本番10分前。
私たちはキーボードの準備をしていた。
ムギが来れないのはみんなわかっている。

だけど、キーボードがステージ上にないと落ち着かないんだ。
HTTとしての演奏は出来ないけど、せめてムギの場所くらい用意したっていいだろう。

そうこうしている内に前のバンドの演奏が終わる。
客の入りはなかなかだ。
ノリも良さそうで、前の方がガラガラという最悪の事態は免れそうだ。

ステージが暗転する。
前のバンドと入れ替わりでそれぞれ楽器をセッティングする。
すれ違うときに、お疲れ様でしたなんて簡単な挨拶を交わした。
内心はそれどころじゃないんだけどな、一応それくらいの余裕はあるみたいだ。

準備が終わると一旦はける。
一応SEを用意したから、それをかけてもらって出て行くような形になる。

「…みんな。」

そう言って振り返った。

「ムギは…いないけど…頑張ろうぜ。」

情けない。
自分でも思う、私らしくないと。

「あぁ…!頑張ろう!」
「はい!ムギ先輩にも届くように演奏しましょう!」
「頑張るよー!」
「私も頑張るからさ。…ね?りっちゃん。」

マキちゃんがニヤニヤしながら私を見る。
何が言いたいのかはわかる。
わかるぞ、くそー…。

「えっと、ボーカル…上手くいかなかったら、ごめんな?」
「気負わない気負わない!りっちゃんのボーカルが上手くいくと思ってないからさ!」
「マキちゃんそれはあんまりだぜ!」

次第に大きくなるSE。
そろそろ行かないと。


「よっしゃぁ!それじゃ、頑張るぞー!おー!」

円陣組んでエンジン全開、マキちゃんの言う通り気負ってもしょうがない。
私は私にできる精一杯をする、そんだけ。
よし。

「それじゃ、行ってくる。」

出番が最後だけのマキちゃんはステージ裏で待機。
私たちはマキちゃんに手を振ってステージに歩みを進めた。

ステージから見る客席には憂ちゃんや純ちゃん、和の姿があった。
当然だけど、ムギの姿はない。

まぁ居たらステージに引っ張り上げるところだけどな。
それでも、ふとした瞬間にムギを探してしまう私は重症なんだろう。


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3曲目のふわふわ時間が終わり、ついに私が歌う番だ。
客のノリは上々、演奏しているこっちも最高に気持ちいい。

「えーと、残念ですが、次で最後の曲です!」

唯がそう言うと、えぇー!?という声が客席から聞こえてくる。
唯は嬉しそうにえへへと笑った。

私はマキちゃんに席を譲って、セッティングを手伝う。
これ、マキちゃんのセッティングとは全然違うんだけどな。
時間がないからこれでおしまい。

自分に合わないセッティングじゃ叩きにくいはずなのに。
何から何まで、マキちゃんには世話になりっぱなしだな。

「りっちゃん。」
「ん?」

マキちゃんにぼそりと呼び止められる。

「頑張れ。可愛い彼女に届けてあげなよ。」
「……!」

マキちゃんはにかっと笑って、それ以上は何も言わなかった。
視線を落として、ペダルの踏み心地を確かめている。
言葉はいらない、まるでそういうように、
私と目を合わせようとはしなかった。

おう、とだけ答えて、私は前に出た。

「…というわけで!最後はりっちゃんがボーカルなのです!えっへん!」

マイクを握った瞬間、歓声が沸き起こる。
全く唯のMCを聞いていなかった。

「え?何?」

私は唯に小声で聞いた。
だけど、マイクを通してしまったようで、ライブハウスに私の声が響いた。

どっと、今度は笑い声が聞こえる。
くそ、和まで爆笑してやがる。
恥ずかしいのと困ったので顔が赤くなった。


「それじゃ、そういう訳だから。りっちゃん、頑張ってね。」
「いや、どういう訳だよ。」
「いいから!」
「強引だな!?」

まぁいいや、とマイクを握り直す。
よし、行くぞ。
そういうように梓を見…ようとしたところに唯が口を挟んだ。

「りっちゃん!ほら!歌う前に何か言わないと!」
「でぇい!今歌おうとしてただろぉ!」

また会場が笑いで包まれる。
私たちはコントをしに来たんじゃないぞ、全く。

だけど、唯のおかげで少し緊張がほぐれた。
というかどっか行った。

「りっちゃん、準備はいい?」

マイクから口を離して、私だけに聞こえるように唯が言った。
そうか、そういうことか。
声が裏返っててもおかしくないくらい緊張してたもんな…。
唯、ありがとう。

「あぁ、いいぜ。サンキュ。」

私も今度は唯だけに聞こえるように返事をした。

澪の方を見る。
黙ったまま、澪は頷いた。
たったそれだけなのに、すごく気持ちが落ち着いた。

そして、梓の方を向く。

せーの…そういうように、梓がギターを弾き始めた。
最後の曲の始まりだ。


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曲が始まった瞬間、脳裏にムギの顔が過る。
この歌が…ムギに届いてくれれば、それでいい。
私は息を吸って、歌い出しに備えた。


「振り向くといつも君がいる」

今はもういないけど。

「当たり前の時間になる」

それが、本当は当たり前の時間じゃなかったんだよな。

「振り返ると君が笑う」

「つられて笑いそうになる」

-えへへ

-な、なんだよ、急に

-別に。なんでもないの。笑いたくなって笑っちゃった

-あはは。なんだよ、それ

「1 step 2 3 I Love You」

あいらびゅー。
恥ずかしくてあの時は結局言えなかったけど。

今なら、いくらでも言ってやる。
だから逢いに来てよ。

「君がいるだけで世界は」

こんな偏見や差別やその他汚いものにまみれたクソッタレな世界だったとしても。

「僕に優しくなるんだよ」

悪くないかな、なんて思えたのはきっとムギのおかげ。

-ねぇりっちゃん、もう帰っちゃうの?

-うーん…今日は家に家族もいるし、あまり遅くなれないんだ

「当たり前の日が終わること」

「そんな当たり前のこと」

-そっか、じゃあ仕方がないね。

-あぁ、ごめんな。

-ううん、また明日逢えるもの。どうってことないわ。


「振り返ると君が笑う」

「つられて笑いそうになる」

あの日、私達が何気なく過ごした『当たり前』の日々をやり直せるなら。

蔑ろにしていた訳じゃなくて、
あの時の私達はあの時の私達なりに丁寧に時間を重ねていたさ。

だけど、ムギに会えなくなると知った日から、
時間はもっとずっと尊いものになった。

結局、それまでの私は大切なものと本当に大切なものの区別のつけ方を知らなかったんだ。

-わかってよ…!

-ムギ自身ですらわからないこと、私にわかるわけが…!

-それでも、わかって欲しいの…!

「この場所にくると君のこと、君を好きになった日のこと」

なんの因果なんだろうな、本当に。
この場所で、私が歌うことになるなんて。

「君と出会った僕は誰よりも」

そう、この世に存在する全ての、『誰よりも』。

「誰よりも幸せだったよ」

断言してやる。
今だって幸せさ。

「あの日の続きの世界があるなら、僕らをいさせてよ」

出来れば永遠に。
それが出来ないなら、せめてあの日に閉じ込められてしまえればよかったのに。

「夕暮れの終わりに泣いてたベイビー」

教室で告白されたときは驚いた。
あの時の私には、こんなこと予想できなかったんだろうな。
あの日の私が少し羨ましいぜ。

「二人の世界が終わるときに僕のことを抱き締めて泣いてたベイビー」

ムギがいなくなると知った日。
ムギは弱っちい私を抱き締めて泣いていた。
首筋にムギの涙が伝う感覚を、今でも私はハッキリと覚えている。

梓がギターを抱えたままネックを持ち上げる。入ってくると同時に振り下ろすのかな。
唯はバスドラに足を掛ける。きっとサビに入ったと同時に飛ぶつもりなんだろう。
大人しくてわかりにくいだろうけど、澪もかなり曲に入ってる。
マキちゃんの姿は見えないけど、きっとノリノリで叩いてるんだろうな。
演奏者不在のキーボードをちらりと見る、どことなく寂しそうだった。

息を思い切り吸い込む。
マイクをぎゅっと握り締める。

-届け

「夢で何千回も何万回も君の名前呼んで過ごした日々」

気付くのが遅すぎて。

「戻れない夜を超える度に、また逢いたくなる」

後悔しながら、愛しい気持ちを抱えたまま。

「せめて何千万分の一でも、あなたとの恋を繰り返して」

時間が戻せるなら…と願った夜もある。
だけど、私達は私達なりにこれ以上ない時間を過ごしたんだと、今なら思えるよ。

「夢の中でいつかサヨナラするのさ、ベイビー」

ムギ、好きだ。
大好き、愛してる。

本当は、離れたくないんだ。
いつまでも、一緒に居たいんだ。

陳腐な言葉でごめん。

だけど、何度だって言うよ。
だから、何度だって聞いて。


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演奏が終わって、楽屋で一休み。
ミネラルウォーターはこれで2本目。
どれだけ飲んでもこの乾きは満たされなさそうだ。

「…律、お疲れ様。」
「……。」

ソファの隣、澪が座る。
私は無言で頷いた。

「…よかったよ、律の歌。」
「…届いたかな。」
「…あぁ、きっと。」
「そっか。」

抜け殻のようになった私を
少しでも元気づけようとしてくれているみたいだ。

「なぁ、澪。」
「なんだ?」
「ちょっとさ…胸、貸してくれないか。」
「すけべ。」
「そういう意味じゃないって。」
「ふふふ、わかってるよ。ほら。」

そう言って澪は腕を広げた。
私は構わず飛び込んだ。

泣いて泣いて、泣きまくった。
澪はそんな私の背中を子供をあやすように撫でていた。

「律、頑張ったね。…よく、頑張った。」

終わった。
本当に終わったんだ。

私とムギは、これで…。
自分にそう言い聞かせることは出来ても、
それを理解できるかどうかはまた別問題だ。

きっとこの先、私がムギ以上に愛する人なんていないんだろう。
そう思うとまた涙が溢れてきた。

いつかムギにこう言った。

-人を好きになるって気持ちがわからないんだ

-だから、教えて欲しい

ムギは確かにそれを私に教えてくれた。

だけど知ってから後悔したこともあった。

知らなければよかったと。

だけど、それを知ったからこそ、
私達はほんの少しの間だけど、幸せな時間を過ごせたんだ。

笑い合ったり、喧嘩したり、一緒に泣いたり。
その全てが私にとってかけがえのない大切なものなんだ。

ムギ、ありがとう。

本当に、ありがとう。


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