わけがわからない。
 折角みんなと以前のような演奏が出来たと思ったのに。
 その感動を分かち合おうとそう思った瞬間だった。
 なんの支えもない真っ暗闇に思わずへたり込む。
 すると目の前の地面と思しき場所がぱぁっと明るくなる。
 その狭い明るい空間。そこは先ほどまで自分がいたと思われる場所だった。

律「疲れたー。しかし久々に思いっきりドラムが叩けてすっきりしたぜ」

 近寄るが触れることは出来ない。
 ガラス張りの床のように、透明な何かがそこを隔てている。
 どうやってもただテレビに流れる映像を見るように、そこに繰り広げられる
 光景を眺めていることしか出来なかった。

律「しかし、澪。なんだよあの歌」

 意地悪そうにりっちゃんは笑っている。

澪「な、なんでも良いだろう、別に」

律「隠しなさんなって。ほらほら」

唯「私も聞きたい! とっても良い歌だったもん。って演奏に夢中であんまりきけなかったけど」

澪「あの琴吹さんが用意してくれた曲の名前」

律「おう、あれがどうした? ふわふわ時間だっけ?」

澪「それと同じ題名の詩をな、そのたまたま書いてて、思い切って合わせてみたらぴったりでさ、
  そのまま気持ち良くなっちゃって最後まで」

梓「あの歌即興であわせたんですか! 信じられません!」

澪「ああ、私も驚いてるところさ」

律「にしても、よくみんなの前で歌なんか歌えたよな」

澪「お、思い出させるなよ、律。折角忘れようとしてたのに!」

 澪ちゃんは恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしてその場に屈み込んでしまった。

律「今更照れなさんなって」

梓「だ、大丈夫ですか、秋山先輩?」

律「大丈夫、大丈夫。いつものことだから」

唯「あれ、紬ちゃんは?」

 その声にみんなが私がキーボードを弾いていた方を向く。

梓「あれ、いつの間に何処にいちゃったんでしょうか」

律「本当だ。声がしないと思ったら」

唯「紬ちゃーん! どこー!」

 唯ちゃんが呼んでいる。

律「琴吹さーん!」

梓「琴吹せんぱーい!」

 プツン。
 そんな音がしたかのように突然部屋の風景を映し出していた
 明かり窓のような空間が消えてしまった。
「私はここよ!」そう叫ぶ間もなく。
 またそこは元の暗闇が永遠に続く空間に戻ってしまった。

「よっ、ムギ!」

 声がする。
 その方向を向くと細い明かりの下にりっちゃんが立っていた。

「ムギー!」

 また声がする。
 今度はそこにいたのは澪ちゃんだった。

「ムギちゃーん!」

 次は唯ちゃん。

「ムギせんぱーい!」

 最後は梓ちゃん。
 気付くと4っの光が私の周りを囲んでいた。
 そこにりっちゃん、澪ちゃん、唯ちゃん、梓ちゃんがそれぞれ立っていて。

律「どうだったこの世界は?」

紬「りっちゃんはりっちゃんなの、私の知ってる!? 他のみんなも?」

唯「そうだよ。だって」

梓「私たちはムギ先輩の中の」

澪「記憶、みたいなものだから」

 私の記憶?

紬「ここは何処なの?」

唯「その前に質問に答えて欲しいなあ」

澪「私たちの」

紬「……悪夢だったわ」

律「そう? その割には楽しそうにみえたけど」

紬「それより、私の質問にも」

梓「ああ、ここが何処か、でしたっけ?」

 梓ちゃんはなにが楽しいのかわからないが、愉快そうに笑っている。
 よく見れば他のみんなもだ。

唯「そんなのわかる訳ないよ」

澪「でもムギはここに辿り着いた」

律「それが答えかな」

 落ち着け、落ち着くんだ、紬。
 なんなのか訳が分からないけど、きっと事態はなにか進展したのかもしれない。
 だったら戻れるかもしれない。元の場所に。

澪「ムギはどっちに帰りたい?」

 どっちってそんなものは聞かれるまでもない。

紬「それは私の知っているみんなのいる、元の軽音部がある世界に決まってるわ」

唯「本当に?」

梓「でももう1つのあの世界」

律「ムギのことをだーれも知らないあの世界はお前がつくったんだぜ、ムギ」

紬「嘘! そんなはずない!」

 あんな悪夢みたい、いや悪夢そのもののような世界を自分で生み出したなんて信じられるはずがない。

唯「うーん。やっぱりムギちゃんじゃないかも」

紬「えっ」

澪「私かもしれないな」

唯「だったら私だよー」

律「いーや、私だ」

梓「違います、私がやったんですよ」

 なにこれ。
 あの世界を造ったのは私だと、そういったと思ったら、皆口々に今度は自分がやったと。

律「うーん、なんて説明すりゃいいかな」

唯「もし、私が桜高に合格していなかったら」

梓「もし、私が軽音部に入部していなかったら」

澪「もし」

律「もし」

澪「そんな『もし』が沢山、沢山集まった」

 ――もし?

律「私と澪は、この世界では桜高には通っていなかった」

澪「私は文学部、律は軽音部を諦めて帰宅部になっていた」

律「それでも疎遠にならずになんだかんだ仲良くやってたけどな」

梓「私はジャズ研に入ってましたね。だけど肌にあってなかったみたいですけど」

唯「私はまた軽音部に入ってたね。ギー太ともまた会えた」

律「これは1つの可能性なんだよ」

梓「誰が願ったかはわかりません」

澪「だけど偶然こんな世界が生み出された」

唯「こういうのを神様の悪戯っていうのかな?」

 悪戯だとしたらあまりにたちが悪すぎる。

律「こんな世界もありえたんだよな」

唯「でもムギちゃん凄いよ!」

律「ああ、それでもこうやってみんなをまた集めることが出来た」

梓「奇跡ですね!」

紬「それはみんなに会いたかったから」

 本当に心から。

唯「だからそんなムギちゃんにご褒美があります! ぱんぱかぱーん!」

律「帰れるぜ、ムギ。元の世界に」

紬「本当に!?」

梓「だけど良いんですか、それで?」

澪「みてみなよ、あのみんなの姿」

 足元がまた明るくなる。
 向こうの世界の、私を知らないみんなの姿がまた映し出される。

 ――――

「でも、楽しかったよね」

「ああ。澪の歌もよかったぜ」

「うるさい! 思い出させるなって!」

「でもみなさんとの演奏、本当に楽しかったです。また演奏できたら良いのに」

「だったら、バンド!」

「うーん、どうする澪?」

「い、良いんじゃないか」

「だってよ」

「やったー! 梓ちゃんはどう!?」

「私もみなさんとなら喜んで。丁度外バン組めたらって思ってたんです」

「じゃあ、あとは」

「紬ちゃんだね」

 ――――

 足元では今なお向こうの世界のみんなが楽しげに会話を弾ませている。


律「どうだ、ムギ。向こうの『私たち』も満更じゃないみたいだぜ」

唯「そうだよ、ムギちゃん。あっちだって楽しいよ、きっと」

梓「また前みたいにみんなでライブも出来ますよ」

澪「ティータイムだって集まれば出来るよな」

唯「折角また仲良くなれたんだから」

紬「ごめんなさい!」

 あっちのみんなには悪いけれど、私の心はもう既に決まっていた。

紬「私はやっぱり元の世界が良いの!」

 私を囲んでいるみんなはただニコニコとこちらを見つめている。

紬「こっちのみんなにも会えた。それに仲良くもなれた。
  確かにきっと元の世界のような関係にもなれるかもしれない」

 だけど!

紬「私が今まで過ごしてきたこの2年間は、それ以上にかけがえのないものなの!」

 だから、

紬「元の世界に帰りたい! 私にはそれしか考えられないわ!」

 ――ムギならそういうと思ってたぜ。

 ――だな。

 ――うん!

 ――はいです。

 急に周りが明るくなる。
 明かりは急速に強まり、目を開けていられなくなる。
 眩しい!
 そう思った瞬間――。


 うん?
 なんだか変な夢を見てた気がする。
 頭が少しくらくらする様な。
 薄目を開けてみると、そこには白い天井。
 見慣れた自分のベッドの天蓋ではない。
 ここは何処だろう?
 すぐに所在を確認しないと、そんな気がした。
 目を開け体を起こそうとする。するとそこにはりっちゃんがいた。
 しかもなにかに大層驚いたような表情を浮かべている。

紬「りっちゃん?」

律「ムギ!」

 なにをそんなに驚いているのだろうか。

紬「どうしたの?」

律「どうしたの、じゃねー!」

紬「えっ?」

 いまいちまだ事態を把握できない。
 真っ白な部屋、カーテン。
 奥のほうにはつい立の向こうにドアが見える。

律「まあいいや。ええとこういう時は看護婦さん呼べば良いんだっけか?」

 そうしているとそのドアが開いた。

澪「律、真面目にやってるか?」

唯「ムギちゃんはどう?」

 あ、澪ちゃんに唯ちゃんだ。それに梓ちゃんもいる。

律「それどころじゃねーって!」

梓「あっ!」

唯「ムギちゃーん!」

 唯ちゃんは思いっきり飛びついてきた。

梓「よかった。ムギ先輩気が付いたんだ」

澪「ムギ」

 澪ちゃんは何故だかぐずぐず泣き出した。それに梓ちゃんも嬉しそうだ。

律「お前、ぽかんとして。なにも覚えてないのかよ」

 あら、りっちゃんが泣いてるなんて珍しい。

唯「ムギちゃーん! 良かったよ!」

 あらあら、唯ちゃんまで。

律「ムギ、この一週間ずっと眠ったままだったんだぞ」

紬「ええっ!」

 りっちゃんの話によると5日ほど前、学校で急に倒れてからそのまま
 今日まで意識不明のままだったらしい。
 5日、いつの間にそんなに経っていたのか、その間の記憶はさっぱりだ。
 ただ年末パーティを開くと唯ちゃんがいっていたのはよく覚えている。
 そうだ!

紬「年末パーティ!」

梓「ムギ先輩ったら」

律「目を覚ましたらいきなりそれかよ。たっく、バカムギ!」

紬「りっちゃんったらひどいー!」

律「散々心配掛けやがって。この」

澪「ムギー!」

 突然、澪ちゃんまで抱きついてきた。

梓「あ、私もです! ムギせんぱーい!」

律「こらー、私も混ぜろー!」

唯「ムギちゃーん! うえーん!」

 みんなに抱きつかれた。
 とっても賑やかだけど、とっても暖かい。
 それに何故だかわからないけど、すごく懐かしい、そんな気がした。

紬「みんな大好き!」

 それから検査などがあり退院するまで数日掛かったが、無事
 唯ちゃんの家での年末パーティに参加することが出来た。
 思い描いていた通りとっても楽しい年末だった。
 そして初日の出をみんなで見、初詣を済ませるとあっという間に冬休みが終わった。


 始業式の日。
 授業は半日で終わり、それからすぐにみんなと軽音部部室に向かう。
 倒れたせいで部室とはだいぶんご無沙汰だったので冬休みの間ずっと待ちきれなかった。
 部室に入ると早速お茶とお菓子の準備に取り掛かる。

唯「ムギちゃんのお菓子。ふっふふっふふん」

梓「唯先輩、新学期なんですから少しは練習しましょうね」

唯「あずにゃん、わかってるって」

律「澪、なにやってんだよ。早く座れよ」

澪「なあ」

 突然澪ちゃんがみんなに声を掛ける。
 その澪ちゃんの方を向くと、ホワイトボートを見つめていた。

澪「これ律が書いたのか」

律「なんだよ」

 りっちゃんは立ち上がると澪ちゃんのいるホワイトボードの前に向かった。

律「いいや、私はこんなこと書いた覚えないけど」

唯「なになに?」

梓「待ってください、唯先輩」

 唯ちゃん、梓ちゃんもホワイトボードの前に。

梓「なんですか、これ」

唯「私もわかんないなあ」

紬「どうしたのみんな?」

 私も気になってホワイトボートを確認しに行く。

律「いいから見てみろよ」

 そこに書かれていたのは。


『目標:放課後ティータイム再結成!』

 文字は掠れ、消えかかっていた。

澪「再結成って、解散もしてないのになんだか縁起悪いな」

唯「ムギちゃんどうしたの?」

紬「えっ?」

 気付くと涙が零れていた。
 その理由はわからない。
 だけどその文字はなにか大事な事を私に伝えてくれているように見えた。
 忘れてしまった何かを。

紬「わからない。なんでだろう。可笑しいね、悲しくないのに」

律「……まあ良いや。こんな縁起悪いもんは消しちまうに限るな」

梓「そうですね」

紬「待って」

 自然と声が出ていた。
 何故だかわからないけど確信があった。
 それは、それをするのは私の役目なんだと。

紬「私が消すわ」

律「そっか、なら景気良くぱぱっとやっちまえ!」

 みんなが見ている中、一文字ずつ丁寧に消していく。
 丁寧に、愛しむように。
 もう私は独りじゃない。今こうやってみんながいるんだ。
 最高の5人組『放課後ティータイム』。
 もっぱらお茶ばかりであまり練習しないけれど、どんなバンドにも負けない。
 強い絆で結びついたとびっきりの5人組。
 もう二度と消えることはない。
 甘い茶葉の香りが部屋に薫る。
 いつものティータイムが始まる。

紬「さあみんな。お茶にしましょう」






――放課後ティータイムの消失:完――



最終更新:2011年02月11日 20:45