…………

「……何よコレ」

多少のことには動じない和も、さすがに戸惑っているのが見て取れた。
澪にいたっては予想通り青い顔をして絶句中だ。

「私にもわからん」

手にした便せんから私の顔に視線を上げた和に、苦笑いを返して肩をすくめる。

「ただ、澪のクッキーと梓の怪我がこの手紙に関係してるんじゃないかと思ってる」

「ひっ……!」

「あー、はいはい。ごめんな、何も説明しないでこんなの読ませて」

怯えきった澪の背中を、子供をあやす要領でさする。
私の腰にすがりついた澪の両手が震えているのが、制服越しに伝わってくる。

「さっきの律の説明だと、確かに3つの件は関係してると思っていいかもね」

「やっぱ、そうだよなあ」

結果的にこうなってしまったけれど、
和に手紙を読んでもらったのは正しい判断だったかもしれない。

「うぅ、ううう……り、律ぅ……」

……澪はこんなだし。

「それで、梓ちゃんとクラスメイトだった子のことを知りたいのね?」

私が頷くと、ちょっと待ってて、と和は本棚に向かい、2冊の小冊子を手に戻ってきた。

「ええと、去年のクラス写真は……これね」

和が開いたページを覗き込む。最前列に梓、3列目に憂ちゃんの顔を確認した。
写真の下に記載された名簿の中から、M美の文字を探す。

「あった。2列目の、左から4人目……この子だわ」

和の指先を目で追うと、昨日梓が言った通りもの静かな印象の女の子。
肩より少し長い黒髪を耳の下でふたつに結び、伏し目がちにしている。

続いて、今年の2年生のクラス写真からM美の姿を探す。

……いた。
伸びた髪が腰まで垂れているが、印象は1年生の時とさほど変わっていない。

「この子があんな手紙を?……信じられないな」

思ったことをそのまま口に出すと、そうね、と和が同意した。

「まだこの子って決まったわけじゃないのよね?」

「ああ、他のクラスや学年に同名がいるかもしれないし、偽名の可能性もある」

「……あれだけ律に執着した手紙を書くなら、偽名はないんじゃないかしら」

これは私の憶測だけど、と和が付け加える。
確かに、そうかもしれない。

「他のクラスにも同じ名前の生徒がいるか、調べたほうがいいわね」

「ああ。ごめんな、押し掛けたうえに付き合わせちゃって」

「いいのよ。それより、律」

「ん?」

「このことは、ちゃんと先生に相談するべきだと思うわ」

写真から顔を上げると、普段以上に真剣な顔をした和がまっすぐ私を見ていた。

「ん、わかった、あとでさわちゃんに話してみるよ」

ありがとうと言うと、和はどういたしまして、と小さく微笑んだ。

「……っと、ごめんちょっとトイレ。澪のこと頼む」

「ええ」

私の名を呼び震える澪をなんとか椅子に座らせ
すぐ戻ってくるからと頭を撫でて、私は生徒会室を出た。


【1階 トイレ】


とっくに用は済んでいるのだけど、
生徒会室に戻る前に混乱した頭を一度整理したかった。
個室の壁にもたれたまま、昨日からの出来事に思いを巡らせてみる。

それにしても、どうして私なんだろう。
あんな手紙を受け取る理由も、見ず知らずの人間に執着される原因も思い当たらない。

それに……あの手紙がタチの悪い冗談でないなら、
結果的に私が澪と梓を巻き込んだことになるのか?
昨日の時点で皆に言っていれば、梓は怪我せずに済んだのか?

答えの出ない自問自答に、思考が余計乱れてしまう。

「ああもう、なんなんだよ」

吐き捨てるように呟いて意味なく水洗ノブを回し、力任せに扉を開ける。
勢いのついた扉が個室を隔てる仕切りに当たって大きな音を立てた。

「ぅひゃっ!!」

「ッ?!」

突然の悲鳴に飛び上がりそうになった。

悲鳴は、私が入っていた個室のひとつ奥からだ。
私が来たときにはすべて空いていたのに、いつの間にか2つ埋まっている。
自問自答に没頭しすぎて人が入ってきたことに気付かなかったらしい。

「あっ、ご、ごめんなさい!」

思わず見えない相手に謝る。

「……その声、もしかして律先輩ですか?」

「えっ」

「ちょ、ちょっと待ってください。今出ますから」

あたふたと服を整える衣擦れの音から少し間を置いて水を流す音が聞こえ、
開いた個室の扉から顔を覗かせたのは、梓の友達……鈴木さんだった。

…………

「憂から聞きました。今日はみなさんが梓と一緒にいてくれるって」

洗った手をハンカチで拭きながら、鈴木さんが微笑む。

「先輩方と一緒なら、梓も安心できますね」

「ああ、鈴木さんも梓のこと心配してくれてありがとう」

「いえそんな。……友達ですから」

彼女は少し顔を赤らめ、スカートのポケットにハンカチを仕舞った。

「それじゃ私、部活に戻ります。梓によろしく伝えてください」

「うん、わかった。じゃあな」

癖のある髪を揺らしてペコリと下げた彼女にひらひらと手を振る。

トイレ入り口のドアが閉まるのを見届け、ひとつ溜め息を落としてから
私は勢い良く手洗い用の蛇口をひねった。



【生徒会室】


「M美って名前の生徒は、1年生に1人と、例の彼女のふたりだけみたいね」

全生徒の名前を調べ終え、
体の震えが止まる程度に落ち着きを取り戻した澪に話しかける。

「……なあ、和」

「なあに?」

膝の上で両手を強く結んだまま、澪が上目遣いに私を見た。

「あの手紙って……いったいどういうことなんだろう」

「そうね……。律はまったく身に覚えがないって言ってたし、」

「うん……」

「客観的に見ても、律を恋人と思い込んでいる子からの酷く一方的で病的な手紙、ね」

「……そのまんまだな」

「それ以外に表現のしようがないわ」

私の返答に、澪はそうだよな……と再び項垂れる。
こんなときは律のように頭を撫でてあげたほうがいいのかしら、と少し考える。

「わけがわからないけど、なんで、律なんだろう」

「……律にわからないことは私たちにもわからないわね」

「そう、だな」

澪が黙り込んで会話が途切れる。
私は何気なく、壁に掛けられた時計に目をやった。
律が生徒会室を出てから、20分以上過ぎていた。

「……律、ちょっと遅いわね」

「……うん」

「山中先生のところに行ったのかしら」

「もしかして、まだお腹の調子が悪いのかも」

「様子見に行ってみる?」

澪は少し戸惑う表情を見せたけれど、
やがて自分に言い聞かせるように、きゅっと口を結んで立ち上がった。

「私が行ってくるよ」

「大丈夫?」

「ああ、」

「じゃ、待ってるわね」

澪は硬い笑顔で頷き、すぐ戻ってくるから、と言い残して生徒会室を出ていった。


【1階 トイレ】

「ぷはっ」

冷たい水で顔を洗ったら、頭が少し冷えた気がした。
顔を上げて、濡れた自分の顔と対面する。

私が動揺してちゃいけない。皆にいらぬ心配をさせたくない。
口角を上げて無理矢理な笑顔を作ってみる。

「……あほくさ」

不細工な表情に呆れた。そういうことじゃないだろ、私。
ブレザーのポケットからハンカチを出して乱暴に顔を拭く。

濡れたハンカチをポケットにねじ込んで再び顔を上げた瞬間ーーー

心臓が止まるかと思った。

鏡越しに、入り口にいちばん近い個室の扉が音も無く開くのが見えた。
そこから私を見つめるのは、ついさきほど生徒会室で見た、あの子。

「……やっと、ふたりになれた」

そう言って薄く笑った彼女から、何故か目を逸らせない。
ああ、心底恐怖を味わうと声も出ないってのはホントなんだな、と、
頭の隅だけが妙に冷えている。

「ねえ?りっちゃん」

彼女は私の知らない声で、私の名を慣れ慣れしく呼んだ。
相手に動揺を悟られないように、出来る限りゆっくりと振り返る。

「……私は、あなたのことを知らないんだけど」

どうにか絞り出した自分の声が震えているのがわかる。

「……ふふっ、今はふたりきりなんだから、お芝居しなくていいのに」

「……芝居?」

「私とりっちゃんの関係は、みんなには秘密だけど」

「……」

「今は、誰も聞いてないから大丈夫よ?」

彼女が何を言っているのか、理解できない。

「……昨日澪の靴箱にクッキー入れたの、お前か?」

「そうよ。だってりっちゃんにまとわりついて邪魔だったんだもん」

「……」

「まさかりっちゃんが食べちゃうとは思わなかったけど」

「梓を階段から突き飛ばしたのもお前か」

「そう。私たちの関係を皆にばらそうとしたから」

彼女は顔に笑顔を張りつけたまま澱みなく答える。

「なんで、」

声がかすれる。やけに喉が乾いている気がして、つばを飲み込む。

「なんで知ってるんだよ。クッキー食べたことも、梓がお前の名前を出したことも」

私の問いに彼女は一瞬キョトンとして、それから声を立ててわらった。

「なんでって、だって、私はいつもりっちゃんのこと見てるから」

「……ッ」

さも当然のように答えた彼女に、ぞくりと背中が震える。

「……だいたい、どうして私なんだよ」

「……え?」

「今まで一度も会ったことも、話したこともないのに」

そう言うと、彼女の顔から笑顔が消えた。
脱力したように俯き、長い前髪が彼女の表情を覆い隠す。

「……おい、」

「……ひどい」

「……」

「あいつら、ひどい」

「……え、」

「あいつらでしょ、りっちゃんにそんなこと言わせてるの」

「……は?」

「私とりっちゃんを引き離そうとして、無理矢理言わせてるんでしょ!」

彼女の顔が怒りでゆがみ、思わず身構える。

「どうしてなんて聞かないでよ」

「……」

「人を好きになるのに、いちいち理由が必要なの?」

「……」

「初めてりっちゃんを見た時から、ずっと想い続けてるのに」

「……」

「私はずっと、りっちゃんのこと見てきたのに」

「……」

「ねえ?りっちゃん……りっちゃんも私のこと、好きだよね?」

彼女は口元を笑みの形に歪ませ、ブレザーのポケットから何かを取り出した。
キチキチと弾くような音に、それがカッターナイフだと気付く。

頭の中で警告音が鳴り響いているのに体がうまく動かない。
彼女はいびつな笑顔を張り付けたまま、一歩ずつ私に近づいてくる。

「ねえ、りっちゃん?」

彼女の右手がゆっくりと胸の高さまで上がる。
そこに握られた鈍い光から、目を逸らすことができない。

「好きって、言ってよ……」


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