……

生徒会室はいよいよもって冷え切って、山中教諭は肩を摩っていた。
全く、夏に寒い思いをしなきゃならないなんて、馬鹿馬鹿しい。

「和ちゃあん……クーラー切りましょうよお」

山中教諭はクーラーを睨んで、また批難がましく言った。
生徒会長は、困ったように笑った。

「でも……切ったら暑くなりますよ」

山中教諭は口を開いて、そして何も言わずに閉じた。

暑いなら暑いで、いいじゃないの。
そう、私が言ってもいいのだろうか。

そんなふうに考えてみると、今、少なくとも子供でない自分には、そんなことを言う資格はないような気がして、教諭は少し悔しくなった。
彼女たちなら……軽音楽部の子たちなら、言えるだろうか。

言えるだろうけど、言わないだろうな。

「の……」

教諭が声をかけると、目にかかった前髪を払って、生徒会長は微笑んだ。
山中教諭はそれを見て、なんだか無性に悲しくなった。

かたや、海ではしゃぎ回ろうとする女の子たちがいるのに、こんな風にやけに涼しい部屋で、字のぎっしり詰まったプリントとにらめっこする子がいるなんて。

「……和ちゃん、お茶頂戴」

生徒会長は、夏季休業中だというのに生徒会室に入り浸る教諭を疎んだりはしない。
けれど、教諭は、さわ子は少しだけ、軽音楽部の子たちのようになってみたかった。
それなのに、生徒会長はそれをさせてくれない。

生徒会長は冷えた麦茶を、氷の入ったグラスに注いで、軽く揺らした。
かん、と氷とガラスがぶつかって、高い音を立てた。
部屋が一層冷えた気がした。


「どうぞ」

生徒会長が歳不相応に大人びた笑顔で差し出した麦茶を受け取って、さわ子は目を伏せた。
口をつけて、グラスをくいと傾けると、冷たい水が体を内側から冷やした。

「……おいしい」

さわ子は優しく笑った。
彼女自身、こんな風に笑えるだなんて、思っても見なかった。

「夏は冷たい麦茶ですよね」

小さく首を傾げる生徒会長を見て、さわ子は、こういう付き合い方もありかも知れない、なんて思った。
どっちも必要以上に踏み込まずに、不必要な不快感を与えずに、程よい距離で、無難に微笑むような付き合い方も、いいのかもしれない。

さわ子は諦観か、安堵か、彼女自身も判断がつかないような気持ちを込めて、窓から外を見た。

「あ」

さわ子が間抜けな声を上げた。

窓の外には空があった、雲があった、鳥もいたし、緑もあった。
けれど、冷房で冷やされたガラス窓が、そんな夏の暖かさを完全に遮断していて、さわ子はその明媚な光景を見ても何も感じることが出来なかった。
何かを感じたいとは思っていた。

「……キャッチボールだ」

さわ子は呟くように言った。
生徒会長は窓の外を見た。
生徒会長は、空を見上げては飛行機雲に焦点を合わせ、木を見てはその傍に立てられた、木の名前の書かれたプレートに目を凝らした。

「そうですね」

ビルや、道路や、道行く人を見てから、ようやく彼女はグラウンドの真ん中で、二人の少女がボールを投げ合っているのに気がついた。
少女たちが汗だくなのに気がついて、生徒会長は少し眉を潜めた。

「暑くないんでしょうか」

少し批難がましい口調で言う生徒会長を見て、さわ子は立ち上がり、窓ガラスに手を当てた。
冷たい。不自然なくらいに冷たい。

「でも、ほら、和ちゃん、楽しそうよ」

「そうですね……片方、随分と手を抜いて投げてる感じがしますけど」

生徒会長は頬杖を突いて、つまらなそうに少女たちを見つめていた。
さわ子は、ちらと生徒会長を見て、また、窓ガラス越しに少女たちを見つめる。

「……楽しそうよ、やっぱり」

窓ガラスは冷たい。
まだ夏で、これから秋が来て、冬がくるのに、もうこんなにこの部屋は冷たい。
少し、急ぎすぎていやしないか。

「まあ、そうかもしれませんね」

そっけない生徒会長の口調に、さわ子は寂しそうに笑って、窓ガラスを、一気に開けた。

さわ子は熱気を感じた。
顔にむんとした空気が当たって、額にうっすら汗が滲んだ。
ああ、化粧が落ちてしまうかも知れない、そんなことを思ったけれど、さわ子は楽しそうに笑った。

「暑いわねえ!」

くすくすと笑うと、湿気て重くなった空気が、ゆっくりと、優しく揺れた。
自分でも、まだこんなことが出来るんだ、とさわ子は嬉しくなった。

生徒会長は横目にさわ子を見て、咎めるように言った。

「クーラーつけてる意味がなくなりますよ。閉めてください」

さわ子は生徒会長のほうを見て、くつくつと、次いで、けらけらと笑った。
夏の暑さに、膨張した空気に持ち上げられて、空まで飛んでいけそうな気がした。

「じゃあ、クーラー切りましょうよ。そんで、息抜きにキャッチボールしましょう」

「まだ書類がありますから」

そう断って、生徒会長はぷいと顔を背けた。
その仕草は彼女が自分で思っているよりも、年相応に子どもらしい、さわ子を微笑ませる笑顔だった。

さわ子の子供っぽさに失望する気持ちと、思ったより心地良い夏の暑さにうっとりとするような、懐かしむような気持ちが、確かに生徒会長の中にあった。
夏は少しずつ、生徒会長の体温を上げていった。

「いいじゃないのよ、ちょっとくらい。私キャッチボールしたこと無いのよ、してみたいわ」

すす、と体を摺り寄せて、さわ子は和の耳元で言った。
和はふふ、と息を漏らして笑った。


「壁当てでもしたらいいじゃないですか。一人で出来ますよ」

「壁当て?」

「ええ、壁にボールを当てて、跳ね返ってきたボールを取って、また投げるんです……それの繰り返しです」

さわ子は口を尖らせて、和の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
髪が乱れて、熱い空気が、和の一瞬むき出しになった頭皮を温めた。

「独りでそんなことするなんて、嫌よ。それともなに、年増女はそれで十分だって言いたいわけ?」

早口でまくし立てるさわ子に、和は微笑みかけた。

「なにいってるんです」

さわ子が微笑んで、和も微笑んだ。
二人の口元の動きが完全に一致して、口から漏れでた息が部屋の温度をまた少し上げたとき、ごん、と低い音が生徒会室に響いた。
窓ガラスが揺れている。

「なにかしらね?」

そう言って、さわ子は窓際まで歩いていき、身を乗り出して外を見ると、大声で笑った。
腰を曲げて外から何かを拾い上げ、和に見せた。
大きめの、真っ白なボールだった。

「ふふ、ラッキー、って感じね」

さわ子は手首だけでボールを宙に投げて、また手に収めた。
和は、窓の外に、二人の少女が走ってこちらへ近づいてきているのを見た。
さわ子が大きく手を振ると、片方の少女が、大きくグローブをはめた手を上げた。


和は見た。
さわ子の細い、長い腕が、質量はそのままに体積だけ大きくなった、薄い柔らかい夏の空気を纏って、しなった。
ふっ、と高い音がなった。ぱん、と綺麗な音が響いた。
ボールは相手の胸元に真っ直ぐに届いた。

和は聞いた。
さわ子が、小さくガッツポーズをして、小声で呟いていた。

「やった!」

和は見た。
さわ子の長い髪の間に見える額には、一滴の汗が浮かんでいた。
強すぎる太陽の光を、ぎらぎらと反射させていた。

「あ……」

和は聞いた。
自分の声と、高い電子音を。
クーラーの断末魔、熱気の勝鬨、僅かな間だけ、誰もが子供に戻れる、暑い夏の日の始まりを、聞いた。

和は感じた。
自分の右手は知らぬ間に冷房のリモコンに伸び、その電源を切っていた。
腕に浮いた汗は我先に蒸発し、和の体温を下げようとしていた。

それでも、さがらない。

「和ちゃん……やっぱり、楽しいわよ?」

さわ子が小さく首をかしげた。
そのまま、言葉をさがすように窓の外へ目を遣った。

和は見た。
まだ少しだけ形を残している飛行機雲が溶け出していく先には、真っ青でだだ広い空があった。
木には蝉が、青葉が、そしてもしかしたら、眼に見えないほど小さい何かが、地中にいる何かが、一生懸命に夏を謳歌していた。

和は麦茶を飲んだ。ぐい、と一気に。
それでも下がらない、彼女の体は火照るばかりだ。

「そうかも、しれませんねえ」

和は小さく息を吐いて、微笑んだ。
さわ子は嬉しくなって、ついつい、強引に和の手を引いて外へ出た。

「ちょっと、あぶない、ですって!」

そう言いながらも、和は分かっていた。
自分の体から汗が滲んで、その汗が気化するまで、体温はどこまでも上がり続ける。

きっと、もっとずっと。


「あれ、和ちゃ……さん……汗だくだ」

純の投げたボールを取って、憂は、急に走ったせいで肩で息をしている和に声をかけた。
隣では、さわ子が、こちらも息を弾ませて、けれどげらげらと可笑しそうに笑っていた。

「はあ……ふう。ねえ、憂、私たちも混ぜてもらっていいかしら?」

純は少し眉を潜めた。
けれど、憂が楽しそうなのを、そして、少し引き締まった余所行きの顔をしているのを見て、安心した。
それで、憂の代わりに純があっけらかんと答えた。

「どうぞどうぞ!」

和とさわ子がグローブを用意して、それから彼女たちはずっとボールを投げ続けた。会話をし続けた。
日が傾いて、夕陽を受けた雲がやけにぼやけて見える頃になって、さわ子が笑って言った。

「うふふ、年甲斐もなくはしゃいじゃったわねえ」

そのときになって、和は、もう今から明日の早朝にかけて、気温は下がっていくしか無いことに気がついた。
憂も同時にそれに気づき、不安そうに純を見つめた。


「そうですね……うん、そうですね」

和はグローブを外した。
蒸れた空気は外気に侵食され、あっという間に彼女の汗は乾いてしまった。
けれど……けれど、体温が下がりきるまでには、まだもう少し時間があるから。
さわ子は和の、そして自分自身のための言葉を探した。

明日も明後日も、きっと楽しいよ、なんてことを、もっと優しい確信に満ちた響きで伝えられるような言葉だ。

「……あ、」

答えは見つからず、憂も泣きそうな声を出して、グローブを外した。
そのとき、純は、大丈夫、きっともう少し素直に甘えられるようになるよ、なんてことを憂に伝えようとは、これっぽちも思っていなかった。
ただ、あの面白い漫画を思い出して言ったのだ。

「そうだ、合宿がしたいんだった!」

しばらく沈黙が流れて、哄笑がそれを粉々に砕いた。
冷え始めた重たい空気を、力強く揺らして、そこに熱を生むような笑い声は、哀愁を帯びた夕陽には中々溶け込まなかった。

「なにさ」

純が口を尖らせた。
彼女の笑顔もいつもより少しだけ暖かかったように、憂には思えた。



                :ハ_ハ:ハ_ハ:.
                :(;゚∀゚)゚∀゚;):  ヒィィィィ 夜がキタ──!!
                :(´`つ⊂´):..
                :と_ ))(_ つ:

たのしいにちようび と とうか
                ┼ヽ  -|r‐、. レ |
                 d⌒) ./| _ノ  __ノ



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