『二重らせん』


【1部 約束姉妹!】

<唯高校卒業後の3月30日。夜>

唯「ふぃーっ。ただいまー」

憂「おかえりなさいお姉ちゃん」

唯「いやー、やっと一人暮らし先への引っ越しが終わったよ~」

憂「お疲れ様でしたっ」

唯「いえいえ」

憂「ちょうどごはん出来たから一緒に食べよー」

唯「うん。そうしよー」

モグモグモグモグ

唯「うまーい!」

憂「ほんとに。良かったぁ」

唯「憂のご飯はいっつもおいしいねぇ」

憂「そう言ってくれて私とってもうれしいよ!」

唯「憂ってほんとになんでもできるよね~」


唯「じーっ」

憂「どうしたの?」

唯「えへへ。ちょっとごめんよ~」

ツンツン

プニィ

憂「ひゃあぅ///」

唯「う~ん、憂のほっぺは柔らかくてかわいいなぁ///」

憂「もーっ、お姉ちゃんたらっ。仕返しっ!」

ツンツン

プニィ

唯「えへへ」

憂「うふふ」



唯「はぁ……」

憂「お姉ちゃん?」



唯「私、もうダメかもしれないなぁ……」

憂「ど、どうしたのお姉ちゃん? 困ったことがあったら言ってよ。私たち、家族なんだからさ」

唯「大学に入って一人暮らししちゃうと、憂の作るご飯と、一緒に食べる機会が減っちゃうのが、さみしいっ」

憂「……なっちゃうよねー」


唯「私さ、こんなできた妹の、憂と出会えただけで、人生の”運”を使い果たしちゃった気がするよ」

憂「ええっ」

唯「きっとこの後の人生。ダメダメになっちゃうような、そんな気がする……」

憂「大丈夫だよお姉ちゃん! お姉ちゃんがピンチになったら、私が助けに行くからっ」

唯「ホントに! じゃぁその時はよろしくねっ」

憂「うん、任せといて!」


唯「わはー。憂は頼もしすぎるよ~」




【2部 25歳・暖かい冬の日に】


子供の頃の生活は天国だった。


当時は、それに気づけなかったけど、

社会人になった今は、そう強く思っている。



……あの頃の幸せは、もう後の人生では二度とない。

――平沢くん! この書類ミスが多すぎるよ!

――それからっ、あの企画の方はどうなっているのかね?

――そんなこともできないのかっ! 全く君は無能だなっ

――平沢くん! 聞いてるのかね、平沢くん!!


……まただよ。


このハゲ頭の係長は大の苦手だ。

これで何度目だろう。みんなが見ている中で怒鳴ってくる。

尖った言葉を突き立ててくる。


あるギタリストは言っていた。


  人の幸せは誰と出会えるかで大きく左右される


と。


仕事の格言でも”部下は上司を選べない”とあるものの、

この人の下に配属された、自分の”運”のなさを呪いたい。


今勤めてるこの企業は、業界では名前を知らない人はいない、かなりの有名企業だったりする。

売り上げは、業界でトップクラスの水準。学生の時は、そんな会社に就職できたのを、自慢に思っていたんだ。


しかし入社してからは、”地獄”。


給料は様々な名目で天引き。それはまだいい。

だけど”仕事時間を伸ばすより成果を伸ばそう”、という社風で残業代も出にくく、

忙しい時期には休日出勤が当たり前。平時でも、1人1人に課せられた仕事の責任は、重い。

また、有休の消化率も業界で1,2の低さを争う。


……どうして、こんな会社に入ってしまったんだろう。


もっとも、仕事がきついのは下っ端だけの話だ。

役員は話が違う。

平社員の時とは比べ物にならないくらいの役員手当と、役員専用の長期休暇ももらえる。

待遇が全く違ってくる。理不尽なくらいに、例えるなら”掃き溜め”と”鶴”。

……だから、起こる。

仲間を利用してでも出世しようとする、社員同士のつぶし合いが。


他にやりたいことを見つけて退職する人間もいるにはいるが、殆どは社員同士のつぶし合いで辞めていく。

上司は、能力が低い部下には、大量の仕事を押し付け、オーバーワークで潰し、

また、能力が高い部下には、仕事の手柄を奪ったり、小さなミスを過剰に叱責し、精神的に追い詰めていく。

そして誰も助け合わない。この会社ではそんなことが横行している。



入社時には3ケタいた同期も、1人辞め2人辞め、今残っているのは半分ほどになっていた。


確かに仕事もできて、周りから信頼される人間はいる。


だがそんな人間は、この会社では一握り。いや、一つまみと言った方が正しいかもしれない。

労働組合はむしろ、会社による社員の監視機関となって機能していないし、

若手社員同士での横の繋がりもほとんどない。




ここは、灰色の錆しか見えない不毛の大地。




この場所で頼れるのは……自分だけだ。


今日もまた、責任の重い仕事を上から任される。


今回は、特殊な手順が必要な仕事である。しかし、上司からはまともな説明がない。

また、同僚もやったことのない仕事らしいため、誰にも相談できず、独りで詳細を調べて、仕事を進めるハメに。


いまは2月。冬。外では珍しく雪が降っている。

雪がしんしんと降り積もるように、任された仕事が片付かず、やることが上からどんどん積み重なる。

仕事の予定も、仕事以外に立てていた予定も完全にできなくなるだろう。


それでもやるしかない。

「やるしかない」

と自分に強く言い聞かせる。



「どうしてこんなことする理由があるんだろう」

とも思い浮かんだ。それは握りつぶす。


結局、この仕事は定時には片付かない。

他の仕事も押しているため、同時並行で進めていく。

より作業は複雑になり、片頭痛もしてくるが、それでも進めていく。

手と頭で違う処理を行っていくため、ミスが連発していく。

その度にイライラが重なり、気持ちが落ち込み、そしてミスが増えていく。


ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、

ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、

ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、

ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、

ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、

ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、

ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、

ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、

ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、

ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、ミス、



……また、ミス。


筋肉が強張り、赤面し、心臓が不規則にバクバクと鳴っている。


焦燥感と劣等感と胃のむかつきと地団駄と、

上司への反感と同僚への不信感とどうしようもない絶望感と、

それからその他もろもろが、自分の中へ、心の中へ、

マグマのように湧いて出てた、ドロリとしたナニかが、ヘソのあたりに溜まっていく。


それらが胃へ、肺へ、ノドへ、口にまで逆流してきたときに、


「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


と叫んだ。

同時に、一瞬の光景が目に焼き付く。


火山が噴火したかのように、前の席にある同僚の

カメラとファイルが右へ、ワープロが左へ、ペンと消しゴムが上へ、引き出しが奥へと

バラバラと飛んで落ちていくのが、眼球へ印刷された。


最初は理解できなかったが、一秒ほど遅れて伝わってきた右足の感覚で


前の席にある同僚の机を、思い切り蹴り飛ばしていたのが分かった。


机自体はゆっくりとゆっくりと傾き、

ワンテンポ遅れて倒れ、その衝撃でオフィスの床と空気が揺れる。

大きな振動が、鼓膜と左足と、オフィス全体に広がる。




もう一度オフィスが静まり返った時、

「ほんとに何をしてるんだろう」

と自然に口が動いた。


ちょっとした事件だが、

オフィスには、自分以外の誰もいない。いま、それに気づく。

無意識の叫びも、机の音も、誰にも、届かない。


腕時計に目をやると、もう午後10時半を過ぎていた。

とっくの昔に、社員は全員帰っている。



「……ダメだ。もう今日は帰宅しよう」


そう言って、帰る準備をする。

だけどこのまま帰る訳にはいかない。

蹴飛ばしてしまった同僚の机を、片づけないと。


力を入れて、机を立てる。

机全体を見たが、へこみがあったり、引き出しが壊れている様子はない。

心配になったが、どうやらワープロやカメラも、壊れてはいなさそうだ。


机を元あった位置に戻し、機械類もなるべく同じ場所に置く。

明日この机の主、同僚に謝らないといけないな、と考える。


次に、腰を落とし片膝を立てて座り、

散らばった小物類、机の主の筆記具やファイルを集める。


殆どの物は、倒れた机のすぐそばに落ちていたが、消しゴムだけは転がったのか

係長の机の下にあった。

係長の机の下に入り、消しゴムを拾おう。


消しゴムはやや奥まった場所にあったため、床にうつ伏せになってしか取れない。

机の下に入り、冷え切った床に寝転がり、右腕を消しゴムの方へ伸ばす。


腕を伸ばしきった時、人差し指に何か固い感触があったので、それを取る。

目でなく、手のひらで確かめるが、これは間違いなく消しゴムだ。


何かほっとした時、顔のすぐそばの床に水滴があった。


最初は、エアコンか何かから落ちてきた水かと勘違いしたが、

視界がぼやけているのに気づき、これは自分の涙だと悟った……


机の下から這い出て、立ち上がる。

スーツの前、特に右腕のあたりには、床のホコリがたんまりと付いていた。

窓際に移動し、そのホコリをはたく。そして眼鏡を外して、涙を拭う。

……無機質な床の冷たさが、この涙の原因だ。


拾った消しゴムを同僚の机に戻し、ファイルやら小物類も元あった場所に戻す。


最後に引き出しの中を確認したが、それほど乱れてはいなかった。


ただ一番下の引き出しを確認した時に、

  ”辞表”

と書かれた封筒を見つける。……気まずい。

心に電流が流れ、血管が凍り固まった。


完全に片づけが終わった時には、午後10時50分を過ぎていた。

バスで通勤しているが、最終バスの時刻は午後11時ちょうど。

タイムリミットが少ないのが分かり、焦りだす。

一瞬、もうこのまま会社に泊まろうかとも思ったが、


――ダメだ。今すぐ帰れ


という誰かの声が、頭の中に響いた。何だろう、これは?


声に従い、急いで書類を鞄の中に入れ、コートを羽織りマフラーを巻く。

オフィスから出て鍵を閉め、勢いよく階段を駆け下りる。

タイムカードを切り、警備員に挨拶をする。

「すいません。今から帰りますんで」

「はーい。遅くまでご苦労様です」

そしてビルを飛び出した。


ビルの外は……雪。粉雪

見上げると、灰色の空からは、真っ白な結晶が舞い降りてくる。

足元の黒いアスファルトも、その真っ白で埋め尽くされていた。


この時、手袋を自分の机に置いてきたのに気が付く。

風が吹くと、むき出しの顔と手の体温を、やすりのようにガリガリガリガリと削っていく。


外の冷たさが、本当に骨身にしみる。

あまりの寒さに走ることができず、

なんとか歩いて最寄りのバス停に到着したが、完全に午後11時を過ぎていた。

普段ならもう、最終バスは出ている時間。


だが、1人の老人がバスを待っているようだった。

その老人に近づくと、

「どうやらこの雪で最終バス、遅れているみたいです」

「あぁ、そうですか。よかった……」


仕事場から家へのバトンが繋がり、ホッとする。


腕時計を見ると午後11時5分。

天気のせいかわからないが、腕時計の金具と指輪はいつもよりくすんで見えた。


バスは11時8分に到着した。

老人といっしょに乗り込んだバスに、お客はいない。

とりあえず、入り口から一番近い座席に座り、あの老人は敬老席に座る。

それを運転手は確認し、最終バスは走り出した。


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