向かう電車の中でのメールだった。
律はいつも、わたしにメールをくれた。
別に目新しい話題なんてなかった。
それでも何往復もやり取りを交わして、気付けばすぐに目的地に着いていた。
だから、今見るこの景色だって、知らないんだと思う。
何社も受けて、やっと内定までこぎ付けた数社。
結局は、やっぱりブライダル関連の会社に就職を決めた。
無事就職も決まり、必修授業の単位も順調に取得し、後は卒論を仕上げて卒業を待つのみ。
そんな冬の日、久しぶりにみんなで集まった。
わたしたちの家で、卒業目前と題した飲み会だった。
5人では少し狭いこの部屋。
全員が揃うと、一気に騒がしくなった。
唯「何かみんなで会うの久しぶりな気がするね~」
澪「そうだな、なかなか会えなかったし」
律「今日はゆっくりいっぱい飲もうぜ!」
梓「案外最初につぶれるの、律先輩かもしれませんね」
澪「はは、そうかも」
律「黒髪2人、うるさい」
紬「わたし、記憶がなくなるまで飲むのが夢だったの~!」
唯「叶うといいね~」
律「じゃあ始めるか、みんな手元に酒はあるか~?」
梓「大丈夫です」
唯「あるよ~」
紬「ありま~す」
澪「うん、あるぞ」
律「それでは、カンパーイ!」
5つの缶がぶつかって、それを各自口に運ぶ。
料理はわたしと律、ふたりで用意した。
適当につついて、話に花を咲かせる。
最終更新:2011年02月15日 22:55