正面にいるムギ先輩が、私と私の後ろにいる誰かを凝視している。

「動いたらこいつの命はない」

ポケットに手を入れようとしたムギ先輩に、男が淡々と警告する。

同時に、園内のスピーカーから物々しい放送が流れた。


『現時刻をもって、この遊園地は我々の支配下におかれた。
 これは犯行声明である。
 我々は政府に対し、義体輸出の完全撤廃と、電脳開発規制提案の凍結を要求する…』



テログループがこの遊園地を占拠し、私を人質にとったことを理解するのに時間はかからなかった。

男は私に拳銃を突きつけたまま、じりじりと後ずさりする。


またどこかで悲鳴が聞こえた。

間を空けずに乾いた発砲音が響く。

「来い」

男が私の腕を縛りあげ、乱暴に引っ張る。

私は恐怖に体を震わせ、こちらを見つめるムギ先輩へと視線を向けた。


助けて。


叫び声を出すこともできず、私は口をぱくぱくさせてムギ先輩に助けを求めた。

先輩はそれでも表情ひとつ変えず、私をじっと見ている。


男は乱暴に私の髪をたくしあげると、首にある電脳の外部端子へとコードを刺した。


いくら電脳を自閉モードにしているとはいえ、直接コードで繋がれてしまっては
侵入を防ぐ術はほぼ無い。

きっと犯人は私のゴーストをハッキングするつもりなんだ。
ゴーストハックされた人間は完全に乗っ取られてしまう。

梓「いやぁっ!!」

私は恐ろしさのあまり抵抗した。
すると意外にもあっさりと男の手ははがれた。

梓「!」

何が起きたか分からず、必死にその場から逃げ、ムギ先輩のもとに駆け寄った。

紬「梓ちゃん!」

私は思い切り先輩に抱きつき、息を切らした。

梓「先輩…怖かったです……うっ」

紬「もう大丈夫…男は気を失っているわ」

梓「…?」

恐る恐る男の方を見ると、白目をむいてその場に倒れていた。

梓「な、何が起きたんですか…?」

紬「今は説明している暇はないわ。とにかく逃げましょう」

ムギ先輩は私を強く抱きしめながら言った。
その温もりが私を安心させる。

とにかく今は逃げないと。

梓「は、はい」


ムギ先輩が私の手を引っ張り、どこかへ向ってまっすぐに歩いていく。

梓「どこへ逃げるんですか?もう遊園地の周りは武装グループに囲まれているんじゃ…」

紬「大丈夫。心配しないで」

先輩はなおも歩き続ける。


ふと前を見ると、物騒な格好をしたテロリストが2人ほど待ちかまえている。

梓「ムギ先輩!こっちは駄目です!他の道から…」

紬「しっ!梓ちゃん、少し黙ってて」

先輩が口元に指を立て、そのまま犯人たちの方へ歩いて行った。


梓(!?)


紬「………」

すると、ムギ先輩は何事もなかったかのように犯人の真横を通り過ぎていった。

紬《梓ちゃんも早く!》

いつの間にかムギ先輩が私の電脳ネットに無線で繋いでいた。

梓《は、はい…》

私は急いでムギ先輩の後についていき、同じように犯人に気付かれずに通り過ぎた。

梓《ムギ先輩、何を…》

私が質問しようとしたとき、どこかから人の声がした。

梓《まさかテロリスト…?》

紬《梓ちゃんはここに隠れていて》

私はムギ先輩に促されるまま、近くの陰に隠れた。

段々と声が近づいて来る。
私は息を殺して物陰からムギ先輩の後ろ姿を見ていた。

既に声は私たちのすぐ側まで来ている。



突然、ムギ先輩が飛び出した。

梓《先輩っ!!》


いきなり飛び出したムギ先輩に向って、テロリストが「誰だ!」と叫ぶ。

次の瞬間、ものすごい音とともに私の目の前に大きな男が吹っ飛んできた。

梓「!?」

男はよだれを垂らしながら伸びている。
何が何だか分からない。

ムギ先輩は無事なのか?

鈍い音と、物が壊れる音が聞こえる。

私はムギ先輩が駆け出した方向へ、恐る恐る顔を出した。

そこには別の男が壁に叩きつけられ、気絶している姿があった。


ボキッ


もう一度、鈍い音がした。

ムギ先輩が、最後に残った大男の腕をへし折る音だった。

「ぎゃあ…」

大男が悲鳴を上げる前に、ムギ先輩がみぞおちに掌底を放つ。

「…っ!」

そのまま流れるように顎へと掌底。

大男は気を失い、大きな音を立てて倒れた。

紬「………」


私は自分の目を疑った。
一人の女子高生が、屈強な男3人をわずか数秒で倒したことが信じられなかった。

先輩は全く息を乱すことなく、大男の外部端子にコードを繋げる。

紬「………」


しばらくした後、ムギ先輩がコードを回収し、私の方へ歩いてきた。


紬「遊園地の南の壁を乗り越えて脱出できるわ。そこはテロリストの配備が手薄みたいだから」

ムギ先輩は淡々と説明する。

梓「一体どうやって…?」

紬「この男の電脳にアクセスして遊園地の地図情報とテロリストたちの行動を調べたの。
  相手は防壁迷路を組んでいたから、こんなふうに強行突破せざるを得なかった…」

先輩が悲しそうに言った。

梓「強行突破って…でも今のは……」

紬「…ごめんなさい。私、梓ちゃんにウソついちゃった。
  私の体は生身じゃない。全身義体のサイボーグなの」



私はショックで言葉も出なかった。

色々な感情が頭の中で渦巻き、正常な思考ができなくなっていた。


紬「梓ちゃん、とにかく今は逃げましょう」

私は先輩の言葉で我に返り、南へ向かって走った。

途中、何人かのテロリストたちのそばを通りかかったけど
やはり私たちのことが見えていないかのように無視していた。


梓「はあ…はあ…」

紬「後はこの壁を登るだけ…」

ムギ先輩はそう言うと、ふわりとジャンプし、壁の上にのぼった。

紬「さあ梓ちゃん。私の手をとって」

ムギ先輩が私に手を差し伸べる。

紬「せーのっ」


どさっ

私たちはうっそうと茂る森の中に落ちた。

どうやら無事に脱出できたみたい。

梓「いたたた…」

紬「大丈夫?」

結構高い所から着地したせいか、足がしびれる。
私は先輩の肩を借り、二人で民家の方へ歩いて行った。


生きてる。


人通りの多い道に出た時、私は安心しその場に崩れるようにへたってしまった。

紬「梓ちゃん!しっかりして!」

梓「だ、大丈夫です…ただ、安心したら力が抜けちゃって…」


私たちはとりあえず、近くのファーストフード店に入り、気持ちを落ち着かせた。

紬「…せっかくのデートだったのに、大変な目にあっちゃったわね」

梓「ムギ先輩のおかげで助かりました…。
  私、もしかしたらここで死んじゃうのかなって…すごく怖かったです」

私は恐怖から解放され、自然と涙が出る。


するとムギ先輩が隣に座り、そっと抱いてくれた。

紬「もう大丈夫。梓ちゃんは私が守るから」

私は先輩の服をギュッとつかみ、包み込むような優しさを感じた。



ムギ先輩の存在が私にとってかけがえのないものになった瞬間だった。


梓「…先輩は、どうやって私を助けてくれたんですか?」

私が最初に犯人に捕まった時、なんの前触れもなしに犯人が倒れた。
きっとムギ先輩が何かしたのだと、私は直感的に思ったのだ。

紬「あの時は時間がかかってしまってごめんなさい…。
  梓ちゃんの電脳に攻性防壁を組み込むのに手間がかかっちゃって…
  迂闊に犯人に電脳ハックは出来なかったし、それしか手段がなかったの」

梓「攻性防壁をあの短時間で組んだんですか!?」

紬「簡単なものだったけど、まさか犯人も一般人が攻性防壁を装備しているとは思わなかったでしょうね」



防壁とは、電脳への不正なアクセスを防ぐためのプログラムのことだ。
私たち桜ケ丘高校の生徒は全員、ある程度の防壁を電脳にあらかじめ入れているが完全に防げるわけではない。

防壁にも色々と種類があって、今回ムギ先輩が組んだ「攻性防壁」というのは
アクセスを防ぐだけではなく、ハックしてきた者を逆探知して攻撃するという優れたものだ。

ただし、一般人がこれを装備するのは違法であり、普通は警察や公安などの極秘情報を取り扱う
組織でしか使用されることはない。

それに、普通の防壁だってプログラムを組むのは並大抵の電脳知識じゃできない。
しかも攻性防壁となると、一部の電脳適合者でさえ小一時間はかかるとされているほど高度な技術だ。

梓「…ということは、途中でテロリストたちが私たちに気付かなかったのも…」

紬「わたしが彼らの視覚素子をハックしたから。逆探知されないようにするのは大変だったわ」

梓「リアルタイムで視覚情報を上書きするなんて…ムギ先輩は一体…」

紬「何者か……って?」


先輩はいつになく真剣な顔つきで言った。
いつもの笑顔がそこにはなかった。

どことなく悲しんでいるようにも見える。


紬「私が何者なのか、知りたい?」

梓「………はい」

今まで知ろうと思ってもなかなか教えてくれなかったムギ先輩という人物について

私は知りたかった。

好奇心からではなく、それが私にとって必要だと思えたから…

紬「…梓ちゃんになら話してもいいかもしれない。
  でも、約束してくれる?」

梓「何をですか?」

紬「私の事を、絶対に他の人には洩らさないということ。
  理由は聞けば分かるわ」

梓「分かりました。絶対に他の人にはしゃべりません」

もとより他人に話すつもりなんてない。
私だけが知ることのできる、ムギ先輩という存在。
それだけで私にとって十分だからだ。

紬「これは最重要機密事項だから、無線の電通でも話せない。
  だから有線で繋ぐけど、いい?」

梓「はい…」

ムギ先輩が私の髪をめくり、外部端子にコードを差し込んだ。

紬《…梓ちゃん、聞こえる?》

梓《はい、しっかり聞こえます》

紬《何から話せばいいかしら…。
  そうね、まずは私のこの体について》

紬《さっき言った通り、私の体はほぼ全て義体化されているわ》

梓《…でも、見た目は全然普通の、生身の体に見えます…》

私はまじまじとムギ先輩の体を見た。
骨格や筋肉を義体化している場合は、よく見てみるとなんとなく違いが分かるものだ。
だけど先輩の体はまるっきり生身そのもの…

紬《これは現在一般に出回っている普通の義体とは違う、特殊な物なの。
  だから一目見ただけでは生身となんら変わりがない》

梓《特殊…?》

紬《…梓ちゃんは、私がなぜ桜ケ丘高校に入学したか分かる?》

梓《それは…名門校だからじゃないんですか?》

紬《それもあるわ。だけど本当の理由は、普通の女子高生と同じように授業を受けながら
  電脳教育も受けることができるということにあるの。私の他にもそういう生徒はいると思う》

紬《ただ、私の場合は電脳の授業を受けることによる成績向上が目的じゃない。
  私の電脳を狙うハッカーや電脳ウイルスを外部から守ることにあるのよ》

梓《ムギ先輩は狙われているんですか?》

紬《狙われる時もある。なぜなら、私が琴吹商社の社長の一人娘だから…》

琴吹商社。
それはムギ先輩のお父さんが社長を務める日本でも屈指の総合商社だ。
その話は前に軽音部で聞いたことがある。

梓《それは…誘拐されて、身代金を要求されたり…?》

紬《いいえ。それよりももっと大きな価値が私のボディと電脳にある》

梓《…?》

紬《…ここ数年、琴吹商社では新興事業として独自に義体と電脳システムを開発していたの。
  私の体は、脳と脊髄の一部を除く全身が琴吹商社が新たに開発した義体で出来ている。
  聞くところによるとボディの素材や制御ソフトは通常、絶対に手に入らない超高級、高品質なもの…》

紬《そしてこれらの開発過程や設計、構造など全ては開発部の最重要機密事項…
  その存在すら表向きに発表できないほど、私の義体やシステムは現在の技術の数歩先を行っているのよ》

梓《そ、そんなにすごいんですか…?》

紬《だから私の義体と電脳システムは定期的なメンテナンスが欠かせない。
  そのメンテナンスとシステムの更新だけで会社の経営を圧迫するくらい莫大な資金が動いている》

紬《当然、私のこの体はそれ以上の投資を得て作られたもの…
  だから私の存在そのものが、会社の最重要機密事項ということなの》

梓《…そんな》


これがムギ先輩の真実。

私は知ってはいけないことを知ってしまったのかもしれない。

だけど、後悔はしていなかった。


梓《…それだけ重要なら、護衛とかはつかないんですか?》

紬《ええ、いつも学校に行く時と帰る時、それから授業中も外でSPが見張っているわ》

梓《授業中もですか!?》

紬《桜ケ丘高校自体が万全のセキュリティだから最低限の護衛だけど、一応居ることは居るわ》

梓《じゃあ、今日も…?》

それだけ完璧にムギ先輩を守っているなら、今日だってSPの一人や二人いてもおかしくない。
むしろ当然のことだ。

紬《ううん。今日は私、自分の動作記憶を復元したAIを搭乗させたコピーアンドロイドを家に置いてきたから
  きっと誰も遊園地に遊びに行ってるなんて知らないわ》

先輩がいたずらな口調で言った。

梓《そ、そんなので大丈夫なんですか?》

紬《さあ…念のため周りのSPには部屋に入らないように言ってあるからバレないと思うけど…》

梓《……ふふっ》

私はなんだか可笑しく感じてきた。
ムギ先輩のやんちゃぶりに振り回されているSPを考えると笑えてしまう。

梓「あははは……」

紬「なんで笑うの~?」

私が意外な反応をしたせいか、ムギ先輩が思わず言った。

梓「なんだか可笑しくって…そんなに遊園地に行きたかったんですか?」

たぶん先輩も窮屈な思いで普段過ごしているんだろうな。
たまには思いっきり遊びたくなるのもしょうがない。

紬「う~ん、それもあるけど…一番はやっぱり梓ちゃんと一緒に遊びたかったから、かな」

梓「あはは……えっ?」

はっとしてムギ先輩を見ると、先輩も私の目を見つめていた。

吸い込まれるように大きな先輩の瞳に私の姿が映り、
いつのまにかお互い顔を近づけていた。
ムギ先輩の吐息を感じるほどに。

紬「…梓ちゃんは今の話を聞いて、私のこと嫌いになった?」

じっと見つめあったまま、先輩が言った。

梓「そんなわけありません。たとえどんな体だろうと、ムギ先輩はムギ先輩です」

梓「それにこの間、先輩が言ってたじゃないですか。
  そのままの姿でみんな十分に魅力的だって…もちろんムギ先輩だってそうです」

梓「今わたしの目の前にいる先輩が私の知る先輩の全てです。
  新しい事実を知ったからといって、私の中のムギ先輩は変わりません。
  だから、嫌いになるわけないじゃないですか」

私は自分の思っていることを正直に口にした。

先輩はそれを聞くと優しく微笑んだ。
その頬に一筋の涙が伝う。

紬「…ありがとう、梓ちゃん」

そう言って、先輩は私の唇に自分の唇を重ねた。

柔らかい、濡れた感覚が私に伝わる。

二人だけの世界が、そこにはあった。


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