律「澪…」
澪「律、私…約束守れたよな?これで許してもらえるかな…?」

律の表情が弛み、小さく開かれた口から息が漏れた。

律「――っ当たり前だろ…。許すも何も、お前は私の我が侭に付き合ってくれたんだ。ホントに…ホントにありがとう」

掠れた声で絞り出すように律はそう言った。
背後から鼻をすする音が聞こえ、澪はペンダントに落としていた視線を後ろに向けた。
審判団がハンカチを取り出して鼻をかんだり涙を拭ったりしていて、澪は渋い顔をする。
両手が使えないため副審に涙を拭いてもらっていた第四審判の持つ電光掲示板が、残り時間が40分しかないことを示していた。

澪(もう、後悔はないな…)

最期に話すことができた。一番伝えたかったことを言えた。これ以上一緒にいると、別れがさらに辛くなる。少し早いけど、事故現場に戻ることにしよう。
澪は堪えきれずこぼれ落ちた一筋の涙をそっと拭うと、律に向き直った。

澪「じゃあ律…私、これからセカンドシングルの音源事務所に持ってかなきゃいけないから、そろそろ失礼するよ」

もちろん嘘だ。今から行っても間に合わない。

律が顔を上げて澪を見据えた。そして、何故か少し悲しげな笑みを浮かべる。

律「そっか…。聴きたかったな、セカンドシングル」
澪「…?何言ってるんだよ。ファーストシングルは買えなかったけど、セカンドシングルはまだこれから発売なんだぞ?」

言葉の真意が伺えず、澪は眉を顰めた。律は苦笑すると、砂場の方を見やる。

律「さっきあそこで遊んでた子達、可愛かったな。ちっちゃい頃の私達そっくりだったじゃん」
澪「えっ?あ、あぁ…そうだな。確かにそっくりだったよ」

律は目を細めて、小さく呟いた。

律「きっとあの子達はさ――最期まで一緒に遊ぶって決めてたんだろうな」
澪「…何、言ってるんだ…律…?」

まるであの子達が死ぬことがわかっていたかのような言葉に戸惑いを隠せない澪。
律の言葉の意味を探ろうと、彼女の目をじっと見つめる。律は視線を外そうとせず、ただ黙って澪を見つめ返してきた。
突然澪を襲う胸騒ぎ。つい先ほど――女の子達に感じたのと同じような違和感。

凄まじく嫌な予感を感じ、澪は震える口から声を漏らす。

澪「まさか――」
律「――ムギからお前のこと聞いて、すっごく嬉しくなってさ。で、慌てて家に飛んで帰ってプレゼント引っ張り出してそれから…お前のCD、買おうと思って…」
澪「嘘だろ…まさかお前…あのCDショップに――」
律「でも――…売り切れてた」

そう言って儚い笑顔を浮かべる律。
――その後ろに、サッカーの審判団が立っていた。

急激に足から力が抜け、澪はその場に崩れ落ちた。律は後ろを振り返り、自分の審判団を見る。第四審判の持つ電光掲示板に示された時間は、1:52。

律「やっぱ見えてなかったのな、お前」

座り込んだまま呆然とその電光掲示板を見つめる澪を見下ろして、律は苦笑した。

律「スタート地点以外じゃ、ちゃんと見ようと思って見ないと見えないみたいだからな、他の人間の審判団って」

実況『これは驚きました!なんということでしょう!幼なじみのサポーターかと思われていた田井中がまさかの試合中の身だったとは!』
解説『秋山選手に付いていた審判団がやけに空気を読むと思ったら、そういうことだったんですね…』

澪「――律は…いつから私が死んでるって気付いてたんだ…?」
律「一番最初。お前が私に電話かけてくる前だ」

思わず息をのんで目を見開く。律は頭をかきながら、そんな澪から視線を外した。

律「よーく注意して見れば、他の人の審判も見えるって気付いてから、街中歩いてる時も同じ立場の人がいないかずっと探してたんだ。もし知り合いが死んでたりしたら嫌だったからさ…」
律「それで、ついつい人がいたらまず審判が付いてないか確認する癖がついちゃって」

律はそばにあったブランコに腰をかけ、古傷のせいで少し痺れる足をさすった。

律「澪のおばさんにお前がいないって聞いた時は、辛かったなぁ。最期に澪にだけは会って話をしておきたかったから」
律「んで、行く当てのなくなった私は吸い寄せられるようにこの公園にきたわけだ。お前との思い出の場所である、この公園に…」

澪はちらりと顔を上げ、律を見る。彼女の表情は、嬉しそうでもあり、悲しそうでもあった。

律「まさかお前がいるとは思ってなかったからびっくりしたよ。すっごい嬉しくなって、声かけようと思ったけど――その前に反射的に…審判団の姿を探しちまった」

きぃ、きぃ、と小さくブランコを揺する律。

律「…目眩がしたよ。奥で遊んでた女の子達も――お前も…みんな審判団がついていた。体が凍り付いて、声が出なかった」
澪「そこに私が電話をかけたってわけか…」
律「そ。慌てて平静を装って、いつも通り接することができるように頑張ったんだぜ」

疫病神のように言われたのが嫌だったのか、律についている主審が顔をしかめた。澪の主審が涙ぐみながら彼の肩を抱くと、みかんを渡す。

律「あー…悪かったよ。むしろアンタ達には感謝しなきゃいけないよな。こうやって澪に会えたのも、アンタ達がロスタイムを与えてくれたからなんだし」

ありがとう、と律が微笑むと、主審は照れくさそうに頭をかいた。ずるいと言わんばかりに、後ろにいた副審や第四審判が食ってかかる。
それを見て、律はしばらく声に出して笑った。そして、はーっと長く息を吐いて、澪に向き直る。

律「お前がプロになったって…凄い人気なんだってムギから聞いた時、私ちょっと思ったんだ」

律「――約束守ったなって」

澪の肩が小さく震える。

律「私の我が侭で言っためちゃくちゃな約束だ。もしかしたらそんなもの忘れてて、偶然澪の才能が認められただけかもしれない。けど…お前がそうやって他人に認められて、私の分まで音楽に没頭してくれただけで、私は嬉しかったんだ」
律「けど…まさか本当にお前が私との約束のために頑張ってくれてたなんて思ってもなかった――」

突然律の声が不安定になり、澪はふと律の顔を見た。
律は歯を食いしばり、ボロボロと涙を溢していた。

律「ひぐっ…ありがとう澪…私、幸せもんだ…。たとえあと一時間ちょっとで死んじゃうんだとしても…悔いなんかない…」グスッ
澪「何だよ律…泣くなよ…」ポロポロ

律の涙につられて、抑えきれなくなった涙を溢れさせる澪。
それからしばらく二人は抱き合って思い切り泣き続けた。

澪「やだよ律…私、死にたくない…!せっかく律との約束果たせたのに――これからもっともっと律の分まで音楽楽しめると思ったのに…!」ポロポロ
律「馬鹿っ…駄々こねたって仕方ないだろ…!ぐすっ…私達はもう――死んでるんだ…!」ポロポロ

審判団は居たたまれない様子でそんな二人を見守ることしかできなかった。


しばらくして、ようやく落ち着いてきた二人。
涙は止まったものの相変わらず抱き合ったままだったが、律がゆっくりと身を離し、澪を真っ直ぐ見つめた。

律「――なぁ、澪…」
澪「…何だ?」
律「最後にさ、歌、歌ってくれないかな」

突然の言葉に、澪は素っ頓狂な声を上げる。

澪「う、歌ぁ…!?ここでか?」
律「他に人もいないみたいだし、大丈夫だろ?このまま澪の新曲聞けずに終わるのも悔しいしさ」
澪「セカンドシングルの音源ならここに――」
律「お前が歌ってるとこ、見たいんだよ」

真剣な律の表情に断ることが出来ず、澪は息をついた。

澪「…わかったよ」
律「へへっサンキュ。プロの歌手にこんな贅沢お願いできるって最高だな」
澪「もう…茶化すなよ」

軽く発声練習を終えた澪は、小さく咳払いすると律を見た。

澪「じゃあ、歌うよ…」
律「おう、聞かせてくれ」

ベンチに座った律は、澪が大きく息を吸ったのを見て、静かに目を閉じた。
心地よい、体に染み渡るように優しい歌声が澪の口から溢れた。
夕焼けに朱く染まった静かな公園の空気を、澪の歌声が振るわせていく。
楽器による演奏はないけれど、それでも十分なほどの盛り上がりを感じさせるその素晴らしい歌声に、律は鳥肌が立っていくのを感じた。
歌詞は先ほど聴いたファーストシングルのような澪らしい甘さや可愛らしさをあまり感じられず、深く、心の奥まで届くようなメッセージが込められているのがよくわかった。

律(この歌――…)

感動に震える腕を押さえ、律はただ黙って澪の歌を聴き続けた。
澪は一つ一つの歌詞に精一杯の想いを乗せて、たった一人の幼なじみのために最高の歌を紡いでいく。

澪『――ありがとう』

そんな言葉で終わる最後のフレーズを歌いきり、澪は長く息を吐いた。
飛び上がるようにしてベンチから立ち上がった律は、大きな拍手を彼女に送った。そんな彼女の後ろでも、二人の審判団が惜しみない拍手を送っていた。

律「ありがとう澪――お前、最高のミュージシャンだよ」

実況『いやー本当に素晴らしい歌でした』
解説『彼女が人気なのも納得できますねぇ…さすがです』
実況『非常に惜しい人を亡くしたものです』

照れくさくてついつい真っ赤になってしまう澪。律はそんな彼女を見て笑う。

律「ははは…凄い歌歌うから何か別人みたいに感じてたけど、やっぱり澪は澪だな」
澪「ううぅ…」

茶化されてさらに赤くなる澪に、律は笑い続けた。と、
ピッ、と短く、小さな笛の音が静かになった公園に鳴り響いた。
二人は同時に審判団を見やる。澪の審判団が二人に歩み寄ると、電光掲示板が掲げられた。

澪「…0:19」
律「そんな…ま、まだ大丈夫だよな!?もう少しここで話してたって――」

澪の主審は辛そうに顔を曇らせ、ただ首を横に振る。律は肩を落とし、黙り込んだ。

澪「もう、戻らなきゃ駄目みたいだな…」
律「――私もついて行く」
澪「何言ってるんだ。お前はまだ1:30あるじゃないか」
律「私は澪と違って、夢追いかけてなかったからな」

澪の電光掲示板と自分の電光掲示板を見比べる律。

澪「なら、その時間をやりたいことに使わなきゃ。私に付き合ってちゃもったいない――」
律「あの子達は――あの砂場で遊んでた子達は最期まで一緒だった」

澪の言葉を遮り、律は声を張り上げた。

律「私だってお前の幼なじみだ。お前の最期の時まで、ずっと一緒にいてやる」
澪「律…」

涙を浮かべる澪に、律は笑顔を向けた。

律「唯達とはもう、お前探してる間に目一杯電話で会話したからな。後はお母さん達と話せたら、もうやり残したことはないよ」

澪は滲んだ涙を拭うと、しっかりと律に笑顔を返した。

澪「わかった…行こう」


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