唯「憂!?」

憂「…っ、ぐすっ…」

律「う、憂ちゃん!ごめん、泣かせるつもりじゃなかったんだ!」

お姉ちゃんと律さんの言葉にぐっと涙を拭う。
きっと律さんも変な意味があって聞いた訳ではないこともわかっている。
だけど、泣いていてはいけない、そう思いつつも溢れる涙は止まることを知らない。

唯「憂」

憂「…なに?」

唯「私、何とも思ってないよ」

憂「お姉ちゃん…」

唯「憂のこと、大好きだもん」

お姉ちゃんは真っ直ぐに私を見て、優しく微笑んでくれた。
不安でいっぱいだった私の心が少し明るくなる。
背中を擦ってくれるお姉ちゃんの手のひらはとっても温かかった。

律「ごめんな、憂ちゃん。こんなことを言いたかったんじゃないんだ…」

憂「はい…大丈夫です」

律さんの表情は心なしか少し穏やかになったような気がした。
その目はまるで妹に接する時の“お姉ちゃん”のようだった。

そう言えば前にお姉ちゃんから、律さんに弟がいるという話を聞いたことがあったような気がする。

憂(もしかして律さん…、家で何かあったのかな)

さっきまでのお姉ちゃんと私に対する質問を思い出し、辻褄が合うことを確認した。

――――――――――

憂ちゃんは相変わらず唯のことが大好きだった。
尋問じみたことをしてしまったのが少し後ろめたいけれど、私の心は幾らか晴れた。

唯と憂ちゃんはいつ見ても本当に仲が良い。
傍から見ても理想の姉妹だろう。

だから、私は壊そうとした。

壊して滅茶苦茶にして、唯を自分の方へと引き摺りこみたかった。
“姉”という立場が嫌になった
――そんな自分と同じ思考の人間が欲しかった。

だけど、壊れることはなかった。
後から思えばこの姉妹に聞いたのが間違いだった。

唯も憂ちゃんもお互いを本当に大切に思っていた。

悔しかったけれど、心のどこかでそれを望んでいた自分も居た。
目の前でその事実を確認した瞬間、邪な心が徐々に明るさを取り戻してきた。


憂「律さん、もしかして…お家で何かありましたか?」

憂ちゃんは鋭かった。
もう後には引けない。
私は憂ちゃんを見て、静かに口を開いた。

律「実はな、唯はちゃんとアイス買ってたよ」

唯「え、りっちゃん」

律「大丈夫。ちゃんと話すから」

唯はきっと私のことを気遣って黙っていてくれたんだろう。
慣れない嘘までついて。
バレバレなんだよ。

それに、唯は家に着くまで一度も「何があったの?」と聞いてこなかった。
こういうさり気ない優しさを憂ちゃんも知っているんだろうな、そう思った。

律「私、今日、死のうとしてたんだ」

憂「えっ…」

律「唯が助けてくれなかったら、確実に死んでた。唯のアイスが今、手元にないのはそのせい」

そして私はそこに至るまでの経緯を話した。
幼い頃の話から、最近の話、そして――今日の出来事まで。
上手くまとまらない私の話を、二人は最後まで真剣に聞いてくれた。

言葉にすると色んな感情が巡ってきた。
腹が立ったこと、悲しかったこと、悔しかったこと全部を思い出して泣いた。

人前でこんなに泣いたのは、初めてだったかもしれない。


――――――――――

律「だから…っ、もう“お姉ちゃん”するの…疲れたんだよ…」

りっちゃんの話を聞いていると、私も自然と涙が出てきた。
りっちゃんがさっき、私に何と答えて欲しかったのかわかる気がした。
だけど、今ここで言うべきではない。

隣で同じく涙を流す憂を見て、私はそう思った。

唯「りっちゃん、大丈夫だよ」

唯「そう思ってる“お姉ちゃん”も世の中にはいっぱいいるから。りっちゃんだけじゃないよ」

唯「今は少しだけ“お姉ちゃん”やめてお休みしよう。ね?」

憂と目を合わせて一緒に微笑んだ。

憂「律さん、私は妹の立場ですから…律さんの気持ちを全部わかることはできないかもしれないですけど…」

憂「今日のことで、聡くんも、お母さんも考えるところはあるんじゃないかと思います」

憂「実際、私もとても考えさせられましたから」

憂は最後に私を見てそう言った。
そして、「何か温かい飲み物でも作りましょうか」と一階に降りていった。
私はそんな憂に、「ありがとう」と伝えた。


いつも、ありがとう。
そう思えるようになったのはいつだったっけ。


私は改めてりっちゃんに向き直る。

唯「私ね、一つだけ嘘吐いたよ」

律「えっ…」

唯「憂に『何とも思ってないよ』って言ったでしょ?」

律「うん」

唯「実は私も、小さい頃はりっちゃんみたいに思ったことあったんだ」


――――――――――

驚いた。
唯に限ってそんなことはないと思っていたから。
確認の意味を込めて、もう一度問う。

律「憂ちゃんに対して、か?」

唯「うん」

間違いはないようだった。
唯はそんな私を見て微笑を浮かべる。

唯「私、いつもドジばっかりして怒られてたから…、褒められてる憂を見るのが悔しかった」

律「唯…」

唯「私も褒めて欲しいって、そう思ってた時もあるんだよ」

唯はどこか寂しげに笑った。
きっと、幼い頃を思い出しているんだろう。

そっか。

唯も一緒だったんだな。


唯「だけどね、そんな私をいつも褒めてくれたのが憂だったの」

唯「初めはやっぱり悔しかったけど…、憂を見てるとその言葉が嘘じゃないっていうのが伝わってきて」

唯「すごく嬉しかったんだぁ」

唯は本当に嬉しそうに笑った。
その笑顔にさっきまでの寂しさは無かった。

唯「それからしばらくしてかな…ずっとあったモヤモヤが無くなったの。不思議だよね」

そして唯は照れたような、困ったような表情を浮かべる。

唯「今は憂のこと…大好きだよ」

えへへ、と照れ笑いを浮かべる唯を見て私も心の中が温かくなってきた。


――唯が“お姉ちゃん”に見えた。


すると唯ははっと思い出したように、ふんすと眉を上げて私を見た。

唯「だからりっちゃんもいつか過去を懐かしいと思える時が来るよ!」

唯は堂々と胸を張ってそう言い切った。
そんな唯を見ているとさっきまで悩んでいたことが急に馬鹿らしくなってきた。
そっか、そうだよな。

律「…あはは!」

唯「ちょっとりっちゃん、何、人が真剣に話してるっていうのに!」

律「いやー、唯はやっぱり唯だなと思って」

唯「ど、どういうことー、失礼だよっ!」

笑うと目の端に溜まっていた涙がすうっと頬を流れた。
それはその日流した最後の涙になった。


――――――――――

律「…よーしっ、今日の練習はこれで終わりー!」

唯「やったぁー!」

梓「ふぅ…だけどたくさん練習しましたね」

澪「そうだな。この部活にしては珍しいぞ」

紬「明日もこの調子で頑張りましょう」

後日、練習を終えた私はぐるりと楽器をしまう皆を見渡した。

唯がいて、澪がいて、ムギがいて、梓がいる。

――当たり前のことだけど。

律(そっか…)

――ここが私の居場所、なんだな。

唯「りっちゃん、なにぼうっとしてるの?」

律「いや、これぞ“軽音部”だなーって思ってさ」

唯「そっかぁ」

私の考えていることがきっと伝わったのだろう。
唯は一緒に微笑んでくれた。

何だか、あの日から唯を見る目が変わった気がする。
唯は――思っていたよりしっかりしているヤツだ。

律「そうだ唯。このあと時間あるか?」

唯「ふぇ?どうしたの?」

私はどうしても唯を連れていかなければ気が済まない場所があった。
借りたものは返す、私はそんな主義だ。


――――――――――

律「あの日はマジで憂ちゃんに悪いことしたよ。ほんっと謝っといてくれ」

唯「大丈夫だよー。憂、怒ってなかったよ?」

律「ほんとかー?」

唯「だって……私と憂の距離が更に縮まったのですから!」

律「そっか…それはよかったな…」

学校を出てから、私は唯とたくさんの話をした。
もうあの夜みたいに沈黙を怖がることもない。

唯「りっちゃんはあれから聡くんとお母さんとはどう?」

律「あーまだちょっとシコリ残ってるけど、何とかやってる」

唯「そっかぁ。すぐには難しいよねぇ」

律「やっぱそうだよなぁ…」

こういう話をしていると、やっぱりお互い“お姉ちゃん”なんだなと実感する。

こんな風に唯に相談事を持ち掛けるなんて、少し前の私では想像も付かなかった。
だけど、隣で話を聞いてくれている唯がいるだけで、こんなにも気分が晴れる。

唯「りっちゃん」

律「んー?」

唯「私…話聞くことくらいしかできないけど…また苦しくなったらいつでも言ってね」

友達でしょ、ぽんと肩を叩かれる。

その言葉も表情も手のひらも全てが私には優しすぎて、柄にも無く泣きそうになった。

律「…唯が相手かぁ」

唯「えっ、もしかして役不足…?」

律「いーや、そんなことないぞ」

――充分だよ

本音を言うのは躊躇われた。

だって、本当に泣いてしまいそうだったから。


唯「あ、りっちゃん、そろそろどこに行くのか教えてくれてもいいでしょー」

律「そうだな。…ほら、あそこだよ」

私が指差した方向を見た唯は一瞬で目の輝きを変えた。

唯「アイス~!」

その笑顔を見て、私は連れてきた甲斐があったと一人笑う。

律「唯は本当にアイス好きだなー」

唯「だぁいすきだよ」

律「それと…今日は私のおごりだ」

唯「えっ、なんで?!どうしたの?」

律「え、それは…、自分で考えてみましょう!」

唯「えぇー!?」

私の言葉に唯はしばらく眉間に皺を寄せていたが、ハッとしたような表情を浮かべた。

唯「も、もしかして…りっちゃん、何か魂胆が…」

律「いやー、それはないぞ」

唯「そっかぁ…うーん、何だろう」

多分、唯が皆から好かれるのはこういうところなのかもしれない。

人に優しくするくせに、その見返りは一切求めない。
それどころか、それを当たり前だと思っていて、自分がしたことを忘れている。

本当に、いいヤツだ。

律「とにかく、今日は私のおごりな」

唯「ほんと?!やったぁ!」

本当はアイスなんかで埋め合わせができるようなものじゃない。
それくらい――私は唯に助けられたんだ。

アイス屋さんに向かって走り出す唯の背中を見つめながら、今度は私の番だと思った。

今度、もしも唯が苦しんでいたら私が傍にいよう。
そして必ず、助けてやるんだ。

私はあの日まで、人に甘えることを知らなかった。
“お姉ちゃん”だから、しっかりしなくちゃいけないんだと思っていた。

だけど、唯はそんな私を全部受け止めてくれた。

甘えてもいいんだよ――そう教えてくれた気がする。

唯「りっちゃーん、早く早く!」

律「はいはい」

今はまだ、私は“お姉ちゃん”として生まれたことを心からよかったと思うことができないかもしれない。
だけど、唯が言ったように――いつか過去を“懐かしい”と思える日が来るのなら。
その時はまた、色んな話を聞いて欲しいな。


同じ――“お姉ちゃん”として。


あの日、唯が家に持って帰れなかったアイスを私は一生忘れることはないだろう。

多分、家に帰って食べるの楽しみにしてたよな。

ごめんな、唯。



律「唯はどれにするんだ?」

唯「んー、じゃあね、チョコレート!」

律「ダブルにするか?」

唯「おぉー、りっちゃん太っ腹!」



それと――



――ありがとう。



END