律「また今年もクリスマス会やろうぜ!」

それは2年生の2学期、終業式も今や遅しとせまろうかとしていた日の放課後。私たちはいつものようにティータイムをして過ごしていた。
私が紅茶を用意し、唯ちゃんは早く早くと急き立て、そんな唯ちゃんを梓ちゃんが宥め、その間にりっちゃんはおふざけをして澪ちゃんにまた叱られている。
そんな光景を背中で感じながら、ああ今日もいつもの軽音部だなとあらためて実感する。
そして待ってるだろうみんなの元に今日も今日とてとっておきのお菓子と紅茶を、とっておきの笑顔で運んでいく。

唯「いいね! やろやろ! またうちでやろう!」

私は幸せだった。心からそう思っていた。

梓「あの、私、クリスマスには予定が……」

律「彼氏ですよ奥さん」

唯「若い子はいいわねえ」

梓「違います!」

 クリスマスパーティか、去年はとっても楽しかった。
 唯ちゃんの家で、一杯色んなことをして。あんなに楽しいクリスマスは生れて初めてだったかもしれない。

唯「なら年末パーティはどう?」

 唯ちゃんの鶴の一声で今年は年末パーティin平沢家が開かれることが決まった。
 年末といえば今年は家族とニュージーランドで過ごす予定だったけど、みんなで
 過ごす年末の方が絶対楽しいに決まっている。
 私はニュージーランドではなく唯ちゃんの家で年末を過ごすことを心の中で即断した。

 ティータイムが終わると今度は練習。
 といっても次の演奏の機会までまだ時間はだいぶんあるので本格的な練習ではなく、
 本当に軽く楽器に触る程度の練習。

律「今日はこんなもんかなー」

澪「そうだな」

唯「つかれたー」

 帰り道、途中までまたみんなと一緒。
 とりとめのない会話。その時間はあっという間。
 みんなとの別れ道に差し掛かって、ああ、もう今日も一日が終わったのだ、と感じさせられる。
 まずりっちゃん澪ちゃんと、次に唯ちゃん梓ちゃんと別れる。

律「唯、ムギ、梓、またなー」
澪「また明日」

唯「ムギちゃんまたねー」
梓「ムギ先輩また明日です」

 今日が終わった。


 ――そしてまた新しい一日が始まる。

 寒い。今日の朝もまた一段と寒い。
 こうなると布団からは出たくないけど、そろそろ斉藤が起こしに来る時間だからそうもいっていられない。
 まだ覚醒しきってない頭を全力で働かせて、今朝の準備に取り掛かる。
 さあまずは起きなくっちゃ。

 着替えを済ませ、髪をセット――冬は乾燥して大変――し、朝食を頂き登校の準備は万端。
 何もおかしいところはないよねと、姿見で再確認。

紬「それじゃあ、いってきます」

斉藤「紬お嬢様、お車の準備は整っております。こちらに」

 車? なにをいっているのかしら斉藤は。

紬「斉藤、誰が車を用意しなさいっていったの? 私は今日も電車で学校に行くわよ」

斉藤「はあ、電車、でございますか?」

紬「しっかりしなさい。斉藤らしくもない。朝から寝ぼけていては駄目よ」

 どうしたのかしら、全く。斉藤らしくない。
 何かの手違いかしら。
 でも、それにしたって弛んでいるわね

紬「それじゃあ斉藤、いってくるわね」

斉藤「はあ、それではいってらっしゃいませ。どうかくれぐれもお気をつけて」

 はあ、今日は寒いわね。昨日も寒かったけどそれ以上。冬ねえ。
 白い息を吐きながら、いつもの駅に向かう。
 きっとこの寒さに斉藤なりに気を遣ってくれたのかもしれない。

紬(あ、そろそろ改札だわ。定期、定期と)

 確か鞄のポケットに。

紬(あれ、無い)

 おかしいなあ、このポケットにいつも入れてたはず。別のところにしまっちゃったのかしら。
 あ、他の乗客が、急がないと。

 しかし結局、鞄をいくら探しても定期は見つからず、仕方なく今日のところは切符を買って済ませることにした。
 どこかで落としちゃったのかしら?

 なんとか電車に乗ることが出来、無事今日も桜高に登校することが出来た。
 朝から奇妙なことが続いていた私は、またクラスでみんなに、りっちゃん唯ちゃん、そしてもちろん他のクラスの
 澪ちゃんや梓ちゃんに会えれば全部すっきりして、いつもどうりの一日がスタート出来ると確信していた。
 心なしかクラスへと向かう足は速まっていく。

紬「あれ?」

 クラスに着いた時二人は姿はまだなかった。
 私は取り敢えず他のクラスメートに挨拶を済ませると、自分の席に座った。

紬(りっちゃん、どうしたのかしら? いつもなら澪ちゃんと一緒のはずだから遅れることなんてないのに)

 風邪かな? でも昨日のりっちゃんは元気そのもので、風邪を引くような気配は微塵もなかった。
 朝のホームルーム前の時間、他のクラスメートは仲良し同士集まって他の休み時間と変わらない
 様子で会話に華を咲かせている。
 そんな中いつまで経っても二人は姿を見せない。

紬(そっか! 澪ちゃんのクラスだ)

 1組に向かう。
 けれどそこには律もそして澪さえもいなかった。

紬(今日は三人仲良く遅刻かしら?)

 朝のホームルームが始まる時間はすぐそこまで迫っている。

紬(取り敢えず教室に戻りましょう。もしかしたら唯ちゃんだけでも、もう来てるかもしれない)

 教室に戻ると、クラスメイトたちは自分の席に着き始めていた。
 すると、律の席に1人の生徒が座っていて他の生徒と話し込んでいた。
 もうホームルームも始まろうかという時間だったのに。

紬「あのう。そろそろ自分の席に座った方が良いんじゃない?」

 余計な気遣いだったかな、そう思っていると、

クラスメイトA「え、あ、そうだね」

 しかしその生徒はそこからいっこうに動こうとはしない。

A「どうしたの?」

紬「あ、えっと、先生もうすぐ来ちゃうよ」

A「うん」

紬「そ、それにりっちゃんも」

A「りっちゃん? 誰それ?」

紬「りっちゃんはりっちゃんだよ。田井中りっちゃん」

 なんで意地悪いうかな。あのりっちゃんをこのクラスのみんなが知らないはずないのに。

A「うん? 琴吹さんのお友達?」

紬「違うよ。それわざといってる? このクラスで一番元気なりちゃんを知らないはずないでしょ。酷いなあ」

A「田井中さんだって。そんな人いたっけ?」

クラスメイトB「私、知らない」

クラスメイトC「私も。聞いたことない」

 あ、わかった。

紬「そうやってお喋りしてたいからそんなこというんでしょう。けど、ここはりっちゃんの席だから駄目よ」

B「なにいってるの。そこはAの席だよ」

C「そう。琴吹さんこそそろそろ席に戻った方がいいんじゃないの?」

 そういうとまた三人は会話を始めた。

紬「ちょ、ちょっと待って、おかしいよそんなの」

A「琴吹さん、またー?」

 だってそこはりっちゃんの席だもん。

B「冗談にしても度が過ぎてると思うよ」

紬「違うもん! そこはりっちゃんの席だもん!」

 無理やりクラスメイトのAをどかそうとする。

A「な、なにするの琴吹さん!」

B「やめなよ!」

 けれど急いで立ち上がってきたBとCに押さえられる。

紬「離して! 離してよ!」

 大声と騒ぎに他のクラスメイトの視線が集まりだした。

紬「……ごめんなさい。ちょっと寝ぼけて、混乱、してたみたい。本当に、ごめんなさい」

 さっきのクラスメイトがなにかいっていたようだが、耳に入らない。
 背中で聞き流し自分の席に着く。

紬(きっとなにかの間違いよ。先生が来れば私が正しいってわかるわ、きっと)

 項垂れながらふと唯の席に目をやると誰も座っていない。

紬(ほら唯ちゃんの席はちゃんとあるもの)

 ガラガラと教室の扉が開く。担任の教師が教室に入ってきた。
 1人も席を立っている生徒はいない。唯の席も依然空席のまま。

担任「それじゃあ出席をとるぞ」

 1人1人生徒の名前が呼ばれていく。

担任「琴吹、琴吹紬」

紬「はい」

 落ち着いて、落ち着くのよ紬。そう自分に言い聞かせる。
 きっと「田井中律」、「平沢唯」の名前がこの後呼ばれるはず。
 二人ともなにか理由があって遅刻しいているだけ。
 座席だってあの子が勘違いしているだけよ。

担任「以上。今日は欠席者ゼロだな」

 だが無常にも担任の教師は二人の名前を読み上げることはなく、出席簿をパタリと閉じた。

紬「待ってください!」

担任「どうした、琴吹?」

紬「まだ、来てない、名前を呼ばれてない生徒がいます!」

 立ち上がると、教卓の担任の元に詰め寄る。
 俄かに教室がざわめき立つが気にしてはいられない。

担任「どうしたんだ、そんなに血相を変えて。琴吹らしくない」

紬「ちゃんと呼んであげてください! 2人の名前を!」

担任「おかしいな。ちゃんと名簿にある名前は一通り読み上げたぞ」

紬「そんなはずないです! まだ『平沢唯』さんと『田井中律』さんがいます!」

 おかしい、おかしい、おかしい。
 先生までなにをいってるの。

担任「ヒラサワ? タイナカ? そんな生徒うちのクラスにいたか?」

紬「います! 絶対にいます! いない訳がないです! ねえ、みんな!?」

 他のクラスメイトにも問い掛けるが皆一様に呆気に取られてしまって、何も答えない。

紬「ねえ、いたよね? りっちゃん、唯ちゃん?」

紬「いつも私と、りっちゃんと唯ちゃんと3人で仲良くしてたのみんな知ってるでしょ?」

紬「ほら、それに私たちついこの間、軽音部で学園祭で演奏して、みんな褒めてくれたじゃない!」

 1人1人に聞きまわるのだが「うーん」とか、「そうだっけ?」といった歯切れの悪い返事しか返ってこない。

担任「こら、落ち着きなさい。そんなにいうなら名簿を自分で確認してみるかい」

 担任の教師は名簿を開き差し出してきた。
 急いで飛びつくと名前を確認していく。

紬(た、た、た……、ない)

 次!

紬(ひ、ひ、ひ……)

 ……ない。

担任「気が済んだか? なら落ち着いて席に着くんだ」

 こんなのおかしいよ。おかしい、おかしい、おかしい。
 昨日まではちゃんといたのに、りっちゃんも唯ちゃんも。それがいなくなっちゃうなんて。
 これはなんなの? どっきりカメラ? 誰かの悪戯?
 クラス中みんなぐるになって。そうに違いない。
 と、そこで気付く。皆が自分に向けてくる視線。
 それは明らかになにか異形のものを見るような。
 心の奥まで痛々しく突き刺さる、突き放すような冷たい視線。

紬「……」

 のろのろと席に戻る。
 これは悪夢よ、きっとなにか悪い夢に違いない。すぐに覚めるのよ。
 自分の足の腿を抓り上げる。

紬「痛い」

 ホームルームの終了を告げるチャイムが虚しく鳴り響いた。

 休み時間、もう一度1組の教室に向かった。
 けれど自分のクラスと同じ。力なく1人1人尋ねるも、秋山澪、ましてや
 律や唯の存在を証言してくれる人は皆無だった。

紬(これはきっと何か悪い夢。じゃなかったら私、おかしくなっちゃったのかな)

 それ以上考えることをやめた。
 そうしないと、自分がどうにかなってしまいそうだったから。自身の生存本能がそうさせたのかもしれない。
 自分のクラスに戻っても授業は頭に入らない。ただひたすら頭の中を空っぽにすることに努めた。
 朝の授業が過ぎ、昼休みが終わり、また昼からの授業。
 そして気付くともう放課後だった。

紬「帰ろう」

 携帯を取り出し家に電話を掛ける。

紬「紬です。車をお願い。学校まで」

 一方的に用件だけ伝えると携帯の通話を切った。

紬(帰ろう。きっと明日になれば、全てが元通り。きっと)

 帰りの車の中、運転手の呼びかけにも応える気力はなかった。
 これは現実じゃない、これは現実じゃない。
 呪文のように何度も呟いた。

紬「これは、現実じゃない」

 家に着くと着替える間も無くベッドに倒れ込んだ。
 大きくふかふかのベッド。そこに体が沈みこんでいくのと同じように深く深く眠りに落ちていった。



 次の日の朝。
 いつもと同じように学校へと登校する準備をする。
 しかし手元が覚束ない。それになんだか体が重い。
 いつもより時間をかけなんとか準備を終える。朝食はとてもとる気にはなれなかった。

紬「斉藤、車は用意出来てるかしら?」

斉藤「はあ、一応念のため準備は済んでおりますが、今日はお車で?」

紬「ええ、もちろんよ」

 学校へ向かう車の中、ふと思いついた疑問を問い掛ける。

紬「斉藤。私が車で高校へ通っているのはいつからだったかしら?」

斉藤「お嬢様は入学当初こそ電車で通いになられておられましたが、
    一月もするとまた中学の頃のようにお車で通われるようになられました」

紬「そう、ありがとう。変なことを訊いてごめんなさい」

斉藤「いえ」

 そっか今までのことは全部なかったことになっているのね。
 りっちゃんも澪ちゃんもいなかったから私は軽音部に入ることもなかった。
 そして唯ちゃんに出会うことも。
 中学生の時のようにただ琴吹家の1人娘として生きてきたのね私は。

斉藤「お嬢様?」

 ルームミラー越しに問い掛けてくる。

紬「なに?」

斉藤「なにかございましたか?」

紬「……いいえ、なにも。なにもないわよ」

斉藤「そうですか」

 車は桜高の校門前へと到着した。
 車を降りるとゆっくりと学校の下駄箱へと向かう。
 まだどこか夢見心地。昨日体感したあまりの現実に脳は完全に覚醒しきっていないようだった。
 認めたくない。
 軽音部のみんなは消えてしまったんだろうか。
 ……みんな?
 突如横を通り過ぎる小さな影。
 頭の両側から垂れ下がる長く黒い髪。愛くるしい小さな体。
 忘れようにも忘れられない。放課後ティータイム5人目のメンバー。
 その背中にはギターが背負われている。それはとてもよく見知った後姿。
 2年生になって出来た天使のような可愛い後輩。

紬「梓ちゃん!」

 夢中でその姿を追う。

紬(梓ちゃん! 梓ちゃん! 梓ちゃん!)

 聞いて、ねえ、私とっても怖い夢をみたの!

紬「梓ちゃん!」

 追いつくと後ろから思い切り抱きつく。

梓「きゃあ!」

紬「梓ちゃん! 会いたかったよ、梓ちゃん!」

梓「なにするんですか、いきなり!」

 ドン、と体を突き飛ばされる。

紬「え?」

梓「あ、す、すいません! いきなりだったんでつい。大丈夫、ですか?」

 心配そうに顔を覗き込んでくる。

梓「えっと、リボンの色が、あ、すいません、先輩の方ですか」

 なんでそんな顔するの? 私よ、私。
 いつもみたいに名前を呼んでよ。

梓「あ、でも、先輩だからって」

 ねえ、お願い、「ムギ先輩」って。たった一言いってくれるだけで良いから。

梓「いきなり『知らない後輩』に抱きついてくるのはちょっと常識はずれじゃないかと」

紬「……」

梓「もしかして、人違いとか? あ、すいません突き飛ばしておいて。手、どうぞ」

 差し出された手を無視するように立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。
 あとは覚えていない。


 気付いたら教室の自分の机にへたり込んでいた。
 今、何時間目だろうか。それとも休み時間だろうか。放課後だろうか。
 時間の感覚も麻痺してしまっている。
 ただ周りにいるクラスメイトが各々自由に歩き回ったり、話をしたりしているので
 恐らく授業中ではないのだろうということはわかった。

「あの、琴吹さん?」

 トントンと肩を叩かれる。
 誰だろう。


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