さらに場所は移って、田井中家。

澪「そうですか…律…いないんですか」
律母「さっき帰ってきたと思ったら、また出かけちゃって…。大丈夫、澪ちゃん?具合悪そうだけど」
澪「ちょっと走ってきたので、息が…」
律母「ご、ごめんね?急ぎのようだったかな?」
澪「あー…急ぎって言えば急ぎなんですかね…死んじゃってるから次の機会とかないですし」ボソッ
律母「ん?ごめん、何て?」

ピピーッと鋭いホイッスル音が澪の耳をつき、彼女はちらりと後ろを振り返った。
険しい顔をした主審がずいっと歩み寄ったかと思うと、懐から取り出したイエローカードを澪の鼻先に付きだした。

実況『あぁーっと秋山選手!ようやくエンジンがかかってきた所にまさかのイエローカードです!』
解説『ちょっと勢いに乗りすぎた感じですね。まさかここで自分が死んだことを口にしてしまうとは思いませんでした』
実況『レッドカードをもらってしまうと次の人生に生まれ変わることができなくなってしまいます!さぁ、かなり動きが制限されてしまった!』

澪「何?イエローカード?何で?もしかして、言っちゃ駄目だったの?」ヒソヒソ
律母「――どうしたの澪ちゃん?誰かいる?」
澪「あっあぁいえ、すみません…」

慌てて律の母を向き直る澪。律の母は腕を組んで澪を見つめた。

律母「それにしても澪ちゃんがプロデビューしてたなんて知らなかったなぁ…。私律と違って音楽とか聴かないから全然わからなくて。澪ちゃんとこの奥さんも教えてくれたら良かったのに」
澪「一応顔出さずに活動してるので、言いふらさないようにお願いしてたんです」

なるほどねぇ、と呻る律の母は、澪が急ぎの用だったことを思い出してハッとしたように顔を上げた。

律母「ところで、携帯とかかけてみた?」
澪「はい、でも繋がらなくて…」
律母「まったくあの子は大事な時に…」

頭をかいて大きく息をつく律の母。

律母「どうしよう…時間が大丈夫なら家の中で待ってても良いけど」
澪「――いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
律母「そっか…あ、ちょっと待って!」

律の母は慌てて家の奥へと走っていくと、色鮮やかなみかんをいくつか袋に入れて戻ってきた。

律母「名シンガーにこんな安っぽいお土産罰当たりかもしれないけど、良かったら持ってって」
澪「あはは…そんなことないですよ。ありがとうございます」
律母「もし律が帰ってきたら澪ちゃんに連絡させるね」
澪「あぁ、どうもです。それじゃあ、失礼します」
律母「お仕事頑張ってねー」

律に会えなかったことですっかり気が沈んでしまった澪。律の母からもらったみかんを一個取り出して、皮をむきながら歩く。

澪「――おいし」
主審「…」ジーッ
副審A「…」ジーッ
副審B「…」ジーッ
第四審判「…」ジーッ
澪「…」


しばらく歩いた所にある公園までやってきて、澪はブランコに腰掛けた。ここは作文の発表で悩んでいた澪に律が話しかけてくれて、二人の仲が親密になるきっかけとなった場所だ。

主審「♪」モグモグ
副審A「…」ムキムキ
副審B「…」モグモグ
第四審判「…」ウマウマ

澪がしばらくこの場から動かないと判断したのか、審判団はタイヤの遊具に腰掛けて澪からもらったみかんを黙々と頬ばっている。
きぃ、きぃ、と小さくブランコを揺らしながらぼんやりとしていた澪。と、
見覚えのある女の子二人が手を繋いで砂場に走っていった。おっきい砂山を作ろう、と二人して無邪気に笑っている。

澪(あの子達…確かあのCDショップにいた子達だよな)

この近所に住んでるんだなぁ、なんて思いつつ、昔の自分の姿を重ねてその微笑ましい光景を眺めていると――。

ピーッ!と甲高いホイッスルの音がし、澪はビックリして飛び上がりそうになった。一体何なんだとばかりに主審の方を睨む。
みかんを頬ばっていた主審は驚いた顔をして必死に首を横に振った。


眉を顰め、澪は辺りを見回した。自分と女の子達以外、他に人の気配はない。
あの女の子達が笛でも持ってるのか、と目を細めて二人を見つめる。
しばらく意識を二人に集中させていると、ふいに違和感を感じた。何だろうか、女の子達の後ろに気配を感じたというか…とにかく胸騒ぎがした。
目を閉じて頭を振る澪。その瞳をもう一度女の子達に向けた時、息が詰まるのを感じた。

澪「――っ!?」

女の子達の後ろに、自分と同じように審判団が立っていた。掲げられた電光掲示板にはどちらにも0:50と表示されている。

実況『非常に若い選手が二人、同じピッチ上にいます』
解説『彼女達にこの状況を理解してもらうのは大変だったでしょうね』

澪(あの子達も、あの事故に巻き込まれて…)

ちらりと自分の電光掲示板を見る。残り時間は1:28とあった。
携帯を取りだして、律の番号を呼び出す。

澪(繋がってくれ…お願いだから…)

プルルルル…と呼び出し音が聞こえ始める。と、
どこからか、呼び出し音とシンクロして音楽が流れ始めた。
澪は携帯を耳に当てたまま、ゆっくりと首を巡らせる。
後ろを振り返ると――着信音が流れ続ける携帯を手に持った律がそこにいた。
通話ボタンを押し、携帯を耳に当てて、律は笑った。

律「――よう、久しぶり」
澪「り、律…」
律「悪ぃ、今着信履歴気付いた。お前のこと探しててさ、澪ん家のおばさんと話してて全然わかんなかった」

澪は通話を切ると、律に駆け寄り、思いっきり抱きついた。

澪「りつうううぅ…」
律「おいおい澪…もう私ら働いてる大人なんだぜ?さすがに小っ恥ずかしいぞ」
澪「ごめん、でも…」ギュッ
律「――はいはい。全く、澪しゃんは高校の時と変わらないなぁ。注目のプロシンガーに抱きつかれる私は幸せ者だ」ポンポン
澪「あっ…!!」

ガバッと澪は律から離れ、照れくさそうに視線を泳がせた。


澪「ごめんな、伝えるのが遅くなって。その…律には電話とかメールとかじゃなくて、直接伝えたかったんだ」

感極まって涙がこぼれそうになるのを口をキュッと結んで堪え、澪は真っ直ぐに律を見た。

澪「私――やっと歌手としてプロデビューすることができました」
律「あぁ、本当に良くやったよ…おめでとう」

律は柔らかな笑みを浮かべ、本当に気持ちを込めてお祝いの言葉を述べた。

律「かなり人気者らしいじゃないか。まぁ澪は高校の時からファンクラブができるほどの人気だったからなぁ」
澪「う…は、恥ずかしい…。けど、やっぱり応援してくれる人がいるのは凄いありがたいよ」

頭をかきながら律は苦笑した。

律「いやー実はお前が歌手になったって知ったのついさっきなんだよ。私も忙しくて全然テレビとか見てなくてさ。たまたま今日ムギにあって、そこで教えてもらったんだ」
澪「ムギに!?へー久しぶりだなぁ…元気にしてたか?」
律「おぉ。私がお前を祝いに行くって言ったら、もし会えたらよろしくって伝えてくれって頼まれたんだ」
澪「あー、だから律も私のこと探してくれてたのか」

小首をかしげて律が尋ねる。

律「律もってことは、お前も私のこと探してくれてたのか?」
澪「うん…今日事務所にセカンドシングルの音源持って行こうと思ってたんだけどさ、たまたま駅近くの公園が目に入って…それで、律にまだ伝えてなかったってこと思い出して――」
律「それでわざわざ探してくれてたのか」
澪(それに、最期に律と会っておきたかったしな…)
澪「でも家行ってもいなかったからさ…なんとなくこの公園に来てみたんだ」
律「ははっ、私も同じだ。澪が家にいないって知って、なんとなーくここに来てみたらいたからビックリしたぜ。――思い出の場所だからなぁ、ここ」
澪「ここで律が話しかけてくれてなかったら、今頃こんなに仲良くなれてなかっただろうな」

久しぶりに再会を果たした二人は、他愛もない会話を飽きることなくし続けた。
話しても話しても話し足りないぐらいお互い伝えたいことが山ほどあった。

実況『幼なじみというものは良いものですね』
解説『あれだけ気が滅入っていた秋山選手、ずっと笑顔ですよ』
実況『そして審判団は空気を読んで少し離れた所でみかんを食べてます』
解説『まだみかんあったんですね』

律「――あ、そうだ」

思い出したようにバッグの中を漁り始める律。しばらくしてバッグから出された彼女の手には、小綺麗な包みが握られていた。

律「プロデビューのお祝い。ちょっとスケールの小さいプレゼントになっちゃった感じがするんだけどさ…」
澪「あ、ありがとう!開けてみても良いか?」
律「もちろん」

澪は丁寧に包みを開き、取り出された箱のふたをゆっくりと開いた。カラフルなオブジェが付いたペンダントが顔を見せた。

律「それ、澪が私の家に集めてた使えなくなったピックの破片を合わせて作ってもらった特注品なんだぜ。何かの記念プレゼントにしたいなぁなんて思ってたら、まさかプロデビューの記念になるとは」
澪「――凄い…凄いよ律!すっごく嬉しい!スケール小さくなんて全然ない!ありがとう…」
律「おぉ、そんなに喜んでもらえると何か照れるぜ。――やっぱ澪と言えばベースだからな。どうせならバンド組んでプロ目指せば良かったのに」
澪「バカ律。放課後ティータイム以外のバンドなんて組む気全然ないよ」

律からもらったペンダントを早速首にかけ、澪は小さく笑う。

律「しっかし…デビューシングル聞いてみたかったぜ」
澪「ん?」
律「知るのが遅かったのとお前の人気も重なって、買えなかったんだよCD。売り切れ状態でさあ」

あ、と澪は声を漏らし、今度は澪がバッグを漁る。眉を顰めてそれを見つめていた律に、今日購入したCDを渡した。

澪「プレゼントのお礼。良かったらまた聞いてみてくれよ」
律「マジかよ…サンキュー澪!へへっ歌った本人からCDもらえるなんて一番ラッキーじゃん私!」

嬉しそうな笑顔を浮かべつつ、CDのジャケットをまじまじと眺める律。

律「――なぁ澪、CDプレイヤー持ってないか?」
澪「へ?」
律「早速聞いてみたい」

キラキラと瞳を輝かせて見上げてくる律に、澪は視線を泳がせた。

澪「こ、ここで聴くのか?目の前で聴かれてるの見るの恥ずかしい…」
律「散々一緒にバンドやってきたのに今更何言ってるんだよ。早く聴いてみたいじゃん。ずっと楽しみにしてたんだぜ、私」

観念した澪は仕事用に持ち歩いていたCDプレーヤーをバッグから取り出した。

律「よっしゃ、ありがとな!――どれどれー?」

イヤホンを付け、律は静かに聞き入る。その間手持ちぶさたな澪は、照れくささから少し俯いて律の横で黙していた。

律「ははっ…」

流れるメロディに耳を傾けつつ、律は微笑む。その表情を横目でちらりと見つめ、澪は何だか嬉しくなった。
しばらくして全て聴き終わったのか、律はイヤホンを外して、ふぅと息をついた。

律「相変わらず背中がかゆくなる歌詞は健在か」
澪「い、いいだろ別に!この曲はラブソングなんだから…」
律「はいはい。でも、確かにたくさんの人が気に入るのもわかるよ。何だかその歌詞に引き込まれちゃうって言うかさ」

CDを取り出してケースに戻しながら、律は口を開く。

律「それに、一段と歌上手くなってる。聴いててすっごい気持ち良いよ」

実況『我々も是非聴いてみたいものです』
解説『後で買いに行きましょう』

さすがは澪だ、と顔を上げて微笑む律を見て、澪は何かがこみあがってくるのを感じた。
その時――

ピーッという音が二重に聞こえた。忘れていた現実が、律に会えて暖まっていた胸の奥を貫く。
視線を巡らせると、砂場で遊んでいた女の子二人を、審判団が取り囲んでいた。掲げられた二つの電光掲示板には0:20の数字。
二人の主審が、女の子達に立ち上がるように促す。きっと、自分達が死んだ場所へ帰らなければいけないのだろう。
不安そうな表情を浮かべる女の子の手を取って、もう一人の女の子は力強く地面を踏みしめ歩き出す。その二人についていく、審判団達。

遠くなっていくその後ろ姿を見ていられず、澪は視線を外す。
と、空気を読んで二人だけにしてくれていた自分についていた審判団が、いつの間にかそばに立っていた。
電光掲示板は0:58を示している。もう、一時間切ってしまった。CDショップに戻る時間を考えたら、あと40分近くしかない。

もう時間がない。そう思った澪はずっと律に伝えようと思っていた事を話す決心をし、改めて彼女に向かい合った。

律「どうした澪?」
澪「律、私――どうしても、お前に言いたかったことがあるんだ…」
律「何だよ?」
澪「――約束…」
律「ん?」


涙がこぼれそうになるのを必死に堪え、澪は声を張った。

澪「――約束守ったぞって…!やっとお前に償うことができたぞって!」
律「――っ!」

律の目が大きく見開かれる。

澪「高校の時のあの事故…私を庇ったせいでお前だけ大怪我負っちゃって――」


唯「アイスおいしかったねー」
梓「もう、珍しく練習熱心だと思ったら、ただ早く切り上げてアイス屋に行きたかっただけだなんて」
紬「うふふ、でも久しぶりにあのお店のアイス食べれて嬉しかったわ」
澪「…どうした、律?」
律「や…あの前から来てる車、何かおかしいなぁって…」

中央線を大きくはみ出して走行する車。よく見ると、フラフラと蛇行している。

律「あれまずいぞ。気をつけろよ」
梓「大丈夫ですかね、あれ…」

瞬間、大きく方向を変え、車は軽音部の皆がいる歩道へと突進してきた。


唯「えっ!?」
紬「嘘っ…!!」
律「マジかよ!!逃げろ!!」

一斉に車から逃れようと散る五人。唯と紬と律は前へ、梓と澪は逆に後方へと走る。が、

梓「こ、こっちに…!!」
澪「ひっ――」
律「――!」

運悪く、澪達が走った方へ車はスピードを緩めることなく迫っていく。それに気付いた律は、唯達が止める間もなく、二人の元へと駆けた。

唯「りっちゃん!!」

もう車はすでに二人のすぐそばに来ていた。このままでは確実に二人ははねられる。律は無我夢中で手を伸ばし、そばにいた梓の腕を掴み強引に引き寄せた。

梓「あっ――」

その勢いで後ろにたたらを踏んだ後尻餅をつく梓。彼女の目には、さらに足を止めず駆ける律と、その先にいる澪、そしてガードレールに激突する車が焼き付いた。
澪はガードレールをへし曲げてなおも進む車を呆然と見つめ、凍り付いている。その体を、律がありったけの力を込めて突き飛ばす。

ドガアァッ!!
凄まじい音が響き、車は歩道脇の石垣に突っ込んでようやく止まった。
澪はその気配を背後に感じ、嫌な汗がドッと噴き出るのがわかった。

澪(あれ…私…)

何で無事なんだろう。その理由を理解するのに少し間を要した。そして、

梓「いやああああああああああぁ!!」

梓が甲高い悲鳴を上げると同時に、全てを理解した。
ガチガチに固まった首をゆっくりと巡らせ振り返った澪の目に飛び込んだのは、凄まじい事故の現場。そして――
すぐそばで倒れる、ぼろぼろの律とジワジワと広がる赤だった。


澪「運良く一命を取り留めたけれど、あの事故はお前からドラムっていう大切なものを奪っていった」
澪「お前病室で、みんなの前で大泣きしたよな。自分のせいで軽音部が続けられなくなったって。お前のせいなんかじゃないのにさ…」
澪「自分が一番大事なものを奪われた悲しさと、後遺症の苦しさで辛い思いしてたのにそれでも私達に謝るものだから、私は堪えられなかった」
澪「だから私はあの日――」


澪「ごめんな、律…」
律「そんな謝られちゃこっちも参っちゃうよ。私が勝手にやったんだから、お前が謝る必要はないんだって」
澪「でも、私を助けようとして律が怪我したのは事実だ。お詫びがしたいよ…」

個室の病室でベッドに身を預けている律。そしてその脇にパイプ椅子を置いて座る澪。
二人とも口を閉ざし、沈黙が清潔感溢れる白い病室を包む。と、

律「じゃあさ、どうしても償いたいって言うなら――約束してくれよ」

ポツリ、と言葉を溢す律に、澪は慌てて顔を上げた。

澪「何だ…?」
律「私はもうこんなだから音楽は聴くことぐらいしか続けられない。歌詞書くのもそんな得意じゃないし、作曲センスもないからな。…だからさ――」

いてて、と顔をしかめて呻きつつゆっくりと身を起こす律。その表情は真剣そのものだった。

律「私の夢、代わりに叶えてくれよ。音楽に全力で取り組み続ける夢。私の分まで音楽を楽しんで、お前が作り出す音楽が、周りの人に少しでも影響を与えることができたり、認めてもらえたりするぐらいになってやるって、約束してくれ」


澪「その約束さえ果たしてくれれば私は満足だ、お前はそう言ったんだ」

律の瞳がかすかに揺れている。澪は律からもらったペンダントを軽く握りしめた。

澪「だから私は必死に音楽を勉強した。律に失礼のないように、精一杯取り組んだ。放課後ティータイムが解散しちゃって、もうバンド活動は無理だってわかったら、今度は歌うことに専念した」
澪「ベースを捨てた訳じゃなかった。たまに唯達と合わせてみたりもしたよ。でも律のドラムがないと、やっぱり私達は完全じゃなかったんだ」
澪「歌の勉強して、気分転換にベース弾いて…まさに音楽だらけの毎日だったよ」
澪「でも私はそれが苦じゃなかった。楽しかったんだ、すごく。練習するほど成果が出てくるのが嬉しくて嬉しくて…」

本当はその楽しさを、もっともっと放課後ティータイムのみんなで味わっていたかったのが本心だった。

澪「気付いたら、歌手としてプロデビューしてた。ビックリしたよ、まさか私がって」

でも、と澪は笑う。

澪「たくさんの人が私の歌を評価してくれて、これでようやく約束を果たせたんだって思った。ようやく律に償うことができるって」


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