――高校生活、最後の月になりました。

振り返ってみれば、部活に勉強にと忙しい一年でした。本当にそれくらいしか記憶にありません。
部活も勉強も、一緒に頑張ってくれる友達がいたけれど、私が『頑張る理由』には、友人より大きな『先輩』があったのは否定できません。

先輩が行った大学に行きたかった。
先輩が残した部活を守りたかった。

きっと先輩方はどちらも「梓自身のためにやれ」と言うでしょう。というか何度か会った時に言われた気もします。
ですが私自身のために全くならないわけではありませんし、そもそもこれは『私がやりたいこと』には違いないので、迷いはありませんでした。

軽音部は、新一年生が4人入部してくれました。先輩達が一年生だったころを見ているような――いや見たことは無いのですが、ともかく仲良しです。彼女達なら安心して任せられます。

一方、大学受験の合格発表まであと少し。憂と純が「一緒に先輩達の大学を受けよう」と言ってくれた時は…なんと言いますか、くすぐったかったです。
まぁ憂は放っておいても受かるどころかもっといい所から推薦も来ていたはずなんですが。あくまで私と純と一緒に一般入試で入る、と言い張って聞きませんでした。
私は…まぁ律先輩でさえも受かったんだし大丈夫、とか生意気に構えていましたが……本番ではさすがに緊張しました。むしろ律先輩や唯先輩が受かったのは緊張から程遠い存在だからなのかもしれません。
――あ、後になって聞いたんですが、唯先輩でも始めてのライブはさすがに緊張していたそうです。名誉のために一応。


――ともあれ、今は三月。卒業とか別れとか、そんなものが嫌でも耳に入る季節。
物悲しい気持ちに浸るな、というほうが無理ってものです――


純「――花曇の季節だねぇ」

登校途中、純が空を見上げて呟いた。見上げてみると、空は確かに快晴ではなく。
どこか寂しさを覚えるその空を、私は見ていたくなかった。

梓「うわ、純が風邪ひいてる」

純「どういう意味だ!」

梓「だってそういうのキャラじゃないし……言うなら憂かな」

憂「花曇の季節だねぇ」

梓「そうだねー……風情があるよね」

純「もうこの扱いの差にも慣れました」

私達三人は、いつも一緒だった。
正確には憂と純の仲良し二人組に唯先輩繋がりで私が入ったんだけど、それでも二人はずっと前からの友人のように私に接してくれた。
同学年では比肩する人なんていないほど、仲良し三人組だったと思う。

別学年では……去年までで言えば、唯先輩達がいた。誰もが認める仲良し軽音部四人組。
先輩達との時間は、私にとっても非常に大事なものだった。でも、その先輩達の仲良しっぷりを見るたび、思っていたことがある。

――私も、あと一年早く生まれてきていれば、と。

もちろん、今の憂と純の関係に不満なんてあるはずもなくて。それでも、先輩達と同じ時を過ごせない寂しさは埋めることが出来なくて。
いっそ憂も純も私も一年早く生まれてれば、それが一番よかったんだ、とまで思ってしまう。思ってしまっていた。

さっきからちょくちょく過去形なのはもちろん、今は先輩達がいないから。
とはいえ、だからといって私の寂しさが消えたわけではなく、むしろ日増しに大きくなっていく。

現実と、願望。心のさゆらぎは途絶える事無く。

ふと隣を見てみると、憂も空を見上げていた。花曇の空を。
いつか、いつだったか。その光景を、私はいつ、目にしたのか。

――遠い視線で、空を見上げて手を伸ばす、唯先輩の姿。

憂の姿が、記憶の中の唯先輩と被った。いつのことだか思い出せないほどおぼろげだけど、明確に私に刻まれているその姿に。

……ああ、ダメだ。やっぱり私は寂しいんだ。先輩達が――唯先輩がいないと何かが足りないんだ。


そう自覚することも、もう何度目かわからない。言葉になんて出来るはずもなく、心の中で涙を流す。
唯先輩との思い出が、涙とともに流れ落ちて、心の中に涙の通り道を作る。いつもその道を通り、想いは同じところに流れ着く。

思い出。
当時はどうでもよかったような会話、光景。くだらない会話。
それらは今となっては、一緒に過ごした時間というだけでひどく輝いて見えて。
直視したら、間違いなく眩しさで涙をまた流してしまう。


憂「――梓ちゃん?」

梓「…ん、どうしたの憂」

憂「ん、なんでもないよ。強いて言うなら、純ちゃんが呼んでるよ?」

純「ほーらー! 二人とも早く行かないと遅刻だぞー!!」

……私を現実に引き戻してくれた憂の言葉と、遠くで私を呼ぶ純に内心感謝しながら。
とりあえず、私は笑顔を作る。

梓「純ー! そんなに急ぐとトラックに撥ねられるよー!」

純「縁起でもないこと言うな!!」

梓「あははっ、行こうか憂」

憂「うん!」

憂と一緒に、走り出す。純に追いついたら純も走り出したので、もうそのまま学校まで走ることにした。
……三人で、走る。その光景は、まるで私達のこの一年を現しているかのよう。


――私達は、いや、少なくとも私にとっては、この一年は駆け足だった。駆け足すぎた。

私の前を歩く先輩達が輝いていて。その輝きに追いつきたくて、私はきっと走っていた。ずっと走っていた。
前にあるはずの光が、私の背を押す。
そのおかげで私は頑張れたとも言えるけど、その分、憂や純を蔑ろにしてはいないだろうか? と思うことも多々ある。
思うだけで、口には出さないんだけど。別に憂達をどう思ってるとかそういうのじゃなくて、自分でもわかるくらい、私はたまに素直じゃないから。
でも、素直じゃないから、きっと伝えそびれた言葉がある。憂にも純にも、そして唯先輩にも。
憂や純には、まずありがとうを。そして、これからもよろしくを。伝えそびれているけど、まだ一ヶ月、時間はあるから。
そして、唯先輩には――

――
―――
――――


梓「唯先輩」

唯「ん? なーに? あずにゃん」

なーに? じゃないですよ。なんて能天気な顔してるんですか。
あなたは…貴女という人は……

梓「……私の言いたいこと、わかってますか?」

唯「……練習しなさい?」

梓「そういう意味じゃないです。そういう次元の話じゃないです」

唯「そっか。じゃあわかってるよ」

……本当ですか? 私は今まで一度も、きっと貴女に本心を伝えていません。少なくとも、言葉にしていません。
それでも、あなたは聞こえていたと言うんですか。

唯「大丈夫だよ、聞こえてるよ、本当に――」


――――
―――
――

梓「………」

わかってた。今回も『また』夢だと。
最近、唯先輩の夢ばかり見るから、心のどこかで、夢の中ででも諦めていた。
これは夢、夢なんだ。あまり深入りしてはいけない。そう言い聞かせていた。
だって、そうでもしないと。

梓「……寂しい…」

現実には、あの無垢で明るい微笑みは、私の隣には存在しないから。


――この一年で、先輩達は徐々に私と会ってくれなくなっていった。
もちろん、大学が忙しいというのもあるだろうし、私のほうも受験を控えていたのだから仕方ない、というか当然だ。
むしろ卒業してなお後輩にしょっちゅう会いに来るような人のほうが世間では異常だ。それでも先輩達は充分すぎる回数、私に会いにきてくれた。
ただ、受験が近づくにつれて減っていった、というだけの話だ。空気を読んでくれただけ、とも言える。
それでも会えないと不安になる私の気持ちはわかってくれるのか、メールでのやりとりくらいはしてくれていた。特に唯先輩が率先して。
たまに電話もしてくれていたけれど、私はあまり電話は好きではなかった。唯先輩の口から大学の話が出るのが怖かった。出るたび寂しくなる。唯先輩の声を聞いているのに、だ。
かといって、私の周囲の話を振っても唯先輩は楽しくないだろう。話題は自然と過去の思い出になる。思い出の話をしていると…言うまでもなく、余計に寂しくなる。
会っている時は…会ってくれていた時は、寂しさなんて感じなかったのに。高校と大学の差はあれど、あの頃の軽音部みたいに接することが出来たのに。

――最後に会ったのはいつだったか。思い返せば、入試の最終日だ。実はそんなに時間は経っていない…一ヶ月も経っていない。なのに、私はこんなにも寂しがっている。

唯「憂、あずにゃん、純ちゃんおつかれ~!」

憂「お姉ちゃ~ん!」

梓「あ、先輩方。どうしたんですか?」

澪「どうしたもこうしたも、梓を迎えにきただけだよ」

梓「あ、すいません。いろいろと気を使わせてしまって……受験初日も来てくれたのに」

律「あれは見送り、今回はお迎え。全く別物だって」

純「いい先輩に恵まれてるねぇ、梓は」

紬「いい友人にも恵まれてるわよね?」

純「……ああ、憂ですね?」

紬「半分は、ね」

純「なんだろう、私はこんな幸せを享受していい人間なのだろうか…!」

紬「大袈裟ねぇ……いったいいつもどんな扱いを受けているのかしら?」


律「――つーわけで、私達のおごりだ! 今日はパーっと遊ぼう!」

純「よっ、太っ腹!」

唯「りっちゃんかっこいいー!」

紬「りっちゃんイケメン!」

律「……あれ、私『達』って言ったよな? 私が全部払うみたいな流れになってるのは何故だ?」


澪「っていうか遊ぶ予定自体初耳だぞ」

律「去年、私達が試験受けた時にも言った!」

澪「そして私が自己採点あるからって反対したんで流れたんだったな。梓、憂ちゃん、どう思う?」

憂「私は梓ちゃんに任せます」

梓「えっ?? そう言われると…確かに自己採点はしたいですが、でも先輩達の好意を無駄にはできません」

紬「じゃあ間を取って、ほどほどに遊びましょうか」

澪「そうだな」

唯「よかったねりっちゃん! お金が少し浮くよ!」

律「だから何故私一人が払う前提なんだ?」


――その後、適当なカフェに入って、無駄話をして時間を潰すだけだったけど、やっぱり先輩達と過ごす時間は楽しかった。
今思い返しても、楽しかった以外の言葉は見つからない。なのに何故、私はこんなにも寂しがっているのか。

唯「――あずにゃん、演奏しようよ!」

梓「……いや、ギター持ってきてませんし」

律「そりゃそうだわな……」

唯「えぇー? じゃギー太貸してあげるから!」

梓「それだと唯先輩が弾けないじゃないですか」

唯「そうだね……あー、せっかく一緒に弾けると思ったのにー」

澪「そんな梓が悪いみたいな言い方するなよ」

唯「…うん、無理言ってごめんね? あずにゃん」

梓「いえ、そんな……」

とはいえ、その時の私は今からでもギターを取りに走りたい衝動に駆られていた。
……ずっと追いかけていたんだ。唯先輩と、また笑って一緒に演奏できる日々を。
でも、それは厳密には今日じゃいけない。私が、合格してからでないと。
別に演奏する事自体はいつでもいい。でも、私の頑張りが報われる時は、やはり合格した時なのだ。

唯「じゃあ、あずにゃんが合格した日にはみんなで合わせようよ!」

……一瞬、心を読まれたのかと思った。
でもそれも一瞬だけ。次の瞬間には、いつもの私。

梓「気が早いですよ……一応名門なんですし」

唯「大丈夫だよ、あずにゃんなら受かるよ!」

梓「また根拠のないことを…」

唯「受かってくれないと私が困るから!」

……そういうことは受験前に言ってほしかった。
唯先輩を困らせたくはないから、もっと頑張れたかもしれない。
……いや、逆にプレッシャーになっていたかもしれない。それに、その一言がなくとも充分頑張ってきたと自分でも思うし。

律「にしても、梓が私達を追いかけて受験するって聞いたときは嬉しかったなー」

紬「なんとなく予想できたことのような気もするけれど…それでも、ね」

澪「私も嬉しくないといえば嘘になるけど……本当に良かったのかとも思ったよ」

澪先輩には何度か言われた。嬉しいけれど、もっと行きたいところがあるんじゃないか、やりたいことがあるんじゃないか? と。
決して私を遠ざけたい言葉ではなく、純粋に心配してくれているというのはわかっていた。それでも、私には野暮な質問だった。
行きたいところは先輩達のいる所。やりたいことは先輩達と演奏すること。何度聞かれようとも、私はそう答えた。

唯「いいじゃん、これで放課後ティータイム再始動だよ! 憂や純ちゃんも入る?」

純「え、いいんですか!?」

憂「純ちゃん、軽音部入らなかったこと後悔してたもんねぇ」

律「そうなのか? いつでも大歓迎だったのに」

純「いやぁ……メイドだったりジャージだったりで誤解してまして…」

入学前に部活を見学に行った時にそんな格好をしていたらしい。私は見てないけど。
……見てたら私も入ってなかったのかな? そうだとしたら見なくて良かった…

澪「ほらみろ…ごめんな純ちゃん。償いと言ってはなんだけど、大学入ったら一緒にやろう?」

純「ううっ、さすが澪先輩…眩しいです! カッコイイです!」

律「…ま、確かにそろそろみんなで合わせる音楽が恋しくなってきたところだしな。二人も増えたら、もっと沢山の曲も出来るようになるだろうし」

梓「……あれ、先輩方、サークルとかで演奏してないんですか?」

紬「みんな何サークルにも入って無いわよ?」

澪「自主練期間だな」

律「あるいは充電期間」

唯「ニートだよ!」

梓純「「ええっ!?」」

唯「……憂、教えてなかったの?」

憂「ごめん、タイミングがわからなくて…」

梓「な、なんでですか! そんな勿体ない……!」

澪「大丈夫、腕は落ちてない自覚はあるよ」

梓「そうじゃなくて…! 例えば、先輩方以外にもN女に行った同級生とかに何か言われませんでした!?」

紬「むしろ、そういう人達は事情をわかってくれてるわよ」

純「事情?」

梓「まさか………」

律「ま、そういうこった」

私はそのまますぐに顔を伏せた。恥ずかしいやら嬉しいやらで顔から火が出そうだった。
そして『どこか抜けてる』と純に指摘されたほどの自分の迂闊さを再び自覚する。あぁもう、その場の感情に振り回されすぎだ、私……

唯「だからさ、あずにゃん」

呼ばれ、顔を上げる。

唯「――早くおいでよ。待ってるよ?」

そこには、いつもの笑顔で、いつもの姿で、こちらに手を伸ばす、唯先輩。

その手を掴むことは、まだ私には出来ません。ですが……今は私の眼前にあるその手先を、私はずっと追いかけてきたんです。
そう、遥か彼方にあった手先は、今や目の前に。



――『唯先輩は太陽のような人だ』と澪先輩あたりなら言いそうだな、と思う。
間違っているとは思わないが、私は太陽か月かでいえば月だと思う。
……太陽は直視できたものではないし、太陽は近づかれることを拒んでいる。どちらも唯先輩とは似ても似つかない。その点、まだ月のほうが近い。
でも、月よりは星だと思う。私のスター、なんてくだらない駄洒落ではなく。もっと言うなら『星を創る人』だろうと思う。そんな人がいるのかはともかく。
……目を閉じれば思い出される唯先輩との思い出は、太陽や月のように『たった一つ』ではなく、それこそ夜空に煌めく星のように無数に光り輝いている。
さらに、一つの星の思い出から線で結ばれたように次の思い出まで蘇ってくるからたちが悪い。まったくもってたちが悪い。

私の心の夜空に、思い出という名の星を降らせる人。それが唯先輩だ。


そして先輩が降らせた星々は、私の心のゆらぎ――寂しさとの相乗効果で、さらに激しく明滅する。寂しいからこそ、輝いて見える。光が涙腺を刺激するほどに。
私は寂しいにもかかわらず、その輝きをもっと欲してしまう。結果、私の空に煌めく星の数は増え続ける一方だ。
寂しいと、寂しくなるとわかっているのに、次を次をと求めてしまう。それでいて、まだまだ思い出が出てくることに少しだけ自慢気でもあったりする。
寂しい涙の通り道は幾筋も増え、分岐し、繋がり。
思い出の星々の輝きは絡み合い、煌めき合う。


――でも、それでもいいのかもしれない。
満天の星空を眺めるのは決して嫌な気分じゃないし、付随する寂しさは私をここまで走らせてくれた。

……私の辿り着きたい場所、目指す場所まで、あと一歩。


唯『あずにゃん、明日だね! 合格発表! 今夜は早く寝ないとね!』

梓「そう思ってるなら夜中に電話してこないでください」

唯『いいじゃん、しばらくご無沙汰だったんだしー。みんなで見に行くからね!』

梓「落ちてたら洒落になりませんが……私も先輩方にはいろいろ伝えたいことがありますし、嬉しいです」

唯『おおっ、何かな?』

梓「唯先輩には特にありませんけど」

唯『ひどいっ!?』

梓「……ひどくはないですよ。唯先輩だから、です」


……唯先輩だから、言わなくてもわかってくれますよね。

――あれは夢だったのかもしれない。かもしれないではなく、十中八九そうだろう。
それでも、唯先輩には、聞こえていると思いたい。聞こえていて欲しい。
聞いて欲しい。私の、心の声。
お願い。

いつまでも、ずっと。

――唯先輩、あなただけに。



おわり



最終更新:2011年01月21日 02:15