「……あ、」

脱いだローファーを取ろうと腰を曲げた格好のまま見上げると、
靴箱を開けた状態で動きを止めている幼馴染の横顔。

ああ、と頭の隅で思い、それから口の端を上げる。

「ほう……またお手紙ですか。モテモテですなあ」

「うるさい」

澪は私が覗き込むより早く、靴箱に手を突っ込んだ。
上履きに乗せられているであろうそれがカサカサと音を立てる。

「ん?今日は封筒じゃないのな」

「うん、」

澪は頬を淡い桜色に染め、取り出した紙袋を裏返し、また表を向ける。
水色の紙袋にラベンダー色のリボンできれいにラッピングされたそれには、
まるっこい文字で「澪先輩へ」と書かれたカードが添えられていた。

「学園祭が終わってから、増えたなあ」

「ああ……そうだな」

「ファンクラブの子?」

「どうかな」

「開けてみないのか?」

「あとで」

澪はそう言って肩に掛けた鞄のファスナーを半分ほど開け、紙袋を大事そうに仕舞った。

未だ靴下姿の私を一瞥し、置いてくぞとぶっきらぼうに言葉を投げてよこしたので
待ってよ澪しゃん!と大げさに慌ててみせ、ローファーを拾って自分の靴箱を開けた。


「……あ、」

目にしたものを理解するより先に声が出た。
視界の端で澪が振り返り、疑問符付きで私の名を呼んだ。

「律?なにやって……んぁ?」

右手にローファーを掲げたままフリーズしている私の後ろから覗き込んだ澪は、
上履きにそっと乗せられたそれを見て、間の抜けた声をこぼした。



【3年2組 教室】


「なんと!」

「まあ……」

「へー、律にねえ」

HR終了から1限目が始まるまでの短い時間、
宿題を見せて下さいという懇願ついでに報告した靴箱での出来事について、
唯、ムギ、和から三者三様の感想を一言ずつ貰い受ける。

私は頬を掻きながら、鞄に入れてある手紙のことを思い返す。
オフホワイトの地にたんぽぽのイラストが入った可愛い封筒に、
その可愛さとは少々ギャップのある大人びた文字で「田井中 律 様」と書かれていた。

「それでりっちゃん、手紙にはなんて書いてあったの?」

「まだ読んでない」

「えー、早く読んでくれないと見れないじゃん!」

「当然自分も読みますよ、みたいな物言いだなおい」

「えへへ……だってぇ」

ニヘラと笑う唯に、小さく溜め息を落とす。

「りっちゃんにファンレターかぁ……。はっ!ま、まさかラブレもがっ」

「そぉい!そこまでだ!」

唯が言い終わるより早く、てのひらを押し付けて口を塞いだ。
近くの席にいたクラスメイトの視線がちらりとこちらに向けられる。

きっと今、首を少し左にひねればニヤニヤと笑う澪と目が合うことだろう。
いつもとは逆転した立場に、後頭部辺りの髪が逆立ちそうな気分だ。

「ひょ、りっひゃんくるひぃ……」

「あ?ああっ、すまん」

もがく唯の口元から慌てて手を離した。
澪の、息を吐く音に似た笑い声が左耳に届く。

「まあ律はあんなふうに手紙貰うの初めてだろうから、恥ずかしがるのも無理ないよ」

「……なにその突然の上から発言」

「ふふっ、律が手紙貰うなんてなあ、ふはは、どんなことが書いてあるか楽しみだな」

「今ちょっとむかついたぞ、澪?」

「照れるなよ、手紙の感想は部室でゆっくり聞くからさ。……ぷっ、ふふっ」

「おいこら」


……さて、あの手紙、いつ読もうか。

私の席は教室のいちばん前。授業中に読むと先生に見つかるリスクが高い。
移動教室で持って行くのもアレだし、休憩時間は澪たちの視線が気になるし、
トイレでコソコソ読むのもなんか違う気がする。

いや待て別にコソコソする必要なんてないだろ。唯がへんなこと言うからだ。

そんなふうに悶々と考えていたら、結局放課後まで封を開けることが出来なかった。



【放課後 音楽準備室】


「あ、りっちゃーん!待ってたよ!」

みんなより少し遅れて部室のドアを開くと、唯の声と一緒に甘い香りが流れてきた。
ティーポットを持ったムギが振り返り、ちょうどお茶を淹れたところよ、と微笑む。

「えーっと……梓はまだ、だな」

「うん、で、手紙にはなんて?」

はぐらかそうとした私の意思を華麗にスルーして、
席につくのも待ちきれない様子で唯が身を乗り出してくる。
軽くあしらって腰を落ち着けると、頬杖をついた澪と視線がぶつかった。

まじまじと私の顔を見る澪から出来る限り自然に視線を外し、
いただきます、と湯気の立つ紅茶を一口啜る。

「……あ、これうま」

「今日は甘めのバニラティーにしてみたの、ふふっ」

こころなしか、甘めの、の部分を強調してムギが笑い、
私はちょっと苦い顔で笑い返した。

「もー、りっちゃん、読んできたんでしょ?」

私の左腕を掴んだ唯がなおも食い下がる。
ぐいと引かれた勢いで紅茶がこぼれそうになって、慌ててカップをソーサーに戻した。

「引っ張るなって。フツーにドラムと受験がんばってください的な内容だったよ」

「えーっ、それだけ?」

「それだけ」

「見せてもらっちゃいけませんか ♪」

「いけません ♪」

可愛い子ぶった唯に付き合いつつ、ばっさり断ってやる。

「ちぇー。……ほんとにそれだけ?」

「それだけだってば」

「なぁんだ、ラブレターじゃないのかぁ。ざーんねん」

「なんでそっちにもっていきたがるんだよ」

「だって、そのほうが乙女なりっちゃんをもっと見られ痛い痛い痛い」

「まあまあ、ふふっ」

「……で、澪は?今朝のアレ開けてみた?」

唯の顔面に渾身のアイアンクローをかけたまま目線を移すと、
澪はちょうどティーカップに口をつけようとしているところだった。

「あら、澪ちゃんも何か貰ったの?」

私の言葉を受けて、ムギが目を輝かせる。

「んぐっ、……ああ、私も受験がんばってくださいって手紙。あと、クッキーが入ってた」

「おっ、手作りか?」

「うーん、多分」

ムギの眉がピンと逆八の字を描いた。ああ、何か思いついたな、今。
そして、なんとか王室御用達と書いてある高そうなパッケージを掲げるムギ。

「今日のお菓子はクッキーだったのだけど……澪ちゃんは要らなかったかしら~」

「えっ」

予想外の冷やかしだったらしく、澪の頬が染まる。
ムギはいたずらな顔で微笑み、だってクッキーくれた子に悪いものね、と続けた。

「ムギっ……!?」

「ふふっ、どうする?澪ちゃん」

「ム、ムギのクッキーも美味しくいただきます!」

顔を赤らめたまま、まっすぐ左手を挙げ高らかに宣言する澪。

「太るぞー澪ぉー」

「うるさい!」

「あでっ」

机の下でスネを蹴り飛ばされ、はずみで唯のこめかみに掛けていた指がズリッと音を立てて滑った。
あひょぅ!と悲鳴をあげて悶絶する唯の隣で、私はスネをさすりながら唸る。

「うう……りっちゃん酷いよ……」

「くっ、澪め……」

「二人とも自業自得だ。ほら、お茶飲んだら勉強始めるぞ」

澪はそう言って、染まった頬を隠すように、手にしていた紅茶を一息で飲み干した。


西日が差し始めた部室に、ギターが作るリズムとノートにペンを走らせる音が混ざる。

梓はギターの練習、私たちは受験勉強。
私たち3年生にとって最後の学園祭が終わってからは、すっかりそのスタイルが定着した。

勉強に飽きた唯か私がたびたびお茶をねだり、そのたびに澪とムギにたしなめられてまた勉強。
そのうち我慢できなくなって、鞄に突っ込んだスティックに手を伸ばす。
集中しろと澪は叱るが、自身もベースを持ってきているのであまり強く言えない様子だ。

まあ、先輩方の勉強の邪魔をと詫びつつ嬉しそうな顔を隠し切れていない後輩にも
付き合ってやらないと、だよな?

「なあ、梓」

「はい?」

長椅子の下に置いた鞄から新しいピックを取り出している梓に、小声で話しかける。

「梓の同級生にM美って子、いる?」

「M美ですか?……あー、1年のとき同じクラスにいましたよ」

「そっか」

「他に同じ名前の人がいるかは知りませんけど……。それがどうかしました?」

「いや、ちょっと聞いてみただけ……って?!」

視線を泳がせると、それぞれ楽器を触っていたはずの3人が一斉にこちらを向いていた。迂闊。

「ほぉ、律に手紙をくれた子、M美っていうのか」

「え、手紙って何ですか?」

「あずにゃん、今朝りっちゃんの靴箱にラブレターが入ってたんだよ!」

「え……。ええーっ!律先輩にラブレター!?」

「だからそういうのじゃねーって!」

いらんことを言うな、唯。
驚きつつなぜ半笑いなんだ、梓。

「あずにゃんと同じクラスだったってことは、憂もその子のこと知ってるね」

「そのM美さんのことだったらそうですね。律先輩、名字はわからないんですか?」

「あ、うん、名前しか書いてなかった」

「あずにゃんが知ってるM美さんってどんな子?」

「ええと、あんまり話したことはなかったですけど……もの静かな感じの子でした」

もの静かな子、か。顔も知らないその子を想像してみる。
もっとも、そのM美さんと決まったわけではないのだけれども。

やや間があって、そういえば……と梓が記憶をたどるように視線を斜め上に向けた。

「いちどだけ、あの子に律先輩のこと聞かれたことがあったような……」

「なんて?」

「ドラム叩いてた先輩ってどんな人?って。去年の学園祭のあとくらいだったと思います」

「それで梓はどう答えたんだ?」

「えーと…………。あっ!えーと、けっ、軽音部の部長だよ、と」

「……ほう」

おい中野、いま確実に私に言えない何かを思い出しただろ。
どうせ練習しないとか大雑把だとかなんとか言ったんだろこら。

心の声が聞こえたのか、梓は静かに私から目を逸らした。

帰宅時間を理由に、私への質問攻めを強制終了させた。

全ての片付けが済んだことを確認して、電気を消して部室の鍵を掛け
階段の途中で待つ皆に小走りで追いつく。

いつもの信号で唯、ムギ、梓と挨拶を交わしたら、澪とふたりの家路。

歩道に落ちている乾いた枯れ葉を、わざと踏んで歩く。
時折頬をかすめる風に、少しずつ冬が近づいているのを感じる。

「そろそろコートがいるかな」

「だなー」

道の先を見たまま澪が呟き、私は足下に目を向けたまま応える。

「なあ、律」

「んー?」

「手紙、本当はなんて書いてあったんだ?」

「……またその話かよ、もう勘弁して」

飽き飽きした、と言外に訴えて項垂れてみせるが、
澪が真面目な顔で私の横顔を見ているのがわかる。

「ほんとに、ただのファンレター?」

「……ん、何で?」

首だけひねって澪を見返し、視線が交差する。
澪は私から視線を逸らさず、言葉を続ける。

「ファンレターなら、逆に見せびらかしそうな気がするけど、律は」

「……それは、ほら初めてのことで恥ずかしいし?」

「なんだかんだと唯たちの質問もはぐらかしてたしさ」

「……」

「なんか、内容を知られるのを嫌がってる気がする」

「う……」

「……やっぱり、あれって、あれか?ラ、ラブレ…」

「あらやだ澪ちゃん妬いてんの?」

「それはない」

「即答かっ」

絶妙なタイミングで突っ込み、一瞬の間を置いて、同時に溜め息を落とす。
息が白くなるにはまだ季節が早いらしい。

「……まあ、なんでもないならいいんだけど」

そう独り言のように呟いて、ようやく澪が視線を外す。

「それより澪、貰ったクッキー美味かった?」

「え?ああ、いや、まだ食べてない」

「あらら、冷たいなぁ澪先輩」

「うるさいな、帰ったら食べるって。……律も1ついるか?」

そう言うと、澪は私の返事を待たずに鞄から水色の紙袋を取り出した。
クッキーを包んでいるのは、手作りを思わせる小さなビニール袋。
青いハートのシールで封がしてある。

澪が、長い指でココア色のクッキーを1枚つまみ上げ、私の口元に寄越す。
いいの?と目で尋ね、いいよ、と澪の眉が上がるのを確認して、ぱくりと噛み付いた。

……ん、なんかちょっと苦い。


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最終更新:2011年02月20日 20:52