ほの明るい闇の中でぼんやりとしていた。
 目は覚めているのに、身体をあまり自由に動かせない。
 だから、眠いわけでもないのに目蓋を開けられず、まるで砂浜にいるかのようなさざ波の音をじっと聞いていたら、律の声が聞こえた。

律「ええ……澪がパートナーなのか……」

 ……ちょっとだるい気がするけど、今度は起き上がることが出来た。

澪「何なんだよ、そんな嫌そうな目で見るなよ。その手紙に変なことでも書いてあったのか?」

律「あらん、起きていらっしゃいましたのん?」

 慌てて取り繕おうとする律の手から、ムギの実筆らしい文章が書かれた紙をひったくる。
 ええと、何々?

澪「あなた達がいるのは無人島です? おいおい、ムギも冗談キツいなぁ」

 私はそこまでで手紙を読むのを止めた。
 ああ、面白い。笑える。本当におかしいったらありゃしない。
 ……無人島を少なくともふたつ、丸々所有だなんて……いや待てムギのすることだ、琴吹家所有っていうなら嘘と決め付けることも出来ないか。

律「手紙から目を逸らすな、澪。全部読め」

澪「いい、私は知らなくていい。それより泳ごう、律。白い水平線! 青い砂浜! どこまでも続く雲!」

律「おーい、澪しゃーん? 現実逃避はそのくらいにして、現実を受け入れまちょーねー?」

 何て素敵な風景、まさに『南の島』って感じじゃないか!
 ああ……泳ごうか、詩を考えようか。悩むなあ、とりあえず音楽を聴いて落ち着こ……う?」

澪「なあ律。私、いつの間に服脱いでたっけ?」

律「わからん。多分あれだ、ムギのクルーザーに乗って部屋に案内されて……そこまでしか覚えてないだろ?」

澪「雲の綿菓子、ヤシの木でふわり♪ 波打ち際で……波打ち際で……」

律「ああもう! 手紙、読むぞ!」

 そう言い放って、律は私の考える詩よりも突飛な話を始めた。
 私達のいる場所が、日本のどこかにある、琴吹家所有の無人島ということ。
 近くの他の島で、唯や梓も、ふたりっきりになっていること。
 一日分の食料、三日分の水と最低限の道具で、唯達よりも長くサバイバル生活を続けられれば私達の勝ちなんだそうだ。
 ……何に勝つんだろう?

律「よーし澪! あっちの即席タッグに負けてらんねーぜ! 幼馴染みパワーで絶対に勝とうな!」

澪「ちょ……待って、サバイバルって? みんなどっかその辺で泳いでるだけじゃないの?」

律「何言ってんの、周りを見りゃわかるじゃん。足跡ひとつないじゃん!」

 上を向くと、私と律はビーチパラソルの作った影に覆われていた。
 正面、左右、念の為に後ろも振り向いてみる。
 私達はまっさらな砂浜の真ん中にいて、確実に誰かに運ばれてきたはずなのに、その痕跡を見付けられない。

澪「……なっ、ななな何だよこれ!? 律ぅ!?」

律「船が難破して、あたし達は偶然砂浜に打ち上げられた……ってとこか。さすがムギ、状況設定もぬかりないなー」

澪「ちちちちち違うよ! オバケの仕業だよ、きっと舟幽霊に襲われたんだ!」

律「……ははっ。シートとビーチパラソルを用意してくれるなんて、優しい舟幽霊だな」

 ……おおっ、言われてみれば確かに。
 強い日差しと砂のジャリジャリ感から私達を守ってくれるなんて……ああ、オバケにもいい奴っているんだなぁ。

澪「ありがとう、舟幽霊……」

 こういう時、どうすればいいんだろう。
 海に向かって拝むのかな、それとも空かな。
 とりあえず合掌……。

律「おいぃ!? 違うって、絶対ムギの仕業だって! 砂の上の足跡なんて簡単に消せるんだからさあ!?」

澪「え?」

律「ほら、例えばこうして……うわ、熱ちちち」

 あぐらをかいて座っていた律が立ち上がって、シートを掴む。
 そして一歩二歩と歩きながら、出来たばかりの砂の足形を、シートをわしわしと左右に振って散らす。
 完璧とは言えないけど、結構誤魔化せてる。

律「な? ホウキとか使えば、もっと自然に消せるんだぜー」

澪「なるほど……」

律「おお、やっと戻ってきたか」

澪「えっと、足跡は、そういう感じで消したとして……今回の合宿もムギんちの別荘でやるハズだったろ? いくら道楽でも、まさか無人島に別荘なんか作らないよな?」

律「その通り……この手紙の通りなら、島に別荘なんてない。唯や梓の方も同じだろうな」

澪「え? じゃ、じゃあ、ご飯は? お風呂は? 寝る時はどうするの?」

律「サバイバルだよ、サバイバル。飯はとりあえず一日分、水もあるみたいだし……まずはどこに食いもんあるのか探そうぜ!」

 あ、やだ、律。
 私を置いてっちゃやだよ。

律「早く来いよーぅ、きゃっきゃうふふ!」

澪「全力で走りながら叫ぶなよぉ! お願いだから、待って!」

 律があてもなく走っていたのかと思ったら、その先にテント……町内会のイベントなんかでよく見かけるやつ、があった。
 いくつか箱が並べてあって、テーブルもある。

律「お! きっとあれだ、澪! ムギからの支給品だ!」

澪「ちょっ、ちょっと待って、律……お願いだから、私から離れないでよぉ……」

 律から離れると、不安な心が大きく膨らんでいく。
 だから、一生懸命に走って、もうテントの下で箱を開けている律の隣へ辿り着く。

澪「はあ、はぁっ……りっ、律ぅ……酷いよ、急に走り出して……」

律「ん? ああ、悪い悪い……それより見ろよ、この支給品! サバイバルどころか、一生この島で暮らしていけるかもしんないぞ!」

澪「ん……な、何だよ、こんなのでどうやって暮らせって言うんだ……?」

 ナイフ、着替え、カ□リーメイトにミネラルウォーター、その他色々。
 『食料』とか『寝具』とか、中に何が入ってるのか箱にラベルが貼ってあったけど、私が想像していたのとは程遠いものばかり。
 あ、でも、着替えがあるのは助かるかも……って、何を考えてるんだ、私は。

律「いやー、何かあれだな! 『無人島生活一日目』って感じだな! あははは!」

 ……うん。テレビ番組で見たことある。
 私にはあんな風に海に潜ったり、お魚を捕ったり、そういうことは出来そうにない。
 なのに。

律「何か楽しくなってきたな! 澪、とりあえずカ□リーメイト食ってから魚ゲットしに行こうぜ!」

澪「…………」

 やだ。

律「『とったどー!』ってな! あれいっぺんやってみたかったんだよな!」

澪「あんなの、ヤラセじゃないか」

律「……澪?」

 夜なのに生活空間が明るかったりするし、夜なのに、撮影用ライトがあるからどこにだって行けるし。
 全然サバイバルじゃないよ、あんなの。
 今だって調味料が支給されてるじゃん。テレビは小麦粉とか油とかもあって、もっと恵まれてるし……これは、『サバイバル』じゃ、ない。

澪「うふふ……ふふふ……ふふっ……律! ナイフ!」

律「んひゃぁ!? はっ、はい……澪しゃん……?」

澪「そこの調理道具、テーブルに並べておいて! 私はお魚捕ってくるから!」

律「え? でも、銛があるぞ? えっと……ほら、ここに。二本。あたしと澪の分」

澪「いや、私はこれでいい」

律「や、ややや、海の中なら銛の方が使いやす……っておおい!?」

 これは夢……じゃないんだろうけど、役割はこの方がいいと思う。
 律にはこういう残酷なことをさせたくない。
 怖いけど、嫌だけど、テレビじゃお魚を刺して上がって叫ぶまでだけで、死ぬ瞬間を映したりはしないし。
 私より律の方が料理上手だし、うん、自分が殺したお魚をさばくなんて出来ないし。
 銛で突くのは一瞬だけど、自分が殺したお魚を切り裂いて内臓を取り出すなんて、出来ないし。

澪「すーう……んもぐぶくくっ」

 南の島の、透き通った海。
 まさかこんな真似をするなんて思ってもみなかったけど。
 律にはお料理とか、サバイバルの知恵を出してもらうとか……私を元気づけてもらうとか、してもらわないといけないから。
 だから、すごく疲れそうだし、お魚を殺すっていう後味の悪いことは……私が引き受ける。
 嫌だけど、律はサバイバル生活を楽しみたいっぽいし、すぐに助けてもらえる状況でもなさそうだし。

紬『澪ちゃーん! 澪ちゃーん! 無事だったらすぐ上がってきて!』

 ……へ?

澪「ぷはっ……は、はぁ……ムギ、か……?」

 水面を貫いて海底近くまで届いた大音響を聞いて、慌てて浮上する。
 変に歪んでいたけど、口調は確かにムギだった。

律「澪ーっ! みーおーっ! 戻ってこい、危ないからー!」

澪「……律?」

 サメでもいるのかと思ってぐるりと見回してみたけれど、何事もない穏やかな海面。
 ちょっと遠くに見えたのは、ムギの家のクルーザーだ。

律「早く! 戻ってこいってば! この馬鹿! ばーかーみーおー!」

 むかっとしつつ、浜辺に泳ぎ戻る。
 でも、律の顔を見た途端、苛立ちはどこかへ霧散してしまった。

律「……馬鹿! 澪の馬鹿ぁ! 何でいきなり海に飛び込んでっちゃうんだよ!?」

澪「り、律……? いや、私は、役割分担を考えて……」

 っていうか、さっきの私の覚悟の意味は……?

律「そんなのいつ決めた!? 誰が勝手に傍から離れていいって言った!? いいか、サバイバルってのはな、ふたりいたらふたりとも無事に戻らなきゃ失敗んだぞ!?」

澪「うっ、うん……だから、まず食料を確保する……んだよね?」

律「魚なんて浅瀬でも取れるだろ!? どうしてわざわざ深いとこに潜ろうとすんだよ、馬鹿澪っ!」

 あれ……律が涙ぐむなんて珍しいな。
 別に、そこまで大袈裟に騒ぐ程に深い場所でもなかったんだけどな。

紬『サバイバル勝負は唯ちゃん達の勝ちだけど、いいもの見せてもらったわ~♪』

澪「あ……勝負、なんだったっけ」

律「うぅ……いいよ、そんなの。澪が無事に戻ってきてくれたから、どうでもいい」

澪「律?」

律「あたしから離れんなよ……無人島とか言われたら、いくらあたしだって不安になるし……空元気出してたら、澪が勝手に突っ走ってくし……怖いじゃんかぁ!」

 あの律が、ぽろぽろと涙を零しながら私にすがりついてくる。
 海水で濡れた胸に鼻先を埋めて、まだ、ぽろぽろと。
 ……海水と涙って、どっちがしょっぱいんだろう?

律「……ごめん。澪が溺れたりするのが怖くって、リタイアボタン、勝手に押した。きっと唯達に負けた」

澪「……律がそう判断したんなら、私はいいよ」

 律がテレビのようなサバイバル生活を放棄したんだ。
 私はテレビのようなサバイバル生活を律に楽しんでもらおうと思って、お魚を殺そうとしていたんだ。

律「澪の馬鹿ぁ……どうせ出来ないくせに、魚捕るとか言うなよぉ……ぐすん」

澪「馬鹿律。私だって、その気になったらサバイバルくらいわけないんだぞ?」

律「じゃあ、何でナイフ持ってったんだ? 銛の方が、水の中じゃ確実に扱いやすいのにさ」

 ん……それは、その、本当は、えっと。
 貝なんかを岩から剥がすなら、こっちの方がいいと思って。

澪「……やっぱり、ごめん。お魚を殺すなんて、私には無理だよ」

律「知ってるし。澪は、自分が生き延びる為でも、精々木の実とか草くらいしか採れないって」

 ぎゅ、と私を抱く律の力が強まる。
 えと……胸の谷間に、ぎゅうっと顔が挟まっちゃってるけど……いいのかな。
 ……まだ泣いてるみたいだし、いいか。
 こういう弱気な律も、何だか可愛くていいよな……なんて思うし。

澪「うん。お魚殺しちゃう前にリタイアしてくれて、ありがとう。やっぱり律は私の親友だ」

律「……それだけじゃないだろ」

澪「幼馴染みで」

律「んで?」

澪「あとは……クラスメイト?」

律「……この鈍感! やっぱり澪は馬鹿だ!」

 とん、と突き放されて、ふらっとよろめいて、わけがわからない。
 私、何か変なこと言ったっけ?
 ……あ。

澪「あ、あと!」

律「うっ、うん!?」

澪「同じ軽音部のメンバーだよなっ!?」

律「…………」

 あ、れ?

律「馬鹿! ばーか! 馬鹿澪! ば・か・み・お!」

澪「そんなに何回も言うなよぉ、他に何て表現すればいいんだ?」

律「……あたしだって、花も恥じらう立派な乙女でございますのことよ?」

 ……あ。
 今の、わざとらしく親指の付け根を噛んで上目遣いに見上げてくる表情、かわい……はっ!?
 いやいやいやいやいや!

澪「ほら、すぐにムギが来てくれるぞ。そんな泣き顔じゃ誤解されるじゃないか」

律「ぐす……ご、誤解じゃないんだけどな」

澪「へ?」

律「ううん……澪がこんなに冷たいとは思ってなかった! 今度は唯とコンビ組ませてもらおーっと!」

澪「おっ、おい!? 何だよそれ! 私じゃ不服なのか!?」

律「おにぶちんな澪しゃんと一緒にいたら、グサグサ傷付いちゃうからお断りなのよ」

澪「私のどこが鈍いんだ!? おい、律ぅ!?」

紬『ボート出すから、ふたりとも、それに乗って戻ってきてね~』

律「はいよー!」

澪「律ぅ……」

 さっき、勝手に砂浜へ駆け出された時より寂しい気持ちだ。
 ……あ。
 もしかして、律も同じ気持ちになってるのか?

澪「あ、あ、あのさ、律?」

律「何だね澪しゃ……んむぷっ!?」

澪「あのさ、さ、さっき……律がひとりで走ってった時、私、寂しかったんだよ」

 律の身体を抱き締めると、自然に顔を胸に埋めさせる格好になっちゃう。
 ……ううん。
 私が、律にこうして欲しいから、首筋を押さえ付けているのかもしれない。

律「んむぎゅ……み、澪しゃん? あにょ……この体勢は? 今までにない密着度なんでしゅが?」

澪「言い足りなかった。律は親友で、幼馴染みで、クラスメイトで同じ部員で……わ、わた、わた、私のっ、たいせ」

紬『むふふふふ』

澪「…………」

律「……私の、たいせ? 何なんですかね、澪しゃん?」

澪「もっ、もーう!」

 マイク切り忘れたんだかどうなんだか、ムギの声がなければ、もう少しで言えそうだったのに……ううん、今はまだ言わない方がいいのかもしれない。
 ちゃんと、私も律もお互いに納得出来る形で言いたいから。
 サバイバルなんていう極限状況だと、誤解されかねないし、な。

律「あにょ……澪しゃん?」

 今までこんなに律を可愛いと思ったことなんてないのに。
 そして、律がこんなに可愛い表情で私を見つめてくれたことなんて、今まで一度もなかったのに。

澪「ん……と、とにかく私にとって大切な人なんだよ、律は! 続きはそのうちに、なっ!」

律「そのうちって……んぎゅむっ」

 嫌がられるかもしれないけど、律の顔を胸に強引に押し付ける。
 これ以上喋られると、変なことを口走っちゃいそうだから。
 それに、律を抱き締めていると……結構、気持ちいいっていうか、そんな感じなんだよ。

律「んぷ、はっ、ぷはぁ……澪ぉ、あたしを窒息させる気かー!?」

澪「んっ……♪ り、律ぅ、変な動き方するなよぉ」

 また、ぎゅうっと。
 抱き締める。
 律を、私の胸の中に。

律「ふぷ……んんー! んむ、うううううう!」

澪「勝負には負けたみたいだけど……いいよな、律?」

律「……うん」

 律は小さな声で、私の胸の中で、こくんと頷いた。


~りたいあ!~