和ちゃんはひらひらと手を振って、帰って行きました。
一人になった私は、ゆうゆうと、改札を通るのです。
今日という日は、こんな電子音なんかで台無しになるような一日じゃあ無かったんですから。

電車にのっている人々は、なにを考えているのでしょうかって、そんなもの、知りません。
ただ、彼らもきっと誰かに優しくて、たまたま私に優しくないときがあっても、それは仕方ないのです。

押し合いへし合いしながら、電車を降りました。
広々とした敷地、今日も斉藤はガーデンにいました。
こそこそと、栗毛の使用人と話しています。

「お、おい、これは白薔薇なのか……」

「そうですよ。綺麗ですよねえ」

「いや、しかし……なんと……どうしたことか、いっそ赤ペンキで塗ってしまうか」

草木のさざめきしか聞こえないガーデンに、彼らの声はよく響いていました。
すう、と息を吸って、私は声をかけました。

「斉藤」

斉藤はばっとこちらを振り向いて、深々と頭を下げました。

「お帰りなさいませ」

「そんなのはどうでもいいの」

そう言った後で、私は考えました。
何を言おう。

きょとん、と斉藤と使用人がこちらを見つめてきます。

「……わ、私の家が倒産しましたっ!」

指を二人に突きつけて、私は叫びました。
だって、恥ずかしいのです。

「リーマンショックやら不良債権やら不況やらデフレやらうんぬんかんぬん……
 貴方達が朝の食卓で話題に出すようなことで、えらいことに……それで……」

しどろもどろに話す私を、斉藤は優しい、柔らかい口調で止めました。

「お嬢様、長うございます……もしかして、照れていらっしゃいますな?」

あら、と使用人が声を上げました。
だから、私は渋々頷くのです。

「私、今から馬鹿馬鹿しいこと言うから……恥ずかしいの」

「安心なさってください、あなたが言うまで、いつまでも待ちましょう、笑ったりもいたしません」

斉藤に目配せされて、栗毛の使用人も、くすくす笑いました。

「ええ、お嬢様があんまり可愛くて笑うことはあるかもしれませんけどねえ」

だから、それで私は安心して、深く息を吸って言いました。

「私の家が、倒産しました……そうしたら、あなたたちはどうするの?」

「当然、執事をやめるでしょうな」

斉藤が事もなげに言います。
けれど、私は泣きません。それなら、それで、飲み込んで……

「しかし、男たる者、一度仕えた主君をそう簡単に捨てられましょうや?」

まさか、ご冗談を。
そう言って、斉藤は笑いました。

「他の家にお仕え申し上げ、その給金で、僭越ながらあなたがたを養いましょう。お嫌ですかな?」

「ああ、男女差別ですよ、それ。私だってパートして家計を支えますもん」

いらんことを言うな、と斉藤が、むっとしたように言います。

「今は私が格好をつけるときだ」

「ちぇ、そんな横暴な」

彼女たちのやりとりを見て、私は笑うのです。
今日で、何度目でしょうか、こんなに明るく笑うのは。

「ねえ」

小さい声で、呼びかけます。それでも、ちゃんと言葉は届きました。

「大好きよ、あなたたち」

斉藤がこれまた小さい、けれどちゃんと届く声で、言いました。

「参りましたな……」


ひとしきり使用人と笑った後で、私は部屋へ戻りました。
斉藤が、素敵なご客人がおいでですよ、と言うから、胸を弾ませて。
仰々しい飾りのついたドアを開けると、柔らかそうな髪を振って、唯ちゃんが足踏みをしていました。

「ばでぃ ゆあ ぼーい めいか びっぐ のいず ぷれいん ざ……あ、どうも」

私と目が合うと、バツが悪そうな顔をしました。
けれど、私の顔を見て、微笑むのです。

「うん、笑ってたほうがいいよ」

流れるようにベッドに倒れ込む私に、彼女は紅茶を差し出しました。
いい香りです。

「ミルク、減らしてみた。梓ちゃん、こういう味のほうが好きなのかな?」

ずず、とはしたない音を立てて、その紅茶を飲みます。
程よい甘さの紅茶でしたけれど、意を決して、私は言うのです。

「あのね、唯ちゃん、ティータイムはしばらく休止にしましょう」

彼女は表情を変えずに、ただ、どうして、と聞き返します。

「梓ちゃんは、練習をしたがっているから。そっちのほうが好きみたいだから」

「私たちは、ティータイムが好きなんだよ?」

「分かってるわ。だから、しばらくしたら私が梓ちゃんと話し合って、休憩時間を挟むように」

そんなことを言う私に、強い口調で彼女は言いました。

「分かってないじゃんか」

ぽす、と私の胸に飛び込んできて、震える声で言うのです。

「分かってないよ。そんなに私は頼りない?
 紅茶を淹れられるようになっても、和ちゃんとは比べものにならないほどに頼りないの?」

ああ、と、思わずため息を付きました。
和ちゃんの言ったことを、私は全然理解していなかったのです。
ごめんね、と呟いて、私は彼女の頭を撫でました。

「ごめん、自惚れていたわね。そうね、明日……明日、梓ちゃんと話し合いしましょうね」

数秒黙って、彼女はけらけらと笑いました。目には、全然涙が浮かんでいません。

「えへへ、和ちゃんが言ってた。ムギなら泣き落とせば大概の要求は飲むわ、って」

「あら」

思わずため息が漏れます。
本当に、和ちゃんのことは、全然分かっていなかった。

「なんか考えがあるんでしょ?」

「いや……そんな目で見ないでよ、仲間に入れてあげるから」

「へへ、やった」

小さくベッドの上で飛び跳ねる彼女を見て、私は微笑みました。
その夜は、いい夜になりました……そういう意味じゃありません。彼女はすぐに帰りました。


朝起きて、斉藤にありがとうと言って、電車に乗って、学校へ。
授業、つまらなかったけれど、それでも、ちゃんと受けられる程度には大人です。
けれど、やっぱり欠伸をしてしまうくらいに子供な私がいたから、一人微笑みました。

今日も部活に梓ちゃんは来ません。

「来ないなあ……」

「ま、気長に待とうよ」

澪ちゃんとはりっちゃんは天井を眺めてそんなことを言っています。
その日も結局、梓ちゃんは部活に来なかったから、皆は帰りました。
皆と別れて、彼女と待ち合わせ、音楽室へ戻ります。

響いてくるのは、激しいロック調のリフと、物憂げな声。

「ほら、いたでしょ?」

「ほんとだ、すごいねムギちゃん」

ドアの窓から覗いて、私たちはこそこそと話しました。
音楽室では、小さなギターを抱えて、床に直に座った梓ちゃんが演奏していたのです。

がらがらと、大きな音を立てて扉を開けると、梓ちゃんがゆっくりとこちらを見て、微笑みました。

「やっぱり、琴吹先輩は来たんですね。平沢先輩が来るなんて、意外でしたけど」

「ええっ!?酷いよお……」


くすくすと梓ちゃんが笑います。

「すみません。さあ、練習しましょうか」

紅茶じゃなくて、練習しに、梓ちゃんは音楽室へ来ているのです。
部活を練習とごっちゃにしているから、彼女は、私が練習を頑張ると思っているのでしょう。
私は、部活を頑張ろうといっただけなのに。

「お茶、淹れるね」

私がそう言うと、梓ちゃんはギターをスタンドに掛けて、私たちを睨みつけました。

「なんですか、それ」

「なにって、ニルギリよ。ファーストブレイク、美味しいわよ?」

ふざけるな。
梓ちゃんは、今にもそう言い出しそうでした。

「まあまあ、いったん座ろうよ。ほら、私もギター持ってきたよ」

梓ちゃんは、彼女の言うことを無視して、突っ立っています。
少し、むっとして、私は言いました。

「ムスタング。フレット数は21か22、スケール長は22.5インチ。
 あなたの大切な物、少し調べてみたの。だから、あなたも理解する努力はしてくれない?」

「紅茶が、そんなに大事なものですか」

「紅茶じゃないんだけど……まあ、いいわ」

じゃんじゃんと、オーバードライブのかかった音を奏でて、梓ちゃんは歌います。

「あ ゆ がな ごー まい うぇい」

お前たちは、ついてくるのかい?
ついてきて欲しいなら、歌なんか歌わずに、日本語でそういえばいいのに。
そんな梓ちゃんが可愛くて、私は微笑んで紅茶を出しました。

「はい、飲んでみて」

最初は嫌がっていましたけれど、梓ちゃんは渋々紅茶を口にしました。
そして、目を大きく見開きました。

「これ……なんで……」

「そ、ストレートティー。好きでしょう?」

「でも」

「あなた、愛想笑いするとき、眉が下がってるわ……ごめんね、可愛いギターだなんて、つまらないこと言って」

いいえ。肩をすくめて、梓ちゃんは言いました。
さて、どうしよう。
迷って黙り込んでいると、彼女が言ったのです。
ちょっと悔しいですけれど、小柄で抱き心地の良さそうな彼女に飛びついて。

「ほーら、あ、ず、さ、ちゃん!」

ひっ、と梓ちゃんが小さな悲鳴を上げます。
そんなことには構いもせずに、彼女は続けるのです。

「ほら、眉毛下がってないよ、可愛いなあ、もう」

「……そうね」

少し妬けるけれど、顔を真赤にした梓ちゃんはたしかに可愛かったから、私は頷きました。

「な、なにを……」

「ねえ、梓ちゃん」

私に名前を呼ばれて、少し梓ちゃんは萎縮します。
あら、可愛い。私も思わず微笑んでしまいました。

「あのね、無理にお茶しなくていいし、練習してもいいわ。
 ただね、他の人を否定するのは、駄目よ。否定されて自分を抑えこむのも、駄目」

「どうしろってんですか」

「うん……私たちは紅茶が好きで、あなたはギターが好きだから、そうね……紅茶飲みながら、演奏する?」

きょとんとして、梓ちゃんは頬を膨らませました、
彼女も、呆れたように言います。

「ムギちゃん……それはないよ」

「だ、だって……なにも思いつかなかったし」

慌てて取り繕おうとする私たちを見て、梓ちゃんは笑いました。

「あはっ、馬鹿ですか、あなたたちは……」

「ば、ばか……って……」

彼女はショックを受けたように呟いたけれど、私は微笑んだのです。
梓ちゃんの顔が、昨日の生意気な子と、被って見えたから。

「いいですよ、貴方達についていきます、でも、もしよければ……」

ぼうっと天井を眺めて、少し頬を赤らめて、梓ちゃんは言いました。
まるで天井に喋りかけているようでしたが、残念。

「道に迷った時くらい、私に……ついてきて、くださいね」

音は反射するのです。
サッカー選手のパスのように、梓ちゃんの言葉はしっかりと私たちに届きました。

「どっちかがついていく必要なんて無いじゃない。一緒に話し合いながら進みましょう」

「おお、格好いいよ、ムギちゃん!」

きゃーきゃーと騒ぐ私たちを見て、梓ちゃんはため息をつきました。

「まったく、参りましたね……」

けれど、眉は下がっていなかったから、私たちはいっしょくたになって、ずっと笑っていました。



次の日。
梓ちゃんはそろりそろりと音楽室に訪れました。
りっちゃんがそれを見て、古臭いヤンキーのように言いました。

「……よぉ」

梓ちゃんは少し慌てて、迷ったあとで言いました。

「……よ、よぉ……いや、えっと……こんにちは」

それがあんまり可愛らしくて、私たち皆、笑ってしまったのです。
梓ちゃんが顔を真赤にして頬をふくらませます。

「な、なんですか!ちょっと今から謝るからちゃんと聞いてくださいよ!」

すう、と大きく息を吸って、勢い良く頭を下げて一言。
音楽室を震わせました。

「すみませんでした!」

げらげらと皆が笑う中で、驚いたことに、梓ちゃんのほうへ真っ先に向かっていったのは澪ちゃんでした。
カバンから何かを取り出して、梓ちゃんの頭を撫でます。

「冷たっ」

梓ちゃんが小さく悲鳴を上げました。
澪ちゃんは事もなげに、梓ちゃんのヘアゴムを取ります。

「まあ、冷やした酢だからな。なんか頭皮に良いらしいぞ。
 それと、お前はきつく結びすぎだ、頭皮、痛むぞ?」

そう言って、澪ちゃんは梓ちゃんの髪を手で梳かして、また頭を撫でました。
その姿はまるで姉妹のようで、とても微笑ましいものでした。

「よしっ、たまには練習するかね」

りっちゃんが、パンと手を叩いて言いました。
澪ちゃんが顔を輝かせます。
そこに水を差す人がひとり。勢いよく扉をあけて入ってきました。

「話は聞かせてもらったわ!これが仲直り完了アイテムよ!」

長い髪をなびかせた、和ちゃん曰く"さわ子さん"。
手には妙な形のカチューシャが握られています。

「先生、それ……」

「猫耳です!」

先生は得意げに胸を張って言いました。
梓ちゃんは周りを見渡しましたが、どうやら私も含めて、みんな先生の味方のようです。
梓ちゃんは渋々猫耳をつけました。とても良く似合っていました。
そういえば、スイスのおばさんの家の猫は、夜に五月蝿いんだっけ。

「軽音部へようこそ!」

「ここで!?」

昼なのに、梓ちゃんの声は学校中に響きました。



こんにちは、中野梓です!

素敵な先輩が私のために淹れてくれた初めての紅茶。

それはただのストレートでだけれど、私はそれが好きでした。

その味は、少し苦くて、優しくて、こんな素晴らしい紅茶をもらえる私は、

先輩たちに取って特別な存在なのだと、そうならいいな、と思いました。

私はお茶を淹れられません。だから、彼女たちにあげるのは、オリジナルとまでは言わないけれど、

アレンジを加えたロック調のジャズ。それを聞きながら、紅茶を飲んで欲しいんです。

だって、私たちは一緒に進むんですから、ねえ、そうでしょう?

紬(……われながらこれはないわ)

唯「私も厳しいと思うよお」

紬「なんと」

唯「えへっ」


和「ちょっと律!講堂使用届け出てないわよ!」

律「なんと!?」

和「まったく……さわ子さんも注意してやってくださいよ」

さわ子「ええーめんどくさいわ」


紬「あっちはあるのかしらね?」

唯「どうだろうねえ」



おわる!