体育館入り口

 軽音部のライブ中、私は来場者へ声をかけていた。

「よろしくお願いしま~す」

「いただけるの?」

「はい、今やってるライブの間着ていただけると嬉しいです」

「ありがとう」

 客足も落ち着いてきたころ、
 一緒にTシャツを配っている清水さんが声をかけてきた。

「どうしていちごは手伝おうと思ったの? こういうの嫌いそうなのに」

 確かにこういう仕事は嫌い。 

――それに

 隠してはあるものの、自分の左腕に傷があるのは確かなこと。
 なぜ半袖を着てここに居るんだろうか?

「……軽音部だからかな」

 半分本当で半分嘘、自分に芽生えた感情を説明することは出来そうになかった。

 遠くで演奏が聞こえる。


三年二組教室

「燃え尽きたみたいね」

「ああ、完全燃焼だ……」

 文化祭が終わってから澪は、いや軽音部はこんな感じ。

(結局縞パン事件はなかった、一度あることは一度で終わったな)

 そう思い浮かべたあと、意識は自分の左腕に移った。

(一度で終わったな、この傷も)

「そういえばTシャツ配ってくれたんだって? その、大丈夫だったか?」

 澪がそう言うと、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
 どうやら傷のことを気にしているらしい。

「大丈夫、大丈夫だから」

「そっか、嫌なこと聞いて悪かったかな?」

 何だか澪をなぐさめるような格好になった、いつかのネットカフェみたいに。

(また立場逆だな)


放課後

 文化祭からはずいぶん時間が過ぎた、三年生は部活を引退し
 それぞれの時間を過ごしている。

 私も例外ではなく、みんなと同じように卒業までの時間の前にいた。

「ねえねえ、いちごちゃん」

 平沢さんが声をかけてきた、平静を装っているが
 表情から何かを企んでいるのは明らかだった。

 それにしても珍しい、軽音部のみんなといないなんて。

「何?」

「ちょっと来て欲しいところが……」

 返事を待たず、彼女は私の左手を強く握って走り出した。

 教室を出て廊下へ、廊下を駆け抜け階段、階段を昇り音楽準備室、軽音部の空間へ。


音楽準備室

 手を引かれ音楽準備室に入ると、軽音部のみんなが集合していた。

「せーの! ワン、ツー」

「ハッピーバースデー、トゥーユー」

(え、何で演奏してるの?)

「ハッピーバースデー、トゥーユー」

(どうして誕生日の歌を?)

「ハッピーバースデー、ディーアいちごー」

(もしかして私の……)

「ハッピーバースデー、トゥーユー」

 演奏が終わった。


「誕生日おめでとう、いちごちゃん」

 ありがとう平沢さん。

「いちごちゃん、おめでとう」

 ありがとう琴吹さん。

「おめでとうな、いちご」

 ありがとう田井中さん。

「おめでとう、いちご」

 ありがとう、澪。

「おめでとうございます、いちご先輩」

 ありがとう……みんな。


 誕生日はおめでとうと言われてケーキを食べるだけじゃない。
 私がありがとうって言う日だったんだ。

 ありがとう、最初に命をくれて。
 次に名前をもらって、そして誕生日をもらった。

 ありがとう、バトンを教えてくれて。
 そっけない態度とったけど、すごく嬉しかったんです。

 ありがとう、話を聞いてくれて。
 聞いたあとでも変わらず接してくれて。

 ありがとう、私なんかの為に祝ってくれて。
 みんな本当に……


「あっ……いあ、と……」

 上手くしゃべれない。やだ、こんな時に。
 ありがとうって言いたいのに、やっと素直に言えると思ったのに。

「……えっ、うっ……うぇ」

 もう十八歳になったのに人前で泣いちゃった。
 どうしよう、恥ずかしい。

「わわっ、いちごちゃん泣いちゃったよ。どうしようあずにゃん」

「だから言ったんです律先輩、サプライズはやめてちゃんと招待しようって」

「梓だって乗り気だったじゃねーか、元はといえば澪だよ!」

「違うぞ、ムギが『サプライズパーティーが夢だったの~』って言うから」

「でも一番楽しみにしてたの澪ちゃんだったわよね?」

「うっ、悪かったよ」

 誰かが近づいて来た、でも涙で滲んで見えない。

「ごめんないちご、ほらハンカチ使って」

 澪だった。
 ハンカチを受け取り目を押さえ、声が出ないよう泣くことにした。

 私が泣き止むまでみんな待ってくれた。

「さて、気を取り直して。三つ星シェフのケーキ! 召し上がれ」

「おい律、用意したのはムギだぞ」

 みんなでケーキを囲むように席に着いた。
 白いクリームの上にイチゴが円周上に並んでいる。

「あっ、そうだいちごちゃん」

「何?」

「私がショートケーキ食べてて、和ちゃんに『一口交換しよう』っていったらね。
和ちゃんがケーキのイチゴ食べちゃったんだよ!」

「唯先輩またその話ですか、いちご先輩も呆れますよ」

「ケーキのイチゴはケーキの頂上だよ、ハートだよ、魂だよ! そう思うよね?」

 平沢さんがこっちを見ている。え、私に振るの?

「私は……」

 ショートケーキを思い浮かべた。
 その上に一つのっている赤いイチゴ。
 一人で寂しそうだな、とは思わない。
 凛とした姿が好きだった。

 私の目の前に丸いケーキがある。
 クリームは雪のように真っ白で、その上のイチゴたちはにぎやかに円をかいている。

――こういうのも悪くない

 今はそう思った。

「別にいいんじゃない?」

「がーんだよっ」

「まあまあ、それじゃ切り分けるわね」

――――

「ねえいちご、幸せって何だと思う?」

「いきなり何? わからない……」

「それはね、欲しいものを手に入れることっ!」

「そう、じゃあ私は無理なのかな」

「どうして?」

「だって私、自分の欲しいものがわからないの」

「そっか、でもきっと見つかるよ。それはそうと、これを見よ!」

「あ、ゴールデンチョコパン。買えたんだ」

「ふっふ~、いちごにもこの幸せを分けてあげよう。ほれほれ」

「ようするに自慢したかっただけ?」

「ま、そーゆーこと」

――――


音楽準備室

――私は何が欲かったんだろう。

「み~お~、ウエストは大丈夫かな?」

「一切れだけだから問題ない」

――結局はわからなかった。

「あ、唯先輩! 私のイチゴ取らないで下さい」

「思い知れー」

「梓ちゃん、代わりに私のあげるわね」

――でも、いつの間にか手に入れてたみたい。

「さて満腹になった所で、放課後ティータイムの
ミニライブをお送りします」

 田井中さんの掛け声とともにみんなが移動し始める。

「ささっ、お客様はこっちこっち」

 平沢さんに手を引かれ長椅子に腰掛けると、澪が口を開いた。

「いちごには色々と世話になったからな、今日はそのお礼に」

「私は大したことしてないよ」

 そう言う私へ、田井中さんが返す。

「体育館使わせてくれたし、スティック回しも教えてくれたし、
Tシャツも配ってもらったな。それに……」

「それに?」

「まあ、お礼ってことで」

 お礼を言うのは私のほう。
 こんなに嬉しかったのは初めて。

「……ありがとう」

 ありがとうじゃ足りないけど、これしか言葉は見つからない。
 私が声を発した時、クラシックでも聞くみたいに静まり返った。
 嬉しさを隠すためにトーンを落として言ったけど、みんなはそう思わなかったみたい。

 沈黙を打ち破るように田井中さんが切り出した。

「い、いちごは演技上手だな。やっぱりジュリエットやったほうが良かったんじゃ……」

 違う、嬉しかったのを隠す演技をしたんだってば。
 失敗したって事は演技下手なんだな。

――もう、

「バカ律……」

「そうだぞ律、失礼じゃないか」

 そう言いつつも澪の顔はほころんでいた。

「失礼しやした、いちごさん」

「分かればいいの。あと今日私が泣いたことは秘密ね」

「えー、どうしよっかな」

――ああ、もう。

「早く演奏始めたら?」

「だな、始めるか。で、みんな、最初の曲はわかってるよな?」

 そう言った律は何かを企んだ表情をしている。


「もちろんだよ」



「ちゃんと分かるぞ」

「律先輩らしい選曲です」

「うふふ、そうね」

「よーし、それでは誕生日を祝って」

 ドラムスティックが掲げられる。
 そして律が得意げに微笑んだ。

「いちごパフェが止まらない」


――
――――

 手首を切って病院に運ばれた、そんなに深い傷じゃないのに。
 どうせお父さんもお母さんも私のこと分かってくれないんだ。

――どうしてこんなことしたの?

 言ったって分からないよ、私が手首を切った理由なんて。
 きっとここに座っている看護婦さんもそう、それより一人にしてくれないかな。

 そう思っていると、ベッドの上の私に向かってたずねてきた。

「名前聞いてもいいかな?」

「……言いたくないです」

「そう」

 そっけないなこの人。
 ふと胸元に付けられた名札に目が行った。
 変な苗字だな、若王子。読み方はわかおうじ?

「変わった苗字ですね」

「うん、名前はもっと変わってるけど」

「教えてくれます?」

 とりあえず話題が私の手首に行かないようにしたい。

「え、やだ」

「……」

「冗談、名前はいちごっていうの」

「ぷっ!」

 思わず吹き出した。え、名前がいちごなの?
 そっちのほうが冗談だよ。

「ひどいね、でも元気そう」

 元気という単語に反応し、不意に目を背けてしまった。

――元気なんかじゃないよ

「ねえ、傷のこと話してくれるかな?」

 今までとは違う優しい声でたずねてきた。

――言えないよ

「……」

 沈黙で答えた。

「そう、じゃあ私の話をしようか」

 看護婦さんは右手で袖をつかみ、白い左腕を見せた。

「あ……」

 この人も私と同じだ、左腕に傷がある。
 薄いけどわかる、明らかに自分で切った感じだ。

「人生は素晴らしいとか、命は大切だとか、そんな話じゃない。ただの、思い出話」

 目線を上げると無表情な顔が見えた。
 私のことを全部お見通しで、それでも安心させてくれる目をしている。
 きっと傷ついて乗り越えて、悲しいことも嬉しいことも知って、
 そして傷を見せてくれたんだ。

「あれは高校三年の時だったな」

 看護婦さんはそう言って、少し嬉しそうな顔を見せた。

おわり