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それから毎週日曜日、和ちゃんとの勉強会を開いた。
……開くことになっていた。
「最低でも、軽音部が終わるころには今の私ぐらいの偏差値になっておきなさい」
「それで間に合うの?」
「間に合わせるわ」
強い口調でぴしゃりと言う。
和ちゃんらしくなかった。和ちゃんならもっと真剣に考えてくれる。
たとえ結果として私に辛辣なことを言うことになっても、
私のためを思って助言してくれる。和ちゃんの好きなところのひとつ、なのに。
「ねえ、和ちゃん……」
不安が波のように、時折引きながら寄せてきて、だんだんと近付いてきた。
「わたしが和ちゃんの大学についていくの……いや?」
訊いてはいけないことだったかもしれない。
和ちゃんの顔が、ちょっぴり凍る。
でも、もう言葉に出してしまった。
告白もこんな風に言えたらいいのにな、と場違いなことを考える。
「……うれしかったわ。唯がついてきてくれて」
「……」
喜べない。
これは和ちゃんの話の、前置きにすぎないと分かるから。
「でも、なんていうか……決して、唯が嫌いって訳じゃないのよ?」
「ただ唯は……軽音部に入ってから、変わったと思うから」
和ちゃんは大きく息を吸う。
「私ね。今まで私は、唯のお母さんみたいな存在だって自分を思ってたの」
「……澪ちゃんも言ってたよ。お母さんみたいだって」
「だけど、軽音部に入った唯を見ていると、違ったかなって思うの」
「違う?」
「私は唯のお母さん……お母さん代わりにもなれないし」
「なる必要なんて、なかったかなって」
「和ちゃん……? よく意味がわかんないよ」
おかしい。
和ちゃんを全力で追いかけているはずなのに、
その姿は私のほうを向きながら、ぐんぐん遠くへ飛んでいってしまう。
「気持ちとしては、娘を嫁に送ったような感じだったの」
「ちょっとした寂しさと、よろしくお願いしますって気持ち」
和ちゃんは悲しげな目をしていたけれど、やっぱり笑った。
「唯はね……軽音部にもらわれたんだと思うから」
「律と、澪と、ムギと。同じ大学を目指すべきなのよ」
胸の奥から、強烈な衝撃がつきあげてくる。
心臓の鼓動に、肩まで揺らされた。
「……和ちゃん」
あぁ、だめだよ。
今言うことじゃないよ、言わなきゃって思っちゃったのはわかるけど。
頭のどこかから、私の声で警告が聞こえる。
「そんなの和ちゃんの勝手だよ。私はそんなのやだ」
「やだって……」
「やだったらやなの! 和ちゃんと離れるなんて絶対いやっ!」
「唯、どうしたの?」
ばか、和ちゃん。それを訊いちゃったら。
「……和ちゃんが好きなのっ!」
「ずっと昔から、ずっとだよ! 私は和ちゃんのこと、小学校のときから……」
和ちゃんの顔がみるみる固まっていく。
「ねぇ覚えてるでしょ、小学校の修学旅行の夜」
「わたし、和ちゃんが好きって言ったよね。あれがほんとの気持ち。天然ボケなんかじゃなかったよ」
わかってる。
こんな勢いに任せて言っちゃいけないことだって。
だけどもう、止まれない。
理由のわからない涙がぼろぼろあふれてくる。
「女の子同士だから、おかしいって思ったけどっ……好きなものは好きで、わたしっ」
「和ちゃん、好きっ、ずっと好きだったの、だから……」
「母親なんて言わないで……私を勝手に見はなさないで!」
にじんだ視界の中、和ちゃんを探して抱きついた。
春服の下の胸が、ぎゅうっと潰れる。
「ずっといっしょだって、約束したじゃん……」
和ちゃんの心臓の音が聞こえる。
私の鼻が鳴らす雑音が邪魔だった。
和ちゃんの胸に顔を押し付けたまま、時間が過ぎる。
言葉の氾濫はおさまったみたいだった。
「……ずっと」
やがて、和ちゃんは静かに言った。
「?」
「ずっと友達だって、言ったのよ」
「……」
「無理よ、唯……わたしは」
「唯をそういう風に見たことがないし、これからも見れないわ」
「……ごめんなさい」
わたしが最低でも6年いだいた想いは、
1分とたたず、うち砕かれた。
「そっか、そうだよね」
私はそっと和ちゃんをつかまえていた手を外して、座りなおす。
和ちゃんの服に広がった涙のしみを見て、きっと大した悲しみではないと思うことにした。
「ごめん、おかしなこと言って……」
「……ちょっと、一人にさせてくれない?」
「……」
「お願い」
「……じゃあ、勉強会は中止?」
「そうだね。ていうか、もういいかも」
「一緒の大学行ったって、いつか和ちゃんが離れちゃうなら、もういい」
「……」
「好きになんなきゃよかった……」
「……そんなこと、言ったらだめよ」
テキストを集めてかばんに入れて、和ちゃんはすっと立ち上がった。
「また明日ね、唯」
和ちゃんはそう言って、部屋を出ていった。
私は床に耳を付けて、離れていく和ちゃんの足音をわざわざ聴いた。
「……」
終わっちゃった。
のんびりしてたら思った以上に終わりが近づいてて。
それで焦ったら、あっという間に何もかも終わっちゃってた。
どうするのが、正解だったんだろう?
この問題だけは、和ちゃんにも解けないな、って思った。
――――
「朝令暮改ですか!?」
翌日、月曜日の軽音部にて、あずにゃんが私の知らない言葉を叫んだ。
「3日もたなかったな……」
「まあ唯にマジメキャラは向いてなかったって事だ!」
「嬉しそうだな、律」
「でも、よかった……」
ムギちゃんが胸をなでおろす。
「ムギ先輩?」
「唯ちゃんが勉強しようとしたのは、和ちゃんと同じ大学行くためでしょ?」
「う、うん……無理だって言われて、諦めちゃったけどね」
「でも私や澪ちゃんは、和ちゃんのK大とは志望校違うし、目指すのも厳しいから……」
「これで唯ちゃんも、一緒の大学来れるわよね?」
ムギちゃんはにこっと笑った。
「あ……」
「おう、私も澪とムギと一緒の大学行くぞ!」
慌てたようにりっちゃんが割り込んできた。
「今きめたでしょ、りっちゃん?」
「だ、だってさぁ!」
「まったく……」
仕方ないな、という感じの笑い。
でも、心の奥では。
……なんだか、和ちゃんの言ったことが、わかったような気がした。
「いいじゃん。りっちゃん、みんなで一緒の大学目指そうっ!」
「うんっ」
みんなで頷き合う。
そうだ。こうして、友達の中にいるのが、いちばん良いんだ。
もしかしたら和ちゃんは、はなから私の気持ちに気付いていて、
ああいう忠告をしたのかもしれない。
そもそも、本人の前で好きって言っちゃったことあるもんね。
「それじゃ……」
「ティータイムにするか」
「律先輩、このタイミングでそれ言えるの逆にすごいと思います」
「冗談だっつの」
そうだよね。
きっと、こんな時間が好きなだけだったんだ。
――――
「……」
「……」
「家まで送るわ、唯」
「うん、ありがとう。和ちゃん」
「……なんかあっけなかったね」
「卒業式? そうね、卒業証書もクラス代表が受け取るだけだものね」
「中学の時は泣いちゃったけど、今年はなんだか……」
「空っぽな感じが、ずっと続いてた」
「虚無感ね。寂しいのよ、唯は」
「んー、やっぱりか。わかってはいたんだ」
「寂しいのは、やっぱり……和ちゃんが遠くに行っちゃうからなのかな」
「……まだ、好きなの?」
「わかんない。そういう気持ちをなくそうとはしてる」
「……忘れられたらいいわね」
「うん。それがいいって思うよ」
「……」
「……あ、公園」
「昔、よく遊んだわね。砂場の砂、みんな外に出しちゃって怒られたかしら」
「あの時はほんとすみませんでした」
「いいのよ。子供の頃のことだし」
「……子供のしたことなら、許せる?」
「?」
「私が和ちゃんを好きになったの……子供の頃のことだけど、許せる?」
「……唯に好きになられて、怒る人なんていないと思うけど?」
「……和ちゃんって、ほんとにばか」
「ええっ?」
「そんなこと言わないでよぉ……またぶり返しちゃったじゃん」
「……熱か風邪みたいな言い方ね」
「はぁ、もう……」
「難儀な人を好きになったよ……いろんな意味で」
「はあーぁ……」
「……唯、歩くの遅くなってるわよ」
「……だって。もうそろそろ、家に着いちゃうし」
「……」
「……」
「ねぇ、和ちゃん」
「なに?」
「……すき、だよ」
「唯……」
「でも。私が和ちゃんをすきなのは、今日までにする」
「今日からあなたは、私の愛した和ちゃんではなく、ただの幼馴染の和ちゃんなのです」
「……」
「……ねえ、眼鏡はずして?」
「あのころの和ちゃんの顔になってくれないかな」
「和ちゃんが、私の親友だったころの……」
「……ええ、いいわよ」
「……」
「……うん、そう」
「なつかしいね。卒園式の日も、こうだった」
「隣にお父さんとお母さんがいたけれど、和ちゃんが送ってくれて……」
「純粋だった。恋を知らない子供だったんだよね」
「……」
「和ちゃん。送ってくれてありがとう」
「もういいの?」
「うん。あ、眼鏡はそのままで」
「……じゃあ、ここで見送ってるわ」
「ん。じゃーね」
「ええ。さよなら、唯」
ありがとう、和ちゃん。
私の気持ち、もういっかい幼稚園からやり直すから。
今度は間違わないようにするから。
そしたら――また、出逢おうね。
おしまい
最終更新:2011年01月27日 00:32