律「え?最近つけられてる気がする・・・?」

澪がしどろもどろに皆に打ち明けた悩みは、耳を疑うものだった。

澪「う、うん。一人で帰るときとか、なんか嫌な感じがして」
律「澪かわいいからなぁwもしかしたら澪のこと好きな男の人が――」
澪「じょ、冗談はやめろ!・・・真剣なんだよ」

少し涙目になって俯く澪に、紬が優しく問いかける。

紬「でも、つけてくる人を見たことはないんでしょう?一度そう思ってしまうと、思い込んでしまうことだってあるし・・・」
唯「何て言うんだっけ・・・き、き、・・・」
澪「杞憂、か・・・?」
唯「そうそれ!元気だしなよ、澪ちゃん」

唯のペースに励まされたのか、澪は暗かった表情にようやく笑みを浮かべた。

澪「うん・・・うん、そうだな。気にしすぎかな。それじゃ、今日は用事があるからこれぐらいで帰るよ」
紬「また明日」
唯「ばいば~い」
律「・・・・・・」

澪が部室を出て約一時間。皆それぞれの楽器の後片付けを終える。


紬「私達も、そろそろ帰りましょう」
唯「そうだね。ね、りっちゃん」
律「・・・へ?あ、あぁ。そうだな」
唯「大丈夫?りっちゃん。珍しいね、ぼーっとするなんて」
律「何でもない何でもない!さ、帰ろうぜ!」
紬「?」
唯「・・・・・・」

鞄を持って部室を出て行く律の背中を、唯は黙って見つめた。


一方澪は帰路の途中、スーパーに立ち寄っていた。

澪(今日からお父さんもお母さんも町内会の旅行で帰ってこないから、何か買って帰らないと・・・)

悩み事のせいで疲れていた澪は、料理を作る気にもあまりなれず、惣菜をいくつか買って帰ることにした。
スーパーと澪の家は、結構近い。家まであと少しの所まで来て、無意識に安堵の息を漏らす澪。

澪(ふぅ・・・)
澪「・・・・・・」
ジャリ
澪「・・・!」バッ

人気のない道にかすかに響いた音に、澪は反射的に振り返った。

澪(誰も、いない)
澪(何怖がってるんだ。唯や紬が言ってたじゃない。気にしすぎだ、杞憂だって)

自分に言い聞かせて再び歩きだす。自然と歩きが速くなった。
角を曲がり、前を見ると、道路の脇に車が止まっている。

澪(もし連れ込まれたら――)

首を振り、自分で否定する。しかし、足は車から遠ざかるように動く。
視線が無意識に運転席にいく。誰も乗っていなかった。

澪(――何やってるんだろ、私)

澪は自分の行動にうなだれて苦笑し、顔を上げた。その時だ。

澪(――・・・っ!!)

目に入った車のサイドミラーに、電柱の影から自分の様子を伺う人影が映っていた。


澪「っ!!」バッ

見間違えであると信じたい。澪はもう一度振り返った。電柱の影に、人はいない。

澪(思い込み・・・思い込みよ・・・)

何度も自分に言い聞かせる。だが、残酷な事実が澪の目に飛び込んできた。
カーブミラーに、走って逃げていく男の姿が映っていた。

澪「い、嫌・・・。嫌ぁっ!!」

澪は死にものぐるいで家に向かって駆けだした。


帰宅後、澪は家中鍵を閉め、自分の部屋に閉じこもった。
買ってきた惣菜など、食べる気にもならなかった。

澪(やっぱり、つけられてる!)ガタガタ
澪(・・・ス、ストーカー・・・だよな)
澪(どうしよう、どうしよう!?)

澪はベッドの上で毛布にくるまり、ただ震え続けた。




……

次の日

律「じゃあ・・・本当に、ストーカーが・・・」
澪「――どうしたらいいの・・・?怖いよ・・・」
律「澪・・・」
紬「ご両親は?」
澪「二人とも、連絡付かないんだ・・・。遠くに行ってて」
唯「とりあえず、誰か先生に相談した方がいいよ」
律「そうだぞ澪。とにかく、さわちゃんにでも言いに行こう」

肩に置かれた律の手を、澪はぎゅっと握った。



……

唯「えぇ!さわちゃん先生いないんですかぁ!!」
先生A「さ、さわちゃん?」
紬「あ、あの、いつ帰ってこられるんですか?」
先生A「研修だから、ちょっと長くなるかもなぁ。少なくとも二、三日は帰ってこないと思うよ」
澪「そ、そんな・・・」

落胆の表情を浮かべた澪を見て、先生Aは首をかしげた。

先生A「どうしたんだ?俺で良ければ聞くけど」
澪「・・・え、えっと・・・実は――」

澪は先生Aにストーカーについて説明を始めた。彼は初め驚愕の表情を浮かべたが、話が終わる頃には真剣な面持ちになっていた。


先生A「――・・・」
澪「・・・・・・」
先生A「このことを知ってるのは、ここにいる子達だけか?」
澪「・・・はい」
先生A「そうか・・・。これは大変な話だな。俺は新任だから良い対策を練ってあげるのは難しい」
律「そ、そんな――」
先生A「だけど、他の先生に相談してみるよ。今日は早く帰りなさい」
澪「はい」
先生A「それと、このことはあまり友達に言いふらさないように。噂に尾びれが付いたら、君に良くないことも起きる。俺たちの方から、生徒に順を追って説明するから」
澪「は、はい・・・」



唯「今日はみんなで帰ろう。その方が澪ちゃんも安心するよね?」
律「そうだな。それに今度から私が絶対一緒に帰ってあげる。それで良いよな?澪」
澪「・・・う、うん」
先生A「・・・・・・」
紬「さ、明るいうちに帰りましょう」
律「先生、失礼しました」

頭を下げて出て行く四人を、先生Aはしばらく見つめていたが、すぐに隣の先生Bに話しかけた。

先生A「――先生。大事な話が・・・」




……

澪「・・・・・・」ビクビク
唯「澪ちゃん・・・」
紬「タイミングが悪いというか・・・不安になるのも無理がないわ」
律「むうぅ・・・許せない」

歯を軋ませて拳を握り、律が小さく呻いた。

澪「律?」
律「影からコソコソつけてきて、澪を怖がらせる変態野郎め!絶対許さん!」
澪「律・・・」
律「澪、ぜっったい一人で帰っちゃ駄目よ。帰るときは、私を呼ぶんだぞ!」
澪「で、でも・・・もし律と帰ってるときにストーカーが来たら――」
律「そんときは私が澪を守る!」キリッ
唯「りっちゃん・・・」
澪「――・・・ありがとうっ」グスッ
律「だーっ!泣くなよぉ」



その日はつけられている感じもせず、澪は安心して家に辿り着くことが出来た。
晩ご飯もしっかり食べ、早めに入浴も済ませて、澪はベッドに横になった。

澪(みんな・・・私のこと心配してくれてる)
澪(律なんか私を守るなんて言っちゃって・・・)

胸を張って宣言した律の頼もしい表情が、閉じた瞼の裏に蘇る。

澪(ホント、昔っから優しいやつだな・・・)

澪はその日、久しぶりにぐっすりと眠ることが出来た。




……

また次の日

律「よし。今日はここまでにしとくか」
紬「じゃあ、今日もみんなで帰りましょう――」
ガチャッ
先生A「秋山。ちょっと長くなるけど良いか?」
澪「えっ?あ、はい」

先生Aにつれられ、澪は部室を出た。

唯「たぶんストーカーの話だよね」
紬「えぇ・・・」
律「しゃーない。もうちょっと練習でもして待ってようぜ」

律がドラムのイスに腰掛けたとき、放送のチャイムが鳴った。

『軽音部部長、田井中律さん。今すぐ職員室まで来なさい』

律「うぇ!私も呼び出しか・・・」
唯「いってらっしゃーい」

律もしぶしぶ、職員室へ向かった。


律「失礼しまーす」
先生B「おぉ、田井中。こっちだ」

律は声の方に目をやり、先生Bが職員室の隣の部屋に繋がるドアの所で手招きしているのを見つける。
先生Bの所へ行った律の鼻先に、原稿用紙が突きつけられた。

律「ぬぁ!?」
先生B「学校通信に載せる部活動紹介文!まだ提出されてないぞ!!」
律「そ、そんなのあったんですか!?」
先生B「なぁに寝ぼけたこと言ってるんだ。この部屋で今日中に書きなさい。サボって逃げないように、私が見張っててやろう」
律「に、逃げたりなんかしませんよ~。じゃあ、部室に鞄取りに行ってきます」
先生B「逃げるなよ」ギロリ
律「逃げませんってば!」



……

唯「部活動紹介の原稿かぁ。大変だね」

鞄に荷物を詰めながら、律はため息をつく。

律「ホント、そんなの聞いてないぜ。――あ、二人とも先帰ってて」
紬「でも、いいの?」

鞄を肩にかけ、急いで戻ろうとしていた律は、紬の声に振り返った。

律「んー、今日はもう遅いし。けっこう時間かかりそうだかんね。澪には・・・私がついて帰るから」
紬「・・・わかったわ。それじゃあ、唯ちゃん」
唯「うん。じゃあね、りっちゃん。また明日」
律「おーう」

振り返らずに手を振り、律は部室を出て行った。



……

一方、生徒指導室では。

先生A「今日、君の件について会議が開かれることになった」
澪「そうなんですか?」
先生A「あぁ。だから、いつからつけられてる気がしたか、とか、何でも良いから俺に教えてくれないか」

メモと鉛筆を取り出し、先生Aは食い入るように澪を見つめた。

澪「は、はい。」
先生A「じゃあ、とりあえずは昨日のことから――」




……

そして、律の方はというと。

先生B「早く書けよー」
律「急かさないで下さいよー。・・・何書こう;」


律「せんせー・・・こんなに書かなきゃ駄目なんですか?」
先生B「当たり前だ」


律「ぬー・・・」
先生B「手が進んでないぞ」
律「――先生、トイレ行ってきます」
先生B「逃げry」
律「逃 げ ま せ ん。もうあとちょっとなんだから、すぐに終わらせますよ!」

ふくれっ面をして、律は部屋を出た。

先生B「・・・・・・」




……

――それからどれほど時間が経っただろうか。
澪はだいたいのことを説明し終え、先生Aもメモに再び目を通していた。

先生A「うーん・・・」
澪「先生、私そろそろ――」
先生A「そうだな。もうだいぶ暗いし、早く帰った方が良い」

窓の外を見て、先生Aは呟いた。

先生A「送ってあげたいところだが、今日はこのあと重要会議だから・・・。一緒に帰る子は・・・こんな遅くにいるか?」
澪「律――田井中さんが、待ってるはず――」
先生A「田井中?田井中なら、さっきまで原稿書かされてたけど、終わったからもう帰ったぞ」
澪「えぇえ!!?」
先生A「さっきトイレに行ったとき、さよならーって」
澪「ほ、他の軽音部の子達は・・・?」
先生A「下校時刻は過ぎてるからな・・・。もう帰ってるだろう」

先生A「・・・とにかく、田井中はさっき出たばっかりだから、もしかしたらまだ近くにいるかも――」
澪「・・・な、なんで・・・律・・・」
先生A「――急いで帰りなさい。追いつけるかもしれない」
澪「・・・・・・」
先生A「秋山」
澪「――・・・はい。さようなら」

心ここにあらずといった様子で澪はお辞儀すると、ふらふらと部屋を出て行った。

先生A「――・・・」



あたりはすでに薄暗く、自分以外の下校生は見あたらない。
澪は極度の不安に襲われた。

澪「律・・・なんで・・・怖いよ」

律『私が絶対一緒に帰ってあげる』

澪「なんで嘘付いたの・・・律ぅ」

裏切られたショックで混乱していた澪は、気付くことが出来なかった。
後ろから近づいてくる、複数の気配に。
そして、生徒指導室から出て行く澪を見つめる、先生Aのほくそ笑んだ表情に。



……

律「っしゃぁ!終わった!!」

“澪が学校を出てしばらく後”、律は原稿を書き終えた。
ちょうどその時、部屋を出ていた先生Bが戻ってきた。

先生B「お、終わったのか。ごくろうさん。帰って良いぞ」
律「ふーぅ・・・。あ、先生。澪・・・えと、秋山さんは、どこ行ったか知ってますか?」
先生B「ん?秋山なら、ちょっと前に帰ったぞ」
律「――え・・・」

律は耳を疑った。帰った?まさか――

律「帰ったって、一人でですか!?」
先生B「誰もこんな遅くに一緒に帰る人、いないだろうからな・・・。心配だ――」
律「――っあのバカ澪!!」

先生Bの言葉も途中までしか聞かず、律は鞄を持って急いで駆けだした。




生徒玄関へと駆けていく律の姿を、先生Bは目を細めて眺めていた。
その横に、先生Aが現れた。

先生A「秋山と田井中は幼なじみなんですよね」
先生B「らしいな。親友のために必死になる姿、感動で涙がちょちょぎれるね」

――ビリッ

先生Bは律が書き終えたばかりの原稿を破り捨てた。

先生A「二人を別々にするためとは言え、酷いコトしますね~」
先生B「残しといたって何の意味もないだろう?学校通信なんて、出さないなんだから」
先生A「そうですね」


先生Aはメモ帳を取り出すと、シュレッダーにかけて捨てた。

先生A「ったく、見つかるなんて、とんだヘマやらかしてくれますね」
先生B「ホント、後始末するのが大変なんだからな」

先生Bはポケットから携帯を取り出した。それは、律の物だった。

先生A「凄い。ぬかりないですね」
先生B「ふん、当たり前だろ」

不敵な笑みを浮かべ、先生Bは携帯を水の入ったコップに入れる。

先生B「さて、行くか」




……

律(澪・・・何で・・・!!)

辺りはすでに暗くなっていて、それが余計に律の不安をかき立てた。
口からは絶えず息が漏れ、汗が額を伝っていく。
肩にかけた鞄が、まるで後ろから体を引っ張ってくるように重い。
ローファーが何度も足から飛んで抜けそうになるのに苛立ちを覚える。

律「はぁっ・・・はぁっ・・・」

何もなければいい。それだけを願いつつ、律は休むことも忘れて澪の家を目指した。


だが、律の願いは無残にも打ち砕かれた。



……

澪「――・・・!!!」

今日に限って人気のない商店街を通り過ぎ、足早に家に向かっていた澪。
その口に、突然ごつごつした手が被さった。

男A「はぁ~い、ようやく捕まえた♪」
男B「おい、早く連れてくぞ。ここは人目に付く」
男A「へいへい。さて、澪ちゃんだっけ?ちょっとこっち来てくれるかな?」

無理矢理路地へと連れ込まれる。澪は手足をばたつかせて、懸命に抵抗した。


男A「うわっ!何だよ、大人しくしてろよ」
男C「こっち向かせろ」

三人目の男が、澪の顎に手を当てて自分の方へと向かせる。

男C「へへ・・・涙浮かべちゃってら。かわいいなぁ。」

男Aが澪の口から手を放した瞬間、今度は男Cがその口に布を当てた。

澪「むっ・・・!!」

急に意識が朦朧とし始める。男Cがにんまりと笑った。

澪(律・・・唯・・・む、ぎ・・・――)

薄れゆく意識の中、澪は助けに来てくれるはずがない仲間達の姿を、すがるように思い浮かべていた――


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最終更新:2010年01月22日 23:34