紬「……ピアノでも弾こうかな」


 あの軽音部の腕前なんて、私の足元に及ばないんだ。

 もし私が軽音部に入ったら皆は私について来れるのかな。

 ……って何考えてるんだか、入部するわけないのに。


 次の日、昼休みになると後ろの方から声がした。

 私のことをしつこく勧誘してきたあの声だ。

澪「琴吹さん」

紬「なによ……部活の勧誘ならお断りだけれど」

澪「違う違う、お弁当一緒に食べない?」

 そう言って彼女はハート柄の布に包まれた小さいお弁当を私に見せた。

紬「……あの子とは食べないの?えーと」

澪「ああ、律は放っておいても他の子と食べるよ。友達多いし」

 友達が多い、か。

 きっとこの子達は、私とは正反対の世界に住んでるんだろうな。

 どうせ今も私に同情して話しかけてきたに違いない。

澪「だから、ね?」

紬「……ご勝手に」


 彼女は。

 秋山澪は前の席のイスに座ると、勝手に私の机の上に弁当を置いた。

 ハート柄の布を広げると、中から出たのはまたハート柄のお弁当箱。

 大人びた見た目に反して、好みは割と幼稚らしい。

澪「大きいね」

紬「何が」

澪「琴吹さんのお弁当。重箱なんてすごいや」

紬「……あっそ」

澪「中身も……うわぁ、伊勢海老なんて初めて見たよ」

 彼女は興味津々といった様子で私の重箱の中身を見回す。

 無礼という言葉も知らないのこの子は。

紬「あまりじろじろ見ないでちょうだい」

澪「あ、ごめんごめん。すごい美味しそうだからつい」

紬「……あなた、お弁当それだけで足りるの?」

 彼女のハート柄のお弁当に入っているのは白米、玉子焼き、少量の野菜と、変な形のウインナーだけだった。

 とてもこれでお腹がいっぱいになるとは思えない。

 彼女のお弁当と、私の重箱を見比べる。

 ……もしかして私って食べ過ぎなの?

 そう思うとなんだかものすごく恥ずかしくなってきた。

澪「ん、食べないのか?」

紬「食べるけど……」

澪「そのお肉、すごく分厚いなー」

 秋山澪は口を半開きにして物欲しそうな顔で私の重箱を見つめる。

 そんな顔されたら、無視できないじゃない。

紬「……食べたいの?」

澪「……ちょっと」

紬「どうぞ」

澪「いいの!?」

 彼女の子供っぽい喜び方が、見た目とのギャップもありとても可笑しい。

紬「ふふ……」

澪「何で笑ってるの?」

紬「な、なんでもない!食べるなら早くとって」

澪「じゃあいただきます!」

紬「……」

澪「……ほう」

紬「……別に興味ないけど、おいしいの?まずいの?」

澪「いや、本当に美味しいもの食べると無口になるんだよね……こんな美味しいお肉初めて食べた……」

紬「お、大袈裟よあなた」

澪「いや本当だって……あ、ムギも何かいる?と言っても大したおかずないけれど」

紬「いらない」

澪「遠慮しないで」

 別に遠慮してないんだけど。

紬「じゃあその変なウインナー」

澪「タコさんウインナーのこと知らないの?」

紬「タコ……?」

澪「タコ」

紬「味が?」

澪「形が!」

紬「これが、タコ……?」

澪「うるさーい!ほらっ!」

紬「もがっ」

 秋山澪が私の口にタコらしきウインナーを押し込む。

 ハシが喉にささったら危ないじゃない。

紬「……」

澪「おいしい?」

紬「……まぁまぁ」

澪「まぁまぁかぁ」

 本当は、美味しかった。

 けれど、ここで美味しいなんて言ったら、なんだか負けた気がしてくやしい。

 そのプライドが邪魔して、素直に言えない。

 だけれど秋山澪が残念そうな顔をすると胸が痛んだ。

 後悔なんて私らしくないのに。


 それからも、秋山澪は毎日私とお弁当を一緒に食べた。

 正確には、あっちが勝手に私のところへ来るのだけれど。

 秋山澪は、私に色々なことを聞いてきた。

 昨日のご飯のおかずは何だったか。

 シャンプーやコンディショナーは何を使ってるか。

 休日は何をしているか、お気に入りのお店やはどこか。

 それに、軽音部のことも沢山聞かせてくれた。

 田井中律はふざけてばかりで練習をあまりしなくて困るとか。

 毎日安物のお菓子を買ってきてはそれを食べてばかりとか。

 平沢唯は五万円のギターをやっと買えてそれを大事にしてるとか。 

 一ヶ月たった今でも楽譜をまともに読めないとか。

 ほとんど一方的な会話だったけれど、それが何だか楽しくて、いつの間にかお弁当の時間が楽しみになっていた。 

 私にとって、学校がただの勉強をする場所ではなくなっていく。


 もしかして、私とって秋山澪は初めての……。


紬「ねぇ、秋山さん」

澪「ん?」

紬「なんで、私に優しく接してくれるの?」

澪「えーなんでって?」

紬「私、無愛想だし。それに軽音部の勧誘も断ったし」

澪「……」

 今までヘラヘラしていた彼女の顔が少し暗くなり、不覚にも美しいと思ってしまう。

 その表情は、彼女に似合っているが、似合ってない。

 もしかして、私はいけないことを聞いたのだろうか。

澪「……琴吹さんってさ、中学生の時の私と似てるんだよね」

紬「秋山さんと?」

澪「私、根暗でさ。友達なんて一人もいなかったのよ」

澪「でもその……自分でいうとあれだけど、男子達には嫌でもモテちゃって、そのせいで女子にいじめられるようになったんだ」

澪「そのうち学校なんて勉強だけをしにきてる場所だって思い始めて」

澪「……けど、そんな私に律が話しかけてくれたんだ」

紬「田井中さんが?」

澪「うん。あいつクラスの人気者のくせに私に絡んできてさ、最初はどうせ人気のために私に優しく接してるんだろって思ってた」

澪「それでも律は毎日毎日私に笑顔で楽しいこと話してくれて、次第に学校が楽しくなってきた」

澪「ま、そのせいで妙に男っぽい口調になっちゃたんだけどね。あはは」

紬「……」

澪「……琴吹さんも私と一緒なんじゃないかな?」

紬「えっ……」

澪「私が始めて部活の勧誘した時の琴吹さん、昔の私と同じ表情だったもの」

紬「そんなの……」

澪「ね、一人でいるより誰かといるほうが楽しいでしょ」

紬「……」

 私は無言で頷いた。

 何か言えばいいのに、何も言えなかった。

 少しでも声を出したら、それと同時に涙も出そうだったから。

澪「……私、琴吹さんと友達になりたいな」

紬「……ムギ」

澪「へ?」

紬「ムギって……呼んで」

澪「は……はは、ムギか!私のことはえーと……」

紬「澪、ちゃん」

澪「澪ちゃんか……照れちゃうな!これからもよろしく、ムギ!」

 澪ちゃんがそう言って差し伸べてくれた手を私はしっかり両手で掴んだ。

 彼女の手は暖かくて、それに大きかった。

 私はもうこの手を離したくない。

紬「うん……!」

 帰りのホームルームが終わると私は真っ先に澪ちゃんのところへ向かった。

 柄にもなく小走りで。

紬「ねぇ澪ちゃん」

澪「どうしたムギ?」

紬「……私、軽音部に入りたい」

澪「え、でも無理しなくても」

紬「これでもピアノのコンサートでは何度も賞をもらってるんだから。キーボードだって軽音楽器でしょ?」

澪「……ムギィ!」

 その瞬間私に柔らかい衝撃がぶつかる。

 それにいい匂いと、暖かい何かに包まれる感じ。

 私、澪ちゃんに抱きつかれてる?

 だめだ、顔が熱い。

 頭が真っ白になる。

紬「わ……わ……」

澪「あ、ごめんムギ、つい……って顔真っ赤!?ムギ!ムギ!?」



 私は高校生になって、初めて友達ができた。

 初めてその友達と笑顔で会話をした。

 初めてタコさんウインナーを食べた。

 初めて部活というものに入る。

 どれも嬉しくて、楽しくて、良い経験だ。

 それともう一つ……初めてのことが。

澪「おーい皆練習してる?」

律「澪遅いぞー……おぉ?」

唯「あれぇ、澪ちゃんその人って」

紬「こんにちは、澪ちゃんのお友達の琴吹紬です。ムギって呼んでください」

澪「……ムギ、そろそろこの手を離してもいいんじゃないかな……」

紬「ふふ、ごめんね澪ちゃん」


 それが、良い経験になるかどうかは、私次第だけれどね。




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