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 その場は憂とあずにゃんが弁護してくれました。
 しかし奪われたファーストキスの価値は、やはり乙女として大きいものなのです。

 わたしと純ちゃんはいわば憂とあずにゃんを取り合うライバルともいうべき関係なのに!

梓「唯先輩、いつまでも落ち込んでないでください、練習にも全然身が入ってなかったじゃないですか」

 部活帰りの下校路であずにゃんに励まされます。
 そうですこんなときはあずにゃん分を吸収するのが一番です。

 もたれかかるように抱きついて、どうしようと糖度100%の甘えた声で助けを求めます。

梓「どうしよう……って、あんな事故を気にするのなんて、唯先輩らしくないです」

唯「ううん……だよね……いや、そうかな……」

梓「だいたい唯先輩はいつもわたしにキスしようとしたりするじゃないですか、それなのにそんな落ち込むなんて……」

唯「いつもあずにゃんに拒否られたときは落ち込んでるんだよ?」

梓「……純とキスするのがそんなにいやだったんですか? なんか変な態度とってましたし」

唯「……あずにゃんのためにファーストキスをとっておいたんだよぉ、残念だよあずにゃん……」

梓「何馬鹿なこと言ってるんですか……」

 ちなみに家族はノーカウントです。
 はぁ、自業自得とは言え、純ちゃんめー……。


 翌日登校したら廊下を歩けば茶化され教室に着けば囃され、なにをやらかしてしまったのかとびくびくしていたら、案の定昨日のお昼休みのことでした。
 女の子は噂好きといいますがどういう波及の仕方でしょうか、奥様方によるご近所のスキャンダルよりも広まるのが早いのではないでしょうか。

律「おい唯、お前、さ……えーっと、後輩と付き合ってるってマジか?」

 噂とはあらぬ尾ひれが当然のようについているものでなぜか純ちゃんとわたしは熱愛疑惑を掛けられているようです。

 身近なところから誤解を解いていかなければなりません。

唯「違うよりっちゃん、あれは事故で、偶然二年の教室で唇と唇がぶつかっちゃっただけなんだよー」

律「ほんとうかー? 唯ならだれかれかまわず抱きついてそうだしな、ありえるかもなー」

唯「むー、ほんとなんだよりっちゃん」

律「まぁ信じるよ、唯ならありえる、ありえるなー」

 さすがりっちゃん、話がわかる。

律「じゃあとりあえず、誤解だって友達にいっておくわ、よくある噂だ、気にすんな唯」

唯「りっちゃん……! いつになくかっこいいね……!」

 なんだか今日のりっちゃんはまぶしくて直視できません。
 薄目でありがたやありがたやと拝んでいたら「眩しくないわい」とチョップされました。

 持つべきものはやはり頼れる友人と可愛い妹と後輩です。
 友達の多いりっちゃんなら素早く事態を収束へ導いてくれるでしょう。

 しかしこうなると心配なのは純ちゃんのほうです。
 わたしにはりっちゃんを始めとした心強い味方がいましたが、純ちゃんはだいじょうぶでしょうか。

 変に茶化されて落ち込んでいなければいいのですが……、いや、あの、格上として敵に塩を送る余裕をみせるのも、大事じゃないですか。
 もちろん憂やあずにゃんがついていますから、別にそんなに心配ってわけでもないんですけれど。

 こうなった以上は一蓮托生、気になるじゃないですか。

 とりあえずメールで、憂に連絡を取ります、純ちゃんの様子は、と。


「すごく落ち込んじゃってる、お姉ちゃんと付き合ってるって噂されてるのがショックだったみたいで」

 メールを開いた瞬間、わたしのほうこそショックを受けました。
 いやしかし、その気持ちもわかります、高校生といえば多感な時期、純ちゃんもああ見えて恋する乙女だったりするのでしょう。

 その恋する乙女が、面識のあまりない、友達の姉と付き合ってるだなんてスキャンダラスな噂が流れたらどうでしょう。
 想像するに容易く、推し量るに難い葛藤が彼女を襲ったことでしょう。

 こういうとき、わたしはどうしたらいいのでしょうか。そばに行って励ますべきなのでしょうか、ほとぼりが冷めるまでそっとしておくべきなのでしょうか。

 続けてメールを送ります。

「落ち込んでる具体的な理由はわかる? わたしはどうしたらいい?」

「聞いても教えてくれない、お姉ちゃんが悪いわけじゃないから、じっとしてて」

「でも、純ちゃんがかわいそうだよ」

「お姉ちゃんのせいじゃないよ、わたしと梓ちゃんでどうにかするから」

 そういわれても、やはり心配です。
 純ちゃんみたいな子が落ち込むなんて、あまり想像が出来ないもので、余計に。


 あっという間に放課後です。
 りっちゃんから、今日は早く帰れと言われました。
 また変な噂が立つといけないから、との配慮のようです。冗談でなくりっちゃんのことが眩しくて直視できませんでした。

 だから今日は珍しく、一人での帰り道です。
 いつもならば隣にあずにゃんか憂、和ちゃんがいるのに、少し寂しくも思います。
 いえ、この気持ちは寂しさからだけではないでしょう、やはり純ちゃんのことが気にかかるのです。

 気を紛らわそうと、わたしは寄り道をはじめました。
 右右左右左。気の向くまま足の向くまま歩いていきます。

 段々と家の近所に近づいてきます。
 そういえばこの辺には公園があって、よく憂や和ちゃんと一緒に遊んだっけ。

 ぎーこぎーことブランコの揺れる音がだんだんと聞こえてきます。
 公園の中に入ると、一人でブランコをこぐ純ちゃんの姿が見えました。

純「唯先輩……?」

 純ちゃんもわたしに気づいたようで、ブランコをこいでいた脚を止めました。

唯「……純ちゃん、偶然だね」

 やはり純ちゃんはまだ少し落ち込んでいる様子で、暗い表情をしていました。
 ならばわたしにできることはなんでしょう。

 そう、格上として敵に塩を送る余裕を見せることです。

唯「純ちゃん、隣のブランコ空いてるかな?」

純「……はい」

 向かって右のブランコにわたしが乗って、今純ちゃんが乗っているブランコには憂が乗っていたっけ。
 なんだか懐かしい気分になりながら、ブランコに腰掛けます。

唯「よっ……と」

 ぐいっと足を投げ出して、ゆっくりと漕ぎ出します。
 久しぶりに乗るブランコは、体重が増えた分少し怖くて、落ちてしまいそうです。

唯「純ちゃん、わたしと恋人って言う噂、そんなにいやかな?」

 あくまでも軽く茶化すように、問いかけてみます。
 すると純ちゃんは、少しうつむいて、いやです、と答えて、失礼かもしれませんけど、と付け加えました。

唯「ううん、いいよ、わたしも良くは思ってないし……でも出来れば、理由とか聞かせて欲しいかなあ」

純「…………えっと、実は……他に好きな人がいるんです……」

唯「他に、好きな人?」

純「はい……だから、誤解だってわかってもらってても、何となく、辛くて……」

 大方の予想通り、落ち込んでる理由は、恋でした。
 なんと甘酸っぱい話でしょう。
 興味津々、ぜひ詳しく聞きたい話ですが、ここはふざけていい場面ではありません。
 大人として、先輩として、優しく話を聞いてあげるべきです。

唯「良ければだけど、好きな人って、誰なの?」

純「…………」

 あぁやはり口ごもってしまいました。
 こういう子に限って色恋沙汰にはシャイなのです。困ったものです。

唯「もしかしてー……あずにゃんとか?」

純「……違いますよ、梓は友達ですし……」

唯「じゃあじゃあ、ういとか」

純「うっ……」

唯「いやー、まさかなー、もし憂なら姉として黙っちゃいられないからなー」

純「…………憂ですよ……」

唯「えっ」

 冗談のつもりでしたのに。


唯「じゅ、純ちゃん、それは ほんと ですか?」

純「……はい……」

唯「お、おぉう……」

 どう反応したらいいのでしょう。あなたの妹が好きです。この台詞に対してどう反応するのが正しいのでしょうか。
 妙にあっさりなのがリアルです。
 憂とわたしは相思相愛ですがそれは姉妹愛および家族愛のそれであり恋愛感情などではありません。
 くんくんもふもふしたいくらいそれはそれは可愛がってる妹のことですので前述のとおりどこの馬の骨かもわからない他人にはもちろん任せられません。

 しかし、かっこつけて相談に乗った身。「へーんういは誰にも渡さないもんねー」というわけにもいきません。
 それに純ちゃんには実績があります。バナナ豆乳を回し憂の唾液をさりげなく得る技術は素晴らしいものでした。
 伝聞ですが全てのドーナツに一口ずつつけて、憂との間接キスに成功し、あろうことかその晩ベッドまで占拠したという武勇伝があります。

 考えれば考えるほど純ちゃんの行動につじつまがあっていきます。
 やはり恐ろしい。いえ、この子にならば憂を任せることが出来るかもしれません。

 右隣のブランコに座る純ちゃんを見ると、目が合いました。
 そのまなざしは恋する乙女のもの、なぜだか幼き日の憂と被って仕方がありません。

唯「純ちゃん……その気持ちは本物みたいだね……」

純「はい……!」


 それからわたしと純ちゃんの修行の日々は始まりました。

純「ふっ……ふっ……」シュンッ シュンッ

唯「違う! 右足の入りが遅い! そんなんじゃ憂の布団の中に蓄えられた深層憂気体が逃げちゃうでしょ!」

純「すいません唯先輩!」

 初歩中の初歩、憂の布団もふもふの指導を始めてから3ヶ月、ようやく純ちゃんも型を覚えてきました。
 しかし実践で使えるレベルになるにはまだまだかかりそうです。
 憂の大きな愛を受け止めるにはそれ相応のスキルが必要なのです。

 しかし恐るべきはやはり純ちゃんの類稀な才能。
 わたしが17年間かけて習得してきた技術をどんどん吸収していきます。
 そしてついにはオリジナルの必殺技まで開発するようになりました。

純「見てください唯先輩! ついにクセっ毛のうねり具合で、憂の部屋の湿度を量れるようになったんです!!」

唯「素晴らしいよ純ちゃん……!」

 憂の部屋の湿度。それが意味するものは大きいです。体温から寝息の立て方、代謝など、さまざまなことがわかります。

 純ちゃんの憂スキーとしての完成が恐ろしくなってきました。

 そして更に4ヶ月が過ぎた頃。季節は冬。
 いつもの公園にはそれはそれは立派に成長した純ちゃんがいました。

純「唯先輩……今まで、ありがとうございました。わたし、自分に自信が持てそうです!」

唯「うん、もう教えることは何もないよ……。明日のバレンタイン、憂に告白するんだってね……」

純「はい。唯先輩との修行を経て、自分の憂への愛の確かさを再確認しました……。もう迷いません。明日、全てにけりをつけます!」

 純ちゃん、君は本当に強くなったよ。

 いつか二人で、憂に怒られたときも。
 いつか二人で、寒い雪の日に憂の可愛さについて語り合ったときも。
 いつか二人で、不審者として警察に追い回されたときも。

 そのまなざしは淀みなく色あせることがなかった。

唯「純ちゃん、免許皆伝だよ。純ちゃんになら憂を任せられる。頑張ってきてね!」


 わたしたちはきつく抱きしめあい、もう一度師弟の絆を熱く確かめ合いました。

唯「いい結果を祈ってるよ」

純「ありがとうございます。いい報告が出来るように、がんばります」

唯「ふふ、緊張しないでね純ちゃん。今日はしっかり身体を休めて、明日ベストを尽くせるようにね」

純「はいっ!!」

唯「じゃあね純ちゃん。これからチョコレートも作らないといけないんでしょ? こんなとこに長居してちゃ、いけないよ」

 不意に浮かんできた涙を見られたくなくて、くるりと振り向いて、一方的に別れを告げました。
 もはや純ちゃんは妹のような存在。その成長が嬉しくてたまらないのです。


 明日は月曜日。
 わたしは自宅学習期間に入っているので登校の義務はありません。
 憂のくれるチョコを食べながら、優雅な午前を過ごし、憂が帰ってきたら、きっと純ちゃんとのチョコより甘いお話を聞かせてもらえるでしょう。

唯「ういー、ちなみに今年はチョコつくるのー?」

憂「うん、お姉ちゃんとお父さんの分だけね」

唯「――ッ!!?」

 純ちゃんアウトオブ眼中。

 ……。いえ、本命チョコのことは、たとえ姉といえど恥ずかしくて言えないものなのでしょう。
 どうせこんなこと言っておいて純ちゃんの分も作っているはず……。

 ええ、そのはずです。

 事の顛末を話すと、純ちゃんはチョコを渡し思いを伝えたところで千々の雪と共に儚く散ったそうです。
 ただ憂も優しい子なので、純ちゃんを深く傷つけるような振り方はしなかったそうな。

 純ちゃんはわたし仕込の不屈の精神で、嫌われない限りは、憂スキーでい続ける所存であるとのことです。

純「唯先輩、今日の憂の部屋……やや湿度が高く……粘っこい感じがします……」

唯「純ちゃん……それは確かなの?」

純「はい、この前髪のうねり具合……間違いありません!」

唯「よし、純ちゃん、準備はいい?」

純「もちろんです!」

唯純「ふんすっ」シュイッ

唯「クンカクンカクンカクンカ……、お月様を迎えている憂の布団は格別だね!」

純「クンカクンカクンカクンカ……、全くですね、唯先輩!」


 純ちゃんと共に憂の布団をもふもふします。
 深層憂気体は純度100%で味わいたいわたしでしたが、今は違います。

 純ちゃんと共に味わう深層憂気体、そこに価値があるのです。

 あれから8ヶ月が過ぎようとしています。憂のおまたにもおけけが生えました。
 時の流れは日々に確実に変化を与えていくものです。

 共に一つのことに熱中できる仲間。

 ある日のちぢれ毛との小さな出会いが、その大切さを私に教えてくれたのでした。




 おわり!



最終更新:2011年02月15日 01:04