……

実況『ロスタイムを戦い抜いた選手達が、最期の時を迎えようとしています』

ピッ!と笛が吹かれ、副審が旗を振り上げる。電光掲示板には0:03。
CDショップに戻ってきた澪は、巨大な瓦礫の下で、ロスタイム突入前と同じような格好でうずくまった。

律「はは…おいおい、不格好だなぁ」
澪「…仕方ないだろ、パニックになってたんだから。そういう律はどうなんだよ」
律「私は目の前で割れたガラスの破片が胸に刺さって死ぬみたいだから驚いてる暇もなかったよ」
澪「…」
律「あれ?いつもの見えない聞こえないはどうした?」
澪「何というか…リアルすぎて反応できない。それに今から私死ぬ身だし、今更見えない聞こえないって言ってもな…」
律「あは、確かにな」

極力明るくして怖さを紛らわそうとしてくれているのか、律はこんな時でもいつもの調子を崩さなかった。

澪「じゃあ律…お先にな」

そんな律の気持ちに少しでも答えようと、澪もなるべく平然を保つように努めた。

律「…待ってくれ澪。お前、セカンドシングル事務所に持って行く途中だって言ってたよな」
澪「へ?あ、あぁ、うん」
律「音源貸してくれ」

眉を顰めつつも、澪は瓦礫の下から抜け出るとバッグを漁って新曲を録音したCDを取り出して律に渡した。

律「――私が事務所まで持ってってやる」
澪「えっ!?で、でも律…それじゃあロスタイムなくなっちゃうぞ?それに、お前のロスタイム内で事務所まで行ってここまで帰ってくるの、間に合うかどうか…」
律「だから、私のロスタイムはもういいの。時間は何としても間に合わせてみせるさ。走っていきゃ大丈夫だろ」

それを聞いて、澪は息をのむ。

澪「お前、そんなことしたら足が――」
律「走れないわけじゃないしな。それにどうせ死ぬんだ。今更歩けなくなっても問題ないよ」

何とも言えない表情を浮かべる澪。そんな彼女を安心させるように、律は笑う。

律「公園で歌ってくれた時…この歌は私だけのものにしたいとも思ったんだ。けど、やっぱりそれじゃもったいないぜ。こんな良い歌、みんなに聞かせてやれずに終わってたまるかよ」

しばらく黙って考え込んでいた澪だが、バッグから許可証を取り出すと、それも律に手渡した。

澪「これ、許可証。これがないと事務所入れないからな」
律「澪…」
澪「頼んだぞ、律。私の遺作、お前に託した」
律「へへ…任された」

ピッ、と笛が響く。振り向くと、主審が目を細めてこちらを見つめていた。そばに立つ第四審判が持つ電光掲示板が、あと一分だと…伝えていた。
目を閉じて、大きく息をつく澪。突然後ろから律に抱きしめられた。小柄な体からは想像つかない包容力。
痺れて上手く力が入らないはずの左腕も、今だけはしっかりと澪を抱き留めていた。

律「さっきも言ったけど…お前は最高のミュージシャンだ…」

背中から、律が小さく囁く。

律「ほんでもって――最高の幼なじみだ」

ぽん、と背中を軽く叩き、律は離れた。振り返る澪。頷く律。

澪「それはこっちの台詞だ――バカ律」

顔をくしゃくしゃにして澪は涙を流す。
律はニカッと笑うと、踵を返して走り出した。

遠くなっていく背中。脳裏にチクチクと聞こえ出す、時計の針が進む音。
瓦礫の下に潜り、うずくまる。主審がホイッスルをくわえ、腕時計を見つめる。

澪は律からもらったペンダントを握りしめ、声を上げて泣いた。

澪「律っ…!律――」

――ありがとう。
澪の口がそう言葉を紡いだ瞬間、電光掲示板の数字は…全て0になった。そして――

ピーーッ
ピーーッ
ピーーーーーッ

階段を駆け下りていた律にも届く試合終了を告げるホイッスルの音が、暗いショップ内に響き渡った。

律「澪っ…」

滲む涙を拭うのも忘れ、律はショップから飛び出した。あたりはもう、薄暗い。
そのまま大通り目指して、必死に駆ける。

実況『田井中選手、ギリギリで繋ぎました!秋山選手から受け取ったこのラストパス、絶対にゴールに決めてやると祈るように、懸命に走ります!!』
解説『もう我々もね、ただただ頑張ってくれと、間に合ってくれと願う限りですよ』
実況『足に抱えた重荷に負けず、頼むからゴールを決めてくれ田井中ぁ!!』

律「ドラムのために鍛えた体…そう簡単に衰えてもらっちゃ困るぜ…。頼むからもってくれよ…」ハッハッ

事故に遭う前は運動神経抜群だった律は、後遺症を持つ体とは思えぬ速さで全力疾走する。
審判団もそのスピードに驚き、遅れながらついて行った。

…どれぐらい走っただろうか。
やはり動かしてなかった体に限界が訪れるのは早かった。
どうしようもなく息が上がり、足が震える。
一歩足を踏み出すと、尋常じゃない痛みが走った。
膝が折れ、その場に崩れ落ちてしまう。

――だが律は、自分の体に限界が訪れるよりも早く、交通量の多い大通りへとたどり着いていた。

律「はぁっ…!はぁっ…!げほっ…!――っえへへ…」

脂汗が滲む顔に笑みを浮かべる。

律「けふっ…ごほっ…はっ…はっ…」ガシッ

そばにあった街灯にしがみつき、必死に立ち上がる。
大きく腕を振って、一台のタクシーを捕まえた。

律「はぁ…はっ…。――この事務所まで…お願いします!急いでください!」

転がり込むようにしてタクシーに乗り込んだ律は、澪から渡された許可証を運転手に見せてそう言った。
発進するタクシー。遅れて駆けつけた審判団が、待ってくれと言わんばかりに手を伸ばす。が、置いてきぼりを食らった。
へとへとな副審二人と、重い電光掲示板を地面に降ろして大きく肩で息をする第四審判。
主審はタクシーと彼らを交互に見やり、ピッ!と笛を鳴らして三人に早く立って走るように催促した。

運転手「…お客さん、大丈夫かい?顔色悪いですよ」
律「はぁ…はぁ…ふーっ…久々に本気で走ったんで…ちょっと気分悪くて…」

汗だくの額に張り付く前髪を、頭を振って払う。

律「…あの、すみません。ちょっと電話しても良いですか?」
運転手「構いませんよ」

律は携帯を取り出すと、しばらく黙って握りしめた。
本当なら家に帰って、ちゃんと顔を合わせて挨拶したかった。
まぁ、それはそれで何だか変に思われそうだし、電話を介した軽い会話の方が私の最期にふさわしいかもしれない。
そう思い、律は自宅の番号を呼び出すと通話ボタンを押した。

数秒呼び出し音がなったあと、律の母親が電話に出た。

律母『はい田井中です』
律「もしもし?私だよん」
律母『だよんじゃないわよ。アンタ澪ちゃんがせっかく会いに来てくれてたのに、どこほっつき歩いてんの?』

不機嫌そうなその声に、律はごめんごめんと笑う。

律「澪にはちゃんと会えたよ。私も澪を探してたんだ。お祝いしようと思ってさ」
律母『あら、アンタ知ってたの?私澪ちゃんから聞いて初めて知ったのに』
律「私も今日知ったんだ。…凄いよなぁ澪。私も澪みたいに活躍できれば迷惑かけなかったのに、そんな才能はないくせして挙げ句の果てには事故に巻き込まれてさ」

自嘲気味に笑い飛ばしながら律はそう言った。すると、電話の向こうの母親の声はさらに不機嫌そうになった。

律母『アンタねぇ…何言ってるの。澪ちゃんは澪ちゃん、律は律でしょ。ウチの子は少し手間がかかるぐらいの方がちょうど良いの』

それに、と律の母はうって変わって優しい声色で囁く。

律母『お友達守って行動できたアンタのこと、誇りに思ってるよ』

喉の奥がきゅっとなって、鼻がつんとするのを感じ、律は口ごもってしまった。

律母『ほーれ恥ずかしいこと言わせないで、早く帰ってきなさいよ。今日は久しぶりに聡も下宿先から帰ってくるんだから』
律「うん…わかってる…」

熱くなる目頭を押さえ、絞り出すように声を出す。

律「お母さん――ありがとう」
律母「…うん」

律は名残惜しげに携帯を見つめてから、静かに通話を切った。
律は鼻を啜りつつ、今度は父親の携帯番号を呼び出した。運転手は深く詮索することなく黙ったままハンドルを動かし続けていた。

――しばらくして、タクシーは目的地である事務所の前にたどり着いた。
父と弟との会話も終え、心残りも全て消化しきった律は運転手に礼を言ってタクシーを降りた。

律「――何か変な電話しちゃってすみませんでした」
運転手「気にしてないですよ。それより、急ぎのようだったんでしょう?」

柔らかな笑みを浮かべる運転手に一礼して、律は建物内へと急いだ。


……

プロデューサー「遅いなぁ秋山…。今日の六時までに持ってくるって言ってたのに…」
スタッフ「何かあったんでしょうかね?」

事務所の中では、プロデューサーが時計を気にしつつタバコをふかしていた。
と、バタバタと走るような足音が近付いてきたかと思うと、勢いよく扉が開かれた。

律「はぁ…ふぅ…」
スタッフ「…?どちら様ですか?ここ関係者以外入れないはずだけど…」

律は肩で息をしつつ、首から下げた許可証を近付いてきたスタッフに突きつけた。

律「――秋山澪の知り合いです。彼女に頼まれて、新曲の音源を代わりに持ってきました…!」
プロデューサー「何だって?」

プロデューサーが立ち上がり、律の持つ許可証に目をやった。

プロデューサー「確かにこれは秋山の許可証だな…。秋山はどうしたんです?」
律「あの…えっと…どうしても来れなくなってしまいまして…だから私が代役を買って出たんです」
プロデューサー「来れなくなったってどうして――」

痺れを切らした律はバッグからCDを取り出すと、プロデューサーに手渡した。

律「あの、とにかくこれ!お渡ししますね!」
プロデューサー「お、おぉう…。確かに預かりました」

CDを確認するプロデューサーを見て、律は薄く微笑んだ。と、複数の足音が耳をつき、律は目を閉じて深呼吸した後、後ろを振り返った。
荒々しく肩で息をしながら、へとへとになった審判団がフラフラと事務所内に現れた。
第四審判がガクガクの腕で支える電光掲示板が、0:34と示していた。
ここからCDショップまで行くのにかかる時間と、ほぼピッタリだった。

汗を拭って大きく息を吐いた主審が、疲れにたるんだ表情を引き締め直し、ホイッスルを短く吹いた。

律「――わかってるよ…。もう行かなきゃな…」ポツリ
プロデューサー「ん?」
律「いえ…じゃあ、澪の新曲お願いしますね。私、そろそろ失礼します」


プロデューサー「あ、あぁ…。――あの、あなたは秋山とどういう関係で?」

扉をくぐっていく審判団に続いてこの場を後にしようとしていた律は、その言葉を聞いてぴたりと足を止めた。
主審もそれに気付いて止まるが、急かすような真似はしなかった。

小さく笑みを溢す律。滲んだ涙をそっと拭って、とびきりの笑顔でプロデューサー達を振り返った。

律「私は澪の――唯一無二の【幼なじみ】です!」

失礼します、と頭を下げ、律は足を引きずり壁に身を預けながら事務所を後にした。

実況『ゴーーール!!田井中選手、完璧すぎるほど素晴らしいシュートでした』
解説『素晴らしい!素晴らしいですよ!こんな良い試合、見たことないです!秋山選手も田井中選手も見事でした!』
実況『田井中選手、今、主審と副審の肩を借りて、ゆっくりと終点の地へ向かいます』
解説『精一杯の拍手を送りたいと思います。本当に、お疲れ様でした』



律が事務所を去って、しばらく後。
プロデューサーは早速澪のCDを再生し、試聴していた。

プロデューサー「――ふふ…なるほどなぁ。だからあんな良い顔してた訳だ」

目を細めて笑いつつ澪の歌に耳を傾けるプロデューサーに、スタッフは興味津々といった面持ちで尋ねる。

スタッフ「どんな感じですか?新曲。ファーストと同じで、やっぱり定評のあるラブソングですかね?」
プロデューサー「いや、違う。――こりゃファーストよりもっと人気出るぞ」
スタッフ「おぉ、それはまた何故そんな風に思われるんですか?」
プロデューサー「歌に対する想いの詰め込み方が半端じゃない。やっぱり人が聞き惚れる歌っていうのは、想いの大きさに比例するんだよ」

プロデューサーは、イヤホンを外して取り出したCDを見つめた。

プロデューサー「それに俺好きなんだよ。――こういう幼なじみに対する感謝の気持ちとかをストレートに歌い上げてくるような曲ってさ」

ピーーッ
ピーーッ
ピーーーーーッ

――満天の星が輝く夜空の下、誰の耳にも届くことのなくなったホイッスルの音が、ただただ高らかに鳴り響き、消えていった。



というわけでおしまいです