練習のために部室へ足を運ぶ。
扉を開けようとノブに手をかける。
既に中には人がいるらしく、話し声が聞こえた。

「それ、律は知ってるのか?」

ノブを回した状態で固まってしまった。
澪の真剣な声が聞こえたから。
私の話をしている…?

「うん…だけど、時期が早まったのは…まだ…。」
「えぇ!?言わないと!」
「……。」

時期が、早まった?
おい、それ、どういうことだよ。

私は扉を開けた。
メンバーは私以外、全員揃っていた。

「…おい、時期が早まったって…どういうことだよ。」
「律…!?」

怒っているわけではない。
だけど、焦りとショックから強い口調になってしまう。

「りっちゃん…今朝、お父様に言われたの。色々と準備があるから、向こうには早めに行くって…。」
「……!」
「それでね、それが…ライブの日なの…。私、みんなと演奏できるの…すごく楽しみにしていたのに…。」
「私だって楽しみだったよ…!ムギちゃん、お父さんに言って遅らせたり出来ないの?」
「…お父様は…ライブの日だから、その日を出発の日にしたの…。」
「なんですか、それ…あんまりですよ!」

梓が吠える。
ライブの日だから、あえてその日を出発の日にした?
それって…。

「つまり、ムギのお父さんは私達のことを良く思っていないのか?」
「…ごめんね。」
「なんでムギが謝るんだよ…!」
「私…前に、お父様に話したの…最後に、もう一度ライブが出来るって…嬉しくて…。」

私たちは静かにムギの言葉に耳を傾けた。


「海外に行くって…結婚相手まで決まってるって…そう言われた時に…お父様と口論になったの…。」
「…そりゃ、普通そうなるよ。ムギは悪くないよ。」

澪がムギの頭を撫でる。
私はというと情けないことに、事実を上手く受け止められなくて呆然と立ち尽くしていた。

「高校を卒業したらっていう話だったんだけど…きっとその口論がきっかけで、お父様は…。」
「なんだよそれ。当て付けってことか?」
「お父様は…きっと私とりっちゃんが付き合っているのを知っているわ…。」
「そう、なのか?」
「えぇ、きっと…。軽音部から、りっちゃんから、私を引き離したいんだと思うの…。」
「……。」

その後、どうにかしようと、色々な話し合いがされた。
だけど、当のムギは父親の決定に逆らうつもりはないらしい。

ライブ、私は参加出来ないけど頑張ってね、と。
今にも泣き出しそうな表情で私達に言った。
当日は何がなんでも見送りではなく、ライブに出て欲しいと、そう言った。

唯は泣いていた。
梓は悔しそうにしていた。
澪は怒っていた。

私は…ムギの手を握って、離そうとしなかった。
私はいつからこんなに弱くなったんだ。
いつもなら、後先考えずに突っ走って、誰かに止められるのに。

「……。」

きっと、そんなことが出来なくなるくらい、私はムギに惚れてしまったんだな。
好きだという感情が大きくなればなるほど、臆病になる自分がいる。

きっとムギだって、こんな私を好きになったわけではないのに。
だけどやっぱり、ムギの将来のことを考えると余計なことをするべきではないと考えてしまう。
ムギがそれを受け入れるというなら、私だって…。

正解はわからない。
だけど。
私たちは『ライブの当日、ムギがいなくなってしまう』という事実をなんとか受け入れようとした。


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ある日。
それは突拍子もない提案だった。

「律、歌…歌わないか?」

私が?
なんで?

「ムギちゃんに、伝えたいことがあるんじゃない?」

だからって…私がボーカルっていうのは、違うだろ。

「…でも、ドラムボーカルなんて無理だって。」
「えぇ?たまにコーラスやったりするじゃないですか。」
「あれはお遊びだろ?本番で歌ったことなんてほとんどないし…。」

すかさず梓が揚げ足をとる。
私は必死に言い訳をする。

するとその様子をみていた澪が口を挟んだ。

「まぁそう言うだろうと思って、頼んどいたから。」
「は?」
「だから、ドラム。」

こいつはたまにもの凄く強引になる。
何年もずっと一緒にいる親友だけど、それにはいつも驚かされる。

「だ、誰に?」
「私、そんなにたくさんドラマーに知り合いいないぞ。」
「…!!まさか、マキちゃん…?」

そのとき、扉が開く音がした。

「おー!りっちゃん、久しぶりだね!」
「って、マキちゃん!」

まさかのマキちゃんの登場に私は素っ頓狂な声をあげた。
澪とマキちゃんがヒラヒラと手を振り合っている。

「みんな、この間のライブ以来だね。LOVE CRYSISのドラムのマキです。」
「え…マキちゃん、澪から」
「うん、事情は聞いたよ。協力させてもらうね。」
「うそ…。」

待て待て待て待て、ちょっと待て。


「というわけだ。律、歌うんだ。いいな。」

随分といい顔をするんだな、澪しゃんや。

「わ、わかったよ…。」

ここまでされたら断れないだろう。
私は観念して、項垂れたまま返事をした。

私が歌うのは一曲だけ。
どうせムギがいない時点でHTTではないんだからと、
最初にこの提案をしたのは唯だったらしい。

唯らしいというか、なんというか。
それで同調したのが梓、ならばとマキちゃんに声をかけたのが澪。
事情を聞いて助太刀してくれたマキちゃん。

はは、私たちは幸せものだな、ムギ。
最初は驚いたけど…せっかくだからさ。

ムギのために歌うよ。


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明日はライブ。
つまりムギがいなくなってしまう日。
日本へいつ帰ってくるのかはわからないらしい。
残念なことだけど、きっとなかなか帰ってこないだろう。
ムギのお父さんが私達のことを快く思っていないんだ、すぐに帰国っていうのは難しいと思う。

明日の朝、家を出発すると聞いた。
空港での見送りは無理でも、せめてムギの家で見送りたいと申し出たのは梓だった。

私は言わなかった。だって、その答えをなんとなく知っていたから。
案の定ムギは梓にこう言った。

『ごめんね…お父様がいるから…。』

やっぱりな、私はそう思った。
梓は残念そうに下を向いて、そのあとムギに抱きついた。

大人は理不尽だ、そう言って梓は泣いた。
確かにその通りだと思う。
だけど、私達もいつかそんな『大人』って生き物になるのかと思うと、複雑だよな。

だから、先日お別れパーティをした。
ムギは嬉しそうだったけど、少し寂しそうだった。
いや、それは私達にも言えることだろう。

ムギとはそれっきり、会っていない。
それが心残りだった。

今、私はムギの家の前にいる。
会えなくてもいいんだ。
行動を起こさないと、私はこれから一生後悔することになると思うから。
自己満足と言われても構わない。
私はムギに逢いたいという気持ちを出来る限り行動に移したかった。

ケータイを取り出す。
発信履歴の一番上は、ムギ。
着信履歴の一番上も、ムギ。

ピッとボタンを押すとケータイを耳にあてた。
しばらくの沈黙。
回線を探しているのか、なんなのか。
とにかくこの時間が妙に緊張する。

「かかってくれ。」

呟いたあと、コール音が鳴る。
第一段階クリア。
ケータイの電源は入っているみたいだ。

ムギの部屋の窓を見る。
電気がついている。
きっと、部屋にいるはずだ。

息をする度に白い息があがる。
そのままムギの部屋まで届けばいいのに、なんてくだらないことを考える。

コール音はまだ続いている。
プルルル、プルルル…。

音の繋ぎ目の度にムギが電話に出てくれたんじゃないかと、少しドキッとする。
せめて、声が聞きたい。

出てくれよ。

「……。」

頼むから。

「……。」

プツッ…。

「…りっちゃん?」
「!?」
「こんな遅くに、どうしたの?」
「む、むぎぃ…!」

ただ電話に出てくれただけなのに、私は今にも泣き出しそうだった。

「りっちゃん…?」
「なぁ、ムギ…明日は、出発の日だな。」
「…えぇ。私、りっちゃんと離れたくない。」
「でも、行くんだろう?」
「…えぇ。」
「知らないヤツと、結婚もするんだろう?」
「…えぇ。」
「……。」
「だけど、りっちゃんのことは…ずっと、ずっと大好きよ。」
「……。」
「どんなときだって、りっちゃんのことを考えているわ。」
「……。」
「きっと、その人に抱かれているときだって、私はりっちゃんのことを考えているわ。」
「…ムギ。」
「なあに?」
「逢いたい。逢いたいよ。」
「……。」

ケータイが濡れている。
私の涙で故障するんじゃないかってくらい。
だけど、ムギのケータイも危ないかもな。
あはは、私ら泣きすぎだろ。

「ムギ、ベランダ…出れるか?」
「え?うん…。」
「出てみ。」

ガサガサと音が聞こえる。
きっと移動しているんだろう。

私はじっと窓を見つめる。
今か今かと待ち続ける。

ケータイからがらりと音が聞こえる。
窓が少し動いたように見えた。

「…よっ。」
「りっちゃん…!?」

あはは、驚いてる驚いてる。
ムギのあのビックリした顔。
可愛いな。
連れて帰れたらどれだけ幸せなんだろう。

「最後だから、逢いに来た。」
「ありがとう…ありがとう…。」
「やっぱり、行っちゃうんだよな。」
「…うん。」
「だよな。ごめんな、何度も同じこと聞いて。」
「ううん。…ねぇ、りっちゃん?」
「なんだ?」

ケータイがないと、普通に会話するにはちょっとキツい距離だけど。
まるで隣にムギがいるかのように話しているぜ。
ムギも、そうだったら私は嬉しい。


「私、りっちゃんのこと…好きになってよかった。」
「なに、言ってるんだよ。」
「りっちゃんに気持ちを伝えてから、たった数カ月だけど…私はすごく幸せだった。」
「おい、やめろよ…。」
「ずっと、ずっと不安だったの…付き合っても、りっちゃんは私のことを友達以上に見てくれないって…。」
「……。」
「だけど、りっちゃんも、私のこと、好きになってくれて…二人で出かけて…。」
「ムギ…。」
「そんな毎日が、とても幸せだったよ…。」
「私も、そうだよ。」
「あのライブハウスで、りっちゃんと、ちゃんと両想いになれて…多分、これ以上の幸せは、一生味わえないわ…。」
「……私も、ムギを好きになれて、よかったよ。」
「…りっちゃん。」
「ずっと、ムギの優しさに甘えてるって、心の何処かで後ろめたかったんだ。だけど、あの日からそれもなくなった。」
「うん…うん…。」
「ムギ。」
「なに?」
「好きだよ、何があっても。」
「……!」

そう言うと私はすぐに電話を切った。
ムギはケータイから耳を離して、画面を確認しているようだ。

「ムギー!!!!」

声を張り上げた。
明日ライブで歌うっていうのに。
そんなこと、お構いなしで叫んだ。

「向こうに行っても、元気でなー!!」

「私も…!」

「ずっごい、幸せだったぞー!」

「私、えっと…!」

『愛している。』

簡単だろ。
早く言え、私。

「ムギのこと…!」

「何者だ!」

言い終わる前に、何処からか警備員の格好をしたおっさんが追いかけてきた。
やべっ、そう言って私は逃げ出した。

その光景を見て、ムギは笑っていただろうか。
それとも、泣いていただろうか。


-私も、すげぇ幸せだった。愛してる。

心の中で言えなかった言葉を反芻しながら、
逃げ続けた。

気付いたらもう家の前だ。
振り返って誰もいないことを確認する。

「幸せ、だった、よ…愛して、るぜ…。」

家に入る前に、もう一度だけ口にした。
もう届くことはないかもしれないけど。

これが私達の、高校生活最後の逢瀬だった。



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「りっちゃん、おはよ。」
「あたっ。」

挨拶と同時に後ろからぽんっと頭を叩かれる。
今日はライブハウスに現地集合。
マキちゃん、澪と一緒に来て、梓もさっき到着した。
みんなリハーサルの準備をしている頃だろう。
最悪の場合、唯は迎えに行かなきゃいけないと思ってたんだけど…。

「一人で来れたんだな?」
「ひどい!」
「おはようございます。」
「あずにゃん!」

そう言って唯は梓に抱きついた。

「唯先輩、一人で来れたんですね。」
「さっき言われたばかりだよ!」

いつも通りのやりとりを見ているとなぜだか安心する。


「律先輩…。」
「ん?」

梓が気まずそうに私に話かける。
わかってるさ、ムギのことだろ。

「気にすんな。」

ポンっと、梓の頭に手を置きながら言った。

「おーい!そろそろ私達の番だぞー。」

澪がベースを抱えながら歩いてくる。
もうそんな時間か。

「へいへーい。」

リハーサル、か。
いつもはドラムのセッティングの心配だけしてればよかったけど、
今回ばかりはそうはいかない。

曲数が少ないからゆっくりとリハーサルが出来た。
唯と梓のギターの音色をチェックした後に待っているもの、それは…。

「それじゃ、最後の曲は…ボーカルさんが変わるんですよね?」

PAの人が先程提出したリストを見ながら確認する。

「はい、そうです。ドラムはセッティング変えずに叩くんで、一応マイクチェックだけ。…ほら、何やってるんだ律。」
「へいへい…。」

ドラムの席を離れ、ステージの真ん中に立つ。
いつもはもっと後ろから眺めていたステージ、
ちょっと場所が変わるだけでこんなに見晴らしが変わるんだな。

私の周りを囲んでいる楽器がないせいか、急に心細くなった。
振り返るとマキちゃんがスティックを回しながらこっちを見ている。

いつでもいいよー、ということだろう。
イントロは本当はムギのパートだった。

私が歌うと決まってから、選曲はし直したけど、
やっぱりキーボードのある曲を選んでしまうところが私達らしいな、と思う。

ムギがいないからといってカットするわけにはいかない。
梓がその分をところどころカバーするという形で丸く収まった。

つまり入りはドラムのカウントではなく、ギターから。
梓は私の方を見て、いいですか?と無言で確認してくる。

大丈夫だぜ、と私も目で合図を出す。
可愛い音色、とぼけたリズム。

これが、私の歌う曲の始まり。

ムギは…もう空港に着いた頃かな。


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