西暦20XX年


企業のネットが星を被い


電子や光が駆け巡っても


国家や民族が消えてなくなるほど


情報化されていない近未来――――――


―――いつからだろう

私にとって、ムギ先輩が大切な人になったのは…………


―――どうしてだろう

ムギ先輩がいるだけで、幸せを感じられるのは…………




広大なネットワークの中で高度に発達していく技術社会と、それを構成する膨大な数の人間…

その一人一人が本来の多様性を保持しながらも、集中化による個も同時に失われつつある現代において

私たちは出会った



中野梓の物語は、桜ケ丘女子高等学校への入学から始まる


―――思考するだけで操作が可能なインターフェイスを持つ「電脳」―――

宗教的規制も特にない日本では数年前から爆発的に普及し始め、私が電脳化したのも

その流行が最も盛り上がりを見せていた時期だった。

一昔前で言うところの、携帯電話が普及し始めた頃と似ている。

今では日本の人口のおよそ半数以上が電脳化していて、情報機器の最先端として広く一般に使われている。

また、「電脳」が注目されるようになった背景には、「義体」というもう一つの電子デバイスとの共存において

電脳が重要な役割を果たしていることも大きい。

電脳化と義体化の技術の進歩には、単に人々の生活を豊かにするだけにとどまらず

高度な身体能力を保持するためにより適合した肉体との親和を追求した義体を制御するために

情報処理能力を補う形で進化していくという、もう一つの道筋があった。

言うなれば必要目的以上の、人間の知的好奇心と欲望を残さず昇華する上での道具として発展していった。


桜が丘女子高等学校は近年の電脳犯罪の増加をうけ、早くから電脳教育を導入し
その実績は今では全国トップクラスを誇っている名門校。

私、中野梓は去年、新入生としてこの桜が丘女子高に入学した。

志望理由は至って簡単、家が近所だから。
私の両親は教育熱心で、小さいころからやれ勉強しろだの習い事に通えだのと厳しかったから
気がついたら私は周りよりも少し、ほんの少し賢くなっていた。

おまけに私が小学5年になった頃、両親は何を思ったのか私に電脳化を勧めてきた。
身体が急激に成長するこの年頃に電脳化するのは珍しいケースで、その影響もあってか高校2年になる今でも
体は中学生みたいにちっちゃいし、胸だってまるで成長していない。

でも、電脳化することでいいこともあった。
小学4年から始めていたギターは、電脳化と合わせて取り入れた義体のおかげでみるみる上達していった。
義体の制御能力も一緒に向上するし、電脳に関して悪い気分はしなかった。


そして私は中学を卒業、桜高の試験と適性検査に無事合格することが出来た。


桜高は名門といっても、特別に勉強ができる生徒が集まるような、いわゆるエリート校とは違う。
どこにでもある普通の女子高に、電脳教育というカリキュラムが大幅に実装されているだけ。

でもこの電脳教育を受けるには当然、自分の脳を電脳化する必要があるわけで、
大抵の生徒は入学する前に電脳化を済ませる。

もっとも、電脳化にはたくさんのお金が必要になるし、メンテナンス代だって馬鹿にならない。
必然的に桜高は裕福な家の子が多くなるんだけどね。



とまあ、そんなこんなで桜高に入学した私は、紆余曲折を経てなぜか軽音部に入ることになってしまった。

桜高の軽音部は私を含めて5人。

この5人で私たちはバンドを組み、学園祭や新歓ライブに向けて日々練習に励んでいる。

嘘です。

本当は毎日お茶とお菓子を食べて、ぐだぐだとおしゃべりしています。

でも、時々練習もします。

 ○   ○   ○

現在、私は高校2年生。

先輩方は3年生になり、これが高校生活最後の1年間になる。

もちろん私にとっても、先輩たちと一緒に部活が出来る最後の年。

悔いが残らないように、今まで以上に練習に精を出さないと……!


唯「あ~ずにゃんっ」

梓「にゃっ!?ゆ、唯先輩こんなところでやめてください!」

唯「えぇ~、減るもんじゃないし、いいではないか」


私が先輩方のために頑張る決意をしたちょうどその時、
唯先輩がいつものように私に抱きつき、頬をすりすりとさする。

甘いものと可愛いものが大好きな、ちょっと間の抜けた先輩…
このだらけた軽音部の原因の一つでもある。

私を見つけるたびに抱きついて来る唯先輩に呆れつつも、内心そんなに嫌なわけじゃない。
でも……

梓「あ~っもう!いい加減にしてください!」

唯「あずにゃんが怒った~」

律「暴力反対よっ」

なんだか子供扱いされてるみたいで、ちょっと悔しい。

唯先輩と一緒になって私をからかうこの人は律先輩。
部長なのに全然責任感がなくて、いい加減だし大雑把。

律「誰がいい加減で大雑把だってぇ~?」

梓「えっ?」

澪「梓、防壁のロック外れてるんじゃないか?」

律「はっはっは、梓もまだまだ甘いな!」

梓「だ、だからって勝手に繋がないで下さい!」

まさか律先輩にクラックを許してしまうとは……不覚。

澪「律、校内でのハッキングは禁止だろ。全く……」

やんちゃな律先輩と唯先輩をたしなめるのは澪先輩の役目だ。
スタイルが良くてかっこいいし、ベースも上手な私の憧れの人。
実質的にこの軽音部をまとめているのはこの澪先輩だ。

澪「梓は電脳を自閉モードにしてないのか?」

梓「いえ、さっき電脳交信の授業で一時的に解放していたのでそのまま……」

澪「学校の中ならいいけど、外だと危険だからな。気を付けないと」

梓「はい……っていうか、部室で枝張ったりしないでください!」

紬「まあまあまあ。梓ちゃん、お茶のおかわりいる?」

梓「あ、すいません、ありがとうございます……」

唯「ムギちゃんのお茶パワーで大人しくなるあずにゃん…」

律「現金なヤツだな」

梓「唯先輩や律先輩には言われたくありません!」

律「あ、ムギ、私にもおかわりくれ」

唯「わたしも~」

澪「お前ら少しは遠慮したらどうだ…」

紬「いいのよ澪ちゃん。気にしないで」

紅茶のおかわりを用意しながら、ムギ先輩が優しく諭す。

ムギ先輩は毎日お茶とお菓子を用意してくれる、軽音部になくてはならない人だ。

一年前に私が入部した頃は、部活中に飲食するなんて考えられないと思っていたけど

慣れとは恐ろしいもので、今は特に抵抗も感じなくなっている。

澪「よし、飲み終わったら練習するぞ」

唯「えぇ~、もうちょっとゆっくりしてからにしようよ~」

梓「わがまま言わないで下さい。唯先輩はだらけすぎです」

唯「あずにゃん先輩厳しいっす……」

ムギ先輩の淹れてくれた美味しい紅茶を飲みほしたあと、それぞれの楽器を準備し始めた。

やっと軽音部らしい風景を見られる。

律「久しぶりだな、皆で合わせるのも」

澪「新学期になってから、まだ一回も合わせてなかったもんな」

唯「なんだかわくわくするね!」

澪先輩やムギ先輩は私が心配するまでもないけど、唯先輩や律先輩の演奏には若干不安がよぎる。

梓「唯先輩、ちゃんとギターの弦変えましたか?」

唯「もちろん!あずにゃんと同じElixirにしたよ。
  よく滑るし使いやすいし、さすがあずにゃんのお気に入りだね!」

梓「弾き終わったらしっかり手入れしないと他の弦と同様にすぐ錆びますからね」

律「唯にElixirなんて贅沢だな」

澪「そういう律だって、すぐスティック傷めるくせに……
  しかもアーティストモデルにこだわるから人の事とやかく言えないだろ」

紬「…そういえば」

律先輩が何か反論しようとした時、ムギ先輩がぽつりと呟いた。

澪「ん?どうした、ムギ」

紬「今日はみんなで電脳通信しながら演奏してみるっていうのはどう?」

梓「電脳通信、ですか?」

電脳通信、または電脳交信は、電脳を持つ者どうしがネットワークを利用して行う会話のことで
俗に電通と呼ばれている。

唯「でも、あずにゃんはまだ無線で通信は出来ないんじゃ……」

律「あ、そうか!」

律先輩が納得したように顔を明るくした。

律「そういえば梓、2年生だもんな。もう電通の授業は受けてるんだろ?」

梓「はい。でも授業以外であまり使うなって先生が…」


電通、それも無線の場合は電脳ネットワークに接続する必要があるため
万全のセキュリティを実装していない私たち学生は特に危険が及ぶ可能性が高い。


律「大丈夫だって!この学校の中で使う分にはほとんど問題ないし…」

梓「そうなんですか?」

澪「うん、まあ、なんだかんだ言ってみんなやってるしな」

唯「なんだか面白そうだね!やってみようよ!」

確かに演奏している間は肉声では会話することは出来ない。
その代わり電通なら楽器の音に邪魔されずに会話することは可能だ。

桜高のカリキュラムでは1年次は電脳のシステムやネットワークの仕組み、
電脳犯罪の実態とその予防や対策についてなど、机上での勉強が主だったため
電脳通信や情報の解析といった技術を身につけることはなかった。

生徒の中には独学で電通を習得する人もいたけど、一般の学生にとっては必要となる機会が
まずないので、私も例にもれず実際に電通をしたのはつい最近のことだ。

私たちは自閉モードを解除し、お互いのネットワークに接続した。

唯《もしもしあずにゃん?聞こえる~?》

梓《はい、聞こえてます》

律《うん、これなら楽器の音に邪魔されずに会話できるな》

紬《一度やってみたかったの~》

見るとムギ先輩が一番喜んでいるみたいだった。

実際、電脳通信はコツさえつかめばそんなに難しいことではない。
もしかしたら私たちの演奏も上手く合わせることができるかも……。

律《よし、じゃあまずはふわふわから!》

律先輩のカウントから、唯先輩のカッティングへと音が繋がっていく。

今まで何度も弾いてきただろうリフに、全員の音が重なるように奏でられていく。

ディストーションをかけた私のギターの、カリカリとしたバッキングが

この5人の演奏に溶け込んでいく。


まるで私と先輩たちの境界が綺麗に取れてなくなったような、不思議な一体感に包まれた。


―――――演奏が終わった。

久しぶりに合わせたとは思えない、充実した時間だった。

唯「ねえ、今の感じ、すごく良くなかった!?」

唯先輩も手ごたえを感じたのだろう。
興奮気味に私たちを見渡す。

澪「確かに……今までにないくらいぴったり合ってたな」

律「っていうか今の完璧だったんじゃないか!?」

律先輩もとても嬉しそうにはしゃいでいる。
ムギ先輩も、にっこりと笑顔を向けた。

でも――

澪「でも、全く電脳通信なんてできなかったな」

唯「私、ギターと歌うので精いっぱいで電通してる暇なんてなかったよ」

私もそのことをすっかり忘れて、自分の演奏に夢中になっていた。

律「そうなんだよなぁ。なんていうか、私もドラム以外のことなんて全然考えてなかったのに
  これだけぴったり息が合うってのも珍しいよな」

私は、実はその気になれば義体化した自分の腕を独立させて動かすことが出来る。
そうすれば、少なくとも私だけは全員の演奏を集中して聞き、電脳通信で会話することだって出来たはずだった。

澪「う~ん…もう一回合わせてみるか」

梓「そうですね…。今度は電脳通信も取り入れながら…」

唯《よ~し!頑張るぞ~》

律「唯、あんまり無理するなよ。お前はギター弾きながら歌うわけだし
  基本的に私たちの会話を聞いてればいいんだから」

澪「そうだな。一番重要になってくるのはリズム隊だから、もし気になる所があったら
  梓やムギが指摘してくれ」

紬《任せて!》

意気揚々とムギ先輩がガッツポーズを決め、私たちは再び楽器を構えた。

律《それじゃあ次は…ふでペンで!》

律先輩が見渡すように確認し、カウントを取った。

ふでペンの入りは私のギターで弾き、バックは唯先輩だ。
ふわふわと違って最初から全員が一つにならないと気持ちの悪いアンサンブルになってしまう。

澪《律、もう少しテンポを遅くしてもいいんじゃないか?》

案の定、律先輩のドラムが走り気味になる。
澪先輩はやはり安定してリズムキープしているけど、今度は唯先輩が崩れ始めた。

律《おい唯!お前がテンポ落としてどーすんだよっ》

梓《唯先輩はベースの音を聞いててください!》

唯先輩を見ると、混乱している様が顔に浮かんでいる。

紬《今度は梓ちゃんが引っ張られているわ》

気付くと、私の義体がリズムの変化に追いつけずによれてしまっていた。
急いで私の意識をつなげ直したけどもう遅い――。


結局、バラバラなまま演奏は終わってしまった。

さきほど得たように思えた一体感は、もうこの部屋のどこにもなかった。

澪「…やっぱり演奏中に会話するのは無理があるかもしれないな…」

紬「そうね…」

ムギ先輩は肩を落とし、残念そうに言った。

唯「みんな、ごめんね…」

律「唯が謝ることないだろ」

私も、義体に演奏を任せるなんて馬鹿なことしたな。
妙な罪悪感が残る。

律「どうしたんだよみんな。そんなにがっかりすることないぜ!
  大体、これくらい酷いのは今に始まったことじゃないし、今回はたまたまだって!」

律先輩が持ち前の元気でみんなを励ましてくれる。

半分くらいフォローになってない気がするけど……

 ○   ○   ○

桜の季節も終わりを迎え、暖かな日差しも容赦がなくなってきた頃

私はいつものように部室へと足を運んだ。

入口に立って、中の気配を探ってみる。

どうやらまだ先輩方は来ていないみたい。

少し早く来ちゃったかな、と思いながら私は扉を開け、中に入った。

梓(……先輩方が来るまで練習してようかな)

そんなことを考えながら、長椅子に鞄とギターを置いた、その時だった。


私はドキッとした。


ムギ先輩が、独りで椅子に腰かけていたからだ。

窓の外を虚ろな顔で見つめながら、まるで遠くに目をやられた瞬間に凍らされたようにピクリとも動かない。

私が側に近づくまで全くその存在に気付けないほど、ムギ先輩は部屋の空気と同化していた。

梓「あっ」

思わず声を出してしまった。

紬「……あら、梓ちゃん」

ムギ先輩も私に気付き、さっきまでの虚ろな表情は消え、いつものようににっこりと微笑んだ。

梓「す、すいません!気が付かなくって……」

紬「ああ、私の方こそごめんなさい。少しボーっとしてたみたい…。
  梓ちゃん、今日は早いのね?」

梓「はい……ムギ先輩こそ、一人ですか?」

紬「ええ。他のみんなはそれぞれ用事があるみたいで、遅れるそうよ」

梓「そうですか…」

私は気持ちを落ち着かせ、会話を続けようと努力した。

でも、あの時のムギ先輩の表情が目に焼き付いて離れない。

普段は決して見せないような、存在しない先輩を見てしまったような感覚。

思えば、この時からだったのかもしれない……


私が、ムギ先輩は他の人とは違う特別な人だと認識するようになったのは。


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