私こと鈴木純は、平沢憂に恋をしている。

憂とは中学時代からの付き合いがあった。

憂と一緒にいるうちに、私は憂を意識するようになってしまった。

高校二年生の今。憂への想いは、爆発しそうなほど熱く、煮えたぎっている。もう、抑えきる自信がない。

でも、憂は私の恋心に気づいていない。私の好きな人は鈍感なのだ。そういうところも含めて好きなのだが。

想いを知ってもらうべく、チョコレートを作った。チョコを湯煎するところから始めて、二日間。失敗に失敗を重ねて、満足のいく出来のチョコを作りあげた。

憂も梓も知らないだろう。何しろ、極秘で作ったのだから。憂と一緒にチョコを作りながら、家に帰ってもチョコを作っていたのだ。

2月14日は明日にまで迫っている。一眠りすれば、バレンタイン。チョコを渡す日。

誰に? もちろん憂に。

純「……緊張するなあ」

自室で椅子に座りながら、私はぽつりと漏らした。チョコは冷蔵庫の中に入っている。明日学校に行くときに、鞄の中に入れ、持っていくつもりだ。

椅子の背もたれに身をゆだねる。ぎっ、と傾いだ音がした。……痛々しい音。

横目で時計を見る。午前一時。早く寝た方がいいのは分かっているが、胸がドキドキして眠れない。

明日……時間的には今日、私は憂にチョコを渡す。そのついでに、告白するつもりだ。いや、どちらかというと告白がメインか。

場所はまだ決めていない。どこか、二人きりになれる場所で実行しようと思っている。

純「憂、受け取ってくれるかな」

少し不安になる。


脳内で、チョコを渡す時のシュミレート。

チョコを渡しながら告白。憂が快く受け取ってくれる。これが一番いい未来。そして、絶対にあり得ない未来。

チョコを渡しながら告白。憂が若干引きながらチョコを受け取る。あまり想像したくない末来。

チョコを渡しながら告白。憂に「キモい」と一蹴されて、チョコは受け取ってもらえない。絶対にあってほしくない末来。

純「ま、普通に受け取ってもらえるだけで、いいんだけどね……」

純「憂がキモいとか言うのは、想像できないし」

…………自覚している。理解もしている。私の恋は一方通行だということを。

憂は私を見てくれない。憂の視線の先には常に姉の姿があるからだ。わかる。中学時代からの付き合いだ。憂が誰のことを慕っているかなんて、明白だ。

憂は、姉――唯先輩のことが好きなのだろう。

確実に叶わない恋を、現在進行形で体験している。

純「…………憂」

呟きは、誰にも聞こえることなく消えていく。

知ってもらうだけでいい。私が憂のことを愛している――そのことを、憂に覚えておいてもらうだけで構わない。

実際のところ、シュミレートなんかしなくても、わかっている。この恋の結末はビターエンドで終わるのだ。

憂に告白したら、彼女は困ったような笑みを浮かべるだろう。そして「ごめんね、純ちゃん」と柔らかな物言いで答える。

その返答を聞いた私が残念そうな顔をすると、憂は焦って「でも、ずっと友達だからね」とか言うにきまっている。

あまりにも単純で、何より残酷な結末。

これは私の失恋の物語。

私の初恋の閉幕――。

ため息が出る。諦観や悲しみが混じった、憂欝の吐息。

かすかな睡魔を感じて、私は寝床に潜ることにした。


目が覚めたのは、いつもと同じ時間だった。

そういえば、今日はバレンタインでもあり、N女の合否発表日だったっけ。

純「……となると、放課後は軽音部室に行くことになるのかな」

起きたばかしの頭をフルに使って、私は告白の手順を考える。

どうせ、実らぬ恋。そんな思考がよぎる。

――もしも、告白がきっかけで、私と憂の仲が気まずくなったら?

――憂に話しかけられなくなったら?

ネガティブな考えが、頭の中に湧く。かぶりを振って、雑念を追い払う。今は、告白することにのみ集中しよう。当たって砕けるんだ。

その結果どうなるかなんて、後から考えればいい。

意識せずに、またため息が出てしまった。

学校にはいつもより遅く到着した。梓や憂はもう来ている。

梓「純、遅かったね」

純「ちょっと葛藤してたんだ」

憂「葛藤?」

純「うん。冷蔵庫の前でね」

二人とも、頭にクエスチョンマークを浮かべている。

純「いや、まあ気にしないで」

梓「? う、うん」

純「そういえばさ、今日N女の合格発表あるんでしょ?」

梓「うん、受かってたらメールくれるって」

純「ふぅん。……澪先輩たちは、今日軽音部に来るの?」

梓「どうだろ、多分来ると思うよ。私も行くしね」

純「そっか」

梓「それが、どうかしたの?」

純「ううん、別に」

唯先輩たちも来るから、憂も部室に行くはずだ。今日はジャズ研をサボって、私も軽音部室に行こう。

その後は――?

純「…………どうしようかな」

憂「なにが?」

純「え、あ、何か私言ってた?」

憂「どうしようかな、って言ってたよ」

純「そ、そっか。何でもないよ、ちょっと考え事してただけ」

軽音部室に行って、そこからどう告白する?

私は考えるという好きではない。まったくアイデアが浮かばない。どうすれば……。

告白したいという気持ちだけが先走っていた。同時に少しばかり、迷いがあった。

…………結局、放課後になっても策は浮かばなかった。ぶっつけ本番、下手な小細工もなしで、私は告白しなければならないのだ。

策を講じて何かをするのは私の性質に合わないんだ、と自分に言い訳しながら、私は憂と軽音部室に向かった。

軽音部の面々はみな、一様に笑顔だった。合格したのだろう。

そういえば、梓や憂が授業中に肩を震えさせていた。合格した、というメールが来ていたのかもしれない。

律先輩と梓がじゃれ合っている。紬先輩がそれを見て笑っている。唯先輩は澪先輩と一緒に何かお話をしている。

純「……やっぱり軽音部のみんな仲良しだよね……」

憂「そうだね……、梓ちゃん嬉しそう」

純「本当だ」

さて、と頭を切り替える。

ここからが、私のバレンタインだ。

どうする? 憂に告白。それが今日のビッグイベント。一世一代の、告白。

純「あ、あのさ、憂」

声は震えていないだろうか?

憂「なに? 純ちゃん」

純「あの、さ」

言うべき言葉が見つからない。おかしい。

純「あの……その……」

なんで?

純「その……」

場所は教室だ。教室にしよう。放課後の教室。ひんやりとした空気と、窓の外に広がる夕焼け空。カラスの鳴き声をBGMに告白しよう。

だから、憂に「二年一組の教室、行かない?」と言えばいいのだ。

そう理解しているのに、言葉を継げられなかった。

おかしい。なんで?

ここにきて、私は……。

憂「なに? 純ちゃん」

怪訝そうに、憂が私を見つめる。

なんで私は、何も言えないのか。

気づく。

私は、恐怖している。

何に? 

憂と友達のままでいられなくなるんじゃないか、ということに。

告白して、フられることに。

憂の口から、私のことが好きではない、と告げられることに。

憂は私のことを愛していない。そんなことは知っている。知っているけれど、私は憂に恋をしている。

何故か? 愛していない、というのは飽くまでも私の想像だからだ。憂の口から直接、聴いたことではないから。

私は期待していたのだ。

憂は唯先輩のことが好きなんだろうな、と想像しながら、その反面私は期待していた。憂は私のことが好きなのではないか、と。

でも、憂に告白して、フられたら? 私の期待は勘違いになってしまう。そして、思い知らされる。憂は私ではなく、唯先輩のことが好きなのだ――ということを。

私は、それに恐怖していた。

憂の本心を知ってしまうことに、恐怖していた。

憂「どうしたの? 純ちゃん。顔色悪いよ?」

心配そうに、私の体を触ってくる。熱でもあるの? そういって憂は、手の平を額に当てた。憂の手の平は、冷たい。

純「う、ううん。大丈夫だよ」

声は、やはり震えていた。

純「何でもないから――――」

告白はできずじまい。

そうして、私のバレンタインは、終わる。

終わる?

終わらしていいのか?

自問自答。

来年は受験生だ。勉強で忙しくなるに違いない。チョコなんて作っている暇はないだろう。そう考えると、今年がラストチャンスだ。

私が憂に想いを伝える、最初で最後の機会。

大学が一緒だったら、まだチャンスはある。でも、と思う。同じ大学にいけるなんて、そうそうないだろう。 

軽音部の面々が特例なだけで、普通は、みんなずっと一緒なんてことありえない。

恐怖が、私の口を閉ざしていた。

今伝えずにいつ伝える。そう自分を叱咤しても、恐怖は抜けなかった。

やはり、バレンタインは、これで、終わり………………。

――当たって砕けるんだ。

当たることすらもできなかった。当たることが恐かった。

フられる。その確定した未来から、私は逃げていた。初恋の幕を下ろしたくはなかった。

私は、臆病すぎた。

揺れる。

私の想いが揺れる。

告白しようか、しないか。

ゆぅんゆぅん、と振り子のように揺れる。

ふと、昨夜の思考が、脳裏によみがえる。

〝知ってもらうだけでいい。私が憂のことを愛している――そのことを、憂に覚えておいてもらうだけで構わない〟

告白するか、しないか。

二者択一。イエスかノーかのイージークエスチョン。

純「……憂」

自然に声が出た。

憂「なに?」

純「来てほしいところが、あるんだ」

言うのはとても気恥ずかしかったけれど。

憂「どこ?」

きまっている。

純「二年一組の、教室」

振り子は、告白するのほうに傾いた。

そうだ。

私は、知ってもらうだけでよかった。それ以上のことは望まない。ただ、気付いてもらうだけで満足だ。

その結果どうなるかなんて、知ったことではなかった。

それに憂は、私の恋心を知らされた後も、私と友達でいてくれるだろう。

憂はそういう子なのだ。誰に対しても優しい子なのだ。私は知っている。だって――。

私には憂との、長い付き合いがあるのだから。

二年一組の教室は、当たり前のように人っ子一人なかった。いつもは女子の声で騒々しい教室は、不気味なくらい静かで、薄暗い。

窓の外には朱の空がまんべんなく広がっていて、それはどこか、もの悲しさをたたえていた。BGMになるはずのカラスの声は聞こえなかったけれど。

純「あのさ、憂。今日バレンタインでしょ? だから、チョコ作ってきたんだ」

私は確かに臆病だ。だけど、ここまで来て逃げ出すほど臆病ではない。

憂「え、本当? ありがとう! 純ちゃん」

憂は笑う。つられて私も笑う。

私は鞄からチョコを取り出す。小さな箱に詰めたチョコ。製作時間二日とちょっと。睡眠時間を削って、つくったものだ。

純「あのさ、憂」

憂から返ってくる答えは、わかっている。

けれど、私にもう迷いはない。

当たって砕けてやろうじゃないか。

純「私、前から憂のこと好きだよ」

すらすらと、そう言えた。

憂はさして驚いた様子を見せない。

困った笑顔も浮かべない。

これは――予想していなかったシュミレート。逆に私の方が戸惑う。

憂は口を開いて、微笑む。

そして、言ったのだ。

憂「私もだよ」

……もしかしたら、私の方が鈍感なのかもしれない。憂よりも、ずっと。

私は、全然憂を見ていなかった。

憂は唯先輩が好きなのだと、思い込んでいた。それこそ妄想だった。

憂は、私のことが好きじゃない――と思っていたから、今まで私は憂に告白しなかった。半ばあきらめていた。今日告白したのだって、フられると内心思っていた。

憂の返答を聞いて、頭が白紙になる。

純「え、あ、そ、ほ、ほ」

何が言いたいのかよくわからなくて、私はしどろもどろになる。

憂「私もね、純ちゃんのこと、好きだよ」

一語一語、ゆっくりと憂は紡ぐ。

ビターエンドしか想像していなかった私は、本当に臆病だった。

純「……ライクじゃなくて、ラブだよ?」

念のため訊く。

憂「私も、ラブだよ」

憂はさっ、と私の手からチョコを受け取る。

憂「ありがとうね、純ちゃん」

純「う、うん……」

嬉しいような、花恥ずかしいような、何とも言えないむずがゆい気持ちになる。

憂「……実はね、私も、チョコ作ってきたんだ。帰り際純ちゃんに渡そうと思ってたんだけど」

言いながら、憂は鞄の中からチョコを取り出す。そして、私の手に渡した。

綺麗な包装で包まれたチョコレート。包装紙には〝純ちゃんへ〟と書かれている。

憂と私には、同じような葛藤があったのかもしれない。そんなことをふと思った。

当たって砕けずに済んだ。私の初恋は、今やっと開幕した。失恋の物語なんかじゃなかった。さっきまで感じていた恐怖が、体からするりと抜けおちた。

憂「ずっと、好きだったんだよ。でもさ、言ったら、気持ち悪がられちゃうかなって、言えなかったんだよね」

えへへ、と憂。

純「私もだよ――」

そう、私も。

私も臆病だ。おなじく憂も、臆病だった。


ただ、一歩踏み出しただけで予想とは何もかもが違った。そんなものなのかもしれない。

あるいは、勇気を出して進んだから、何かが変わったのかもしれない。

私は俯き加減に、手元のチョコを見る。

純「ありがとうね、憂」

どういたしまして、と憂が答える。

とろけるほど甘いであろうチョコに目を落としたまま、私は憂にもう一度、大好きだよと言ってみた。顔を見るのも照れ臭かった。

私の恋した彼女は、はにかみながら、私も大好きだよと答えてくれる。

憂もうつむいているのかもしれない、と私は思った。

                                               終わり