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 テーブル越しに向かい合った位置に座る。

 手元にはティーカップ。今度のは、私が先ほどより多めの量を希望したので、
わりかし大きめのカップに、ちょっと重いと感じるぐらいに、朱色の液体が満ちている。

 目の前には少女。普段の明るい彼女とは打って変わり、
テレビの音声すらもないこの部屋に居るひとりの人間であり、
彼女自身、この静けさに甘んじているようで、なかなか口を割ろうとはしない。

 とりあえず茶をすする。
 私はあまり緊張していないが、憂ちゃんの様子を見ていると、こちらまで喉がかわいてきてしまう。

 嚥下する。その小さな音でさえ、部屋中に響き渡った。どこか恥ずかしい。

 「憂ちゃん、そんなに固まらなくても」
 と、私はその音をごまかそうとするのが半分、憂ちゃんに開口をうながすのが半分で、口を切った。


 はぃ、とちいさく答える憂ちゃん。

 「さあ、さっさと話して、終わらせようぜ。健康に悪い」
 この空気には慣れない。この先も慣れることはないだろう。

 憂ちゃんは答えない。

 「……それとも、私がいってやろうか?」
 大体察しはついている。

 「いえ」しかし憂ちゃんは、今度はしっかりと意思表示をした。

 「……こんなこと、律さんにいっていいのかわかりません。自分でも、なにがいいたいのか、よくわかりません。
でも、律さんにはいっておきたかったので」
 「おう、なんだ?」

 努めて明るく言い放つ。この空気をなんとかしたい。

 「お姉ちゃんは、律さんのことが好きなんですかね?」


 「……はは、」
 「一人のお友達としてではなくて、平沢唯として、田井中律が好きなんですかね?」

 なにをいってるんだか。だが答えなければならない。
 彼女は答えを求めている。この人なら教えてくれそうだと思った人が私なのだ。

 「……わからん」
 ただ、本当にわからない。唯ではないからわからない。

 「わからないけど、確かに最近は良く思ってるんじゃないか」
 まるで他人事のようにいう。


 「では、」

 憂はここでいったん切る。二、三十秒はかかる長いいったんだった。

 「そんなお姉ちゃんを、律さんはどう思っているんですか?」
 私はまた、茶をすすった。

 「お姉ちゃんは律さんを家に呼ぶときは、かならず私に知らせてくれます。
でも今日は教えてくれなかった。それってつまり……その……」

 そこでつまる。だがすぐに調子を取り戻して、
 「律さんが、約束がなくても、うちに来る口実がなにもなくても、それでもお姉ちゃんに会いたかった、そういうことになりませんか?」

 筋は通っている。しかもまったくまちがったことはいっていない。

 「ああ、そうだ。私は唯に会いたくて仕方がなかった」


 もちろん憂ちゃんにもだ、といますぐ付け加えたいが、もう遅かった。
 憂ちゃんは私がそう来ることを予測して、すでに次の言葉を考えてあったようだ。

 「その感情ってなんですか? ある人と長い時間いっしょに、ふたりきりですごしたい。
 前もって約束していたわけでもないのに」
 それって、と憂ちゃん。

 「好き、って感情なんじゃないですか?」
 「……さあ? どうだろうな?」
 どこ吹く風とばかりに答える。いえない。

 「……律さん、」
 「なあ、それを聞いてなにになるんだ?」

 話題をそらす。私を見つめる憂ちゃんの目は少しも揺るがない。


 「やいてるんですよ」
 「肉をか?」
 「律さんがお姉ちゃんとくっついているのに」

 視線が冷たくなる。さすがに憂ちゃんが相手でも、冗談が通じる場ではなかった。

 「お姉ちゃんの目が、律さんの方ばかり向いているのが辛いんです」
 まるで私のことなど忘れてしまったかのように。憂は悲しげにいった。

 「不安で不安でどうしようもないんです。

 お姉ちゃんは日に日にに律さんを家に呼ぶようになっていって
 ――それとともに私の居場所がなくなっていく気がして……。

 私は昨日、お姉ちゃんに打ち明けてみました。

 お姉ちゃん、私を忘れないで、って。でもお姉ちゃん、私を相手にしてくれません」

 妹の真剣な話にもまるで上の空な唯。
 残念なことに、私の脳内でその場面を想像することは容易にできてしまった。


 「――私がインターホンに出るまでのあいだ、結構な時間があったでしょ?」
 「そうだったな」

 肌が覚えている。寒かった。

 「居留守を使おうと思ってたんです。お姉ちゃんは演奏に夢中で気づいていないだろうし」
 「なるほど」
 「きょうは家に来てほしくなかった。ひさびさにお姉ちゃんの大好物のスキヤキを作るんだし、ふたりで楽しみたかった」
 それなのに、という接続詞は、かろうじて聞き取れるぐらいのちいさな声だった。

 「律さんは来てしまった。正直、帰ってほしかった」

 「――でも、相談に乗ってくれるかなあって。鉄は熱いうちに打て、といいますよね。
 もう、早くなんとかしたかったんです。だれかに、打ち明けたかった。
 お姉ちゃんがまるで聞いてくれないなら、いっそ律さんに、と思って」
 とんだ迷惑ですよね、と憂は苦笑した。

 「よりによってヤキモチをやいてる相手に、相談するってのもへんな話ですよね」

 まったくだ。憂ちゃんはいったいなにに敵意を抱いているのか。

 「だんだん自分でもなにいってるのかわからなくなってきました」
 「ああ、それがいい」

 悩みができたときはとにかくめくら滅法に愚痴を垂れ流して、そして疲れて寝てしまうのがいい。
 そうすれば全て忘れてしまえる。私だけだろうか。


 ただ。
 ひとつだけいいたいことがあった。

 「憂ちゃん、」
 突然の呼びかけに、彼女はびくついた。

 「お姉ちゃんは、憂ちゃんを忘れるようなことだけは絶対にしないよ」
 どうして、という顔をされる。

 「たとえどんなに他の人を好きになろうと、憂ちゃんにだけは
 いつまでも変わらない愛情を注ぎ続けるはずだよ。
 それが、家族じゃないか」
 憂ちゃんはうつむいてしまった。泣いているのかどうかはわからない。

 「……憂ちゃんから見て、お姉ちゃんはいま私に興味がない、と思うかもしれない。
 相談にも乗ってくれないし、憂ちゃんのことなんてどうでもいいと思っているように感じるかもしれない」


 でもそんなことはない。

 「唯が冗談でいったろ? 『もうりっちゃん、なんで素直に唯が好きだからだっていえないの?』
 って。忘れたなんてことはないよな。

 そのあと、唯はどうした? 黙りこんでしまったじゃないか。あれはまちがいなく、憂ちゃんに対する気配りだよ。

 お姉ちゃんも、憂ちゃんが元気なくしてたのを知ってたんだよ。

 私が勝手にあがってきて、お客さんの前では失礼はできないからって、
 ふさぎこんでいたいところを自分に鞭打って頑張ってる憂ちゃんを知ってたんだよ」

 姉として。

 「憂ちゃんのことが気になって気になって仕方がないんだ」

 憂ちゃんは泣いていた。
 私はその頭を、わしゃわしゃと兄貴のようにかき回した。いい香りがした。

 「だからこそ、下手に動けなかったんだ。ヘマをして、憂ちゃんをさらに傷つけてしまうのが怖かったんだ。
 ……許してやってほしい。姉ってのはそういう生き物なんだ」
 外では威張っているくせに、いざ兄弟姉妹になにかあったときには、なにもできない生き物なんだ。

 「……それと、一番あやまらなきゃなのは私だな」
 まちがいない。

 「なにも知らないのは私だけだった。今日もしっかり、唯に確認を取っておくべきだった。
 私は、平沢姉妹だけの時間を踏みにじってしまった。本当にすまない」

 深々と頭を下げる。憂ちゃんはすぐにやめてください、と私の体を起こそうとした。



 「ううっ……ちがうよぉ……、わたしのせいだよぉ……」

 そのとき、寝巻き姿の姉がはいってきた。

 時計を見た。八時半をさしていた。ずいぶん長いあいだ話し込んでいたようだ。唯にしても、
ようやく風呂からあがってきた。十分な長風呂だ。

 唯は泣きじゃくりながらいう。

 「わたしが……憂の話を聞いてあげなかったから……

 しかも、臆病で……憂に聞き返すこともできなかったから……

 だから、だから……」 

 「やめて、お姉ちゃんやめて……!」
 「ごめんね……ごべんねういぃ~……」

 いいながら唯は椅子に座ったままの憂ちゃんにうしろから抱きつく。
 憂ちゃんは自分の服に鼻水がつくことなど気にせず、唯を迎えた。

 「これからは……憂が悲しい思いをしないように、がんばるから……

 わたしも、もっと強くなるから……

 だから……だから許して、ういぃ~」

 「いいんだよ……、お姉ちゃんはわるくないんだよ……」

 そういいながら、憂ちゃんは姉の頭をわしゃわしゃとかき回した。
 兄貴のように。


――――――――


 ごめんね、ごめんねと繰り返す唯。何度もなぐさめる憂ちゃん。

 ――そして、ただ憂ちゃんの向かいに座っているだけの私。

 まるで私と、唯や憂ちゃんとは、血のつながった姉妹であるかのような錯覚は、
やはり錯覚でしかなかったんだと実感する。どうあっても私は部外者なのだ。

 潮時だ、と思った。

 「ふう、そろそろ帰るか」
 「そうですか」

 と、憂が答える。唯を振りほどいて。さすが公私がはっきりしている。

 「じゃあそのまえに、ひとことだけいわせてください」

 「いやそのまえに、唯にひとつたずねたい」
 「ああ、私も」
 と、憂ちゃんも同意する。思うところは同じだろう。

 「お前、いつから私たちの話、聞いてたんだ?」
 と、ふたりを代表して私が訊いた。

 「もちろん、はじめからだよ?」

 ……ははは、

 「私は、りっちゃんのこと、だーいすきだよ」
 はあ。

 (こいつわかってないな)
 机に身を乗りだして憂ちゃんに耳打つ。

 (ですね)
 と、憂ちゃんがため息をついた。

 「どうしたの?」
 「いやなんでもない」
 もうツッコむのもしんどい。

 「……じゃあ、私からひとこと」


 なぜか顔を紅くしている。
 「きょ……今日はありがとう、律お姉ちゃん」

 「……頑張ったな、オイ」
 「な、なんですかそのいい方! こっちだって思いきったんですからね!」
 「はは、すまんすまん。
 ――その、なんだ……かわいかったぞ」
 照れくさい。

 憂ちゃんも憂ちゃんで、うつむいてしまった。

 「ねえりっちゃん、いま憂にかわいいっていった? かわいいって」
 「ああいったぞかわいいものにかわいいといってなにがわるいんだ」
 「りっちゃんもしかして、憂のこと……」
 「ちげーよちげーよ」

 手に持ったカップを一気にあおり、逃げるように家をでた。
 憂ちゃんは固まったままで、私を追いにはこなかった。
 帰り道、ずっと憂ちゃんの『お姉ちゃん』が頭から離れなかった。



おわり




 翌日

 澪「律、このまえ雑誌貸しただろ? 期限今日までっていっておいたよな?」

 律「……そういえばそんな約束、したような、してないような――」

 澪「ごまかすな、バカ律!」ガシッ

 律「おっかない顔してたら美人が台無しだぜ?」

 澪「誰のせいだよ!」スパコーン