「和ちゃん、一緒に帰ろうよ」

放課後、幼馴染が、昨日よりは少し真面目な顔つきで私に言った。
私は、言いようのない快感を覚えながら、吐き捨てるように言った。

「勉強するなら、参考書を買ったほうが早いわよ。それに、私今日も生徒会室に行くから」

幼馴染は絶句していた。教室を出る寸前に、友人と談笑していた立花さんが、私を見てため息をつくのが見えた。


「ねえ、和ちゃん」

段ボール箱を漁りながら、先生が言った。
生徒会室には、二人きり。私と先生が、二人きり。

「和ちゃん、昨日みたいにしてたほうが格好良いと思うんだけど、周りにバレたら嫌なのよね?」

そうですね、と私が答えると、先生は笑った。

「勿体無いわよね。女子高なんだから、きっとモテモテになるのに」

なにをくだらないことを、と言って、私は一心不乱に段ボール箱を漁った。
ひととおり捜すと、また、となりの準備室から別のダンボールを持ってきた。

「ないわねえ。ていうか、もっとちゃんと年代別に分けておくべきよね」

段ボール箱には、ごちゃごちゃと、新旧さまざまな年代のアルバムが入っていた。
同じものがいくつも入っていることもあった。
なんとなしにその内の一冊を開いて、先生は言った。

「ねえ、卒業したあとも付き合う友人って、どれくらいいるのかしらね」

私が答えかねて黙っていると、先生は続けた。

「物理的な距離って大事よね。心のなかの相手の像が更新されないままだと、多分、相手とうまくいかなくなるものね」

「案外、更新されないほうが上手くいくこともあるかもしれませんけどね」

私が言うと、先生は、私の頬を人差し指でつついた。

「なによ、私に反対するって言うの」

言葉とは裏腹に、先生はとても楽しそうだった。適当に取り出したアルバムを開きながら、私は言った。

「この人たち、仲よさそうに肩を組んでますね」

「そうねえ」

「きっと楽しいことがたくさんあったんでしょうね。多くの時間を共有しているから、こんな風に笑うんでしょう」


「そうかもね」

「もしかしたら、二人の関係はここで完成しているとは思いませんか。これ以上一緒にいても、劣化するだけだと」

先生は長い髪の毛を指に絡ませながら、私を見つめた。
長いまつげに隠れて、その瞳に何が映っているかは分からなかった。

「互いに、互いにとっての最高の相手の姿を、心のなかに描いているとは思いませんか。
 これ以上相手のことを知っても、その完成された絵に、蛇足を加えるだけだとは、思いませんか」

言葉を続けようとする私の唇に、人差し指を当てて、先生は笑った。

「唯ちゃんと、なにかあったのかしら?」

別に、と私が首を振ると、先生は、嘘つき、と言って、また笑った。

「だって、別に私と和ちゃんはそんなに仲が良いわけでもないのに、そんなに深く語っちゃって、不自然よ」

私が黙りこむと、先生は一人で勝手に納得して、言った。

「まあ、いいけどねえ。ここで私がしつこく訊くのも不自然だしね」

私は、先生の髪の毛に手を伸ばして、撫でた。
先生が不思議そうな顔をした。

「なに?」

「いいえ、ただ、先生の髪は綺麗だと思って」

先生はちょっぴり照れて、そうかしら、と口篭った。
それから不思議と不快ではない沈黙が流れた。
沈黙は、私たちが捜索をやめて別れるまで続いた。
先生と私は、帰る前に、互いに微笑んだ。


そんなこんなで、テスト期間中、私たちはずっと生徒会室を漁り続けた。
正直、ここには写真なんか無いんじゃないかと思ったが、どういう訳か、先生も毎日生徒会室に来た。
幼馴染はずっと不機嫌だった。私はそれを見て、嬉しく思い、哀れに思った。
彼女はなんと愚かなのか。


「ないかもしれないわねえ」

テスト当日、その日もしつこく生徒会室に通って段ボール箱を漁っていると、先生が残念そうに呟いた。
私は、慌てて言った。

「まだ、分からないじゃないですか。探せばきっとありますよ、頑張りましょう」

先生は苦笑して、よく通る声で言った。

「あのね、私にとっては無いほうが良いのよね。そこのところ、忘れてないかしら」

私はただ、肩を竦めるしかなかった。先生は続けた。

「明日でテストも終わって、明後日からは生徒会の活動も再開するだろうし、写真探しは明日でおしまいね。
 明日見つからなかったら、和ちゃんの写真、消しておくわね」


それから、先生は生徒会室を後にした。
先生の背中を見て、私は、思った。

昨日までは、今日より一時間は長く一緒にいたのに。
写真が、写真が見つかりそうになかったら、一時間も、一緒にいる時間は減ってしまうのか。
明日が過ぎれば、私たちが一緒にいる時間は、それこそ、ゼロになってしまうのではないか。

私は同性愛者ではない、けれど、その日は遅くまで生徒会室に残って写真を探し続けた。
写真は見つからなかった。


「和ちゃん、今日のテストの出来は、さぞかし良かったんだろうね?」

定期試験の最終日の放課後、私が生徒会室に向かおうとすると、幼馴染が刺々しく言った。
相手をしている暇は無いというのに。

「ごめん、唯、私生徒会室に行くから」

私がそう言って、彼女の隣を通りすぎようとすると、彼女は私の腕を掴んだ。
まだ教室に数名の生徒が残っている中、幼馴染は震える声で囁いた。

「変だ……おかしいよ、和ちゃん……どうしてかまってくれないの、私のこと」

私が、彼女の力を奪うような、辛辣な言葉を吐く前に、立花さんが唯の頭に手をおいた。

「駄ぁ目だよ、お母さんを困らせるようなこと言っちゃあ」

幼馴染は黙って私の腕を放し、知らない、と呟いて教室を出て行った。
立花さんが、怒ったように私に言った。


「もう少し優しくしてあげてよね、唯、ちょっとグレちゃうよ」

私は彼女を横目に見て、教室を出た。
振り返って、彼女に言った。びっくりするほど明るい声が出た。

「知らないわよ、そんなの」


「写真、ないみたいねえ。よかったよかった」

ちっとも良くない。私は、満足した様子の先生を見つめた。
その仕草に、少しでも、残念がる様子を見つけたかった。

「まだ、確認してない段ボールはありますけど」

嘘だ。もう全てのアルバムを確認した。一冊一冊、隅から隅まで。

「うーん、しかし、まあ、そんなところにあるのは、そう簡単に見つからないでしょ」

事もなげに言う先生が憎らしかった。
相変わらず綺麗な髪の毛が、しなやかな指が、憎らしかった。

「ふふっ、それとも、単純に私と一緒にいたいから、そんなことを言ってるのかしら」

私は、透き通るような先生の瞳を見つめて、首肯した。
不思議と、赤面はしなかった。くつくつと笑って、先生は言った。

「可愛いんだ、和ちゃん。でも、駄目」

それから、人差し指で、つん、と私の額を突いて、先生は立ち上がった。


「ごめんね、和ちゃん、バイバイ」

私は一人残った生徒会室で、携帯電話をポケットから取り出した。


「はぁ?さわちゃんの写真?」

髪を上げたカチューシャの女の子が、怒ったように言った。
私が彼女を呼び出した教室には、他に誰もいない。

「そう、持ってるでしょ。できたら、譲って欲しいのだけれど」

私はなるべく柔らかい物腰で話を切り出したが、彼女はハナから喧嘩腰だった。

「そんなことよりさ、なに、和、唯と喧嘩でもしたわけ?」

特に思い当たるフシもなかったので、私は首を横に振った。

「そんなことないと思うわよ。それより、写真は譲ってくれるの、くれないの?」

彼女は、苛立ったように頭を掻いた。

「なにもないことはないだろうに、現に唯があれだけ苛立ってるんだからさ」

「アイスでも食べ損なったんじゃないの」

私が茶化して言うと、彼女はいっそう苛立を募らせたようで、ああもう、と声に出した。

「和、あんまりふざけるなよ。真面目な話なんだ、さわちゃんの写真とかどうでも良いだろ、今は」

不思議な感覚がした。

「唯さ、泣き出しそうだったぞ。昨日も、さっきも、和が相手してくれないっつってさ」

多分、キリスト教徒が、異教徒を弾圧するとき、程度は違えど、今の彼女と同じようなことを言うんだろう、
そんな、不気味で、腹立たしく、また、笑い出しそうに可笑しな感覚がした。

「部活で、今までよりは一緒に入られる時間も減るんだしさ、テスト期間くらいは一緒にいたい、って感じだった」

彼女たちは、私の幼馴染を物事の中心に捉えている。
中心に、私の幼馴染がいて、そこから一本のびる、細い線で繋がっている私がいて。
その細い線が切れかかっていることが問題だと思っている。

「唯は、べつに和に勉強を教えて欲しいわけじゃないんだよ、一緒にいたいってだけでさ」

なんと愚かなことか。この娘も、立花さんも、私の幼馴染も。
私の周りにあるものには、目もくれようとしないのだ。
自分たちを主人公の位置に置いて、脇役である私が、何を頑張ろうと、知ったことではないのだ。
私の行為は、全て私の幼馴染のために為されるべきだ、とでも考えているのだろうか。

「だから、まあ、あんまり唯に冷たくしないでやってくれよ」

「で、写真は?」

私が間髪入れずにそう言うと、彼女は今にも私に殴りかかりそうな表情で言った。

「だから、今はその話をしてるんじゃないだろ」

「私はその話がしてくて貴方を呼んだんだけどね。まあ、いいわ、あなたがしたい話をしてあげましょうか」

私は腰に手を当てて、少し体を傾けた。
重心をずらすと、そばにあった机に座ることとなった。
さわ子先生が、格好良いと言った、あの、どこか気だるそうに見える姿勢で、私はカチューシャの女の子に言った。

「唯は、私と一緒にいたいの、そう彼女が言ったの?」

流し目に彼女を見ると、彼女は、普段の像からかけ離れた私の姿に、心底驚いているようだった。
私はさわ子先生のことを思い浮かべて、苦笑した。

「言ってないよ、でも、そんなの見てりゃ分かるだろ」

「馬鹿ねえ、律、私は軽音楽部じゃないの。いつも唯をみているわけじゃないのよ」

一呼吸置いて、唖然としている軽音楽部部長に、私は言った。

「唯だって、生徒会に入ってないから、私のことをいつも見ているわけじゃない。
 そんな状況で、一体なにを分かれって言うの」

彼女は面食らったように、おどおどと反論をした。

「でも、唯はいつもお前のことを考えてる。考えるくらいは出来る」

「考えるっていうのはね、律、自分の心のなかの相手の像を見ることなのよ。
 互いに会わなければ、その像はどんどん現実から遊離していくの」

「でも、お前ら、幼馴染じゃんか」

何が言いたいのか分からなかったが、しかし、とにかく私は反論した。

「幼い頃は馴染んでたけど、最近は馴染んでなかった。それが問題なのよ」

相手が何かを言おうとする前に、私は、止めを刺す言葉を見つけた。
それを口にするのは、至上の喜びだった。

「ねえ、私の中の唯の像を、いつも私のそばにいる、妹みたいな唯を、ぶち壊したのは、あなた達なのよ。
 私の中の唯を、テスト期間だけ頼ってくる、いつもは部活で私に構いもしない、
 名ばかりの幼馴染に変えたのは、軽音楽部なのよ」

カチューシャの女の子は、黙り込んでいた。

「だから、ねえ、私が唯の思ってる私と違うからって、あなた達は私を責められるの?」

カチューシャの女の子は、でも、と言ったが、その後の言葉は思いつかないようだった。

「もう良いでしょう、写真はくれるの、くれないの?」

私が言うと、彼女はポケットから一枚の写真を取り出した。
いつも持ち歩いていることに驚いたが、彼女は、いつでもからかえるように、と言った。

「なにに使うんだよ」

腹抱えて笑うためよ、なんて、はぐらかすような言葉を言おうとしたけれど、
私は、すんでのところでとどまり、それから口の端を吊り上げて笑って、言った。

「唯が思ってる私を、思い込んでる私の像を、粉々にするのよ。あの娘の、私を、殺すの」

私はそのまま教室を後にした。
振り返りはしなかったが、律が、ごめんな、と呟いたのが聞こえた。



「写真、見つかった、って本当」

生徒会室に先生を呼び出すと、先生は息を切らして駆けてきた。
私は手を伸ばして、先生の顔にかかった髪の毛を払った。

「あら、ありがとう。それで、写真は……」

どうでもいいじゃないですか、そんなの。
そう言おうとして、口をつぐんだ。それでは、軽音楽部の部員たちと、同じになってしまうから。

「はい、これです」

私がポケットから写真を取り出すと、先生の視線は写真に釘付けになった。
私はそれを微笑ましく思った。

「そう、それよ!りっちゃんが持ってるのと同じのがあるなんて、危ないところだったわ」

けれど、先生の目を見たとき、ふと気づいた。
輝く彼女の瞳の中に、今、私は映っていない。写真が映っているだけだ。
煌くハイライトの中に、私の像はない、それは、なんと恐ろしいことか。
なんと虚しく、悲しいことか。

「やっぱり、駄目です、あげません」

私は写真をポケットに入れた。
先生は、真面目な顔つきで、どうして、と尋ねた。

「先生、私の写真、消さずに持っていてください」

「あら、消して欲しいんじゃなかったの」

「消さないでください」

先生は困ったような顔をした。
眉尻を下げて、目を細めて笑った。


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