桜ケ丘高校の応接室で、湯川と草薙はソファに腰掛けて呼び出した生徒が来るのを待た
されていた。

「秋山澪の幼馴染で部長の田井中律。大企業の社長令嬢である琴吹紬。唯一の後輩中野梓。
秋山澪と平沢唯を除けば、軽音部員はこの三人だけだ」

「琴吹、というのはあの琴吹かい? 一流企業じゃないか。うちの大学からも毎年たくさ
んの卒業生が琴吹の関連企業に就職しているが」

「その琴吹で間違いないよ。犯行があった日に五人が観た映画も、琴吹の関連企業が制作
したものらしい」

 しかし遅いな、と草薙が愚痴ろうとしたその時、応接室の扉がコンコン、とノックされ
た。

「どうぞ」草薙がノックに応えると、スライド式のドアがガラリと開けられた。


「お待たせ致しました。山中さわ子と申します。軽音楽部の顧問を担当しています」年齢
は二十代半ばといったところの、柔和そうな印象を与える教師が生徒を連れ立って部屋の
中に入ってくる。

「急に押しかけてしまってすいませんね。少々お伺いしたいことができてしまいまして」
草薙は申し訳なさそうに頭を軽く下げる。それに合わせて会釈しながら、さわ子、紬、梓
は対面に腰掛けた。

「一人足りないようですが?」湯川はこんな時でも態度を崩す気はないようだ。

「すいません。部長の田井中はあれ以来、学校を欠席しておりまして……」

 無理もない。事件の被害者も容疑者も、とても親しくしていた友人なのだ。ショックで
塞ぎ込んでしまうのは当然と言える。


「あの、私たちに答えられることは、もう全てお答えしたと思うのですが」紬が草薙に目
を向けながら言う。

「いやあ、今日はちょっと、うちの同僚がどうしても確認したいことができたというので
訪ねさせていただいたんです」草薙は湯川に目配せしながら答えた。話を合わせて刑事の
ふりをしろ、ということだろう。帝都大学準教授という肩書きでは、円滑に事情を聴くの
は難しい。

「どうも、湯川と申します。いくつか聞きたいことがあるのですが、まずはじめに」湯川
は紬と梓に視線を向けて、「猫耳ファッションについて、どう思われますか?」と尋ねた。

「はあ?」

 間の抜けた声をあげてしまったのは草薙だ。わざわざ女子高までやってきてこんなくだ
らないことを聞くとは思わなかった。

「あの、それが何か事件と関係あるんですか?」梓が訝しげに問いかける。

「ええ、とても重要なことです。どうです? 最近の女子高生の間では猫耳を付けるのが
流行しているのでしょうか?」湯川の顔は思いのほか真剣だ。その真剣さと質問内容のギ
ャップで、ほかの面々は余計に唖然としてしまうのだが。

「別に、そんな奇抜なファッション流行ってないですよ。 流行るわけがないです」梓は
少し早口で否定する。

「唯ちゃんは、たまに梓ちゃんに猫耳カチューシャを無理やりつけて遊んでいましたけど」

「ちょっと、ムギ先輩! そんなこと別に言わなくてもいいじゃないですか!」

「ほう、では平沢唯さん自身も、よく猫耳を付けていたのでしょうか?」

 猫耳の何がそんなに気になるのか、湯川は質問をつづける。

「……いえ、自分でつけるのはそれほど好きではなかったですね。いつもいつも私にばか
りつけさせて……」梓が本当に嫌そうに呟く。

「なるほど、では次の質問ですが、犯行があった日、五人で映画を観にいったそうですね。
提案したのはだれでしょうか?」

「……私ですが、それがなにか?」紬が右手を軽くあげながら答えた。

「いえ、ちょっとした興味です。では次の」質問ですが――と湯川が言おうとしたところ
で、山中さわ子が口を開いた。

「あの、この子たちも、事件には大変ショックを受けておりまして……あまり重要ではな
い質問をされるんでしたら、できれば今はそっとしておいてあげて欲しいのですが」

「も、申し訳ありません!」草薙があわてて謝罪し、湯川を少し睨む。

「わかりました。では最後の質問にしましょう」それでも湯川は全く悪びれない。

「あなたたち軽音楽部は平沢唯と秋山澪の交際を祝福していましたか?」

「な! 何を言っているんですか!」さわ子が声を荒げる。

「お答えいただきたい。できれば今ここにいない田井中律さんがどうだったのかも含めて。
どうです? 祝福していましたか?」

「やめてください! そんなこと聞かなくてもいいでしょう?」我慢ならなくなったのか、
ついにさわ子はソファから立ちあがって湯川を睨みつける。

「……少なくとも私は、祝福なんかしてませんでしたよ」梓は俯きながら湯川に告げた。

「梓ちゃん! そんなこと言わなくていいの! も、もう帰ってください!」


 応接室を追い出された二人は校舎を出て、草薙の車を置いてある駐車場へ向かっている。

「湯川、なんであんな質問したんだ。どの質問も事件に関係あるとは思えなかったが?」
草薙の顔にははっきりと、御不満です、と書かれている。

「どれも重要な質問さ。おかげで事件の真相はだいたいわかった」

「なに! 本当か?」

「ああ、勿論」

「じゃあ教えてくれって言っても、すぐには教えてくれないんだろうな」
「当然だ。少々試してみたいことがある。また後日、僕の研究室に来てくれ」

 湯川の不遜な顔が、冬の優しげな太陽に照らされた。


 放課後の音楽室、琴吹紬と中野梓はたった二人でティータイムを開いていた。

「りっちゃん、今日もお休みだから、ケーキ余っちゃったね」紬はさびしそうに顔を伏せる。

「半分こしましょう。私、ムギ先輩が持ってきてくれるケーキ、大好きですから!」

「……やさしいね、梓ちゃんは」

「食い意地はってるだけです。そんなことで褒められても困っちゃいます」

 梓はケーキをきれいに半分に切り分け、紬と自分それぞれの皿の上にのせた。

「ムギ先輩は」

「……ん?」

「犯人、どっちだと思いますか? 唯先輩か、憂か」梓はケーキの上に乗っていたフルーツをフォークで弄びながら紬に尋ねた。

「みんな噂してるわね、どっちなんだろうって。梓ちゃんはどう思う?」

「私は……どっちだったとしても、嫌……です」

「……そうね。そのとおりだわ」

 音楽室は静寂に包まれていた。楽器の音などなにひとつきこえない、深い静寂に。


 今日の午後三時に研究室に来てくれ――と呼び出され、草薙は一も二もなく帝都大学へと赴いた。

 湯川の研究室の扉の前に立ち、一つ、二つとノックをする。

「開いてますよー」

 低音だが少し間延びした男の声がきこえた。中に入ると、髪をオールバックに流した三
十代くらいの年齢の男が立っていた。

「あの、私は湯川の友人で、草薙俊平と申します。湯川はどちらに?」

「ええ、ええ、聞き及んでおりますよ。私の名前は佐野雅治です。この大学で物理学の教
鞭をとっております。ただいま湯川先生は少々私用で席をはずしておりましてねえ。まあ、
そこの椅子にでも座ってお待ちください」

「ああ、ではちょっと待たせてもらいますね」

 授業で生徒が使う椅子に腰かけ、草薙は少しネクタイを緩める。

 待っているあいだ特にすることもないので、草薙は湯川のいないうちに煙草でも吸おう
かと、懐から携帯灰皿と煙草を取り出す。

「ちょっとちょっと! 困るなあ、草薙さん。ここは禁煙ですよー」

「う、すいません」

「くっくっく。吸いません、だけに?」つまらない駄洒落だ。

「あ、あはは……」思わず草薙は苦笑いを漏らす。

「口寂しいのならコーヒーでも淹れましょう。少々お待ちください」

「あ、いえ、お気づかいなく」どうせインスタントのあまりおいしくないコーヒーだ。わ
ざわざ淹れてもらうのも悪いと草薙は思ったが……

「そういえばあの時は、おあずけになってしまったんでしたねえ」

「あの時?」

「あの時ですよ。ほら」

 草薙にはいまいちピンとこないようだ。と言うより、草薙と佐野は今日が初対面のはず
である。あの時というのは――

「ふむ、やはり声色と口調を変えればなかなか気づかれないようだな」いつもの湯川の少々
もったいぶったイントネーションの声がきこえた――佐野の口から。

「さ、佐野さん? あんたっ、いや、お前、湯川か!」

「ご名答。といっても、これだけヒントを出さないと気付かないというのは、刑事として
は洞察力に難ありといったところか」湯川は悪戯が成功して心底うれしいといった風に笑
顔を見せるが、その顔はいつもの湯川の不遜な顔ではなく、どこにでもいるさえない中年
に観える。

「この顔は特殊メイクさ」湯川は左の奥顎をかりかりと引っ掻いて少しだけ皮膚を引っぺ
がす。メイクだとわかっていてもその光景は少し気味が悪い。

「特殊メイクと一口にいっても色々種類があってね。パニック映画やホラー映画でよく見
るモンスターを作る怪物メイク、傷痕や火傷をつける怪我メイク、そして、まるで整形で
もしたかのように顔を変えてしまう別人メイクだ」

「しかし、どうして特殊メイクなんて手の込んだ悪戯を」

「僕が君を驚かせるためだけにこんなことをすると思うかい? これが事件の真相さ」

 草薙は驚いて湯川の顔を凝視する。

「それじゃあ……お前は、平沢姉妹のどちらも犯人ではなく、特殊メイクで顔をかえて犯
行に及んだ真犯人がいるというのか?」草薙は眉間にしわをよせて訝しげだ。特殊メイク
なんかで、恋人の顔をみまちがうだろうか? 秋山澪は、たしかに犯人を自身の恋人だと
認識していたというのに。

「そうだな、普通ならすぐにばれるかもしれない。僕がいま君にばれなかったのは架空の
人物に成り済ましたからだ。特定の人物、特に被害者にとっては恋人に当たる人間だ。一
目でばれてもおかしくはないが、あの時の犯人の格好には、ちょっとした秘密が隠されて
いる」

「秘密だと?」草薙は監視カメラに残されていた映像を頭に思い浮かべる。

「ゆったりとしたダウンジャケットは体型を隠すことができる。さらにフードをかぶって
いたな、あれは髪の長さを誤魔化すためだろう。そして極めつけは、あの猫耳」

「猫耳ぃ?」

「猫耳だ。あんなものを付けて人前にでるというのは、かなり奇特な人間だ。平沢唯は日
常的に猫耳を付けるのを好むようなファッションセンスではなかったらしいから、秋山澪
も驚いて注目したはずだ」湯川はすました顔で言う。

「むう、だがそんなことで……」

「人間の認識視野って奴は驚くほど狭い。特に、なにかに目を奪われるように注目してし
まうと、それ以外のものは観えているようで観えていない、しっかりと認識できていない
状態になってしまうのさ」

湯川は右ポケットから白いハンカチを取り出して、目の横くらいの高さに掲げて振る。

「こうやって右手のハンカチに注目を集めておいて、左手はポケットのなかで次の手品の
種を用意する。観客の目には確かに不自然な動きをしている左手が映っているはずなのに、
どうしても右手のハンカチがちらついて、左手を認識することができない。古典的な認識
操作トリックだよ」湯川は猫耳をハンカチに、犯人の顔を左手のポケットにたとえて説明
した。

「さらに、カラオケ店の店員が見たという逃げ去る犯人の顔というのはこんなのじゃない
のかな?」湯川は右のこめかみあたりを指でつまんで、下へ一気に、頬のあたりまで引張
る。

「あ!」

「このメイクは人工皮膚を使用していて、直接皮膚に特殊な接着剤でくっつけているんだ
が、この接着剤は剥がすときに顔を傷付けないために水で溶けるようにつくられている。
ただ、汗で接着力が弱まってしまうという欠点があるんだ」

 湯川の顔は右目の眼尻が垂れ下がっていて、まるで何ラウンドも戦い抜いたボクサーの
ように目が潰れている。

「少々汗をかいたからと言って簡単にメイクが崩れるということはないが、接着力が弱ま
った状態で何らかの衝撃が加われば人工皮膚がずれてしまっても不思議はない」

「ということは、もう一度事件を洗いなおさないとな」草薙はうんざりしたようにぼやく。

「いや、そうでもない。秋山澪は犯行現場に残されていた平沢唯の携帯で呼び出されたん
だろう?」湯川はもうすでに犯人にあたりを付けているようだ。

「携帯電話を盗むタイミングとしては、映画を観ている最中がベストだ。映画館の暗闇な
ら、気づかれないように盗みやすいし、前日以前に盗むと携帯の利用契約を停止してしま
うリスクが高くなるからな」

「映画を観に行ったのは軽音部の三人か、その中に犯人が?」

「さらに、僕のこの特殊メイクは、近所にある映像美術の専門学校の学生に、材料費だけ
渡してやってもらったんだが……」

「へえ、学生にしちゃ良い腕だ」完璧にだまされた草薙は手放しでほめる。

「僕もそう思うが、実際にいる人物の顔を造るのは学生の腕ではちょいとむずかしいだろ
う」

「では、プロに頼んだということか」

「ああ、そして、最初は僕もプロに頼もうかと思ったんだが、軽く調べてみて驚いた。結
構な金額がかかるようだ」

「十万くらいか?」

「そんなもんじゃない。 そこらを走ってる車くらいならポンと一括で買えるくらいだ。
少なくとも普通の女子高生に払える金じゃないし、犯罪の片棒を担がせるわけだから、相
応の口止め料も必要だろう。そんな金を用意できるのは……」

 草薙の脳裏に、軽音部員の一人の名前が思い浮かんだ。



「我々の推理は以上です。訂正する部分はありますか?」

 琴吹家の一室で、草薙と紬は向かい合って座っていた。紬の隣には執事の斎藤が控え、
部屋の唯一のドアには草薙の後輩である牧田刑事が立っている。

「お嬢様、刑事さん方にはお引き取りいただいた方がよろしいかと……」

「やめなさい、斎藤。これだけ真相をつかんでいるんだもの。抵抗しても無駄だわ」

 紬の顔は穏やかな諦観の色が浮かんでいる。

「お察しの通りです。すでに、あなたが雇った特殊メイクアップアーティストの日野早苗は全て自供しています」

映画『ZOMBIE HAZARD』のスタッフだった日野早苗には多額の借金があり、高
額の依頼料と口止め料に目がくらんで、深く考えもせず話に飛びついたのだった。

「ひとつだけ疑問をあげるとしたら、動機でしょうか。やはり、平沢唯か秋山澪のどちら
かを君も愛していた……とか」

「ふふっ、そんなんじゃありませんよ。私、同性愛者じゃないですし」紬は綺麗な笑顔で
語りだす。

「りっちゃんがいて、澪ちゃんがいて、唯ちゃんがいて、梓ちゃんがいて、私がいる、仲
良しで楽しくて明るくて眩しくて暖かくて……そんな軽音部が私は大好きだった」

 思い出を懐かしんで口元をほころばせ、まるで母に抱かれた赤子のような穏やかな顔だ
が、目元だけはどこか狂気を孕んでいるように見えた。

「五人の関係が崩れだしたのは、あの二人が付き合いだしてから。りっちゃんは目に見え
て元気がなくなっていくし、梓ちゃんは日に日に荒んでいくし、唯ちゃんと澪ちゃんはお
互いのことしか目に映らなくなっていった」

「だから……殺したと?」

「どうせこのまま緩やかに五人の関係が壊れていくのを見るくらいなら、自分で壊した方
が良いかなって……そう思ったの」

そんなくだらない理由で、人を殺したのか――。

喉元まで出かかった言葉を、草薙は無理やり飲み込んだ。少女の瞳には、譬えようのな
い暗い感情が燻ぶっていて、覗き込んでいると、そのまま飲み込まれてしまうのではな
いかという錯覚を起こした。


「――と、いうわけで事件は解決したよ。殆どお前の言うとおりだった。さすがだな、湯川」事件の顛末を話し終え、草薙は椅子の上で伸びをした。

「しかし、なんで平沢姉妹が犯人ではないとわかったんだ」

「平沢憂が自主してきたと聞いたときに、疑問がわいた」湯川は窓のカーテンを大きく開いて外を眺めた。

「そもそもカラオケボックスは人を殺すのに適した場所とは言い難い。入店時には店員と
会話しなければならないし、まず間違いなく監視カメラが設置されている。そんなところ
にわざわざ呼び出したのは何故か? 殺すことさえできれば捕まってもいいと考えていた
から?」 

湯川はまるで、学生に講義をするかのように饒舌に語る。

「そんなはずはない、捕まってもいいと考えていたのなら凶器に指紋が全く残されていな
いのはおかしい。わざと証拠を残して平沢唯に罪を被せようとしたと考えるのが最も自然
だ。そう考えれば、犯人が翌日に自首してくるというのは少々違和感があると思わないか?」

「なるほどな、しかし、俺は今回ほど犯人を怖いと思ったことはないよ」

「なぜだい?」

「あんな上品で誠実そうな女子高生が、心の中ではトチ狂ったようなこと考えてたんだ
ぜ? 女性不信になりそうだ」

「上品だから、誠実そうだから、高校生だから……そんな上辺の要素では女性の本質は測
れはしないさ」湯川は気だるく伸びをして椅子の背もたれに身を預けた。

「女という生き物は、メイクの下ではどんな顔をしているのかわからんものだ」



………

紬「わたし推理物の犯人役をするのが夢だったの~」

さわ子「福山さん格好良かったわね!」

憂「梓ちゃんも福山さんと共演シーンあったんだよね?」

梓「え? ああ、まあね。ちょっとだけだけど」

澪「私の役、同性愛者の上に被害者ってのは文句言うべきところなのか?」

律「澪はまだ良いだろうよ! 私なんか出番冒頭だけだぞ!」

唯「がりれお! 終わり!」