紬「りっちゃん!りっちゃん聞こえる!?今唯ちゃんが救急車呼んでくれてるから!」
澪「律・・・律っ・・・!」

血を見るのは怖かった。正直、初め律の様子を見たとき、ショックと共に吐き気がして、嘔吐しそうになった。だけど――
このまま、ただ律を眺めているだけなのは嫌だった。
気付いたときには、澪は律の刺傷にハンカチを当て両手で圧迫し、止血を試みていた。

紬「澪、ちゃん・・・」

警備員や警察官が駆けつけてくるが、救急車が来ない以上為す術がない。
彼らはただ黙って、澪達の様子を見守っていた。

唯「救急車、すぐ来るって!警察の人が手配してくれるって!!」

警備員の輪を割って、唯が戻ってきた。その時だった。




律「・・・み、お・・・」

微かながら聞こえてきた声に、その場にいた誰もが息を飲んだ。

澪「り・・・律っ!!!」

気を失っていたはずの律が、目を覚ました。なんとか瞳を動かし、軽音部の仲間達の姿を確認する。

律「みんな・・・来て、くれたんだ・・・」
唯「りっちゃん・・・!!」

こふ、と律の口の端から血が漏れて、澪は背筋に寒気が走った。
傷口を圧迫する手に力が入る。

紬「駄目・・・りっちゃん駄目!しゃべらないで!!もうすぐ救急車くるから!」
澪「律・・・頑張ってっ・・・!」
律「澪・・・。無事、だったんだな・・・」

澪は律の顔を見る。彼女は真っ青な顔で、だが笑っていた。

律「本当に・・・良かった・・・・・・」
澪「り、つ・・・」



律の頭が力なく下がる。

澪「い、嫌・・・律!嫌!!」

何度呼んでも返事は返ってこない。澪はわけがわからずただ律の体を揺さぶった。そこへ――

救急隊員「怪我人は何処ですか!!」

救いの声が響き渡る。
工場の外に、救急車が止まっていた。

紬に連れられて、邪魔にならないように律の脇から離れる澪。
すぐにストレッチャーが駆けつけ、救急隊員達によって、再び気を失った律がそこに乗せられる。
聞いても意味がわからない単語の集まりが飛び交い、そのまま律は救急車に運び込まれた。



工場の外に出て、遠ざかっていく救急車をただ呆然と見つめる三人。
澪は手の中にある、真っ赤になったハンカチに視線を落とした。
それだけで、収まっていた涙がまた溢れ出す。

澪「ふぇ、ぐすっ、りつ~・・・」
唯「っ、うぁ、澪ちゃん泣かないでよ~・・・」
紬「二人とも・・・うっ・・・」

三人は何も言えず、ただただ泣き続けた。紬の父が、静かに歩み寄る。

紬父「・・・今日はもう遅い・・・。一旦みんな家に戻ろう。私が送る」
澪「で、でもっ・・・ぐすっ」
紬父「律ちゃんは大丈夫。きっと大丈夫だ。明日病院に行こう。今日は澪ちゃんは私の家に泊めてあげよう。さぁ、車に乗って」
澪「・・・・・・」コクリ
紬父「・・・二人も、いいね」
唯「ふえぇ・・・」
紬「ううぅ・・・」




……

憂「・・・じゃがいもが溶けてもろもろだよ・・・。お姉ちゃん。電話でないし・・・」

いつまでも帰ってこない姉を心配しつつ、憂は机の上の、肉じゃがへと変更したカレーであった物を眺めていた。
長い間火を止めたりつけたりしながら温めていた上、焦げ付かないように混ぜたりしていたので、タマネギは消え、じゃがいもは溶けてドロドロになっていた。

憂「どうしよう・・・警察に電話した方が良いのかな・・・。お姉ちゃん・・・」

だんだん不安になってきた憂は、泣きそうになってきた。
と、知らぬ車が家の前で止まったのが、憂の目に入った。

憂(ど、どどどどどうしよう・・・)

不安になっていた憂は、若干パニックに陥った。辺りをきょろきょろと見渡す。
チャイムなしで、玄関の扉が開く音がした。憂は咄嗟に箒を掴むと、玄関へと駆けた。


憂「えええええぇい!」

箒を振り上げて憂は廊下に出る。と、

憂「お、お姉ちゃん!!?」

靴も脱がずに、そこにぼーっと立っているのは、間違いなく待ちわびた姉の姿。
憂は箒を放り捨て、唯に抱きついた。

憂「お姉ちゃん、遅いよぉ!!心配したんだよ!ごめんね!カレーが肉じゃがになっちゃったの!!じゃがいもが溶けちゃって、それで――」

涙ぐみながら訳もわからず叫ぶ憂。だが、姉の体が震えていることが、その体を抱きしめる腕を通してわかり、憂は顔を上げた。

憂「お姉ちゃ――」
唯「ういいいぃ・・・」


今度は唯の方から憂を抱きしめた。憂のエプロンに顔を埋め、ぽろぽろと大粒の涙を流す。

憂「お姉ちゃん・・・泣いてるの?どうしたの?」
唯「ふええええぇん・・・」

ただ泣き続ける姉に、憂はそれ以上聞くのはやめた。

憂「お姉ちゃん、部屋に行こう?とりあえず、靴脱いで」

優しく唯を支えながら、憂は彼女を部屋へと連れてあがった。
自分の部屋に入ると、唯はベッドに倒れ込んでさらに泣く。
憂は黙って下に下りると、ご飯と肉じゃがと野菜を皿に盛り、お盆にのせて持ってあがった。

憂「お姉ちゃん。机に晩ご飯置いておくから、落ち着いたら食べてね」

返事はなかったが、憂は静かに唯の部屋を出た。

憂(どうしたんだろ・・・お姉ちゃん・・・。明日聞けたら聞いてみよう・・・)

憂は一人、台所で晩ご飯を食べ始めた。





翌日。

憂(休日にお姉ちゃんが、私より早く起きるなんて・・・)

普段は起こしても起きないような筋金入りのねぼすけの唯。
そんな彼女が、どういう訳か置き手紙を残してすでに出かけていた。

憂(昨日の夜のことかな・・・。一体何があったんだろう)

憂は自分の朝食を机の上に並べつつ、テレビをつけた。

憂(お姉ちゃん・・・)

なかなか置き手紙を読む気になれず、リモコンを手に持ったまま俯く憂。

『――・・・次のニュースです。昨晩私立桜が丘高等学校の生徒が、暴行の末、ナイフで刺されるという事件が起きました。』

ぼんやりとした彼女の耳に、聞き覚えのある単語が入った。

憂(桜が丘・・・お姉ちゃんの高校!!)

憂は慌てて画面を食い入るように見つめる。出てきた地名、風景は見慣れたものばかりだった。


憂(嘘・・・けっこう家から近い・・・)

『・・・調べによると、この生徒は友人が暴行されそうになったところを助けに入り、巻き込まれた模様です。また、犯人グループの中には桜が丘高校の教員も二名いたそうで、現場は騒然としています』
『当時暴行されかけていた生徒に怪我はないようですが、被害者の田井中律さんは、意識不明の重体です』

画面に映し出された顔、聞こえてきた名前に、憂はリモコンを取り落とした。

憂「嘘・・・律、さん・・・?」
憂(律さんが、刺された!?)

憂は唯の置き手紙を開ける。

『りっちゃんのお見舞いに行ってきます。帰りは遅くなると思う』

震えた文字で、紙の真ん中に小さくそれだけ書かれていた。よく見るとその紙は、水分を含んだようにしわしわになっていた。

憂(律さん・・・)



紬の父に連れられて、三人は律が運び込まれた病院まで来ていた。
だが、三人は律の姿を見ることができなかった。
律が収容されている病室の扉に刻まれた、面会謝絶の文字。
その文字が、まるで呪いのように三人をその場に凍り付かせた。

澪「り、つ・・・っ!」

澪が倒れ込むようにその扉に縋りつき、声を殺して泣き始める。
昨日から一体どれほど泣いただろうか。
いくら泣き虫とはいえ、これほどにまで泣き続けることが出来る自分に驚くほどだ。
だが、そう思っていても、止まらない物は止まらない。
床に座り込んで泣き続ける澪を、紬がそばにあったソファに座らせた。



痛いほど静かな時間が過ぎていく。
紬の父は、三人だけの時間が過ごせるように気をつかったのか、どこかに行ってしまった。
おそらく病院の先生と話をしているのだろう。
澪は泣きはらしてしまった目にハンカチを当ててうずくまっている。
そんな彼女の背中を、紬が優しくさすってやる。
唯はただ、呆然と面会謝絶の文字を眺める。

唯(こんなの・・・ドラマの中だけだと思ってた・・・)

こんな状況、空想の話の中だけだと思っていた。人ごとのようにしか、考えたことがなかった。
現実ではこうも心臓を抉られるような気になるのだと、初めて知った。

唯(りっちゃん・・・冗談だよね・・・。嘘だって言って、出てきてよ・・・)

唯はそれ以上その残酷な文字を眺めていることができなくなり、顔を背けた。



どれほど時間が経っただろうか。
おもむろに沈黙を破ったのは、澪だった。

澪「律・・・気を失う前に、私を見て笑ったんだ」

小さく首を振って、澪は続ける。

澪「ううん、それだけじゃない・・・。私だけをタクシーに乗せて逃がしてくれたときも、振り返って笑った」
澪「どうして・・・怖かったに違いないのに・・・苦しかったはずなのに・・・何で笑ったの?」

澪は俯いたまま、誰にというわけでもなく、疑問をぶつける。
それに答えたのは、意外にも――

唯「・・・そんなの、決まってるよ・・・」

唯だった。澪を見つめるその顔は、見たことないぐらい真剣だった。


唯「澪ちゃんを助けることが出来たから、だよ。絶対」
唯「辛そうにしてた澪ちゃんを見た時は、りっちゃんも辛そうだったもん」

唯の言葉に、紬も小さく頷いた。

紬「小さい頃から、りっちゃんは澪ちゃんの親友だったんでしょう?」
紬「ずっと一緒にいたから、りっちゃんは、『こいつは守ってやらなきゃ』っていう使命感をいつの間にか持っていたのかもしれないわね」
唯「だって、あのりっちゃんだもんね・・・」
澪「唯・・・むぎ・・・」

澪は顔を上げ、もう一度固く閉ざされた扉を見つめた。

澪(そうだ・・・あの時だって・・・)




ちび律『もー!みおってほんとあぶなっかしいよね!』
ちび澪『うえぇええ・・・ぐすっ・・・』
ちび律『もうわんちゃんいないよ。ほら、だいじょーぶ』
ちび澪『うん・・・うん・・・』

差し出された手を、涙で濡れた手で握り返す、幼き日の澪。そこへ、笑い声が飛んできた。

ガキA『あはははは!みたぞみたぞ!犬においかけられてないてやーんの!』
ガキB『なきむしだ!なきむしだー!』
ちび澪『っ!!ふ、ふぇ・・・』
ガキA『また泣いたー』
ガキB『また泣いたー』
ちび律『――~っおまえらー!!』


ガキA『うわっ!』
ちび律『みおをいじめるやつは私があいてだー!』
ガキB『田井中だっ。おまえにはかんけいないだろー』ドンッ
ちび律『っなにをー!』ベシッ
ガキB『いてっ』
ガキA『なにすんだよ!』バシッ
ちび律『そっちがやってきたんだろ!』ボコッ
ガキA『いてっ』
ちび律『とっととあっち行けぇ!ばかやろー!』

しっぽを巻いて逃げていくガキ共に、幼き日の律はあっかんべーをした。

ちび澪『・・・すんっ・・・』
ちび律『きにすることないよ。さ、かえろ?』

もう一度澪の手を取る律。澪はおずおずと、律のおでこを指さした。

ちび澪『たたかれたところ、赤くなってる・・・』
ちび律『だいじょーぶ。いたくないもん』
ちび澪『ほんと・・・?』
ちび律『ほんとっ!だって、みおがかなしそうにしてるの見るほうがもっといたいもん』
ちび澪『いたい?りつが?』
ちび律『うん。みおが泣いてるの見ると、むねのところがぎゅっ、ていたくなるんだ』
ちび律『だから、それにくらべたらぜーんぜん、へいきだよっ!』
ちび澪『りつ・・・ありがとうえぇ・・・』
ちび律『ないちゃだめー』





澪(・・・律は小さい頃から私を助けてくれていた)
澪(馬鹿で、ふざけてて、おっちょこちょいだけど、心の底に強さを持っていて・・・)
澪(私はその強さに甘えてたんだ・・・)
澪(私自身、もっと強くならなきゃいけないのに、心のどこかでそれをめんどくさがってた・・・)

澪「私・・・馬鹿だ・・・」

頭を抱え込んでうなだれる澪。と、そこへ紬の父が帰ってきた。

紬「お父様・・・」
紬父「・・・今日は、帰ろう」
紬「・・・っ」
紬父「――明日から、面会可能になる」


澪「本当ですか・・・!」

弾かれるように顔を上げる澪に、紬の父は小さく微笑み、また真顔に戻った。

紬父「親族と、君たち軽音部関係者だけ特別に、だそうだ」
唯「私達・・・だけ・・・」

それほどの状態なのだと、嫌でもわかった。だが、明日になれば律にあえる。それだけが三人の励みになった。

紬父「さぁ、家まで送ろう」

重い体を起こして、三人は立ち上がった。
途中何度も振り返りながら、三人は律の病室を後にした。


6