憂「大丈夫だよ、お姉ちゃん」

笑顔のお姉ちゃんに対し、私も笑顔で返します
でも、目線は伏せてしまいます。無意識に。
いえ、意識的なのかもしれません。お姉ちゃんのその笑顔の裏に、どんな感情が秘められているのか…私は知ってしまったから。
直視できませんでした。純真無垢だと思っていた笑顔の裏に、どす黒い憎しみ、妬みが渦巻いていて。その理由が私だと知ってしまったから。

そんな感情を抱かせてしまい、なおかつ気づいてあげられなかった。
私は、お姉ちゃんの妹失格です。


いつも今まで通りの笑顔でいること。それが、私にかけられた枷。お姉ちゃんを苦しめてしまった私の、唯一の贖罪の方法。お姉ちゃんはそう言いました。


あのときのことは、今でも覚えています。

唯「う~い~っ!」

憂「わっ!? 危ないよお姉ちゃん、今食器運んでるんだから」

唯「えへへー。憂はいつも偉いねぇ」ギュ

憂「もう、お姉ちゃんったら…どうしたの?」

唯「んー? どうもしないよ、本心だよ?」

憂「うーん、でも私も、お姉ちゃんのためだから頑張れるんだよ?」

唯「そっかー、私のためかぁ…」

少しだけ、お姉ちゃんの声色に寂しげなものが混ざった気がしました。

唯「私のためにご飯作ってくれて、私のために掃除洗濯してくれて、私のために勉強も教えてくれて、私のためにギターの練習して…」

ギターって、あの去年の文化祭のことかな? あれ、私、お姉ちゃんにそのこと教えたっけ…?

唯「ホント、憂はなんでもこなすよね。偉い偉い」ギュー

憂「お、お姉ちゃん、苦しいよ///」

一瞬だけ頭を掠めた違和感も、お姉ちゃんの温もりに吹き飛ばされてしまいます。
お姉ちゃんに抱きしめられる。なでなでされる。すりすりされる。お姉ちゃんと一緒なら、幸せな時間はいくらでも見つけることが出来ます。


でも、その時の私は考えようともしませんでした。
私に沢山の幸せを与えてくれるお姉ちゃん。
大好きな、お姉ちゃん。
かけがえのない、唯一無二の大切な人。
そんな人から。


唯「…ホント、憎たらしい」


もし、そんな人から逆に拒絶されたら、という事態を。



…気づいた時には、私は食器を取り落としていたらしく、お姉ちゃんが破片を掃除してくれていました。

憂「お、お姉ちゃん…」

唯「あ、もー憂、どうしたの? ボーっとしちゃって。危ないよぉ」

憂「あ、うん、ごめん、後は私がやるから……」

唯「いーよいーよ、もう終わるから。……ほい、っと」

まだ、目の前がくらくらします。呆然自失、前後不覚、なんかいろいろ言い方はありそうですが、とにかく自分でもわかるくらいに、私はひどくショックを受けていました。
当然と言えば当然なのですが。

憂「お、お姉ちゃん……どうして?」

唯「ほえ? 何が?」

憂「わ、私のこと……に、憎たらしいって」

もし、もしかしたら。私の幻聴であったりとか、夢だったとか、そんな都合のいい展開があるのではないかと。
……もちろん、そんな淡い希望は打ち砕かれ、掴んだ蜘蛛の糸は千切れるだけだと、わかっていましたけれど。

唯「…どうしてそんなことを言うのかわからない、ってこと? 憂は頭いいんだから、少し考えればわかるでしょ」

どうして、どうしてそんな優しい微笑みで、私の心を抉ってくるんでしょうか。
私の行動原理は、全てがお姉ちゃんのため。もしその中の何か一つでもお姉ちゃんを傷つけていたのだとしたら、私は私に私の存在意義を否定されたといっても過言じゃありません。

憂「……あ」

もしかして。
さっき感じた違和感。それが…答え?

憂「お姉ちゃん、なんで…私が練習にこっそり出たこと、知ってたの?」

唯「…あずにゃんから聞いたんだ。口を滑らしちゃった、みたいな顔してたけどね」

梓ちゃんがうっかり『憂はもっと上手かった』みたいなことを口走ってしまって。
お姉ちゃんに問い詰められ、あの日のことを全部喋ってしまったみたいです。

唯「りっちゃんの一言も冗談だとは思うけど、捨てられたみたいな気持ちになって落ち込んだよ。
  澪ちゃんだってツッコミ入れてたけど、きっと本心は一緒だったよね」

憂「それは違うよ! 梓ちゃんから軽音部の様子を聞く機会はあったけど、みんなお姉ちゃんのことを心から心配してた! 特に梓ちゃんが!」

唯「そのあずにゃんは、文化祭終わったらずっと私に説教してたけどね。きっと内心、憂のほうが良かったとか思ってたんじゃないかな」

憂「そんな! そんなこと……」

唯「まぁ、そんなことはどうでもいいんだけどね。とりあえず、憂の質問の答えはわかった?」

私の質問。一瞬わからなかったけど、思い出します。
私の行動の何が、お姉ちゃんの逆鱗に触れてしまったのか、ということ。
きっと、この会話の流れから言って、その答えは…

唯「――料理も、掃除洗濯も、勉強も、私は滅多に頑張ろうって思わないから、憂のほうが出来るのは当たり前なんだよね。お姉ちゃんとしてそれはどうかなって思うけど」

憂「………」

唯「だけど、ギー太のことだけは別だった。私は私なりに、ずっと頑張ってきたつもりだった。生まれて初めて、心から頑張れるものが出来たって思えた」

顔は伏せられていて、お姉ちゃんの表情は読み取れません。
それでも私は、今すぐにでも、お姉ちゃんに謝らないといけない。頭を下げないといけない。心から、そう思いました。


唯「でも、そんな私の頑張りも、憂は数日で越えちゃってさ。私は――」

でも、お姉ちゃんの言葉は、悲壮であるがゆえに力強くて。割り込む余地なんてなくて。


唯「――私は、なんなんだろうって。そう思っちゃうよね」


憂「ご、ごめんなさい! お姉ちゃん!」ポロポロ

お姉ちゃんの独白が終わった瞬間に、涙を流して悔いることしか、私には出来ませんでした。

憂「ごめん、ごめんなさい……」

唯「……謝らないで、憂。私だってわかってるよ、憂が憂なりに私のことを想って行動してくれてたことは」

憂「でも、それでも、私のやったことは……!」

唯「うん。だから私は、憂のことが憎たらしい」

憂「っ…! ごめんなさい、お姉ちゃん、なんでもするから許して…!」

大好きなお姉ちゃんに憎まれる。それだけで、私は…消えてしまいたくなります。
でも、続くお姉ちゃんの言葉は、私を許すものではありませんでした。…当然ですが。

唯「憂、許すも許さないもないよ。私は憂に何一つ勝てない。ただそれだけの事実、それが現実なんだから」

憂「でも、でもぉ…!」

唯「だから私は憂が憎い。でもそれだけだよ。憂は大事な家族。今までと何も変わらないよ」ニコッ

お姉ちゃんの言うことが、私には理解できませんでした。こんなこと、後にも先にもこの時だけでしょう。
何も変わらないなんて…無理です。少なくとも私には、憎まれてる相手に変わらない笑顔を振り撒ける強さはありません。
でも、お姉ちゃんの笑顔は、今までと何一つ変わりはなくて。相変わらず眩しくて。
その笑顔を見ていると、やっぱり私はお姉ちゃんが大好きなんだな、って思ってしまいます。

唯「ほら、いつも通りに笑って?」

憂「う、うん」ニコッ

でも、こうして『いつも通り』を強要してくるということは。
お姉ちゃんは。
私に。

……間違いを正す機会さえ、与えてくれないということで。

唯「うん。やっぱり憂は笑顔が一番だよ。さすが私の誇れる妹だね!」

本当に、誇れる妹かな? お姉ちゃんを深く傷つけちゃった、最低な妹じゃないかな?

……聞くまでもありません。私は、妹失格です。決して許されることのない過ちを犯してしまったのですから。
正直、つらいです。苦しいです。
涙も…抑えきれ――

唯「……うーいー? 弱みを見せることなんて許さないよ? 『私より優れた』世界一の妹なんだから。ね?」

憂「っ……う、うん、わかってるよ、お姉ちゃん」ニコッ

唯「うん、いい子いい子」ナデナデ

憂「っ…」

反射的に視線を下げ、目を閉じてしまいました。
今、私の頭を撫でてくれているその手が。
私を憎む、お姉ちゃんの手が。
ただ単に、私に暴力を振るうために伸ばされたのではないか、と。
……そんな勘繰りをしてしまったのです。

唯「……大丈夫だよ、憂。痛いことなんてしないよ」

自分で勘違いしておいて何ですが、無理もないと思います。
普通なら、普通の人なら、憂さ晴らしに暴力の一つや二つ、振るいたくなるものだと思いますから。
でも、お姉ちゃんは優しくそれを否定するのです。

唯「私は憂が、今まで通り、いつも通りのいい子の憂でいてくれれば、痛いことなんて何もしない」

……一見、私の不安を取り除いてくれそうなその言葉は、実に的確に私の心を痛めつけていきます。
だって、お姉ちゃんを傷つけてしまったのは、その『いつも通りのいい子の私』なのですから。
『いつも通り』にしていたら、またいつかお姉ちゃんを傷つけてしまうかもしれません。

憂「無理だよ…お姉ちゃん。怖いよ……」ポロポロ

ついさっき、弱みを見せるなといわれたばかりなのに。
それなのに、私の涙はとどまることを知りませんでした。
今度こそ、お姉ちゃんは私に失望したでしょうか。見捨てられるのでしょうか。

唯「もう、憂は泣き虫さんだねぇ。そして臆病さん」ナデナデ

憂「あ……」

私の予想に反して、お姉ちゃんは笑顔でした。
どういうことだろう。私はまだ、希望を持っていいのかな? お姉ちゃんに甘えていいのかな?
甘えることを…許してもらえるのかな?
一縷の望みをかけて、私は尋ねます。

憂「うん…そうなの、だから……教えて欲しいの。お姉ちゃんが、私に求めること…」

それが、一番の安全策。
求められていることだけをしっかりやっていけば、お姉ちゃんの意に反する余計なことをしなければ、私が独断で行動しなければ。
お姉ちゃんを傷つけることはないのです。
でも。

唯「……じゃあ、憂? お姉ちゃんが今から言うこと、ちゃんと守ってね?」

憂「う、うん。絶対守る! 何でも言うこと聞く!」

唯「うん。それじゃあね――」

お姉ちゃんは。


唯「――今のままでいて? 何も変わらない、私の憎む、憂のままで」


やっぱり、私を許してはくれないのです。



クラスでは、上手くやれていると思います。
純ちゃんも梓ちゃんもいつも通り接してくれますから、私はいつも通り笑えているのでしょう。

学校でお姉ちゃんに会う機会があると、少しぎこちないかもしれません。

特にお姉ちゃんが部活の時だと…
クラスでの私を知ってる梓ちゃんに、
弟さんがいる律さんに、
変なところで鋭い紬さんに、
私とお姉ちゃんの両方をしっかり気にかけてくれる澪さん。
と、勘付かれてしまいそうな相手が沢山です。
きっと上手くやれていると思いますが、たまに澪さんが不安そうな顔をしています。

そして、家でお姉ちゃんと二人っきりになると臆病な私が顔を見せます。
もちろん努力はしています。でも、いつもお姉ちゃんに見透かされてしまいます。

唯「……憂? そんなに怯えられると傷つくんだけど…」

憂「ご、ごめんねお姉ちゃん…」

いつの間にか、お姉ちゃんを恐れている自分に気づき、愕然とします。
お姉ちゃんのどこを恐れるというのでしょう。こんなにも優しく、可愛く、素敵なお姉ちゃんを。
そうです。全部、悪いのは私なのに……

憂「ごめん、ごめんね……」ポロポロ

唯「……憂、泣いちゃダメだって言ったでしょ? 痛いこと、して欲しいの?」

憂「そんなこと…ひぐっ、ない、けど…」

私が欲しいのは…お姉ちゃんの許し、ただ一つです。
嫌われたまま、憎まれたまま生きているのは…苦しすぎます。

唯「うーん…そうだねぇ、憂は私の言うことを何でも聞こうって努力してるもんね。おしおきとかじゃなくて、ごほうびがあったほうがいいよね」

憂「ごほう…び?」

唯「うん。ほら憂、ちゃんと『いつも通り』笑って?」

涙を拭いて、深呼吸。
大丈夫、きっと笑える。お姉ちゃんの…命令だもん。

憂「ど、どうかな? お姉ちゃん」ニコッ

唯「ん~……」マジマジ

憂「お、お姉ちゃん、顔が近――」

唯「合格」チュッ

――へ?
い、今、お姉ちゃんは何をしたの???
わ、私のおでこに……ちゅー、した???

唯「ごほうびだよ。唇にはあげないけどね」

憂「ど、どうして…?」

唯「どうしてって…ごほうびなんだからいいじゃん。イヤだった?」

憂「い、イヤじゃないよ! すっごく嬉しい!」

そういう問題じゃなく、どうしてお姉ちゃんは嫌いな相手にキスをできるのか。
そういうことを問おうと思ったのですが、でも嬉しいのは事実です。
少なくとも、こうしてキスされてしばらくは、私がお姉ちゃんに嫌われているという事実を忘れることが出来たのです。
……お姉ちゃんのことがまたわからなくなった気もしますが、きっと別問題です。


唯「よしよし。素直な憂はかわいいねぇ」ナデナデ

憂「えへへ……///」

ああ、どうしてお姉ちゃんの手は、いつもと変わらず温かいんだろう。
その、私を憎んでいるはずのその手が、何よりも私を落ち着かせてくれるんだろう。

唯「私は、憂がいないと何も出来ないからねー。これからもよろしくね?」

憂「…うん。お姉ちゃんのためなら、私はなんだってするから」

お姉ちゃんは、こんな私をまだ頼ってくれます。なら、私に応えない理由はありません。
それに、期待に応えればきっとまた、お姉ちゃんは私を抱きしめてくれます。お姉ちゃんの温もりを感じることができます。キス…してくれます。
欲しいんです。お姉ちゃんが。
私も、お姉ちゃんがいないと生きていけないんです。

……たとえ、お姉ちゃんに一生憎まれていても。
いえ、むしろ憎まれているからこそ、一層私はお姉ちゃんのために何かを、何でも出来るとさえ思うのです。


――お姉ちゃんに犯してしまった過ちを、罪を、私は一生をかけて償おうと思います。


――はい。私の一生は、お姉ちゃんのためだけに。



勝った!第一部完ッ!



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