楽屋をあとにして、会場に戻る途中。
短い廊下で、気になっていたことをムギに問う。

「なぁ、ムギ?」
「なぁに?」
「さっき、怒ってなかったか?」
「……。」

やっぱり、か。
薄々は気づいていたけど、実際そうだったとするとちょっとショックだったり。

「私、何か悪いことしたか?」
「……。」

ムギは何も言わない。
自分で気付けということか。

「私が、マキちゃんと楽しそうに話していたから?」
「……。」

思いつくことを挙げてみた。
実際、これくらいしか心当たりはない。

「半分、当たり…かな。」
「えっ。」

しかし、正解したのは半分だという。
でも確かに演奏後には既に機嫌悪そうだったから、タイミングから考えてもおかしいよな。
…難し過ぎるだろ、この問題。
琴吹先生、正解を教えてください。

「怒っていたんじゃないの…私ね、不安になっちゃったの。」
「え…?」
「りっちゃんは、私のことをなんて…やっぱり好きになれないじゃないかなって。」
「え…。」

おい。
なんだよ、それ。

「意味がわかんない。何言ってるんだ?」
「りっちゃんの周りには魅力的な人が、たくさん居て…私なんかが、図々しいのかなって…。」
「はぁ…!?ふざっけんな!」

つい大声を上げてしまった。
だけどムギは怯むことなく、真っ直ぐ私を見つめていた。
睨みつけるんじゃなくて、ただただ真っ直ぐに私を見つめていた。

「…りっちゃん、私達…やっぱり別れた方がいいね。」
「…え?意味が、わからないってば。」

展開の早さについていけない。
ムギは何を言っているんだ?

「え、だって…いつから?」
「え?」
「いつから、そんなこと考えてたんだよ…!」
「今さっきよ。やっぱり、私といたって…りっちゃんは幸せになれないと気付いたの。」
「何、言ってるんだよ…。」

なんだよ、それ。
ムギが、わからない。

「ムギは、私といて…幸せじゃないのか?」
「……。」

何を言ってるんだ、私も。
今はムギが私を幸せに出来るかって話だろう。
私といてムギが幸せか、は別問題じゃないか…。

「りっちゃん…そういう聞き方、ずるい…。」
「……。」
「私が、りっちゃんと一緒に居て、幸せなのは…りっちゃんだって、わかってると思ってた…!」
「ごめん、そうだよ。…その通りだ。」
「私は…りっちゃんの『お荷物』に、なりたくないから…。」
「おい、ちょっと待てよ。お荷物ってなんだよ。」

無性に頭に来た。
それにしても、こんな狭い通路で痴話喧嘩なんて、主催者もいい迷惑だよな。
トイレのためにここを通りがかった人が気まずそうに、そそくさと個室に入っていくのを見てそう思った。

「だって、そうじゃない…!りっちゃんにはたくさん友達がいて、広い世界があって…!」
「だから言ってる意味がわかんないって言ってるだろ!?」
「私だってわからないもん…!」
「んなっ…!そ、それじゃわかるわけないだろ!?なんでムギ自身ですらわからないことが」

「わかってよ!!」

「……!?」

思わず黙ってしまった。
ムギがこんなに大きい声をあげたところを初めて見たから。
ムギが、また…泣いているから。

私は…。
何度ムギを泣かせれば気が済むんだ。

「わかってよ…、私ですらわからないことも全部、全部…りっちゃんに気付いて欲しいよ…!」
「ムギ…。」

理由はわからないけど、また無性にムギを抱き締めたくなった。
この衝動には勝てなさそうだ。

「……。」

だけど、出来るだけじっと堪えた。
有耶無耶にして先に進みたくないから。
二人の間に、曖昧なものを挟みたくないから。

だから、私はムギと向き合ったまま、ムギの名前を呼んだ。

「なぁ、ムギ?」
「な…な、にぃ…?」

泣きじゃくっているせいでまともに喋れないんだろう。
やっとの思いで声を出しているのが伝わる。

なんで、今なんだろう。

どうしてこんなところで…。

私は、ムギが好きだ。

どうしょうもなく、いつの間にかムギに惹かれている。

それに今、気付いた。


「あのさ、私…。」
「……?」

「ムギのこと、好きだ。」
「え…?」
「私には広い世界があるとか、わかって欲しいとか、ムギの言ってることの意味はよくわからないけど。」
「……。」

あ、今ちょっと不機嫌そうな顔した。
ムギはすぐに顔に出るよな。

今から告白するからな、よく聞いてくれ。
あ、やっぱりよく聞かなくていい、恥ずかしいから。
枝毛の手入れの片手間にでも聞いてくれ。

「だけど、ムギが好き。これだけはハッキリと言える。」
「で、でも…。」
「なんでだろうな…今、気付いたんだ。この気持ちに。」

可愛いとか、カッコいいとか、そういうのじゃなくて。
ただ、ムギが愛しいと、そう思ったんだ。

それはムギの見せた涙のせいで。
二人が今まで重ねてきた時間のおかげで。
このところずっとムギのことを考えていた私の脳みその終着駅で。

とにもかくにも、私はムギが好きなんだ。
きっと、今この瞬間、はっきりと私はムギを愛したんだと思う。

上手く言えないけど、今日ここに来なければ、私はまだムギのことを好きになれずにいたと思う。
さっきムギと口論をしなければ、まだ…。

「嘘じゃない?」
「嘘じゃない。」

「本当に?」
「本当に。」

「私が、好き…?」
「あぁ、大好きだ。」

しばらくこんなやりとりを繰り返した。
私達が我に返ったのは、用を足し終わった人に後ろから声かけられてからだった。

ムードもへったくれもない。
それをムギに謝ると、りっちゃんらしくていいと思う、
なんて言われたからまた一つ小突いておいた。


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そして帰り道。
私たちは手を繋いで歩いていた。

「ねぇ、りっちゃん。」

呼び止められて、視線をムギに移した。
どうした?そう言うように。

「あのね、聞いて欲しい話があるの。」
「なんだよ、改まって。」

ムギは少し緊張した様子だった。
握っていた手に力が入るのがわかる。
一体どうしたっていうんだ。

「私ね、みんなと…りっちゃんと同じ大学行けないの。」
「…は?」

一難去ってまた一難。
さらに今回は話のスケールがデカすぎる。

「海外にね、行かなきゃいけないの。」
「……。」

何を…言っている?

「三年後、私は結婚するんですって。」
「……。」
「すごいでしょ?私のことなのに、私が聞かされたのもこの間なの。」
「むぎ」
「おかしいわよね。どうして自分の選んだ好きな人と一緒にいることすら許されないのかしら。」
「ムギ!!」

淡々と呟いているようだったが、私はムギの目に光るものを見た。

「それ、どういうことだよ…!」
「…今日、会ったらすぐに話そうと思ったの…。」
「……。」
「だけどね、やっぱり…りっちゃんの顔見たら…言えなく、なっちゃって…それで…。」
「……なんだよ、それ。」

話が、色々飛び過ぎじゃないか。


「実は、こんなことが起こる予感はしていたの…でも、私は、りっちゃんが好きだから…。」
「ムギ…。」
「だから、あの日…勇気を出して、告白できたの…。」
「……。」

知らなかった。
そんなことを考えて私に気持ちを打ち明けたなんて。

脳天気な自分に腹が立つ。
私はムギの話を聞きながら拳を強く握りしめた。

「私ね、お父様に…初めて反抗したの…好きな人がいるって…だけど、もう決まってしまったことだから、どうにもできないって…。」
「そ、そんなのおかしいだろ!ムギの人生はムギが決めるべきだ!」
「私の世界は、りっちゃんの世界ほど広くないの…。」
「…!じゃあムギはそれを受け入れるのかよ!」
「……。」

強く言いすぎてしまった。
ムギが悪いわけではないのに…。

「私は…ムギが好きだ。遅くなったけど…今なら本当にムギのことが好きだって胸を張って言えるよ。」
「…りっちゃん。」
「私は…ムギに、行って欲しくない。」
「……。」
「だって、あんまりじゃないか…そんなの…。」
「……。」
「……。」
「ごめんね…。」

ムギは謝りながら、子供みたいに泣きじゃくる私を抱き締めた。
抱かれたまま、温かい胸の中で私はまた泣いた。
私を抱きながら、ムギもきっと泣いている。

ムギだって、甘えたいハズなのに。
ここ一番でムギを甘やかしてやれない。
私はなんて弱いんだ。

そんな私に、泣かないで、なんて声をかけてくれた。

優しくて強いムギが好きだと、また強く想った。
出来れば、いつまでも二人でいたい、そう強く願った。


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その日の夜。
また寝付けなかった。
二日連続での寝不足は免れないようだ。

「ムギ…。」

私はやはりムギのことを考えていた。
卒業と同時に、ムギは海外に行ってしまうらしい。

そして、今はまだ顔も知らない十も歳の離れた男と結婚させられるらしい。
こんなことがあっていいのか。

ムギが言っていた。
私の世界は広くていいね、と。
今ならその言葉の意味も痛いほどにわかる。

そんなに『私の世界』ってやつがいいなら。
連れ出してやりたい。

「……。」

でも、ムギは海外に行くと決めた。
もう、きっと…何をしても今更なんだろうな。

ムギだって、私のことが好きだ。
私も、今日やっと本当の意味でムギと向き合えた気がする。

これからだって、思ってた。

「なのに、なんだよ…。」

何を考えても、どんな風に考えても。
まとまらなかった。

いつの間にか寝ていた。
夢の中でもムギのことを考えていた、ような気がする。
夢の中で、夢の中で…。


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「新曲がやりたいです、先生…!」
「はぁ?」

唯が突拍子もなく、とんでもないことを言い出した。
ライブまであと一ヶ月くらいってところで、新曲がやりたいだと…?
コピー一曲くらいなら余裕で間に合っちゃうじゃないか、やめてくれ。
そんなことを考えていると澪が口を開いた。

「新曲って…今回は今までやった曲の中で」
「わかってるよ。でもさ、今までやった曲だけだったら、もうほとんど完成しちゃってるでしょ?」

確かに、唯の言うとおりだ。
時間も案外使い分けが出来ているし、この調子なら新しい曲をやるのも問題なさそうだ。
ただし、コピーに限る。

「唯、気持ちは分かるけど、今から作詞して作曲して…っていうのは流石に厳しいぞ?」
「そうだな。私も落ち着いて歌詞書けないし…。」
「うん!だから、コピーとか、どうかな?」

まさか唯からそう提案してくるとは。
私たちは意外過ぎて声が出なかった。


「私は構いませんけど、先輩達はどうですか?」
「うーん、実は私もちょっと物足りないなーとは思ってたんだよな。」
「一曲くらいならいいんじゃないかしら。どう?」

そんなこんなで私たちは一曲コピーをやることになった。
といっても転換込みの30分だ。
MCを入れると出来て大体4曲といったところか。
そんな負担にはならないし、みんな問題ないだろう。

やっぱりバンドは楽しい、と。
打ち合わせの途中、そう思った。



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次の休み。
いつもの場所、いつもの時間。
私たちはまた待ち合わせをした。

「…りっちゃん!」
「よっ。」

今日はムギの方が遅かった。
正確にいうと、私が早く来たんだ。

「それにしても…まだ待ち合わせ40分前だぞ?早すぎないか?」
「私よりも早く来ていたりっちゃんに言われたくないわ。」

口では不貞腐れているけど、嬉しそうだった。
それにしても、ムギはいつもこんなに早く待ち合わせに来ていたのか。

「…ムギ、お前さ。」
「なぁに?」
「私のこと好きすぎ。」
「…同じこと二回言わせるの?」
「え?」
「『私より早く来ていたりっちゃんに言われたくないわ。』」
「…ぷっ、あはは。」

それもそうだな。
言いながら私たちは自然と手を繋いだ。

きっと今日もいつも通り、街をぶらついて終わりになるんだろう。
だけどいいんだ。
ムギが好きだって、そう感じながら街を歩くだけで。
なんとなく幸せだと思えるんだ。

数ヵ月後、私達は離れ離れになってしまうけど。
だけど、自棄になって時間を無駄にするのは勿体無いと気付いたから。

今ある時間を大切にすること、それがまだ子供な私達の精一杯の抵抗なんだ。
体はくれてやる、だけど心までは渡さない。
それが私達の結論だった。

物分りのいいフリをして、心の中で舌を出す。
そんなささやかな仕返し。

どうせ強がりさ。
だけど、そのまま大人達の都合のいいように身も心も流されるなんて御免だ。

「なぁ、ムギ?」
「なあに?」
「…なんでもない。」
「えー?…あ、そうそう。りっちゃん?」
「んー?」
「えへへ、なんでもない。」
「あはは、なんだよー。」


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