包丁を振り上げて、唯の妹である憂が襲い掛かってきた。
それはもはや常人の目をしていなかった。

(くっ、憂ちゃんが敵!? でも洗脳されているにしては……)

憂の動きは合成人間である紬の目から見ても、常人離れをしていた。
十メートルはあろうかという距離を一気につめて、確実に急所を狙ってくる。
人間の持てる能力を最大限まで引き出されていた。

「なんだよ……いったい、なんなんだよ……」

目の前で人外のバトルをはじめた憂と紬を見つめて、律がおののく。
見えない包丁さばきで人を襲う憂も異常だが、
それを確実に防御している紬も充分異常だった。

(くっ、防御で精一杯!)

攻撃に転じれば合成人間タークアーンに敵はない。
だが、親友の妹である平沢憂を傷つけることは『琴吹紬』には出来なかった。
かといって無傷で取り押さえるには今の憂は強すぎた。
彼女は包丁の質量をゼロにして、攻撃を耐えるしかなかった。

「やれやれ」

キンッ

憂の持っている包丁の刃の部分が弾けとんだ。
他の軽音部員には何が起こったのか分からなかったが、
合成人間の強化された視力で紬は見た。
細いワイヤーのようなものが超高速で飛来して、
包丁を絡めとったのだ。

「敵も大分、能力の使い方が分かってきたみたいだ
まぁ、人間の能力を100%引き出す、なんていうのはありふれているけどね」

そう言って黒帽子の影が、泡のように湧いてきた。
ワイヤーを操り、憂の体を拘束する。

「だが、人の幸せを、不幸へと転化する。
世界とは相容れない、世界の敵となってしまったようだね」

「な、なんだあれ」

「死神……?」

「うぅ、おねえちゃん……」

「憂、何でこんなこと」

「彼女を責めないであげて欲しいな、姉妹愛という幸せを
シスターコンプレックスという不幸に変換されてしまっただけなんだから」

(シスコンは元からのような……)

「やっぱり唯が原因なんだな、私には見えるぞ!」

「さっきから澪は何言ってるんだよ」

「だから、梓を襲った犯人は唯なんだよ!」

「ええ、私、襲ってないよ~」

「だから唯は襲ってないけどあ~、だから私には『敵』が見えるんだよ!」

「シャアかよ」

「ま、待って、唯ちゃんには不思議な能力があって
それが原因で梓ちゃんや憂ちゃんがおかしくなったってこと?」

(唯ちゃんはMPLS? それに、それが分かるってことは澪ちゃんも……)

「そ、そうだ、多分、唯は無意識だろうけど」

「そんな、私のせいであずにゃんや憂が……」

「それは違うな、彼女は原因ではあるけど元凶ではない」

「ふえ?」

「よく分からんけど、澪、間違えたんだな、はずかし~」

「う、うるさい!」

「今の君なら見えるはずだ、今回の事件の真の敵がね」

「ジー」

「み、澪ちゃん、そんなに見つめられたら恥ずかしいよ~」

「! わ、わかった、『オクトパス・ショップ』は……」

「残念ながら時間切れのようだ」

「え?」

人の気配がない公園に騒音が近付いてきていた。
狭い路地に大量のトラックが殺到してきた。

「ええ!?」

「何でこんなにトラックが……」

「どんだけトラックに愛されてるんだよ唯は!」

「私じゃないよ~!」

「見えない聞こえない見えない聞こえない」

「いや見ろよ、逃げるぞ!」

(こんなに大量だと私の能力『リリー・リリー』でも防げないわ!)

「正体を知られて焦っている……ヤケになっているといった方が近いかな」

大量のトラックを素手で受け流す紬。
ワイヤーでタイヤをパンクさせるブギーポップ。
どちらも前後を守り、身動きが取れない。
圧倒的な物量の前に、防戦一方だった。

「ムギも力持ち過ぎるだろ!」

「で、でも、ムギは怖くないぞ」

「そうだよ~、守ってくれてるんだよ~」

「そりゃそうだけど、っていうか唯は元凶じゃないけど原因の癖に……」

「でへへ、お恥ずかしい」

(こんな時でも、みんなは変わらないわね)

どんな状況にあっても普段のテンションを保っている軽音部の面々。
その明るさに紬はいつも励まされてきたのだ。

「君達の幸せは仲間といること……だから卒業という、この時期が狙われたわけだ」

「……え?」

黒帽子が話しかけた一瞬の後、トラックが上空から襲ってきた。
横に倒れた車体を踏み台にして、飛来してきたのだ。
その飛来物ははるか頭上を越えて、唯たち三人の方へ突っ込んできた。
両手がふさがっていた紬はそれに反応が出来なかった。

(間に合わない!)

紬の心が絶望に支配された。
車体が地面と激突する音。
だが悲鳴と血しぶきはそこにはなかった。

「悪いね、君の防御は完璧だったから一瞬、隙を作らせてもらった」

ブギーポップの悪びれる様子もなく平然と言ってのけた。
その言葉を聴きながら、紬は見た。
ライダースーツを着た少女が、三人を引っつかんでバイクで疾走するのを。

「彼女が割り込む隙をね」

炎の魔女―――霧間凪
正義の味方は颯爽と登場した。

「さて―――ここは、場所が悪い。彼女達を静かなところへ運んでもらえるかな」

「ちっ、運び屋扱いかよ、じゃあここは任せるぞ」

怪人と魔女は軽く会話を交わすと、さっさと別れてしまう。
凪は唯だけを背に乗せたまま、バイクで走り去る。
その場で下ろされた澪と律はポカンとしている。

「え、ど、どこに行ったの?」

「……多分、学校だ」

「澪ちゃん?」

「彼女の言うとおり、君達のホームに行けばこんな乱暴な手は使わないだろう」

いつの間にかトラックの猛攻は収まっていた。
嘆くような怒るような左右非対称な表情で怪人は言う。

「最愛の人との心中を図ったが、それも失敗に終わったんだ
炎の魔女にまで目をつけられては観念するしかない」

「一体、敵って言うのは誰なの?」

「ああ、梓を襲わせて憂ちゃんを操った
『オクトパス・ショップ』は私たちもよく知ってる……」


「ギー太?」

桜ヶ丘高校の校庭。
バイクから降りたライダースーツ姿の少女と、
『ギターを抱えた』制服姿の少女が向かい合っていた。

「名前は知らないが、とにかくそのギターが今回の元凶ってわけだ」

「な、なんでギー太がそんなことするの?」

「私も末真から聞いただけでよくは知らないんだが、
付喪神っていうのが、現象としては近いらしい」

「つくも?」

「調査でクラスメイトから聞いたんだが、
アンタはそのギターを恋人のように扱ってたんだろ?」

「……うん」

「そうやって、物に感情が移って
最後には物自体が意思を持つらしいんだ
あたしに言わせれば運が悪かったってだけの話だな」

「で、なんでギー太が梓を襲うんだよ」

「ブギーポップも言ってたろ、不幸を幸福に変換するって」

「つまり唯ちゃんを幸せにするために、ってこと?」

「梓を襲って唯が幸せになるわけないだろ!?」

「私たちはもうすぐ卒業だろ?」

「な、なんだよ澪、いきなりそんな話」

「思わなかったか? みんなと、特に梓と離れたくないって」

「……思ったけどさ」

「そうやって悩む唯を見たくなかったんだよ」

「それって……」

「ああ、ギー太は嫉妬していたんだ」

「じゃ、じゃあ、やっぱり私のせいであずにゃんは……」

「それは違う」

いつの間にかギターの横に黒いシルエットが生えていた。

「『彼』はぼくとおなじように、生まれたときから役割が決まっていた
蛸壷のように待っているだけだった彼が、
弾き手を得て歌うことを覚え、愛を知った
それに報いる手段が他のタコを捕まえることしかなかった時点で
彼が世界の敵になることは決まっていたんだよ」

(なんでタコに例えるんだ、こいつは)

「で、でも、つまり、あずにゃんを助けるには……」

「ああ、『彼』を破壊するしかない」

「そんな!」

「澪、それしか方法はないのか?」

「……ギー太は私たちを憎んでいる
そして、それ以上に唯を愛している」

「私たちが唯ちゃんと一緒にいる以上、不幸は続くってことね」

「ああ、それに最後は唯自身も不幸になる」

「……唯」

「……唯ちゃん」

「それにブギーポップは絶対にギー太を消すつもりだ
もし、それを邪魔するなら唯だって……」

「出来ないよ……ギー太を壊すなんて」

「それがある以上、周りの人間はどんどん不幸になっていくんだぞ?」

「……!」

「ティータイムのような甘い時間は永遠には続かない
いつかは席を立たなければならない時がくる
まどろむ様なときを生きるのは
ぼくのようなな不安定な存在だけなんだよ」

「あずにゃん……憂……」

ぽろぽろと。
ただ何も考えずに生きてきたはずの少女。
ギターと出会って音楽と出会って仲間と出会って成長した少女。
彼女は初めて別れの決断をした。
涙を流しながら。

「ゴメンね……ギー太……」

「ねぇ、壊す前に一曲弾いてもいいかな?」

「構わないよ
『彼』がそのつもりだったら飛行機でも隕石でも降らせて
抵抗してくるはずだからね」

「うん、えへへ、私ね、三年間ずっとギー太と一緒に生活して
一緒にうんと練習して、声がかれても風邪をひいても
みんなに内緒で二人だけの曲も作ったんだ」

「幸せだったろうね」

黒いルージュの唇を吊り上げて、見つめている。

「うん、……うん、幸せだったよ」

演奏が終わり、

「やっぱり噂は本当だったね
死神は一番美しいときに殺すんだって」

唯はギー太を叩き壊した。

「結局、幸せって何なんだろうね」


結局、紬は統和機構にMPLSの報告をしなかった。
友人を危険に晒したくなかったし、澪には危険を察知する能力が消えていたからだ。

「あのあと、急に見えなくなったんだよ
ブギーポップは、君に勇気が芽生えたからだよ
って、例の変な表情で言っていたけど」

そう言って妙に晴れ晴れとした表情で黒髪の親友は笑った。

自称『元最強』のフォルテッシモには散々嫌味を言われた。
「あずにゃんかわいいって言ってたくせに」
と言う声がどこからか聞こえた気がして、ペンダントを変にいじくっていたのが妙に印象に残っている。

律は「まぁ、人生そんなこともあるよな」と、特に気にしていない感じだった。
もちろん、それがみなを気遣ってのことだとは全員が知っている。

唯は一人暮らしをすることを決めた。
憂に「私のせいなの?」と言われ一悶着あったらしいが
「自分で決めただけだよ」と笑って決着したようだ。
今度、梓と新しいギターを買いに行くらしい。

結局あの事件はなんだったんだろうと紬は時々、考える。
形のない幸福や不幸といったものに振り回され、
事態の中で自分は何も出来ずにもがいていただけ。
友人達はそれぞれ成長したけど自分はどうなんだろう。

私は唯ちゃんみたいに、選択できないと思う。
今でもまだ甘い蜜のようなティーテイムを過ごしていたいと思う。
それでもいつか、辛い選択をするときがくるのだろう。
不幸にもがき苦しむときがくるのだろう。

それでも別れを想像することは出来た。
いつかの未来を創造するための別れだ。

そのために今は何も考えずに眠ろうと思う。
蛸壷の中で、大きなタコが不幸か幸福を運んでくるまで。



"YUI HIRASAWA,s THAT IS IT" closed.

BGM "ギー太に首ったけ" by YUI HIRASAWA