――――

 今日に決めたよ、私が死ぬって事。
 ずいぶん探したんだけど、生きている意味なんてどこにも無い。
 私はもうここにはいられない、それって理由にならないのかな?

 睡眠薬は飲んである、バスタブにお湯が溜まった、
後は。

「んっ……」

 カミソリを腕に当てて一気に引いた、白い肌に赤い線が走る。

「う……んぅっ、あっ……!」

 あっという間に血が噴き出し、肌が赤く染まる。

「いたっ……あ、っう……ん、うあぁっ……」 

 痛みと出血に混乱しながらも、なんとか左腕をバスタブに沈めた。
 広がる赤い血を眺めながら、思い浮かんだのはパパとママの事。

(パパ、ママこれからこのバスタブでお風呂入れるのかな?)

 呑気なものだ、これから死ぬというのに。
 冷静な頭でパパとママを思い浮かべている。

 これから私の死んだ浴室でお風呂に入るの?
 これから私のいなくなった家で暮らしていくの?
 どんな顔で私が自殺したこと学校に言うの?


「……え? やだ……」

 自分のいない未来では、パパとママの笑顔が消えている。

「あ……うあ……」

 目元に熱を感じ、視界が滲んだ。

 こんなはずじゃなかった、だれにも迷惑をかけるつもりなんてなかった。
 傷つけたのは自分の体だけじゃない、パパとママも傷つけた。

 体が冷たくなっていくのを感じる。
 力が入らない、動けない。

(ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)

 何度も謝った、もうごめんなさいじゃ足りないくらいに。

 血が流れる、涙が流れる。
 そして私の命も流れていくんだ。

「ごめんなさい」

 もうこんな事しないから、お願いだから止まって。

(やだ……こんなの)

 何も見えなくなった。

――――


三年二組教室

「いちごって夏でも長袖なんだな」

「うん……日焼けしちゃうから」

「そっか、いちごは肌白くてキレイだもんな」

(理由はそれだけじゃないんだけど)

 話しかけてきたのは秋山澪さん。
 彼女は軽音部の一員で担当はボーカルとベース。
 ファンクラブまでありその人気は(一部に)絶大だ。

「……ありがと」

(秋山さんのほうがキレイだよ)

 そう思ったが口には出さなかった。

「やあやあ、お二人さん。プッキー食べる?」

 お菓子を片手に近づいてきたのは田井中律さん。
 彼女も同じく軽音部の一員で担当はドラム。
 部長をつとめている、部員が苦労しそうだ。

 なぜか誇らしげな顔で棒状のお菓子を勧めてきた。

「ほーら”イチゴ”味だぞ~」

「サンキュ、律」

「……ありがと」

(なぜイチゴを強調するの?)

「あーりっちゃん、おいしそうなの持ってるねえ」

 お菓子に誘われて来たのは平沢唯さん。

 同じく軽音部の一員で担当はボーカルとギター。
 高校に入るまで音楽経験はなかったらしい、天然を絵に描いたような存在。

「すまない唯、今のが最後の食料だ」

「そ、そんなぁ、りっちゃん隊長~」

「唯ちゃん、放課後までおあずけね」

 食いしん坊をなだめているのは琴吹紬さん。

 同じく軽音部で担当はキーボード。
 お嬢様、眉毛が太い、あとはまあいいや。


 始業ベルが鳴る。

「あっ、先生来たよ」

 平沢さんが席に戻る。

「数学はイヤですねえ」

 田井中さんが文句を垂れる。

「さっさと座れよ、律」

「へいへい、いちごもイヤだよな、数学?」

「……べつに」

「なにおぅ、見てろよりっちゃんの本気を」

 そんなわけで、今日も私は平常運転。

――あれからもう四年ぐらい?

 秋山さんに話しかけられた事で昔を思い出した。
 手首を切った時を。

――――

「……ねえ……ご」

「……りして、……ちご」

「……お願、……ち……」

――誰? 

 ああ、ママだ。どうしたの?
 何でそんなに私を呼んでるの?
 ここにいるよ、心配しないで。

 あ、手握られてる。やだな、もう子供じゃないのに。

 なんか揺れてる、ベッドも家のじゃないみたい。

 サイレンうるさいな、救急車来てる?
 外でなにかあったのかな?

 それより眠いよ、もう一回寝よ。

――――

――――

 目を開くとよく知った顔が見えた。

「ママ……」

 次に知らない天井が見えた。

 現実を確認するため体を起こそうとする。

「ダメ、まだ寝てなきゃ」

 左腕に違和感を感じる、布団から腕を出すと白い包帯が見えた。

「あれ、私ケガしちゃったの?」

 ママに聞いても何も返ってこない。

――なんで包帯が?

――ここは病院?

 断片的な情報をもとに記憶をさかのぼる。

 病院、救急車、浴室、……。

 ああ、私は切ったんだ、手首を。
 思い出しだした時、もうママの顔は見れなかった。

――――


女子更衣室

「今日は室内だし半袖でもいいんじゃないか?」

 最近秋山さんがよく話しかけてくる。

「持ってきてないの、最初から」

「徹底してるな」

 制服を脱ぎ体操服に袖を通そうとした時、彼女の視線を感じた。
 その先には私の左腕、そして、まっすぐな傷。

――どうして?

 隠すためのファンデーションが落ちている。

――気づかれた?

 右手が反射的に傷を覆い、私は硬直した。
 その行動が彼女に確信を与える。

「みーおー、早く行こうぜい」

「わわ、待てよ律」

 田井中さんだ、助かった。
 二人が遠ざかる。

 右手はいつまでも傷を離そうとしなかった。

――――

 私はあの日から、形成外科、心療内科へと通院することになった。

 傷を治すために、体と、心の。

 みんな優しかった、パパも、ママも、お医者さんも。

 優しさが雨のように降り注ぐ、でも私には答えられる言葉がなかった。

 代わりに泣く事で答えられたら良かったのに。

 あの日から涙は無くしてしまったみたい。

――――

――――

形成外科

「経過は順調ですね」

 少し早く退院し、ママに形成外科へ連れて来られた。
 傷を丁寧に縫い直してもらうために。

「もうすぐ抜糸できます」

「出来るだけ日焼けは避けて下さい、傷は白いままなので目立ちます」

 傷は薄くなっても完全に消えることは無いそうだ。

(もう半袖は着れないかな?)

 余計な感情は停止しよう、消えない傷が出来ただけ。
 きっとたいした問題じゃない。

――――

――――

心療内科

「その後お変わりありませんか?」

 お医者さんが私に聞いてきた。

「口が渇く感じ、あと目が少しかすみます」

「よくある副作用ですね、薬が効いている証拠です」

 最初は薬漬けになるんじゃないかと思っていた。
 でも処方されてるのは一種類だけだし、量も少ない。

「しばらくはこのまま様子を見ましょう」

 私に必要なものはなんだろう、薬とか元気とか笑顔とか、
 そういうものとは違う、別の何かが。

――――


三年二組教室

「ねえ、秋山さん」

「あ、えと、何だ? いちご」

 やっぱりよそよそしい、間違いない。
 私の左腕に気づいたんだ。

「いや、誰にも言ってないからな」

 まだ何も言ってないのに。でも、こうなった以上きちんと話さなきゃ。

「ねえ、今度の日曜空いてる?」

「あ、空いてるよ、何?」

「……話したいことあるの」

 左腕の傷の事を。


待ち合わせ場所

 秋山さんが息を切らせて走ってきた。

「悪い、待ったか?」

「五分ほど」

「正直だないちごは」

「ありがとう」

 今のは褒め言葉じゃないよね?
 わかってるけど。

 今日はフリルのついた白いブラウスを着てきた、もちろん長袖。
 スカートは黒地でリボンとレースがついている、長さは膝下まで。

 秋山さんがぼうっと私を眺めてる。

「……何?」

「いや、似合ってるなと思って」

「そう? 秋山さんも似合ってると思うよ」

 彼女は半袖のTシャツにジーンズ、カッコイイな似合ってて。
 私には似合わないだろうな。

「行こっか、秋山さん」


ネットカフェ

「個室って窓が無いもんだと思ってたよ、いちごはよく来るのか?」

「うん、たまに。ここお気に入りだから」

 私たちは二階のテラス席にいる。
 秋山さんはネットカフェに来るの初めてみたい。

 ここは壁の一面が窓になっている。視線を下げると雑貨屋が見えた。

「ええと、話ってのは?」

「その前にドリンクバー行こ」

 これから話すのは大した内容じゃない、ジュースでも飲みながらにしよう。

――――

心療内科

「家族の方以外に傷のことを話しましたか?」

「いえ、まだ」

「話すことは大事ですよ、気持ちを整理するためにも」

 人に話すって同情を買うみたい、そういう風に思われたくない。

「急に話せといっても難しいでしょう、何かきっかけがあればいいのですが」

 きっと一生話さないだろうな、少なくとも自分からは。

――――


ネットカフェ

「……まあ、こういう訳なの」

 手首を切ったこと、救急車で運ばれたこと、形成外科や心療内科に通ったこと。
 感情を交えず淡々と語った、同情はされたくないし。

 秋山さんはずっとうつむいたまま、両肩が小刻みに震えてる。
 怒るかな、それとも呆れるかな、なんてバカなんだって。

「……うっ」

 啜り上げる声が聞こえた。

 どうしたの、秋山さん?

「なんで泣くの?」

「ゴメン、いちご……」

 こういう場合って私が泣くのが普通だよね。

「ハンカチ使って」

「ありがと……う……っつ……」

 困ったな。
 ここが個室でよかった、本当に。

 ジュースが無くなる位の時間が経った。
 もういいかな?

「落ち着いた?」

「うん……」

「いちごは強いんだな」

 そうは思えなかった。 
 本当に強ければ手首なんて切ってなかっただろう。

「正直わからないの」

「何が?」

「どうして切ったんだろ、って」

「……そっか、わからなくてもいいんじゃないかな?」

 優しいな、秋山さん。

「今元気なんだから、そのままでいいと思うよ」

 励まそうとしてるのかな? 
 それともあんまり考えてない?

 どっちでもいいか。

「うん……」


 秋山さんがカルボナーラをすすりながら聞いてきた。

「いちごって漫画読むほう?」

 私はクラブハウスサンドをかじりながら答えた。

「うん、『彼に届け』とか」

「お、私も読んでるぞ。じゃあ『ミツバチとクローバー』は?」

「うん、それも読んでる。最近って実写化が多いよね、出来はイマイチだけど」

「そうだよな、良かったのは『めだかカンタービレ』ぐらいかな」

 なぜ腹ごしらえをしてるかと言うと、これから二人で買い物に出かけるからだ。

――このまま帰るのも何だし。

 この秋山さんの提案に私も同意した。

「行こっか、いちご」

「うん、最初に服買いに行っていい?」

 そうして私たちは午後の街に繰り出した。


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