店を出ると既に日が沈み切っていた。

 会計は私が払うと言ったのだが、梓は自分の分だけ払うとさっさと先に行ってしまった。

 薄情者め。

 とぼとぼと家まで帰る途中、携帯を開くと先輩からの着信とメールでいっぱいだった。

 ほとんど数分置きに入っている。

 それを見て、また目頭が熱くなった。

 私は「あした先輩の家に会いに行きます」とだけ書いたメールを送信し、

 携帯を閉じた。




    5

 昨日と同じ姿勢で、私は唯先輩のベッドの上に座っている。

 違いと言えば、今日は服をきちんと着ていること。

 家の玄関まで着くと、チャイムを押してすぐに先輩がドアを開いてくれた。

 休日だったが、他に家族の人はいないようだった。

 きっと先輩が人払いをしてくれていたのだろう。

 私が口を開かないので、室内は沈黙に包まれたままだった。

 先輩の顔も意外なほどに重い。

 彼女には私がもっとひどい顔にみえるはずだ。

 たしょうごまかす手立ては打ってきたが、

 昨日泣きはらした目元は完全には隠せていなかったから。


唯「純ちゃん、昨日はごめんね。」

 先輩は私が喋るのを待っているようだったが、しびれを切らしたのかやがて先に口を開いた。

唯「私、純ちゃんにひどいことしちゃったよね。」

純「いえ……。」

唯「年上なのに、純ちゃんを泣かせちゃうなんて、恋人失格だよね。」

 やっぱり、私が泣いていたことに気づいていた。

 居た堪れなくなって、俯いてしまう。

純「あの、唯先輩。」

唯「うん。」

純「私たち、もう終わりにしましょう。」

 先輩は私の言葉が意外だったのか、短く「えっ」と言った。

 私だってびっくりしていた。

 昨日梓に言ったとおり、別れたくなんてないのに。

 まさかこんなことを言うつもりではなかったのだ。

 でも、一度紡ぎ出した言葉はもう止まらなかった。

純「先輩、私のことなんか好きじゃない、ですよね。もうさよならしましょう。」

唯「純ちゃんのこと大好きだよ!」

純「うそ。」

 膝の上で握りしめた手が、視界の中で震えている。

唯「本当だもん。だから恋人になったのに。純ちゃんのこと好きだから……」

純「私なんか、先輩の恋人にはなれないんです。」

唯「恋人だよ!」

純「じゃあ、どうして!」

 目を上げて叫ぶ。

 椅子から立ち上がりこちらに来ようとしていた先輩がびくりと立ち止る。

 ぼろぼろと涙が出てとまらない。

 私が泣いたってみっともないだけだ。先輩の前では泣かないと決めていたのに。

純「どうして、キスも、してくれないのよぅ……。」

 もう、嫌われてしまってもいい。

 泣き始めたら、なにもかもどうでもよくなってしまった。

 私は疲れてしまった。先輩になにかを期待することも、先輩を好きでいることも。

 愛してもらえないなら、嫌われた方がまし。

純「うう……ぐすっ、ひっく。」

 醜態をさらしているのがかえって清々しいくらい。

 はじめから、私なんかが唯先輩に釣り合うなんて考えていたのがおかしいんだ。

 良い気になって恋人気分でいる私にあなたも辟易してたんでしょう?

 みっともないよね、こんな私。

唯「純ちゃん。」

 両腕で顔を覆って泣いていると、やわらかく抱きしめられた。

唯「純ちゃん、手をどけて。」

純「や、やです! もうほっといてよ!」

唯「おねがい。」

純「いやだ。」

唯「どかしなさいっ。」

純「ふえ!?」

 唯先輩はぐっと腕をつかんで引き下ろすと、いきなり顔に顔を近づけてくる。

 唇に唇がくっついて、

 それから離れた。

唯「…………ぷはぁ。」

 先輩が、キスしてくれた。

 なんで? どうして今になって?

 見ると、先輩は私と同様にボロボロと涙をこぼしていたので、なおさらびっくりしてしまった。

唯「信じてくれた?」

純「……え?」

唯「私と純ちゃんは、ちゃんと恋人だもん!」

 もしかして私がああ言ったから、してくれたのだろうか。

唯「ごめんなさい。純ちゃんが、ひっく……悩んでること、気付いて、あげられなくて。」

 びっくりして涙のとまってしまった私の前で、先輩はしゃくりあげる。

 私の体を強く抱きしめたまま。

唯「私には、おちんちんなんて生えてないから、私、純ちゃんにどんなことしてあげればいいかも、わからなくって。」

純「……ゆい、せんぱい。」

唯「ごめんね純ちゃん。私がばかだから、ゆるしてよお……!」

 先輩の涙を見ながら、胸が引き裂かれるような思いがした。

 先輩がキスしてくれなかったって?

 私自身が、先輩になにかをしてあげたことなんてなにか一つでもあったろうか。

 先輩は、会うといつも抱き締めてくれる。

 話していてもメールをしてても、おかしな話で私を楽しませてくれる。

 おちんちんを見せても、気持ち悪がらずに接してくれた。

 先輩はいつも私のことを考えて行動してくれていたのに。

 ……たとえ、それがすこしへんなやり方だったりしても。

 それなのに、私は先輩がくれるものを求めるばかりで、何もしてこなかった。

 キスしてほしいなんて言ったことなかったのに、

 自分から、キスをしようともしなかったくせに。

唯「ごめんなさい、ごめんなさい。」

 私は、先輩の小さな背に手をまわして抱きしめ返す。

純「先輩、ごめんなさい。私が悪いんです。」

唯「きらいにならないで純ちゃん、私悪いところ、治すから、きらいにならないで。」

純「私は、……」

 そうだ、私は。

 唯先輩と別れたくなんてない。

 唯先輩とずっと一緒にいたい!

純「私は、唯先輩のことが大好きです!」

唯「ぐす……ほんとう?」

純「信じさせてあげます。」

 意を決して、私は涙まみれの先輩に唇を近づける。

唯「……!」



 それはたぶん、私が本当の意味で先輩の恋人になることができた瞬間だった。



    6

梓「――で、わんわん泣きながら抱きあってたらいつの間にか寝ちゃって。」

純「めちゃくちゃなところを、帰ってきた憂に見つけられてしまいました…………」

梓「というわけですか。」

憂「びっくりしたよー。」

 翌週の学校。

 結局、憂にはなにもかもばれてしまった。

憂「帰ってきたら純ちゃんとお姉ちゃんがベッドの上で、」

純「う、うわああああ!」

梓「ベッド!? そこ詳しく!」

憂「あのね、二人とも……。」

梓「うんうん!」

純「や、やめてよおっ!」

憂「えへへー。」

 笑いごとじゃない!

憂「でも、本当にびっくりしたよー。純ちゃんがお姉ちゃんと付き合ってるなんて。なんで教えてくれなかったのー?」

梓「私は知ってたけど、純が黙ってろって言うから。」

純「だって……、憂に受け入れてもらえるか、怖かったんだもん。」

梓「がらじゃないなあ。」

純「なによう。ばかにして、梓のくせに!」

梓「くせにとはなんだ、くせにとは。恩人に向かって!」

憂「私、二人のこと応援するからっ!」

 そうだ。

 私の色々な不安は杞憂で、最初は驚いたみたいだけど、

 憂は私たちのことを受け入れてくれた。

 応援してくれると言うのが、すなおに嬉しい。

純「ありがとー、憂!」

梓「ま、私も今までどうり応援するから。それなりに。」

純「どうして『それなりに』って付け足したの?」

憂「――それにしても、純ちゃんがお姉ちゃんとかあ。」

梓「この子、顔に惚れて付き合ったんだよ。」

純「ちがうもん!」

憂「二人が結婚したら、純ちゃんも私のお姉ちゃんってことになるのかなあ。」

純「け、結婚って……話が飛躍しすぎでしょ。」

憂「でもお姉ちゃんは『将来は平沢純にするー!』って言ってたよ。」

純「ぐ……。な、なんて勝手な。」

梓「先輩らしいね。」

 でも、それって唯先輩が私のこと本気で考えてくれてるってことだよね……。

純「へ、へへへ……。」

梓「なににやにやしてるの。へんなの。」

純「うっうるさいー。……やば、もうこんな時間! 私もう行くね、憂。」

梓「行くって、どこへ?」

純「へっへーん、今日は唯先輩と一緒にお弁当を食べるのです!」

梓「へえ。」

憂「あのね、純ちゃんがお弁当手造りしてくるってお姉ちゃんが言ってたよ。」

梓「それはお熱いことですなー……。」

純「羨ましかったら梓も早く恋人作りなさい! べーっだ!」

梓「はいはい。いいなあ。」

憂「いいねえ。」

 友人二人の羨望の声を背後に聞きながら、

 ――羨望の声、のはずだ。にやにやと面白い子を見つめる目付きじゃなかったはず……

 ――ともかくそんな声を聞きながら、私は廊下に飛び出してあの人が待つ屋上まで走った。


純「唯先輩っ!」

唯「わっ、純ちゃん!」

純「むぎゅーっ!」

 先輩を見つけて、いちばんに私はいきおいよく抱きついた。

純「会いたかったです~! 抱きしめてください!」

唯「えへへ、もう抱いてるよお。」

 いいにおいのする先輩の首元にぐいぐいと顔を押し付ける。

 心臓がどきどきとして、幸福さに体がはじけてしまいそう。

純「にへへ。じゃ、じゃあ、お弁当食べましょうか。」

唯「おお、待ってました! あーん。」

 先輩は私に向かって、ぽかんと大きな口を開けて見せた。

純「?」

唯「純ちゃんに食べさせてほしいなあ、なんて。」

純「はっ、はい!」

 慌てて弁当のふたを開く。

 ……あ、走ったから形が崩れてる。

 でも、ええい、味は一緒だ!

純「どうですか……?」

唯「すっっっっっっっっごく美味しいよ! 純ちゃん天才っ!」

純「よかったー。」

唯「色もきれいだねえ。」

純「すみません、ちょっと崩れちゃいました。」

唯「ううん、すごいよお。このカニさんなんかとっても素敵。」

純「ふふ、カマボコですけど……。」

唯「これからはこうやって、して貰いたいことバンバン言いあうようにしようね。」

純「はい!」

 それが、あのあと私たちの決めたことだった。

純「唯先輩。私、先輩といろんなところにデート行きたいです。服屋さんとか行って先輩の好きな服を知りたいです。」

唯「うんうん。」

純「それから、遊園地にも行きたいです。映画も観に行きましょう。あっ、それから今度二人で楽器屋に行きませんか? 一緒に楽譜とかCDとか……。」

唯「そっ、そんなにいっぱい覚えられないよお。」

純「じゃ、じゃあ! 今ひとつだけ。先輩にキスしてもいいですか。」

唯「あっ、ずるーいっ。」

純「!?」

 え? ずるいって、なにが?

唯「私が純ちゃんにキスしたいのに、先に言われたー。」

純「……ふへへ。」

 まったくもう、先輩ったら。

唯「しよっか。」

純「はい。」

 私は大好きな先輩と抱き合ってキスしてるときがいちばん幸せ。

 それから、好きな人にお弁当を食べさせてあげられて、

 それを褒めてもらえて、それからキスもして、

 デートの約束もしたし、キスもしてもらえて……

 ともかくいっぱい幸せ!

唯「あ、その前に私からもも一つお願い、いい?」

 先輩はもうすっかりその気持ちになっていた私にお預けをくらわせると、

 天使のような笑顔で私に言った。

唯「恋人なんだから、先輩じゃなくて唯って呼んでほしいんだ。」

純「先輩……。」

唯「ノンノンノンノン! 言いにくかったら『唯ちゃん』でもいいよ。」


 ああ、もうこの人は。

 ちちち、と指を振る動作がなんてかわいいんだろう。

 得意げな顔しちゃって。

純「我慢できない! 唯ちゃん、もうキスするからねっ」

唯「わわ、ちょっと待ってよお!」

 私は真っ赤な顔の「唯ちゃん」に熱いキスをする。

 ちょっと怒ってるみたいだけど、いいよね、恋人なんだもん。

 形の崩れたお弁当でも褒めてくるやさしい恋人と、

 恋を応援してくれる親友たち。

 これからもこんなふうに日々が続けばいいなあ、

 と私は思うのでした。



お し ま い




おまけ。
――――

唯「もう、純ちゃん積極的なんだから。」

純「唯ちゃんの顔見てたら我慢できなかったんだもん。」

唯「えへへー、純ちゃあん。」

純「えへへ、唯ちゃーん。」

 知らなかったけど、名前で呼び合えるってこんなに幸せなんだ。

唯「ところで純ちゃん、も一つだけお願い、いいかなあ?」

純「もっちろん。なんでもいいですよ。」

 先輩、じゃなかった唯ちゃんは両手をあわせてなんだかもじもじとしだす。


唯「あのね……、おちんちん、見せてもらえないかなあ、なあんて。」

純「えっ、なんて……。」

唯「おちんちん。」

純「えええええええっ!?」

唯「かわいいおちんちん、見せてよお。」


 これからもこんなふうに、日々が続いて行くのかな……?

 ちょっと変態な彼女と一緒に、幸せな日々が。



こんどこそおしまい!