「……え?」
私は耳を疑った。
……なに? セックスするか、死ぬか……?
なぜ、先輩はそんなことを言うのだろう。
「先輩」
「ん?」
「先輩は、わたしの気持ち、信じてくれてないんですか?」
こんなにも、好きなのに。
なぜ、こんな脅迫するようにして聞いてくるのだろう。
私は、先輩の柔らかい頬に右手を添える。
「好き、なんですよ」
「うん」
「信じてくれないんですか」
「ううん」
「じゃあ、なんで」
そんな聞き方するんですか。
「私もあずにゃんのこと、好きだよ」
いつもの、柔らかい笑顔、なのに。
「でもね」
私の右手に、先輩の左手が添えられる。
その手は小さく震えていた。何かに脅えるように。
「せん、……ぱい?」
「ねぇあずにゃん、しようよ」
先輩の顔が近づいてくる。私は、そっと瞼を伏せた。
唇が触れ合う。熱い。柔らかい。気持ちいい。
「……ん、せんぱ……」
離して、また触れ合わせる。
触れるだけだったキスは、次第に深く、長くなっていく。
頭がじんとする。とろけていくような感覚。
「……ちゅ、んっ……っは」
「せ、んぱ……いっ、……どうし、……んぅっ」
もう、何も考えられなくなってくる。
先輩のこと以外。
「……は……っ……」
やっと唇を離してもらえた。
舌と舌とを細い唾液の橋がつなぐ。それは細く細くなっていき、名残惜しそうに、ぷつりと切れた。
唇の周りの唾液が外気に触れて冷たい。
もっと、もっと、先輩の熱が欲しいよ。
「……いいですよ、先輩。セックス、しましょうか」
肩で息をしている唯先輩。どことなく不安げだった表情が、少しだけ明るくなった気がした。
先輩は、甘い声で私の名前を呼びながら、嬉しそうにすり寄ってくる。
「あずにゃあん……」
「はい、唯先輩……」
唯先輩を、やさしくベッドに押し倒していく。
赤らんだ顔がいつもより余計に可愛く思える。
「なんで、死ぬか、セックスするかなんですか」
私は唯先輩の顔のすぐ脇に両手をついて、覆いかぶさる。
私から、そして質問から逃がさないように。
「だって」
それが、当り前だといわんばかりに。
「そう言わないと、あずにゃん何もしてくれないでしょ?」
……え?
がつんと、頭を殴られたような気がした。
それだけの衝撃が私のなかを駆け巡っていった。
「どういう、ことですか……」
やっとそれだけ、声を絞り出せた。
「だって」
悲しげな、表情で。
「いつも、私からじゃん」
抱きつくときはもちろん、「好きだ」って気持ちを伝えた時も、初めて手をつないだときも、初めてキスをしたときも。
いつも、全部、唯先輩から。
「あずにゃん、ホントに私のこと好き?」
そうか。そうだったんだ。
「好き……ですよ」
先輩は、にっこりと微笑んで。
「嘘だぁ」
先輩は、私の首に両手を回しながら言う。
「あずにゃんはいつもそう言ってくれるよね。私が『好き』って言ったら、『好き』ってちゃんと返してくれる」
それに、偽りはないんですよ……?
好きで、好きで、好きで、もうこれ以上ないってくらいに、あなたのことが好きです。
「でもね」
気がつけば、先輩の目は涙であふれていた。
「同情なんか、しなくていいんだよ? あずにゃん」
私、は――――。
「ごめんね、さっき、嘘ついた」
――――私の気持ち、信じてくれてないんですか?
「信じて、なかったよ」
信じれなかったよ、と。先輩は、嗚咽まじりの声で、悲しそうにつぶやいた。
「唯……せんぱ……」
私は、なんてことをしていたのだろう。なにをしているんだろう。
先輩は、不安だったんだ。
「……あずにゃん、ごめんね。『死ぬかセックスするか』っていうのはちょっと言い過ぎたね」
いつも、先輩はどんな気持ちで接してくれていたのだろう。
先輩は私を好きでいてくれて、それを少しでも行動で伝えようとしてくれていたのに。
「私たち、もう終わりにしよっか」
その言葉は、私に重く、重くのしかかって。
「……やです」
「え? だって、あずにゃん私のこと好きじゃないでしょ? もう無理しないでいいんだよ」
きっと、さびしい思いをいっぱいさせてしまった。
私は、自分のことしか考えてなかったんだ。
すごく、くやしくなる。
「あ、でもね、さっきはちょっと嬉しかったよ」
まだ…………、まだ、やり直しはききますか。
今からでも遅くはないですか。
「あずにゃんから押し倒してくれたとき。えへへ、決心がちょっとにぶっちゃったよ」
最初から、これで最後にするつもりだったんですか。
「でも、もういいやぁ……」
そう言って、ふっと笑う。
そんな、こと、言わないで、ください。そんな、ふうに、笑わないで、ください。
「あずにゃん?」
苦しくて、でも唯先輩はもっともっと苦しかったんだ。
「なんで、泣いてるの?」
「……え」
真下にある唯先輩の顔に、ぽたりぽたりと、私の涙が落ちていく。
唯先輩のと私の。ふたりの涙が混ざりあって、悲しみの色をさらに濃くしていく。
「すみませ……っ、わた、しっ……」
「ううん……」
先輩は、ぐいと私の顔を引き寄せて、目元に口づけてくれた。
「しょっぱい」
至近距離で、先輩の甘いにおいがひろがって、目には唯先輩以外映らなくて。
「でも、あったかいね」
そう言って、先輩の唇が私のそれに軽く触れた。
先輩のほうが、あったかいです。
「ごめんね」
先輩は、今にもこぼれ落ちそうなくらい、目に涙をためていて。
「キス、しちゃって」
ぐっと肩を押されて、唯先輩の上からどけられる。
先輩は座りなおして、私の目を真っ直見て言った。
「……ぃ、え……」
私は先輩の目を見れなかった。
自分が、嫌になる。
否定の言葉でも、叫べばいいのに。言葉だけじゃ解決しないとわかりながらも。
「……もう、帰るよ」
バイバイ、あずにゃん、と。
真っ暗な、闇の底へと突き落とされた気がした。
――瞬間、私は。
「……あずにゃん?」
「……ゃだ…………っ」
部屋を出て行こうとする先輩を、ぎゅっと抱きしめていた。
私より、ちょっとだけ背の高い先輩。
あったかくて、やさしくて。
「いかないで、くださぃ……っ」
涙が、あふれてくる。
私は、こんなに幸せなぬくもりを失いたくない。
すごく、すごく愛しくて、抱きしめる両腕に力を込めた。
私はやっぱり、こんなにも唯先輩が好きなんだ。
「すき、です。せんぱい」
今までも、これからも。
「離れたくないです……っ」
ずっと。
「バイバイなんて、や……です……」
さよならをしたら、もう、きっとあなたに会えない気がした。
「…………」
唯先輩は、何も返してくれない。
「先、輩……」
でも、いい。
私は、もっともっとたくさん、先輩に返さなくちゃ。
「ごめんなさいっ……、わたし……っ」
「……ごめんね、あずにゃん」
言葉をさえぎるように、唯先輩は言った。
先輩の手が、彼女に回している私の両手に触れた気がした。
「ほんとは、わかってたんだ」
ぽつりと、小さな声で先輩は続ける。
「……ぇ?」
「あずにゃんが、ちゃんと私を好きでいてくれたこと」
気持ちは、ちゃんと伝わっていた。
なら、どうして。
「ずっと、私を大切にしてくれてたんだよね」
部屋には、唯先輩の声だけが響く。
この部屋だけ、外の世界から切り離されたような感覚だった。
ふたりだけの、世界。
「わかってたよ」
唯先輩となら、永遠に、この世界の中でもいいと思えた。
相変わらずこの世界は、風の音も、鳥のさえずりも、時計の秒針の音さえも聞こえない。
その中で、唯先輩の声だけが私の鼓膜を震わせる。
「あずにゃんが照れ屋さんなことも」
部活中に抱きつくのは、私との仲の良さをみんなにも見せつけたかったから。
私は恥ずかしくていつも、やめてください、と突き放していた。
「あずにゃんが、私のためを思ってくれてたことも」
ふたりで遊びに行こうと誘われた時も。
先輩は、今年受験なのに。私を気づかってくれている。すごく、うれしいかったけど。
邪魔はしたくない。きっと私がいたら、先輩は私に構ってくれる。重荷になってしまう。
先輩は、やさしすぎるから。
だったら、私が、初めから距離を置いておこう、と。
「でもね、つらかった」
そう、思ってた。
先輩の意見を聞かずに、自分で、勝手に。自分のことしか、考えてなくて。
「ホントは、私のこと好きじゃないんじゃないかなって」
だいすきだから。
大切にしたくて、彼女を一番に考えて、最善だと思ってとった行動が、逆に彼女を傷つけていた。
「ちっちゃな不安だったんだけどね、それがだんだん大きくなって、胸が押しつぶされそうだった」
そんなことも知らないで、私は、なんて自分勝手なことを。
先輩は、それ以上、なにも言わなかった。
「っ……、わたし、……ごめ、んなさ……っ。せっ、先輩の気持ちもっ……かんがえ、ないでっ……」
私より、先輩のほうがつらかった。
わかってるけど、あふれる涙を止められない。
「あずにゃん、泣かないで」
こんな時でも、なんでこんなに優しいんですか、唯先輩。
あなたのほうがつらかったでしょう。
「せっ、せんぱ、い……っぅ、すき……ですっ、すきです……っ」
「ありがとう、あずにゃん」
私は、先輩の背中を涙で濡らし続けた。
部屋には、しばらく私の嗚咽だけが響いていた。
……どれくらい、時間がたったのだろうか。私は落ち着きを取り戻していた。
「唯先輩」
やっぱり、私は先輩と終わりになんてしたくないです。
「キス、していいですか」
先輩が、その言葉にびくりとする。
少しの間沈黙が流れて、やがて先輩は小さく、こくりと頷いた。
「…………」
私が抱きしめていた力を緩めると、先輩は何も言わずにこちらに向き直ってくれた。
――先輩も泣いてたんですね……。
さっきされたように、今度は私が先輩の目元にキスを落とす。
「しょっぱいですね」
「……涙だもん」
「でも、すごくあったかいです」
「…………ん、ぅ」
言って、唇を重ねる。
さっきキスしたときよりも、そこは熱く感じられた。
軽く押しつけて、ゆっくりと離していく。
「……もう一度しても、いいですか」
「……う、ん………」
先輩の顔が真っ赤だったのは、窓から西日が差しこんでいるから、だけではないと思う。
きっと私も、真っ赤だ。
「先輩」
「……ん?」
「だいすきです」
その言葉に、小さく微笑んでくれる。
さらに赤く染まる先輩のやさしい顔に、からだの芯が、じんと熱くなった。
先輩を正面から抱きしめて、唇を合わせる。
舌で、さらりと先輩の唇をなでると、遠慮がちに小さく隙間を空けてくれる。それを押し広げて先輩の口内へ入っていく。
「……ん……、ちゅ……っ、ふっぁ」
ふたりの息が重なる。どちらのものかわからない唾液が、口の端からこぼれおちる。
もう、わからない。このままとけて、ひとつになってしまいたい。そんな幸福感が私を支配する。
もっと、先輩が欲しい。
「っ、……は、ぁ……」
先輩も、同じ気持ちでいてくれたら嬉しいんだけどな。
「……ぅ、……ひっ……く」
「え……!? ……ぁ、唯……先輩?」
突然、唯先輩の嗚咽が響く。
どうしよう、何かマズイことをしてしまったのだろうか。
原因はさっぱりわからない。
「……っ」
先輩が、私の背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「……あ、の……」
先輩の抱きしめる力が更にきつくなる。
だけど私は、力を込めて抱き返すことができなかった。
力を込めたら、先輩が壊れてしまいそうで。
「うっ……、ぇ、……っ」
嗚咽に混じって、ごめんね、と聞こえた気がした。
「あずにゃん、……っ」
「…………はい」
「っ、ぁ、……あずにゃんがっ、すきっ……だよぉ……っ」
先輩は、私を抱きしめたまま、泣きじゃくったまま、それでもはっきりと、言ってくれた。
「唯……先輩」
きゅっと、先輩が抱きしめる腕に力を込めてくれる。
私に、もう離さないよ、って。全身で伝えてくれているように思えた。
あったかくて、うれしくて。
苦しいとか、きついとか、そんなのどうでもよくて。
「……せんぱい……」
何よりも。
私をすきだと言ってくれたことが嬉しくて。
「あずにゃん……っ、ごめんねっ……わたし、が、」
先輩は泣きながら。
「ひっ、ひどぃ……ことっ……!!」
……もう、いいですよ先輩。
「やっぱり、ね……っ、だめ……だよぉ……、っ……あずにゃんと、じゃなきゃっ……ぁ」
あずにゃん、ごめんね、と。
あずにゃん、だいすき、と。
「……先輩」
先輩は、泣きながら、泣きながら。
泣かないでください、そう言っても、涙は止まらずに。
言葉と想いも、一緒にあふれてくる。
全身で、「ごめんね」と「だいすき」と一緒に。
私はただ、唯先輩をだきとめる。
今度こそ、先輩を、ぎゅっと抱きしめる。
壊れてしまうんじゃないかと怖かったけれど。
きっと先輩も、そうしてほしいって思ってる、はず、だから。
今度こそは、しっかりと。
「先輩」
もう離さないよ、と。
「だいすきです」
終わり
最終更新:2011年01月10日 23:58