クラスメイトD「大丈夫? 一日中臥せってたみたいですけど。授業中先生がいくら声を掛けても反応しないし」

紬「そうなの?」

 体がだるい。動かない。
 そのままの体制で振り返りもせず適当に相槌を打つ。

D「え、ええ。あの私、一応クラス委員だから、何かあったのなら相談して欲しいな」

紬「いいえ、大丈夫よ」

 だからもう、放っておいて。

D「えっと昨日いってた、ヒラサワさんとタイナカさんだっけ?」

紬「知ってるの?」

D「ごめんなさい。私も知らないわ。名簿も確認したけどそんな人の名前はやっぱりなかった」

紬(でしょうね)

D「でもね、私思ったの。きっと琴吹さんは勘違いしてるんじゃないかって」

紬「勘違い?」

D「きっと他のクラスの子じゃないのかなって、2人とも」

 と、チャイムが鳴り始める。恐らく授業の始まりを知らせるものだ。

D「ごめん、もう授業だね。じゃあまた」

 他のクラス。他のクラス?
 梓ちゃんがいたんだし、確かにその可能性もないとも限らない。
 だけど例え見つかったとして一体私になにが出来る?
 朝の梓ちゃんがそうであったように、きっとみんな私のことを忘れているはず。
 会ったところでただの他人と変わりない。
 もし無理に知り合いだと主張してもおかしな人と思われるだけだろう。
 下手をすれば不審者扱いされかねない。
 でも。

紬(会いたい、会いたいよ、みんな)




 例え他人でもいい。自分のことを全く覚えてなくても知らなくてもいい。
 もし存在するのなら、まだこの悪夢のような世界にいてくれるのなら、会いたい。

紬(みんなに会いたい!)

 今まで頭を覆っていたもやもやが少しずつ晴れていく。
 重い体が今なら少しは動く気がする。
 目標は、決まった。

 放課後、かつての軽音部部室に向かう。
 誰もいないことはわかっている。
 それでも放課後にいる場所といえばそこしか考えられなかった。
 扉の取っ手に手を掛ける。空け慣れたはずのその扉。今はなんとも重く堅い。

紬(ええい、紬、しっかりしなさい!)

 自分を奮い立たせゆっくりと取っ手を引く。
 そこにあったのは予想通りの風景。
 一年と少し前、初めて訪れた時のそのままの光景。
 綺麗なホワイトボード。机も無い。椅子も無い。
 当然ティーセットもそれを収める棚もなんにも無い。
 変わらないのは寂しげに照らし込む橙色の西日だけ。

紬「本当になにもかも無くなっちゃったんだ」

 本来机の置かれていた自分の場所に腰を落とす。
 隣では澪が、前を向けば唯や律が、そして梓が、いつもの様にお茶を飲みながら笑っているようにみえた。

紬「やっぱり、きついな」

 涙が出ない、わけがなかった。
 静かに声を押し殺し、ひたすら泣いた。膝に顔を埋め、泣いた。
 人はこんなにも涙が出るものだと初めて知った。


紬「よし!」

 一通り泣きしきると涙を拭いて立ち上がった。
 そしてホワイトボードにマジックでこう書き記した。

『目標:放課後ティータイム再結成!』


 まず向かったのは生徒会室。
 梓はいた。
 だったら残りのメンバーもこの学校の別のクラスにいるのかもしれない。
 生徒会室だったらそれが確認できるはず。

紬「失礼します」

 生徒会室のドアをノックをして開ける。
 中には数人の生徒会役員と思われる生徒がいた。

紬「あの、すいません」

 声を掛けると1人の髪の長い女性がこちらに歩いてきた。
 リボンの色を確認するとどうやら先輩の生徒ようだ。

???「はい、こんにちは。私は生徒会長の曽我部です」

紬「こ、こんにちは」

 いきなりの生徒会長の登場で少し戸惑ってしまう。

曽我部「あ、そんなに緊張しなくてもいいわよ。生徒会長といっても大したことないから」

 微笑みながらこともなげにいうが、十分大したことに思えた。

曽我部「それで、生徒会にどういったご用件かしら?」

和「すいません! 遅れました!」

 突然戸が開く音がして、後ろから聞き慣れた声が。

曽我部「あ、真鍋さん。丁度良かったわ」

和「会長、なにか?」

曽我部「あなたと同級生の子が困ってるみたいだから助けてあげて。
     もしかしたら知り合いかしら?」

 本日2度目。
 きっと和ちゃんも今朝の梓ちゃんと同じ。
 私を知らない。
 私はとてもよく知っているのに。

和「……。いえ」

紬「2年2組の琴吹紬、です」

和「2年1組の真鍋和です」

紬「どうしたの?」

 和ちゃんはなにかいいたそうにこちらを見つめてくる。

和「いえ、昨日だったかしら、1組の教室から真っ青な顔して出ていった人が、あなたに良く似てたなと思って」

 そういえばあの時1組の教室には和ちゃんもいなかったわね。
 てっきりみんなと同じように消えていなくなっちゃったものとばかり思っていたれけど。
 そんなに酷い顔してたのかしら。そう思うとなんだか恥ずかしくなってくる。
 でも恥ずかしがってもいられない。

紬「実は、今日はそのことでお願いがあって」

 いつの間にか曽我部という会長さんの姿は奥に消えていた。

紬「他のクラスに私の知り合いがいないか調べて欲しいんです」

和「知り合い?」

 和ちゃんは訝しげな顔をしている。
 当然だろう。
 2年生になってもう半年以上が経過、二学期も終わろうとしているこの時期に未だ見知っていない
 知り合いが同級生にいるかどうかなんていうのはおかしな話である。

紬「お願い、のど、真鍋さん! どうしても調べて欲しいの」

和「どうしてもっていうなら、構わないけど」

 ちょっと待って。そういうと荷物を机に置き、書類の並んである棚の方に向かっていった。

和「琴吹さん、その知り合いは同級生ってことで大丈夫?」

紬「はい!」

 棚から数冊名簿と思われるものを探し出すと、こちらの方に運んできた。

和「取り敢えず、そこに座ってもらえる」

 和ちゃんが運んできた名簿が並べられた机の側にある椅子を指差している。

和「それでその知り合いの子の名前はなんていうのかしら?」

 椅子に座ると和ちゃんは名簿を広げてこちらを見ている。
 相変わらず仕事が速い。
 その手際のよさに思わず見惚れてしまう。

紬(なんていうか、やっぱり和ちゃんは頼りになるなあ)

和「あの、名前なんだけど?」

紬「あ、ごめんなさい」

 見惚れている場合ではなかった。

紬「名前は、『秋山澪』さん、『田井中律』さん、『平沢唯』さんです!」

和「アキヤマさんにタイナカさん、ヒラサワさんね」

紬「はい!」

和「それにしても奇遇ね。私の知り合いにも『ヒラサワユイ』って子がいるわ。
  でもこの学校の生徒じゃないから関係ないわよね」

 ちなみに漢字ではこう書くわ。
 そういってメモ用紙にさらさらと書かれた文字は『平沢唯』。
 これってもしかして。

紬「その子ってもしかして和ちゃんの幼馴染!?」

和「ええ。でもなんで」

紬「小さい頃からの知り合いで、何処か抜けてるところがあって!」

和「確かにちょっと天然だけど」

紬「1つのことに集中したらとことんまでいっちゃう!」

和「なんでそんなにくわし」

紬「いつも失敗してばかりだけど、何処か憎めない!」

和「ねえ、なんでそんなに詳しいの? ていうか落ち着いて」

紬「和ちゃん!」

 思わずその手を掴む。

和「え? え? え?」

 気付いたら思いっきり抱きついていた。

紬「和ちゃん! ありがとう!」

 いなくなってなんかいなかったんだ!
 唯ちゃんに会える、唯ちゃんにまた会えるんだ!


 それから他の生徒会の面々に宥められること数分。
 なんとか落ち着きを取り戻すことが出来た。
 ごめんなさい、和ちゃん。
 でも『放課後ティータイム再結成』という目標に大きく近付いた。

和「あの、あなたは唯のどういう知り合いなの。唯のこと随分詳しいみたいだけど」

 ど、ど、どうしよう。
 ここで実はこの学校で同じ軽音部で同級生で大の仲良しだったけど、突然ある日クラスから消えて
 別れ別れになったなんて話を、正直に話しても信じてもらえるはずがない。

紬「実は前にお世話になって。そ、そう助けてもらったの色々と」

和「色々?」

紬「そう! だからお礼がいいたくてずっと探してたの!」

 物言いたげな視線。じーっとこちらを見つめながらなにか考え込んでいる。

和「俄かには信じがたいけど」

紬「のど、いえ真鍋さん!」

和「和でいいわよ。まあ、あなたがいうなら間違いじゃないんでしょうね」

紬「えっと、それはどういうことでしょうか?」

 恐る恐る尋ねる。

和「だって我が校きってのお嬢様として知られている琴吹さんがいってるんだもの。
  もちろんそれだけじゃないけど」

紬「お嬢様?」

和「あら、本人にはあまり自覚がないみたいね。
  あなたはこの学校ではあなたが思ってる以上に有名人なのよ」

 そっか今の私はそんな風になっているのか。

和「だからそんな有名人の意外な一面を知ることが出来て良かったわ。
  あなたとなら良い友達になれそうな気がする」

 そういって笑う和ちゃんの笑顔は、あまりによく見知ったもので、それは私の大切な思い出の中の1つで。

和「どうしたの?」

紬「え? 涙?」

 気付いたら止め処なく溢れてくるのだった。

紬「ごめんなさい。なんでもないの」

 でも、今は我慢。
 涙を拭って前を向く。

和「そう」

紬「うん」

 それから和ちゃんから唯ちゃんが今通っている学校を教えてもらった。
 なんでも唯ちゃんは和ちゃんと一緒にここを目指していたそうなのだが、
 和ちゃんだけが合格し唯ちゃんは落ちてしまったそうだ。
 そして今は滑り止めとして受験していた第2志望の高校に通っているらしい。
 気付けばもう下校時間。続きは明日だ。
 明日。明日唯ちゃんに会いに行く。


 その日の朝はここ2日と比べ物にならないぐらい、すっきりとした目覚めだった。
 テキパキと登校の準備を済ませると、朝食を済ませ急いで玄関に向かう。
 急いでも放課後が早くやってくるわけではないというのに、とても落ち着いてはいられなかった。

斉藤「お嬢様、お車はこちらです」

紬「ごめんなさい! 今日は学校には電車で行くわ」

斉藤「左様でございますか。それではお気をつけていってらっしゃいませ」

 見送る斉藤は、どこか嬉しそうにみえた。
 やっぱり電車じゃないと落ち着かない。
 だって私は間違いなくずっと毎日そうしてきたのだから。

 登校コース――私にとってはいつもの――を終え、学校につくとそこには梓ちゃんがいた。
 昨日と同じ、下駄箱に向かっている途中。背中にはギター。
 内心ドキドキしながらも後ろから近付いていく。
 昨日のことをちゃんと謝りたかった。
 そして出来ることなら少しでも『今』の彼女のことが知りたかった。
 彼女だって軽音部の欠かせない大事な仲間なのだから。

紬「おはよう」

梓「あっ」

紬「昨日はその」

梓「いえ、こちらこそ。それよりもう大丈夫ですか?」

紬「えっ、なにが」

梓「ずっと心配だったんです。昨日今にもどうにかなってしまうんじゃないかって顔して行ってしまったから。
  私のせいだとしたら大変な事をしてしまったんじゃないかって」

 その表情から本当に心配してくれてたんだということが痛いほど伝わってきた。
 悪い先輩だな、私。

紬「中野さんは優しいのね」

梓「そ、そんなことないです」

 照れてる。やっぱり梓ちゃんは可愛いな。
 でも今は抱きつくのは我慢、我慢。

紬「ごめんなさい。あれは私の勘違いだったの。私が悪かったの。だから気にしないで」

梓「そうですか。そういえば自己紹介がまだ、といっても先輩は
  何故だか私の名前を既に知ってるみたいですが」

紬「あ、それは、その知り合いから聞いたの。
  そう、とってもギターが上手で可愛い子が一年生にいるって」

梓「そんなに私有名ですか?」

紬「そうよ。あなたはあなたが思っている以上に有名人なのよ」

 それから改めて自己紹介をして、色々と話をした。
 朝の短い時間なので、そんなに長話も出来なかったが、今の梓ちゃんのことを色々と知ることが出来た。
 梓ちゃんは入学してからずっとジャズ研に所属しているらしい。
 でもなんだか肌に合わないらしく、今は学校の外でバンドを組もうと考えているそうだ。
 先日珍妙な接触をしてきた見ず知らずの私に、短い時間だけど梓ちゃんはとっても親切に接してくれた。

梓「あのまたお話できませんか?」

 別れ際、とても意外な言葉を掛けられた。

紬「いいの?」

梓「はい。なんだか先輩と話してると、とても落ち着くっていうか。
  いきなり抱きつかれた時はびっくりしましたけど」

 照れてる、照れてる。
 ああ、もう可愛いな、梓ちゃん!

紬「私でよければ是非!」

梓「うわっ! えと、じゃあ携帯の番号交換しましょう」

 そうえば携帯の電話帳からもみんなの名前全部なくなっていたわね。
 またこうやって一からやり直しか。
 まずは最初の一歩。梓ちゃん。


 放課後までの時間はとても長かった。
 やっぱり唯ちゃん、りっちゃんのいない教室は寂しい。
 でもなんと和ちゃんが会いに来てくれるというサプライズもあり、
 なんとか放課後まで耐えることが出来た。
 和ちゃんには唯ちゃんのことも含めて、感謝してもしきれない。
 そしていよいよその唯ちゃんに会いに行く。


 場所は桜ヶ丘とはそんなに離れていなかった。
 なるほど今でもたまに一緒に帰ることがあると和ちゃんがいっていたけれど、
 この距離なら十分可能だろう。
 校門の前で唯ちゃんが出てくるのを待つ。
 そういえば唯ちゃん、部活はやっているのかしら。
 だとしたらかなりの時間待っていなきゃならないかもしれない。
 そう考えるとこの寒空の下、少し心細かった。


女子生徒「あの、どうしたの? 誰か待ってるの?」

紬「あ、えっと」


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最終更新:2011年02月11日 20:42