翌週土曜日・午前
澪「よし…」
私はあの道場の前に立っていた。
あの夜、道場の名前からネットで連絡先を割り出し、見学の予約をした。
電話帳に載ってないのは、最近越してきたばかりだからだ。
HPもあったが、工事中が多くて簡単な地図と連絡先だけだったが、それで充分だった。
しかし…
澪「し、失礼します…」
意を決して玄関を開ける。
?「どうぞー」
澪(…うわ、意外と広い)
外からだとよくわからなかったが、玄関の左手に広がっていたのは5×10、つまりは50畳の道場だった。
既に稽古は始っているらしく、二人組で3セット、うち奥の一人が近づいてきた。
澪「あ…け、見学を予約した秋山…です」
?「私がここの師範の○○です。まずはゆっくり稽古を見ていてください」
澪「は、はい」
澪(う…この人が師範? 普通のおじさんというか…)
白髪混じりのオールバック、身長は自分と同じくらいで男性としては小柄な方。まるで普通のサラリーマンだ。
いつの間にか、別の人が稽古を中断して、道場の端に座布団を敷いてくれた。
門下生A「どうぞ」
澪「は、はい」ペタン
そのまま何事もなかったかのように、皆が稽古を再開。
澪(なんか…あっさりしてるな)
そのまま30分ほど稽古が続く。
二人組の稽古は、一方が攻撃、もう一方がそれを受ける感じだった。
約10分交代で相手を入れ替え、そのうち1度は必ず師範と組むシステム。
お互いに技のことについて話しながらやっていたりする。
澪(空手とかとは全然雰囲気が違うな)
空手の道場では、一人で型の練習をやっているのを見たが、こちらは必ず相手がいる。
それに、攻撃する方も練習なのか、お互いに声をかけたりしながらやっていたりする。
澪(…こ、これで本当に役立つのかな)
ほのかな疑問がわいた時、あの師範が私の前に座った。
師範「どうですか?」
澪「あ、あの…まだよくわからないというか…」
師範「まあ、そうでしょうね。えっと、秋山さんは高校生でしたか」
澪「は、はい」
師範「うちも女性は何人かいますが、高校生は初めてですね」
澪「はあ(うー、とすると組む相手は男の人ばっかり?)」
師範「せっかくですから、少しやってみませんか?」
澪「ええ…え?」
師範「えーっと、あ、△△さん、ちょっと一番最初のを一緒にやってあげて」
△△「はーい」
澪「あ、あの」
△△「まずは、お互いに座ったままでやる『座取』からします」
澪「は、はい」
△△「正座して、最初はお互いに両手をついて礼」
澪(う…なんかいつの間にやらペースにのってる)ペコ
師範「うん、姿勢はいいね」
澪「はは…(わーみんなこっち見てる…恥ずかしい)」
△△「まずはこちらが見本を見せるので、利き腕の方で私のこめかみを横から攻撃してください、このように」スッ
澪「ひっ」
△△「いや、今のは例ですので当てません」
澪「は、はい」
△△「では、思いっきりでもいいですよ」
澪(そ、そんな初対面で)ソロォ
△△「はは、ではゆっくりと…左利きですか?」
澪「う」
△△「で、攻撃してきた方の腕で手刀を作って受け止め、空いた手で支えて手刀の方も持ち替えて」
そこまでは非常にゆっくり解説していたのですぐ理解できた。
しかし。
△△「両手で地面まで下ろす」
澪「!?」
瞬間、私は自分でも驚くほど簡単に横向きに転がっていた。
脱力したような変な感触を残して…
澪(う…スカートじゃなくて良かった)
師範「簡単に思うでしょう?」
澪「…」
言葉が出なかった。というか、こんな簡単なものなのか、武術って。
△△「じゃ、次は私が攻撃側で。ゆっくりいきますよ」
澪「は、はい」
その言葉に偽りなく、非常にゆっくりとしたスピードで左側からくるパンチ(こういうのはフックかな)を受け止め、手を入れ替えて…
澪「あ、あれ?」スカッ
確かに地面というか、畳に向けて下ろしたはずなのに、相手は正座のままで倒れない。
腕だけがくるっとまわった感じだ。
澪「え? え?」
どうみても、そんな難しい動きじゃなかったはずだ。なのに、相手にはできて私にはできない。
師範「これが『合気の理合』というものです」
あいきのりあい?
△△「ま、自分もまだはじめてから間もないですが」
師範「△△さんまだ入門2か月ですからね」
…
澪「あ、ありがとうございました」
1時間後、私は頂いた名刺を両手で食い入るように眺めながら帰路についた。
周りからは変に思われたかもしれない。
師範『では、入門したくなったらご連絡ください』
なんだろう、不思議な感じだ。
武術って、もっと怖いイメージがあったけど、これは違う。
まだちょっと大人に交じって稽古するのは怖い気もしたけど、見た感じ悪そうな人はいない。
そういや、この前の眼鏡かけた人はいなかったな。
これならやれるかも…
毎月の稽古代を出してもらうためにマm…お母さんとお父さんにお願いしたのは、その日の夜だった。
金曜日の放課後
唯「ふいー、今日はいっぱい練習したよ」
梓「すごくいい感じでしたね」
紬「これぞ、けいおんぶって感じよね~」
律「よっし、練習も終わったことだし」
唯「アイスだね、りっちゃん!!」
律「おうよ、わかってるじゃん唯」
梓「帰りにあのアイス屋さんによるんですか?」
紬「まあ、いいわね」
澪「(今からなら稽古できるな)…悪い、私、先に行く」
唯「ええ? 澪ちゃんいかないの?」
律「おや~ん、秋山さんはダイエット中かしらん?」
澪「ば、違うよ、ちょっと用事。じゃな」スタコラ
梓「…走ってちゃいましたね」
律「なんかさ」
紬「なあに?」
律「最近、澪の奴、変なんだ」
唯「変?」
律「ああ。土日に遊びに誘っても、朝からいないこと多いし」
梓「朝からですか?」
律「それに、今日みたいに平日もたまに急いで帰ったりするんだ」
紬「練習中は普通みたいだったけど?」
唯「でも、用事って言ってたよね。何だろう?」
律「それがさ、聞こうとしても結構はぐらかされるんだよね」
梓「言いたくない用事なんでしょうか」
唯「あ、わかった!!」ポン
紬「なあに?」
唯「ズバリ、彼氏ができたんだよ!!」フンス
律「ば、ばかいうな、澪に彼氏?」アセ
唯「そうだよ!! でも澪ちゃん恥ずかしがり屋だから、私たちに言えないんだよ」
律「でも、私に何にも言わないなんてこと…」
梓「だからかもしれませんね。律先輩より先に彼氏作っちゃって、不憫で言うに言えないとか」
律「なかのぉ~!! どの口が言うか? これか、この口なんか!?」グニグニ
梓「ひたいれふ、やめへくらはい~」
紬「ダメよ!!」
唯「ほえ?」
紬「花の女子高に不純異性交遊は厳禁よ!! 校則違反よ!!」
唯「ムギちゃん、なんか怖い」
紬「と、とにかく、澪ちゃんが悪い男につかまっているかもしれないわ!! ほっとけないわ!!」
梓(彼氏いること前提ですか…)
律「た、確かに気になるな」
紬「でしょ!! だからさっそく尾行開始よ!!」
梓「い、今からですか?」
唯「わくわくしてきたね!!」
律(唯がアイスを忘れている!!)
紬「今から行けば間に合うわ!! 全力疾走よ!!」ビューッ
梓(私もアイス食べたかった…)
電柱の影
律「お、出てきた」コソコソ
梓「一度帰宅して、私服に着替えて…」
紬「これは可能性が高いわ」
律(でも、あんまおしゃれしたわけでもないな)
唯「あれ、あの大きなスポーツバッグなんだろう?」
梓「デートにしては不自然に大きいですね」
紬「とにかく、後をつけるわよ。気付かれないように」キリッ
律(テンション高っ)
…
梓「駅前…」
律「おいおい、マジで可能性あるじゃん」
唯「あれ、誰か見つけたみたい、手振ってる」
梓「澪先輩の方から走って行きましたね…ええ!?」」
紬「どうしたの?」
梓「あ、あの、相手の方が…(やばいもの見ちゃった?)」
唯「おおー、お…おじさんだね」
律「は? あ、あのおっさんが彼氏? んなばかな…」
梓「ま、まさか…?」
唯「援交?」
律「だーっ、声抑えて!!」
梓「私はそれより、唯先輩の口からさらっとそんな単語が出たことに驚きです」
紬「…」ワナワナ
律「え…と、紬さん?」
紬「援交…ダメよ澪ちゃん、そんなことに手を染めちゃ…それにあのバックの中には多分制服が…」
~
澪『パパ、今日は私服がいい? それとも…制服?』
澪『うん…毎日着てるやつ…本物だよ…』
澪『え、見てみたいって…うん、パパには特別に見せてあげる』
澪『でも…ちょっとお小遣い、あげて欲しいな…』
澪『え、いいって? やった、パパ大好き!! サービスしちゃうね!!』
~
紬「ギルティー!!」ドカドカドカドカ…
梓「ひいいいいい、ムギ先輩落ち着いて!! 変な妄想と壁に素手で穴あけるの同時にやらないでください!!」
唯「同時じゃなくてもダメだとおもうよ?」
律「おまえは何を言っているんだ…」
紬「…ハアハア…と、とにかく、澪ちゃんを追いましょう、魔の手に落ちる前に」
唯「見つからないようにね」
律「いや、あんだけ騒いで、まだ見つかってないことの方がすごいよ」
梓「周りの人の視線が痛いです…」
律「なんだか仲良さげだな」
紬「甘い言葉でお小遣いを吊り上げる作戦ね」
梓「ムギ先輩は少し黙っていてください」
唯「なんかあの家に入っていくよ!!」
律「ここらへんにしては大きな家だな」
紬「資産家がお金に任せてJKを買うなんて…」
律「いや、ムギがいうと説得力ないぞ」
紬「と、とにかく、乗り込むわよ」
律「確かに、澪にはそんなことして欲しくないしな、行くぞ!!」
唯「がってん承知!!」
梓「…あれ、この玄関の横の看板…」
紬「澪ちゃん、早まっちゃだめ!!」バタン!!
律「澪、大丈夫か!!」
唯「たのもー!!」
道場生一同「…はい?」
澪「…お前ら…何やってんだ?」
梓「お、遅かった…」
道場内
澪「ガミガミガミガミ…」
唯・律・紬「ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ…」ペコペコペコ
梓(なんで私まで…)ペコペコ
師範「まあまあ、秋山さん、その辺にしておいて…」
澪「で、でも先生…」
師範「はっはっはっ…しかし、秋山さんもそんな大きな声出すんですね」
澪「う…」
師範「おしとやかな感じの秋山さんが、軽音楽部ということにもびっくりしましたよ」
澪「あ、その」///
紬「しかし、澪ちゃんが武術を…」
梓「あのおじさんは、同じ道場生だったんですね」
律「バッグは道着入れか…」
唯「それにしても…」
梓「袴姿の澪先輩…」
紬「いいわあ…」
唯「ポニテでまとめているところがオツですなあ」
律「おまえはオヤジか(でも…確かにかっこいいかも)」
澪「…お、お前らなー!!」
帰り道
梓「大分おそくなっちゃいましたね」
唯「おなかすいたよ~」
紬「でも、なんで澪ちゃん黙ってたの? だいとうりゅう…あいきじゅうじゅつ? をはじめたこと」
澪「いや、別に部活に穴あけるわけじゃないし、道場の方は稽古時間帯なら何時でも来ていいし、いつ帰ってもいいし」
律「まーそうなんだけどさ。隠すことないだろ?」
澪「…わ、悪かったよ」
唯「それよりもさー、なんで武術はじめたの?」アチャーオチャーゲンマイチャー
梓「唯先輩、それ別の武術じゃ」
律「そだぞ、澪にしては意外すぎるぞ」
唯・梓(スルーされた!!)
澪「い、いや…その、美容と健康と、気分転換にだな…力も使わない武術だし…」
律「…なーんか、とってつけたような理由だけど…いっか」
澪(律…今はまだ言えないんだ…ごめん)
紬「でもおかげでいいものが見られたわ…袴姿の澪ちゃんなんて想像さえしてなかったから…携帯のメモリーがいっぱいよ」ウフフ
澪「ム、ムギ!?」
律「いつのまに…」
紬「写真だけじゃなく、動画もなの~」
澪「け、消せ!! 今すぐ消せ!!」
紬「あら、ごめんなさい、唯ちゃん達に送っちゃった」ピロン
澪「やめろおお~」
唯(さすがはムギちゃん)
梓(いつもみんなの一枚上を行ってます)
合気は奥が深いな。
一番最初に習った技…どうみても両手を下におろしてるだけみたいなのに、きちんと下ろさないと腕がくるって回るだけになる。
理合…一般的にいうところの理論か…これに沿ってないとうまくいかない。
そう、こうやって…こう。
相手が突いて来た時は、片足を軸にしてよけて、それから…
ママー、アノオネイチャンヘンナオドリシテルヨー
シー、ミチャイケマセン
澪「う…」カアア
思わず一人練習始めちゃった…下校中の道で…恥ずかしい…
最終更新:2011年01月19日 22:30