紬「どうしたの?座りましょ」

梓「は、はい」

ムギ先輩に促され、私は急いで椅子に座った。
きっと今の私は誰から見ても挙動不審に映っただろう。

紬「ねぇ、梓ちゃん」

梓「はい?」

紬「義体の調子はどう?」

梓「今のところ特に問題はないです。この間メンテしたばかりですし」

紬「そう……」

ムギ先輩はそう言うと、お茶淹れるわね、と言って席を立った。

紬「はい、どうぞ」

梓「ありがとうございます」

ムギ先輩の淹れてくれたお茶を飲む。
やっぱり美味しい。なんだか心が落ち着く味だ。

だけど、今日の紅茶は少し…濃いような気がした。

梓「…ムギ先輩は義体化していないんですよね?」

紬「うん。でも、電脳化したのは中学の頃よ」

梓「そうなんですか?」

紬「当時は周りの子も結構電脳化しててね。何も特別なことじゃなかったわ」

梓「そういえば、ムギ先輩ってどこの中学校でしたっけ」

紬「私のいた学校は県外だから、言っても分からないと思うけど…
  新女子学院中学校っていう所でね。実際はこことそんなに離れていないわ」

梓「新女子学院中学校…?」

聞いたこともない名前だった。
でも、きっとムギ先輩のことだし、かなり良い家の生徒が集まるんだろうな。

紬「ね、梓ちゃん。梓ちゃんはどうして義体化したの?」

梓「小5の時に両親が電脳化を勧めてきて、その時に一緒に義体化もしたんです」

紬「小5かぁ…梓ちゃんは嫌じゃなかったの?」

梓「う~ん…そんなに嫌な感じはしませんでした。
  頭が良くなるからって言われて、ああ、そうなんだ。じゃあやろう。と思ったくらい、
  軽い気分だった気がします」

紬「そうなの…。でもその年頃で義体化もするなんて、珍しいんじゃない?」

梓「確かに周りで電脳化と義体化を両方してる人はいませんでしたね。
  でも、そんなに気になりませんでした」

紬「ギターを弾く時は、やっぱり制御ソフトに色々組み込んでるの?」

梓「…はい」


私の両腕の義体は、電脳に組み込まれた専用の制御ソフトで動いている。
そのソフトにはギターを弾くための最適化が施されていて、そのおかげで私は他の人に比べて
比較的ギターの演奏が上達しやすくなっている。

義体化した当時はすぐに上達していくのが嬉しくて仕方なかった。
それに例え義体化しているとはいえ、自分の腕前にはそれなりに自信を持っていた。


桜ケ丘高校の新歓ライブを見るまでは。



―――1年前の新歓ライブ。

薄暗い講堂でひときわ明るく照らされたステージ。

その時は名前も知らない先輩方の、お世辞にも上手とは言えない演奏。

最初は「ああ、高校の軽音部っていってもこんなものか」と思った。

ギターは私の方が上手いし、アンプの使い方だって素人なのが目に見えている。


なのに最後まで目が離せなかった。

技術的には私より拙いはずなのに、不思議と心地良く響くひとつひとつの音…

今まで聞いたどんな音楽やライブよりも私の心を打った。


私の音楽に足りない何かがここにある。

私の、義体に頼った演奏では到底たどり着けない音楽がここにある。


それが、私が軽音部に入った理由だった。


紬「義体化していると、色々と便利なのよね」

梓「…実は、今は少し後悔してるんです」

紬「あら、なんで?」

梓「義体化した時は、単純に技術が向上していくだけで満足だった。
  でも、先輩方の演奏を聴いて、私の音楽が何か違うことに気付いたんです」

紬「そんなことないわ。梓ちゃんのギターはとても上手よ」

梓「そうじゃないんです。
  私の弾いているギターの音が、本当に自分の奏でている音なのか…
  もしかしたら義体が、ただ最適化されただけの制御プログラムに従って運動しているだけなんじゃないか…
  そんな不安があるんです」

紬「………」

梓「先輩方の音楽には心を感じます。
  でも、私の音楽にはどこにも心がない…そんな気がするんです」

紬「…それはきっと、梓ちゃんが独りだから。だからそんな気がするのよ。
  大丈夫。梓ちゃんの演奏には、ちゃんと心がこもってる」

梓「………」

私の漠然とした不安について話したのは、これが初めてだ。

正直、ここまで真剣に話を聞いてくれるとは思わなかった。

ムギ先輩だからこそ、こんな悩みを聞いてくれる。

ムギ先輩は、私の音楽に心があると言ってくれた。

嬉しかった。


紬「私はしっかり感じ取れるわ。
  梓ちゃんのギターには梓ちゃんにしかない何かがあるってこと。
  でもそういうのって自分では分からないものなのよね」

梓「…そうなんですか?」

紬「うん。だから私たちはこうやってバンドを組んで、一緒に演奏するんだと思うの」

梓「………」

ムギ先輩の柔らかな表情が私を安心させる。

紬「せっかくだし、みんなが来るまで少し練習しよっか」

梓「はいっ」

なんだか、救われたような気がした。

ガチャ

律「おーっす!ごめん、遅れちゃったー…って、あれ?
  まだムギと梓の二人だけか?」

紬「うん。これから二人で練習しようと思ってたんだけど」

律「おおっ、やる気満々だな」

梓「これが普通です」

律「まーまー。澪は何やってんだか知らないけど、もうすぐ来るだろ。
  それから唯なんだけど、外せない用事があるから今日は部活休むってさ」

梓「そうですか…」

律「うっし!じゃあさっそくムギ、私にもお茶頼む!」

梓「だから今から練習するんです!」

紬「そうね、りっちゃん来たからお茶にしましょ?」

梓「ムギ先輩まで…」

律「なんだ梓、いらないのか?」

梓「………」


私はしぶしぶ席に座った。澪先輩が来たら絶対に練習するんだから。


―――部活が終わり、帰り道

律「じゃ~な!ムギ、梓!また明日!」

澪「じゃあな」

紬「また明日~」

梓「お疲れさまでした」


今日は結構練習できたかな。
唯先輩がいないとここまでしっかり部活動ができるとは…
でも、やっぱり5人そろわないと意味がない。


紬「あつくなってきたわね~」

梓「…そうですね。もうしばらくしたら夏至ですし…月日が経つのはあっという間です」

紬「そうね…」


心なしか、帰りのムギ先輩は元気がないように思えた。


梓「…そういえばさっき、私の義体の話がありましたけど…」

ムギ先輩と二人で帰る機会なんてあまりないし、なるべく沢山おしゃべりしたい。
そう思って私は話題をふった。

梓「律先輩や澪先輩は義体化してないんですよね」

紬「りっちゃんはしてないけど、実は澪ちゃん、体の一部は義体なのよ」

梓「ええっ!?そうなんですか?」

私は意外な事実に驚いてしまった。澪先輩が義体持ちだったなんて…

梓「で、でも見た目は全然義体化しているようには見えないですけど…」

骨格や筋肉を義体化していないなら、考えられるのは内臓系の義体化。
それはすなわち、体のどこかに障害や病気をもっているということだ。

紬「澪ちゃんの場合は、そんな目立った部分を義体化しているわけじゃないもの」

梓「…?」

紬「このことは他の人には内緒よ?」

ムギ先輩がいたずらな笑みを浮かべて言った。

梓「…どういうことですか?」

紬「澪ちゃんはね、体の機能を補うための義体化じゃなくて、見た目を綺麗にするための義体化なの」


…どうりで澪先輩、スタイルがいいわけだ。

紬「確か義体化してるのは歯と、顔の一部の骨格と、骨盤あたりだったと思うわ」

梓「どうしてムギ先輩はそんなことまで知ってるんですか?」

紬「うふふ、ヒミツよ」

先輩はまたもやいたずらに笑う。

まるで子供みたいに。

梓「唯先輩はどう見ても義体化してなさそうですね」

紬「唯ちゃんは義体化しなくても、そのままの唯ちゃんで十分魅力的だもの。
  梓ちゃんもそう思うでしょ?」

確かに唯先輩は義体化するような人じゃない。
それに電脳化だって、むしろ違和感があるくらいだ。

まあ、唯先輩は電脳に関しては誰よりも才能があるって憂が言ってたっけ。
他の勉強はてんで駄目みたいだけど。

梓「魅力的かどうかは……わかりませんけど」

紬「澪ちゃんやりっちゃんだってそう。何もしなくても、そのままの姿でも十分魅力的だわ。
  そして、例え唯ちゃんが全身を義体化したとしても、その魅力は何も変わらない」

梓「…はい」

ムギ先輩が何を言いたいのか、私には良く分からなかった。
私はただ、普段あまり話したことのないムギ先輩の色々な考えを知ることができた、そのことが嬉しかった。


紬「そうだ、梓ちゃん」

梓「なんですか?」

紬「今度のお休みに、一緒にどこか出かけない?」

梓「二人でですか?」

紬「うん。もしかして、都合悪い?」

梓「い、いえ、そんなことありません。大丈夫です」

紬「ほんとに?やったぁ!」

先輩が私の手を取り、無邪気な仕草で喜ぶ。
そのあまりの可愛らしさは、先程までの真剣な表情をかき消すほどに私を惹き付けた。


紬「じゃあ後でメールするから」

ムギ先輩と駅の前で別れる。

また明日会えることをお互い確認するように

私も笑顔で手を振った。


 ○   ○   ○

休日のムギ先輩とのデートは、私の提案で遊園地に行くことになった。

先輩と二人で遊園地…

なんだか妙に緊張してしまう。

おかげで待ち合わせの時間より30分も早く来てしまった。

梓(早く来すぎちゃった…何してようかな)

時間にルーズになるよりいいけど、早すぎるのも問題だ。
私がどうやって時間をつぶそうか考えていた、その時だった。


紬「わっ!!!」


梓「ぎゃーーー!!」

まんまとムギ先輩にしてやられた。
うら若き女子高生がみっともない叫び声をあげてしまい、ついでに目から涙まで…

梓「び、びっくりしました…」

紬「うふふっ。大成功!」

おちゃめなムギ先輩も可愛い。
可愛いけど、何も本気で驚かさなくても…

紬「ごめんね、梓ちゃん。一度やってみたかったの~」

梓「…今度は律先輩にやってあげて下さい…。
  それにしても先輩、ずいぶん早いですね。まだ待ち合わせの時間まで30分ありますけど」

紬「それはもちろん梓ちゃんを驚かすためよ~。
  梓ちゃんが来るのを今か今かと待ちかまえるの、すごい楽しかったわ~」

梓「それは…喜ばしいことです」

ムギ先輩のやんちゃぶりは、時に律先輩と唯先輩をも軽く凌駕する。
そんな時、私の本来のツッコミはなりをひそめ、ムギ先輩のペースに見事に巻き込まれてしまうのだった。

紬「じゃあ早く集まったことだし、さっそく行きましょっ」

ムギ先輩は嬉しさを隠しきれないと言った様子で私の手を掴み、入口へと歩いて行った。

私は半ば呆れながらもわくわくしていた。


今日は忘れられない日になる。

そんな予感がした。


紬「わぁ~…」

ムギ先輩が目を輝かせながら辺りを見渡す。

梓「先輩はこの遊園地は来たことないんですよね」

紬「わたし、遊園地自体初めてなの~」

梓「ディズニーランドとかにも行ったことないんですか?」

紬「うん。あっ、梓ちゃん!あの乗り物は何!?」

ムギ先輩はジェットコースターを指差し、期待の眼差しを私に向けた。

梓「あれはジェットコースターですね。最初はあれに乗りますか?」

紬「はやく!梓ちゃんこっちこっち!」

乗るかどうか聞く前にムギ先輩は走って行ってしまった。

梓「ま、待ってください!」

慌てて追いかける私。

まるで子供に振り回される親だ。


搭乗の順番を待っている間、私はムギ先輩と色々なことを話した。

学校の授業、軽音部のみんなのこと、普段何をして過ごしているか…

ムギ先輩は私の話をとても楽しそうに聞いてくれたけど、先輩自身についてはほとんどしゃべらなかった。

依然として私はムギ先輩について知ることが出来ないまま、順番が回ってきてしまった。

紬「こ、これに乗るのね」

声だけ聞くと怖がっているようだけど、先輩の顔を覗く限りでは怖がっている様子は微塵もない。
むしろ私の方が少し怖気づいていた。
ジェットコースターに乗るなんていつぶりだろう。

紬「ドキドキしてきたわ~」

梓「わ、私もドキドキしてきました…」

頑丈な手すりが降りてきて、係り員の合図が響いた。

私たちの体を縛り付けている乗り物が、ガコンと音を立てて動き出す。

そこから先は何も考えられず、気付いたら終わっていた。

紬「すごい面白かったわ~!」

ふらふらと出口へ向かう私の横で、ムギ先輩が肌をツヤツヤさせながら喜んでいた。

紬「あっ!今度はあれに乗ってみない!?」


先輩はよほどジェットコースターが気に入ったのか、
次から次へと絶叫マシンに梓を誘っていった。

梓「ム、ムギ先輩…少し休みませんか…」

流石に私も限界を迎え、先輩と一緒にベンチに腰掛け休憩した。

紬「遊園地ってこんなに楽しい所だったのね~」

売店で買ってきたジュースを飲みながら、ムギ先輩は言った。

紬「梓ちゃん、ありがとう。こんな楽しい所へ連れてきてくれて」

梓「そんな、お礼なんていいです。私も、ムギ先輩のおかげですごく楽しいですし…」


紬「わたしのおかげ?」

梓「先輩は、何かを楽しむことにかけては天才だと思うんです。
  今まで色んな人と遊びに行ったことがありますけど、ムギ先輩と居る時が一番楽しいです」

紬「そうかしら?なんだか嬉しいわ~」

そう言ってムギ先輩は頬を赤らめて喜んだ。


梓「それにしても今日は暖かいですね。私、汗かいちゃいまいた」

私は持ってきたタオルで汗をぬぐい、手元のジュースを飲んだ。

梓「ムギ先輩はあまり汗かいてないみたいですね。羨ましいです」

紬「昔からなぜかそういう体質なのよね」

先輩は苦笑いして言う。



突然、遠くで叫び声がした。


続いて爆発音。

私は一瞬、何かのアトラクションだと思った。

園内に次々に叫び声が上がる。

紬「何かしら…?」

ムギ先輩も異変を感じたのだろう。警戒するように辺りを見回す。

見ると、私たちのいる所からそう遠くない所で黒い煙が立っていた。

梓「なんですかね…事故ですか?」

私は立ち上がり、煙の方へ歩こうとした。


紬「梓ちゃんっ!!」


強い衝撃と共に私の体は硬直した。
次の瞬間、私のこめかみに冷たい鉄の芯が当てられていた。


「動くな」

耳元で知らない男の声がささやく。


3
最終更新:2011年02月13日 19:33