人生の無駄を精算する生涯最後の一時――それがロス:タイム:ライフ


――選手のスケールは、想いに比例する ――  元イングランド代表 L・コーエン




シャカシャカシャカシャカ♪

澪「…うん、バッチリだ」

ヘッドホンをデスクの上に置き、ずっと睨んでいたパソコンから視線を外して大きく伸びをする。
注目と期待を大いに集めてプロデビューを果たした歌手、秋山澪のセカンドシングル、完成。

澪(って言っても、これをプロデューサーのとこに持ってってちゃんと編集してもらわなきゃいけないけど)

本来ならばスタッフがきちんと用意したスタジオで、作詞作曲された曲に従って収録し、編集してもらうのが当たり前なのだろうが、澪のやり方はそれとは異なった。
歌いたい曲の雰囲気をプロデューサーに伝え、その希望に沿った曲を作ってもらった上で自分で作詞し、自宅の地下に作ったスタジオで自分で収録する。
しかも他のアイドル達と違い、全くメディアに顔を見せない。
どちらも彼女の極端なほどのあがり症と羞恥心から、彼女自身が事務所に頼み込んでできたルールだった。

新米にしては我が侭すぎるだろうかもしれないが、それが許されるほど彼女の歌声は素晴らしく、独特の感性から生まれる歌詞に虜になるファンも多く、非常に期待されていた。

澪母「澪ちゃん、今日CD持って行かなきゃ駄目なんでしょう?」

スタジオに降りてきた澪の母が、エプロンで手を拭きながら尋ねる。

澪「うん、ついさっき最終調整が終わったよ。後は六時までに事務所に持って行けば良いだけ」
澪母「あらそう。じゃあ、家出る前にお昼ご飯だけ食べて行きなさい」
澪「わかった、ありがとう」

澪はパソコンからCDを取り出して鞄にしまうと、母と一緒にスタジオを出た。

澪母「まさかあの恥ずかしがり屋の澪ちゃんが、こんなにたくさんの人から注目される大スターになろうなんてねぇ」
澪「や、やめてよ恥ずかしい…。それに、大スターなんかじゃないし。まだまだスケールの小さい卵だよ卵」
澪母「うふふ…そうね、大スターの卵だったわね」
澪「ママ…」


――とある喫茶店。

律「いやーそれにしても…まさかムギと出会えるとはなぁ」
紬「ホント久しぶりね。それにりっちゃんカチューシャしてないから全然気付かなかったわ。でもこうやって高校の時みたいにお喋りできてすっごく嬉しい」

高校以来全く顔を合わせていなかった律と紬が偶然街中で出会い、彼女達は近くの喫茶店で思い出話に花を咲かせていた。

律「でも、ホントに大丈夫なのか?こんなところでこんなゆっくりしてて。会社の経営で忙しいだろ」
紬「平気よ。たまには息抜きも必要だもん」

いずれは父親の後を継いで琴吹カンパニーの社長を務めることが決まっている紬は、今はそのために様々な知識を身につけようと系列の会社のオーナーとして働いている。

紬「りっちゃんは最近どう?お仕事とか…体の具合とか」
律「んー、相変わらず体の方は不調だよ。まぁ仕事にはあまり支障はないから良いけどさ。生徒がみんな私に懐いてなぁ、よく荷物運びとか手伝ってくれるんだ」

律は大学に進学後、教師となった。今は高校で働いている。その明るく活発で、面倒見の良い人柄からか生徒の人気を大いに集めている。
彼女は高校の頃、事故によって大怪我を負った。飲酒運転で歩道に突っ込んできた車にはねられたのだ。
その傷跡は今でも彼女の体に残っていて、左腕の痺れや足の痛みなど、様々な後遺症も残った。

律「全くよー飲酒運転なんて迷惑な話だよな。私アレがトラウマでお酒飲めない体になっちゃったよ」
紬「りっちゃん…」
律「結局私のせいで放課後ティータイムも解散になっちゃったわけだし…」
紬「違うわ、りっちゃんのせいじゃない」

高校時代にやっていた軽音部――放課後ティータイム。怪我が完治しても、後遺症の残った体でドラムを叩くのは難しかった。結果、放課後ティータイムは解散となった。

律「悪い悪い、せっかくの再会なのに辛気くさくなっちゃった。そういや他のみんなは今どうしてるんだろうなぁ」ゴクッ
紬「…あれ?もしかしてりっちゃん、澪ちゃんのこと知らないの?」
律「澪?何だ、アイツ何かあったのか?」
紬「澪ちゃん、プロの歌手としてデビューしたのよ。期待の新人として凄く話題を集めているの」
律「へー…」ゴクッ

しばしの沈黙。途端、律は飲んでいた紅茶を派手にぶちまけた。

律「な、何いいいいいい!!?」
店員「!?」ビクッ
律「あっすいません」フキフキ

紬「り、りっちゃんはもう知ってるのかと思ってた…」
律「いやぁ最近忙しくてそういうエンタメ情報的なのに疎くてさぁ。マジかよアイツプロの歌手かよ…」
紬「えぇ、デビュー曲も凄く人気みたいよ。もうすぐセカンドシングルも出るとか。スケールの大きい歌手になるかもって、注目を集めてるみたい」
律「おいおいおいおいホントかよ!そうかぁあの澪がなぁ」

嬉しそうに笑顔を浮かべる律。まるで自分のことのようにテンションが上がっている。

律「こうしちゃいられないな!」ガタッ
紬「どこ行くの?」
律「お祝いのプレゼントあげないと。それにCDも買って聴いてみたいしな。――今日は忙しいのに付き合ってくれてありがとなムギ。すっげぇ楽しかったよ」
紬「私もよ。仕事の疲れが吹き飛んじゃった。また機会があればお茶しましょう」
律「あぁ、もちろん。じゃあまたな!体には気をつけろよ!」
紬「澪ちゃんに会えたらよろしく伝えてね」

律は笑って手を振ると、喫茶店を後にした。


……

澪「――それじゃ、行ってくるよ」
澪母「はーい、気をつけてねー」

昼食を食べ終わり、まだまだ時間に余裕はあったが澪は早めに家を出た。
歩いて駅に向かう途中、大型のCDショップが目に入る。

澪「…」

思わず足が店内へと進んでいた。
プロデビューは大勢の人々から注目を受け恥ずかしいのも事実だが、やはりそんなにもたくさんの他人から評価されるというのは誇らしくもあり、嬉しくもある。
故に自分のCDの売れ具合というのも当然気になるわけで。

澪「あった…」

ご丁寧に専用のコーナーが作られていた。やっぱりどこか恥ずかしい。顔が熱くなる。
そして肝心のCDの売れ具合はというと――

澪「嘘だろ…ラス一だなんて…」

どうやら今自分が手に取っている物で最後のようだ。入荷数が少なかっただけじゃないか、とかそういう細かいことは無視できるぐらい、自分のCDが売り切れというのは感無量であった。

何だかテンションが上がってしまった澪は、自分が音源を持っているにも関わらずそのラスト一枚のCDを購入することにした。

CDを手に、レジへ向かおうとする澪。と、

澪「おっと…」

いつの間にか近くにいて気付かなかった小さな女の子に軽くぶつかってしまった。

澪「ごめんね、大丈夫?」
女の子A「ひゃっ!あの、えっと…うぅ…」

知らない人に声をかけられて怖くなったのか軽いパニックを起こす女の子。と、

女の子B「あーいた!もーかってにどっか行っちゃうからしんぱいしたよ!」
女の子A「ご、ごめんなさい…ひくっ…」
女の子B「泣いてるの?…おねーさんこの子に何かしただろ!」
澪「や、あの…ごめんね?ちょっとぶつかっちゃったから大丈夫かなって聞いたんだけど――」
女の子B「…」

急に黙り込むもう一人の女の子。と、急に彼女は鼻をつまんで顔をしかめた。

女の子B「おねーさんくさい」
澪「」
女の子B「ほら、いこっ!あっちでアニメがみれるよ!」
女の子A「う、うん…」

おどおどしていた友人を引っ張って走っていった女の子を見て、澪は小さく笑った。

澪(まるであの子…律みたいだ。もう一人の子も昔の私そっくり)

それにしても、と澪は自分の服を嗅いでみる。

澪(私が臭いってどういうことだよ…地味に傷ついた…)

足取り重く、澪はレジへと向かった。


店員「いらっしゃいませー」

カウンターの店員にCDを渡す。

店員「ありがとうございます」

受け取ったCDにバーコードリーダーをかざそうとした店員の手が、ふいに止まった。

澪「…?」
店員「ん?」スンッ

顔をしかめ、鼻をならして臭いを嗅ぐ仕草を始める店員。

澪(えええええ…私やっぱり臭いのか!?)
澪「あ、あの…」
店員「ちょ、ちょっとすみません…!」

口早にそう言うと、店員は慌ててカウンターの奥にあった電話を手にする。

店員「――あの、防災センターですか?ちょっと変な臭いがしてまして…はい、あの…ガスみたいな――」

――その時だった。

ズンッ!!と響くような音と共に、突き上げられるような衝撃が全身を走った。
響き渡る悲鳴、どこからか押し寄せる熱気、陳列棚から雪崩れ落ちるCDやDVDの数々。
澪は立っていられずに尻餅をついた。蛍光灯が火花をあげて、明かりが消える。

澪「な、何!?何なんだよ!?」

ビシッの割れるような音が響き、上を見上げる。天井にヒビが走っていた。
それは徐々に広がりを見せ、少しずつ小さな天井の破片が落下してくる。瞬間。

澪「きゃあああああああああああ!!」

澪の頭上の天井が、一際大きな瓦礫となって落下してきた。澪はただ悲鳴を上げることしかできない。
――そして瓦礫は無情にも澪の体を押し潰した…はずだった。

澪「あああああああああぁぁぁ…あ?」

うずくまって悲鳴を上げていた澪は、急にあたりが静かになったことに気付き、口を閉ざした。
顔を上げて、目を見張った。まるでビデオを一時停止にしたかのように、周りの全てが固まっていた。
頭上には巨大な瓦礫。横には頭を抱えて逃げようとしている女の人。宙に浮いたままのCD達。

澪「え…?」


ピーーーーーッ!!

どこからともなくホイッスルの音が響き渡った。
そばにあったエレベーターの扉が開き、黄色いユニフォームを着た男が三人現れた。一人は口にホイッスルをくわえ、二人はフラッグを振り下ろす。
ぽかんとしていると背後に人の気配がし、澪は振り返った。黒いユニフォームの男が電光掲示板を頭上に高々と掲げていた。
その電光掲示板に示されていたのは、【3:00】の数字。

澪「え?え!?」

実況『さあ始まりました、人生の無駄を精算する人生の最後の一時、人生のロスタイム!果たしてこの選手は限られたこの時間をどのようにして過ごすのでしょうか!?』
解説『えーこの秋山澪選手。つい最近歌手としてプロデビューを果たしたばかりのようですね』
実況『輝かしい未来が待っていたかもしれないのに、大型CDショップのガス爆発事故に巻き込まれ圧死という、何とも不運な展開!』
解説『しかしこの3:00というロスタイム、偶然なんでしょうかね?私にはどうしても「みお」に合わせた気がして仕方ないのですが』
実況『もちろん偶然です』
解説『まぁ、現代の若者の心を鷲掴みにした歌詞を描く感性と歌声を持つ選手ですからね、創造的かつ華麗なプレイを期待したい所です』
実況『あーかつてのジーコのようにですか?』

澪「あの…えっとすみません。どちら様ですか?」

四人の男達は澪を見つめたまま黙っている。
と、ホイッスルをくわえた男が一歩前に出てピッと短く鳴らし、電光掲示板を指さした。

澪「3:00…?それが何なんだ?それにその格好…サッカーの審判?」

ピッと笛を鳴らし、その男は――主審は大きく頷いた。

澪「サッカー…3:00…ロス、タイム?」

またピッと笛を鳴らし、主審が大げさなほどに頷く。

実況『意外と核心に近付くのが早いですねー』
解説『まぁ最初は誰もが状況理解に時間を要しますからね。しかし秋山選手はスポーツ観戦も趣味だったということで、彼らがサッカーの審判だと気付くのにそれほど苦労はしないと思います』
実況『我々の声が届いていれば、すぐに全てを理解できるのですが…もどかしい所です』

澪「ロスタイム…何の…?」

考え込む澪。と、フラッグを持った副審の一人が一歩前に出て、フラッグで澪の頭上の瓦礫を指した後、澪を指し、最後に第四審判が持つ電光掲示版を指した。


澪「――まさか…私…死んだの?」

審判団全員が揃って頷く。

澪「それで今は…今までの人生のロスタイム中なのか?」

審判団は大きく頷くと、嬉しそうにハイタッチを交わしあった。澪が全てを理解してくれたのが嬉しかったのだろう。

澪「嘘だ…嫌だよ…私、死んだなんて…」グスッ
審判団「」

そんな審判団とは逆に、涙を溢し絶望に打ちひしがれる澪。それに気付いた審判団は気まずそうに顔を見合わせ、軽い小突き合いを始めた。

実況『あーこれは気まずいですね』
解説『意志が伝わったのが嬉しくて大はしゃぎでしたからね。責任の押し付け合いが始まってますよ』
実況『あぁっと!ちょっと待ってください!』

ピーッというホイッスルの音が、またも鳴り響いた。澪はハッとしてその方向を見やる。
先ほどの店員が、自分と同じようにサッカーの審判団に囲まれてキョロキョロしていた。

また別の場所からホイッスルの音。驚いた女性が悲鳴を上げる。そしてまた響く甲高い音。

実況『これは…今回はロスタイムを迎えたのが秋山選手だけではないということでしょうか?』
解説『どうやらそのようですね。これほどの大事故ならば当然の結果でしょう』
実況『なるほど、そうなりますと他の選手のプレイも非常に気になります!』

澪「そんな…こんなことって…」

ピッと笛を鳴らされ、澪は主審を見る。主審はジェスチャーで早く立ち上がるように急かしていた。
おぼつかない足取りで、ゆっくりと立ち上がる澪。

実況『おっと、ついに秋山選手が動きを見せました!』
解説『かなりの力を秘めた選手ですが、それを存分に発揮できるかどうかで、今回の試合のスケールは変わってくると思いますよ』
実況『ぜひともスケールの大きい試合を期待したい所!果たして秋山選手はこの限られた時間の立ち上がり、どのようなラッシュを見せてくれるのでしょうか!』


とりあえずCDショップを後にした澪。しかし――

澪「…」トボトボ

実況『…走る気配はありませんね』
解説『よほどショックを受けているようですね。モチベーションの低下は判断のミスを生みますよ』

主審「ピッピッ」タッタッタ
澪「死んじゃったんだ…死んじゃったんだ私…」トボトボ
主審「…」

実況『主審の必死のダッシュ催促も全く効果がありません!』
解説『いやーこれは酷いですねー』
実況『それにしても秋山選手、一体どこに向かっているのでしょうか?』
解説『どうやら自宅方面とは違い、駅方面に進んでいるようですね。放心状態の中でも、自分の仕事をこなさなければいけないという使命感が働いているんでしょう』
実況『つまり秋山選手、今日提出のセカンドシングルの音源を事務所に持って行こうとしているということでしょうか?』
解説『そのようですねぇ』

主審「ピッピッ!ピッピッ!ピッピッ!」タッタッ
副審A「…」タッタッ
副審B「…」タッタッ
第四審判「…」タッタッ
澪「…」トボトボ
審判団「」

実況『審判団落ち込んでます』
解説『せっかくのロスタイム、だいたいの選手はやりたいことをすませようと駆け回りますからね。ここまで動かれないともどかしいしつまらないんでしょう』
実況『確かにこのままトボトボ歩かれるだけだと我々実況陣も喋ることなくなっちゃいますからね。――おっと?』

足取り重くとりあえず駅へと向かっていた澪。と、その目がちらりと道路脇の公園を捉えた。

実況『今のとこ、リプレイお願いできますか?――あーっとこれは…どうでしょう、秋山選手この公園に興味を示しているようですが…』
解説『これが何かのターニングポイントになれば良いんですが…』


ただでさえ重かった澪の足が、完全に止まる。

実況『おーっとこれはどうしたことか秋山選手!ここに来てスタミナ切れか!?』
解説『未だに視線は公園を捉えていますね』
実況『公園…その小さくとも神聖なる戦いのピッチに秋山は何を見るか!?』

澪「そうだ…律…」
主審「…?」
澪「――っ!」ダッ
審判団「!?」

澪はギッと歯を食いしばると、踵を返して走り始めた。

実況『何ということでありましょうか!ここに来て秋山突然のサイドチェンジ!』
解説『見事な切り返しですねー審判団が完全に置いてかれてます』
実況『そして一気にトップスピード秋山澪!全力疾走です!』
解説『表情も先ほどまでと違いやる気が感じられますよ。これは素晴らしいプレイが期待できそうです』


場面変わって、秋山家では。

澪母「ホント久しぶりねぇりっちゃん。すっかり大人になっちゃって」
律「いやいやそんな。全然変わってないと自分では思いますよ」
澪母「でも本当にごめんなさいね。澪今事務所の方に新しいCDの音源提出に出かけてるのよ」
律「ホント凄いですね、澪。おめでとうございます」
澪母「あらあら照れくさいわね。澪に音楽勧めてくれたのはりっちゃんだし、こちらからもお礼を言わなきゃいけないのに」
律「いえ、ここまで来たのは澪の実力ですしね」

澪を尋ねてやってきた律と、澪の母が談笑に花を咲かせていた。

律「はぁ、澪に直接会えなかったのは残念ですけど、仕方ないですね。じゃあ、澪におめでとうって伝えておいてください」
澪母「えぇ、ちゃんと伝えておくわね」
律「それじゃあ、失礼します。いろいろお世話になりました」
澪母「何言ってるの、お世話になったのはうちの澪の方だわ。――またいつでも顔出してね」
律「…はい、ありがとうございます。それじゃ!」

ぺこり、と頭を下げると律は澪の家を後にした。


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