「ねえ、和ちゃん」
「なあに、唯ちゃん?」
「小学校いっても、ともだちでいようね!」
「うん、友達だよ!」
「にへー」
「えへへっ」
「……ありがと、和ちゃんっ」
…
「和ちゃん、和ちゃん」
「どうしたの、唯?」
「どうしたのって、今日で小学校も終わりだよ」
「そうね。春から中学生だし、頑張らないといけないわね」
「うん。だから……」
「?」
「……こ、これからもよろしくねっ」
「ええ。ずっと友達よ」
「……」
…
「もう中学も卒業ねぇ……」
「……」
「唯、まだ泣いてるの?」
「そうじゃないんだ。んっと、その……」
「……?」
「う……うっん、なんでも、ない……」
「やっぱり泣いてるじゃない。……あ、学校に好きな人がいるって言ってたものね」
「……」
「元気出しなさい。また会えるわよ」
「そう、だけど……ごめん、ねっ。和ちゃん……ありがと」
――――
きっかけなんてなかった。
いや、もしかしたら在ったのかもしれないけど、
私はそれをはっきり見ようとしていなかった。
無意識に知らないふりをしていた。
だから……気付くのが遅くなってしまった。
恋という言葉が、私の気持ちにあてはまることを知ったころには、
この気持ちは私の死角でふくれあがっていて、潰しきることなんて不可能になっていた。
小学6年生のとき。
修学旅行の夜に、みんなで夜更かしをしておしゃべりをした。
ひっそりとした雰囲気が逆に開放感をさそって、話題は男の子たちのことに向いていった。
私は話についていけないながらも、みんなと一緒に歓声を上げたりしていた。
「唯はさ、誰が好きなの?」
誰だったか忘れたけれど、大人びた髪の長い子がそう訊いてきた。
当時の私に、自覚している「好きな人」なんていなかった。
かといって、ここまでみんな赤裸々に自分の好きな人を話していて、
自分だけ「好きな人はいないよ~」で流せる感じでもなかった。
「唯の好きな人は気になるなー」
「実はけっこう昔から好きな人いたりして?」
にわかに場も盛り上がって、ますます逃げ場が狭まる。
適当にでっち上げて、別の人に代わってもらおう。
誰の名前を出すか、迷いはしなかった。
「私はねー、和ちゃんが好きだよ」
さらりと口から滑りでた、即席の好きな人の名前が耳に届いて、
夜更かししすぎでちょっと眠たくなっていた私の頭が突然冴えた。
唖然とした顔で、みんなが私を見ていた。
しぶしぶ会話に参加していた和ちゃんも、ちょっと真剣な顔で私を見つめている。
今、私はなんて言ったのだろう。
「ゆ……」
和ちゃんの口が動いたと思った瞬間、
部屋に押し殺したような笑いがあふれてきた。
「ばっか、唯……くふふふっ」
「好きってそういう意味じゃなくてね、あははっ」
「ちょっとミカ、うるさいってば」
「うひっ、ごめん」
「あ……あははー」
別のことを考えていて、笑われた理由もよく分からないまま、
私は頭を掻いてみせた。
なんで和ちゃんの名前が出たのか。
好きな男の子の名前を言うんだっていうのは、ちゃんとわかっていた。
「……」
ああ、そうだ。誰の名前を言うか考える時間をもうけなかったから。
だから真っ先に、和ちゃんの名前がでてしまったんだ。
「あれぇ、和ちょっと照れてない?」
「びっくりしただけよ」
私は大人びた子にのしかかられている和ちゃんの顔を見た。
迷惑そうにしながらも、笑ってはいた。
その笑顔が見れなくて、私は枕にうつぶせた。
好きな人の、恋してる人の名前を言うんだって分かってたのに、
どうして和ちゃんの名前を言ってしまったのか。
その答えが分かるだけに、私はもう泣きだしたい気持ちだった。
いつもの天然だった、と振舞う気力もでない。
「ごめんねみんな、私もう寝るよ」
「あっ唯! まだ好きな人言ってないでしょ!」
言ったよ、と心の中でつぶやきながら、私は頭まで布団をかぶった。
それからどうなったか、私は知らない。
和ちゃんの顔ばかりがまぶたの裏に浮かんで、声が頭の中に響いて、
私がどれだけ和ちゃんを好きか思い知らされていたら、いつの間にか窓から朝日がさしていた。
みんなの中で一番に起きた私が最初に思ったのは、
和ちゃんも相変わらず寝相が悪いなという、のんきなことだった。
それ以降、特に茶化されることもなく、
私はじっくり和ちゃんに対する恋心に向き合うことができた。
誰にも相談できなかったけれど、きっと自分は間違ってないと信じて、
卒業式の日に告白することを決意した。
でも、結局勇気が出せずに言えなかった。
ふられたら、友達でいられなくなっちゃうんじゃないか。
その恐怖が、最後の一言を押し込めてしまう。
家に帰ってから自分の情けなさに泣いて、中学の卒業式こそはと強く決意した。
そして3年後、もう一度勇気を出してみたけれど、また言うことはできなかった。
和ちゃんと一緒の高校に行くことが決まっていたから、
まだ時間はある、なんて軽い気持ちでいたんだろう。
甘かった自分を、殴りつけてやりたい。
「え?」
ある日ふいに和ちゃんが言った言葉は、私の心を穿った。
すかすかと、体を風が通っていくようだった。
「志望校よ。唯は決めたの?」
「和ちゃんは決めたの?」
「ちょっと上過ぎるかとも思うけど、K大かしらね」
和ちゃんから知らない大学の名前を聞いて、
空っぽの胸が焦りのうねりを呼び込みだした。
「……それって、どれぐらいの大学?」
「そうね……たぶん、唯でも1年じゃ無理だと思うわ」
和ちゃんが、泣き笑いのような顔をする。
「……なんで」
「そんな今さら言われても……わ、わたし……」
私は首をふる。和ちゃんが悪いんじゃない。
「……ごめん。けど、えっと」
「唯は私と一緒の大学がよかった?」
「……」
無口な子供みたいに、黙って私は頷いた。
「じゃあ、一緒に勉強しない?」
「……間に合うの?」
「やってみないと分からないわよ」
さっきと言ってることが矛盾してるけど、私は迷わずに和ちゃんの手をとった。
「お願い和ちゃん、勉強教えて!」
「ええ、いいわよ」
和ちゃんは、優しい笑顔で頷いてくれた。
「でも、まずは軽音部が落ち着いてからね」
「えぇっ?」
1年で間に合わないと言われたのに、部活を引退してからじゃ3ヵ月もないはずだ。
「まさか既に浪人確定って言いたいの……?」
「そうじゃないわよ。ただ……」
和ちゃんは頬を掻いた。
「唯が最後の文化祭、全力でやれないのは嫌だから」
「和ちゃん……」
「今まで唯が最後までやり通した事って少ないでしょ?」
「だから軽音部くらい、最後までやってほしいのよ」
「……」
わかった、と簡単に頷くことはできなかった。
部活といっしょにやって合格できるほど、和ちゃんと目指す大学のレベルは低くないだろう。
「もちろん、時間のあるときは常に勉強ね」
でも和ちゃんが私たちのライブを見たいって言うなら、
浪人くらいしたって構わない。
「うん、軽音部も勉強も、どっちも頑張る!」
「応援するわ。……日曜は部活休みだったわよね」
「そうだけど」
「じゃあ、唯の家で勉強会ね。高1の範囲から片づけていくわよ」
和ちゃんの目が本気だ。
忙殺という言葉があるけど、本当に死ぬかもしれない。
高校受験の時も似た感じになったけど、今度は部活もやりながら。
「……わかった、準備しとくね」
和ちゃんをがっかりさせないように、頑張らないと。
――――
土曜日になって、部活での練習の機会を増やすことを提案した。
家で練習する体力がなくなる分を、部活に持ち込もうというわけだ。
「唯が真面目になったぁ……」
なんてりっちゃんは嘆いていたけれど、結局は賛同してくれた。
部長として、最後の学祭ライブを成功させたいのだろう。
和ちゃんもりっちゃんも裏切れない。
ものすごいプレッシャーを感じたけれど、
なぜだか少しだけ、楽しいと思った。
きっと、これからの苦しい日々の先に、和ちゃんが待っているからだろう。
……でも。
和ちゃんはそこで待ってくれているだけで、いつまでも私と同じ道を歩んでくれるわけじゃない。
大学は別になるかもしれない、なんてことになって今更そんな当たり前のことに気付いた。
だったら、私はどうしたらいいか。
そんなの、決まっている。
高校に入ったばかりのころ、事実婚という言葉を知った。
同性同士とか、法律的に結婚できない人達がそれでも結ばれるための手段。
「私たちは結婚した」と宣言して、同棲して、一生を共に過ごすのだ。
和ちゃんとそれができたら。
いつか別の道を歩み出す日は、やってこなくなる。
じゃあ、和ちゃんとその事実婚というのをするためには?
卒業式では遅すぎる。そしたらまた、私は勇気を出せずに言うチャンスを逃してしまう。
あんな情けない思いを二度としないためにも、
そして和ちゃんがどこかへ行ってしまわないために、
いつでも和ちゃんにこの愛を伝えられるよう、準備しておこう。
最終更新:2011年01月27日 00:31