日曜の昼下がり。

 暇だから唯の家に押しかけたら、もっと暇だった。

 私はベッドに寝そべって、

 唯は椅子の背もたれに胸をつけて、とりあえず漫画を読んでいる。

 ぺらりぺらりと、安い紙をめくる音ばかり。

 あとは呼吸や心臓の鼓動。

 外で子供の遊ぶ声は、あまりしなかった。


 ころがって、ベッドにうつぶせる。

 枕にあごをのっけると、唯の匂いがした。

 石鹸とか香水の強い匂いじゃなくて、

 あっためたミルクのような匂い。

 作為的な香りとは違う自然なやつだから、

 唯の匂いというほかない。

 意識的に、鼻呼吸。

 唯とじゃれている時を思い出した。

 やっぱり暇だ。とてつもなく。


 何という漫画を読んでいたのかも忘れたが、

 いつの間にかページには裸の男女が描かれていた。

 女は霧のかかったように白い男の股間に顔をうずめて

 口をもごもご動かしている。

 男が女に、アイスを舐めるみたいにと言うと、

 女は頷いて霧に舌を這わせ始める。

 うげぇ、と思う。

 アイスを食べるたびに思い出してトラウマになりそうだ。


 ふと、唯もこれを読んでいるのだなと思う。

 純朴そうな顔で、こんなものを本棚にため込んでいるとは。

 唯のほうを見る。

 今は、真剣な顔で少年マンガの展開を見守っているようだ。

 視線に気づいたのか、唯が顔を上げる。

 溜め息でも吐きたそうな目でぼーっと私を見ていたけれど、

 急にはっとした様子で椅子を立って、どたどたと駆けてきた。

 私の手から漫画がひったくられる。


 唯はさっさと私の読んでいた漫画を本棚に戻してしまって、

 悩ましそうに首をぐりぐり回してから、ベッドに腰かけた。

 せわしく髪を掻きながら、唯は漫画を読むのを再開する。

 真っ赤な耳がちらちら覗いた。

 私は完全に暇つぶしの手段を奪われて、ぼーっとするほかない。

 枕にあごをうずめ、目は開けたままで、何も見ない。

 唯がページをめくる音は、ちょっとずつ静かになっていく。

 やがて、とん、と厚めの音で本は閉じられた。


 ぼふぼふ布団を膝で踏みながら、

 唯が私の背中にまたがってきた。

 両肩に手を置いて、肘を背中につき、

 膝が慎重に片方ずつ腰に乗ってくる。

 寝転がり続けて、腰がこってきたところだ。

 背中で丸まる唯の重みが心地いい。

 唯が不満そうに、私の後ろ頭にこつんと頭突きをぶつけてきた。

 それから、体重をぎゅ、ぎゅっとかけてくる。

 しょうがないなと思いつつ、

 私はベッドに潰れてやった。


 へふへふ勝ち誇ったように笑ったあと、

 唯もどさりと私の上に潰れた。

 しょうもない遊びだ。

 それでもちょっと楽しくなってしまうのは、

 私たちのヒマ度が危険値に達しているからだろう。

 このままでは命が危ない、とふざけたことを考える。

 私もすこし、へふへふ笑った。

 唯がだるそうに首を持ち上げ、あごを私の頭にのっけてくる。

 あごを枕にのっけるために不自然に曲げた首がつらくなってくる。

 結局枕に顔をうずめ、私は完全につぶれきった。


 唯も同じように、私の頭に顔面をくっつける。

 鼻が押しつけられているのが分かる。

 枕をずらして、呼吸をしやすくする。

 私がすっと息を吸うと、唯の胸もふくらんだ。

 一緒になって、はあっ、と溜め息まじりに吐き出す。

 声はしなかったけれど、重なった体が私たちの笑い合ったことを伝えた。

 唯の顔が、ずりずり言いながらまた私の横に落ちてくる。

 鼻で息をしなくても、やわらかい唯の匂いを感じる。


 すーすー、すーすー。

 耳もとの呼吸が、だんだん遅く、深くなっていく。

 さっきは少しだけ退屈がまぎれたような気がしたけれど、

 まったくもって単なる気のせいでしかなかったみたいだ。

 絶望的な暇のなか、

 人型布団の温もりの下で、私も眠りに落ちていく。

 唯の顔が、少しこちらを向いた気がした。

 けれど、そんな体勢はかなり不自然だから、

 頬にかかる寝息は無視し、私の錯覚ということに片付けた。


――――

 ものすごく長い時間、眠ったような感じがする。

 砂糖を入れたミルクの匂いが、鼻いっぱいにしみついている。

 視界がはっきりしてくると、間近で唯が眠っていた。

 そういえば、唯を子亀のように乗せたまま寝てしまったのだ。

 この体のままならない感じはそれが原因か。

 唯の匂いが甘すぎて頭がくらくらする。

 長時間鼻に入れたせいもあるけれど、

 いつもより匂いが強いような気がした。


 まばたきを繰り返しつつ、唯の顔を見る。

 幸福にまみれた寝顔は、けっこうな量のよだれをシーツに垂れていた。

 匂いのもとはあれか。

 上に乗っている唯が起きないよう、慎重に右手を動かす。

 そっと、シーツに乗った十円玉大のよだれだまりに指を触れる。

 指先に冷たい水気がしみつく。

 想像外の冷たさに、ちょっと驚いた。

 指を離そうとすると、これも予想以上に粘っこく伸びてきた。

 少し楽しくなってくる。


 爪ですくいあげて、親指と人差し指でぬり合わせる。

 お風呂場でボディソープを塗るのと似ているけど、

 感触も匂いも音も違う。

 ひとり、テンションが上がってくる。

 右手をもう少し近くに持って来れないだろうか。

 唯が上手いことブロックされていて、確かな匂いや味やら、

 知りたいことは分からないままでいる。

 好奇心がうずく。

 まさかこのままでは終われない。

 私の目が自然と、

 今もよだれを溢れさす唯の口元に向かう。


 おだやかな寝息を吐く唯の口。

 私は首を頷くように傾けて、そこに鼻を近づけた。

 唯の寝息にあわせて、鼻呼吸をする。

 無邪気なミルクの匂いが鼻をくすぐった。

 あたたかく吹きつける息が顔の横へ滑っていく。

 さらに鼻を口に近づける。

 唇がかすかに触れている気さえした。

 無理な体勢に首が痛むが、かまってはいられない。

 今度は息を吸ったときにあわせて、鼻から吸い込んでみる。


 唯の唾液の匂いが、脳天に直撃した。

 私は思わず熱い息を吐いていた。

 いけないと感じても、

 いけないからやめようというところまで頭は回らなかった。

 口角から伝うよだれに目をやった。

 舌がべろりと吐き出されて、あごがぐいと前に押される。

 なにか想いにつき動かされる。

 それは間違いなく、好奇心などという子供じみた感情ではない。

 そして少なくとも、同性の友人に抱くべくものではないと分かっていた。

 でも、でも。

 私の舌はツンと尖って、唯の頬を伝うよだれの線をなぞっていた。


 匂いからは想像もつかないほど、それは薄味だった。

 舌ですくい上げた唯のよだれが、口の奥へじれったく流れる。

 まったくの無味か。

 けれど少しだけ甘いように思うのは、本当にただの錯覚か。

 もっと量がないと、分からない。

 おそるおそる、唯の寝顔をうかがう。

 さっきまでよりも強く目を閉じているように見えた。

 なぜか、大丈夫だと判断した。

 もう一度、唯の寝息を吸いこむ。


 薄く開いた唯の唇に、舌をねじ込む。

 ぬるぬると唇の間を這って、舌の裏側にある唾液の池を目指す。

 くちびる同士が合わさったが、今はどうでもいい。

 唯がうめいた。怖くて目を閉じる。

 舌が暖かい感触に包まれる。

 ほら、と誰かに自慢したくなった。

 ほら見ろ、やっぱり甘いじゃないか。

 少し調子に乗りかけたとき、

 唯の前歯が私の舌をきつく噛んだ。


 震えながら目を開ける。

 唯の目はじっと私を見ていて、

 舌にしっかりと噛み付いて離してくれない。

 そのまま、唯は私の上に顔を持ってくる。

 舌がひどく引っぱられた。

 そしてさらに、私の顔をつかんで無理矢理に上を向かそうとしてくる。

 肩を浮かして、なんとか唯の要求に応えると、

 ようやく私の舌を放して、頬をもごもご動かし始めた。

 私は間抜けたらしく、口を開いたままそれを見守る。

 やがて、唯の顔がおりてきて。

 すぼめた口が、私の開けている口の中にすっぽりとおさまった。


 その口が、またもごもご動くと、

 とろりとハチミツをかけるように、

 唯のよだれが舌に落ちてきた。

 もう、私の抱いていた唯の純真なイメージは完璧に崩れていたけれど、

 私はごくりと、渡された唾液を飲みこんだ。

 それを確認してから顔を上げ、唯はへふへふと笑った。

 そしてもとのように私をベッドに組み伏せて、

 また、昼寝を再開した。


 唯が私の上で眠っている。

 眠っていてさえ、私の上にいる。

 勝ち誇ったような笑いを思い出しつつ、

 かなわないと悟った。

 潰れてやったと思っていたが、

 どうも否応なしに潰されていたらしい。

 私はまだおさまりのつかないものを抱えながらも、

 唯がこうして眠ろうと言っているのだから、

 こいつが満足するまで今は眠っていようと思った。


  おしまい