「やっぱり、笑っていたほうがいいわ。でも、どうしたの?」

「あのね、ムギちゃんは優しいね」

そうかしら、と言って、彼女は小さく微笑みます。
そして、ポットに蓋をして、ポットを手で包み込みました。

「何やってんの、熱いよ!」

「こうすると熱が逃げないかな、って、根拠はないんだけれどね」

でも、頑張ったって、自慢できるから。
そう言う彼女は、とても子供っぽく見えました。
それに、彼女はそんなことを自慢なんて、決してしないのです。

「自慢なんてしてないじゃない」

「ふふ、じゃあ、今からするね。頑張ってるでしょ、私」

ふわふわと茶葉が漂って香りが漂って、最後に彼女の笑顔が混ざるのです。
それだけで、私は嬉しくなります。

「あと三分蒸すの?」

「二分一五秒くらいで良いの。苦いの、苦手でしょう?」

私は頷きます。
彼女は、今まで見せたこともないような笑顔で、少し飛び跳ねました。

「やっぱり!良かったわ、最初にお茶を出したとき、少し困ったような顔をしていたから、そうだと思っていたの」

少しどきっ、として、私は息を吐きます。
彼女は、私よりもずっと前から、ずっと注意深く、私のことを見ていてくれたのです。

「じゃん、ここで唯ちゃん専用の隠し味です」


そう言って彼女が鞄から出したのは、スチール製の容器。
りんご、うし、とラベルが貼ってありました。

「うし……え、牛肉?」

「牛乳よ」

くすくすと彼女は笑って、湯気のたつティーポットの中の紅茶を、別のポットに移し変えました。

「移し替えなくても別にいいけれど、茶葉が入ったままだとどんどん味が濃くなっちゃうから。
 それに、こうすれば味も混ざるからね」

「あじ」

「そう、奥のほうに沈んでいる部分は、ちょっと苦いの。茶葉に近いところなんかは特にね」

そういえば、昨日私が飲んだお茶は、茶葉は入ったままで、その上よく混ぜもしませんでした。
よくもまあ、あんなに根拠の無い自信を持てたものだと、すこし可笑しくなります。

「それで、唯ちゃんのカップには牛乳とりんごジュースを入れます」

「ええ、どうして?ムギちゃんのと一緒がいいよ」

彼女は少し照れくさそうに、手を後ろで組んで言いました。

「でも、これが唯ちゃんのための紅茶なの。一ヶ月間、注意深くあなたの反応を見ていたのよ?」

「そう、嬉しい……いつもおいしいお茶、ありがとう」

私は顔が赤くなるのを感じて、さっと顔を背けました。
彼女も少し小さな声で、言いました。

「座りましょう。きっと美味しいから」

彼女の言ったとおり、それはいつも通りのおいしいお茶でした。
いや、彼女がどんなことを思いながら淹れたか知った今では、ずっと美味しく感じます。

「美味しい」

「そう」

彼女はにこりと笑って、そして、少し間を空けて言いました。

「唯ちゃん、あのね、昨日の紅茶は少し苦すぎたわ」

「だよね」

「うん、その、ごめんね……余計な気遣いだったかしらね」

「いいよ。次は、ちゃんと淹れるからね」

そう言ってしばらくして、彼女は微笑んで言いました。

「ちゃんと私のこと、見ていないと駄目よ?おいしいお茶、淹れたいなら、ね」

素敵な彼女が私のために淹れてくれた初めての紅茶。

それは彼女のオリジナルで、出会ってまだ二日でした。

その味は甘くて、少し苦くて、こんな素晴らしい紅茶をもらえる私は、

彼女に取って特別な存在なのだと、そうならいいな、と思いました。

今では私がお茶係。彼女にあげるのはもちろん平沢唯オリジナル。

なぜなら、彼女は当然、私にとって特別な存在だからです。


唯「……とっぴんぱらりのぷう」

紬「……」

唯「アレレー、オッカシイゾー、そんなに震えてどうしたのかな?」

紬「べ、別に。会いたくて会いたくて震えてるわけじゃないわ」

唯「へえ、じゃあ信頼するよ、大丈夫なんだね?」

紬「どんとこいです」

唯「じゃあ、こんなふうに指を絡めても、平気……?」

紬「……どんとこいよ」

唯「そう、じゃあ、こんなふうに顔を近づけるのは……?」

紬「息がかかって温かいわ……エコね」

唯「そう……じゃあ、さ……ん……」

紬「ん……」


唯「ふふ、帰ろうか」

紬「うん……ねえ、今度、お茶、淹れてね?」



おわりだよ!




紬(新入部員が入ってきました!)

梓「新歓ライブの皆さんの演奏聴いて感動しました!」

紬(いいこです)

唯「……でも、眩しくて直視できないこです」

紬「!?」

唯「……えへへ、顔、見てたから」

紬「うふふ」

梓「早速練習を……お茶?」

紬(真面目な子です。一悶着あるかもしれません)

紬(というか、そういうことにしておかないと、妄想的に困るのです)

紬(というわけで、行ってみましょう!)

唯「……複雑な思考はトレースできないよお」

紬「うふふ、精進しないとね?」


………

人間って、優しいと思うのです。
斉藤も優しい、彼女も優しい、軽音楽部のみんなも優しい。
さわ子先生と斉藤を見て、紙切れに群がるゲスの大群、だなんて、
パーティに訪れる人を見て大人にいだいていた印象は無くなりました。
それって、素敵なことです。

「では、お嬢様、いってらっしゃいませ」

斉藤は私が電車で通学することに、文句は言いません。
けれど、時折心配気に、せめて家の周りだけでも、と辺りをうろうろ見回っているのを知っています。
それって、優しいことです。

「ええ……ねえ、斉藤?」

みんなが優しいから、私も優しくなれるのです。
これは甘えかもしれないけれど、事実は事実として認めましょう。

「毎朝見回りご苦労様、ね?」

斉藤は困ったように、俯いたのか頭を下げたのか分からない、曖昧な程度に腰を曲げました。

「いやはや、まったく参りました」

彼だって、そうしているのです。
事実は事実として、そういうふうに認められる事実は、大抵素敵なことですから。

「ふふ、行ってくるわ」

そんなやりとりをして、思っていたよりずっと綺麗だった春の空を見て、街を歩くのです。

ぴっ。
だから、この自動改札の電子音が嫌いです。
これは、私が溝水と称した、インスタントティーと全く同じ発想で開発された物ですから。
でも、文句を言っても詮無いことでしょう。

「――行き、始発電車は、3番乗り場より七時四二分発の予定です――」

疲れたような駅員さんのアナウンスを聞いて、私は電車へ乗るのです。
ごとんごとん、気が狂ったように繰り返される音を聞いて、学校へ向かいます。
レニークラビッツのAre you gonna go my wayですら、こんなにしつこいリフでは無かった、と思います。

「おっと、すみません」

肩幅の広い男性が、電車に揺られて私にぶつかって、軽く頭を下げます。
ほら、きっとこの人は、ぶつかった人を無視できないくらいには、優しいのです。
みんなみんな優しい、そんな世の中のほうが、素敵です。

「――次はあ――」

はふがはほかん。
そういえば、車内アナウンスは、マイクに息が入らないようにあんな喋り方をするそうです。
聞き取りにくいけど、これも彼らなりの優しさでしょう。

ぴっ。
揺れる電車を降りて、また、無機質な改札機の音を聞きます。
けれど、そんなことで台無しになるような通学路でも無かった、と思うのです。

「あ、おはようございます」

駅から学校までの道のり、小柄な女の子に挨拶をされました。
彼女が頭を下げると、長いツインテールが揺れます。
少し高い細い声は、上品な猫のようです。
そういえば、スイスのおばさんが、うちのシャムシャムは夜うるさくて困っちゃうわ、なんて言っていたっけ。

「あら、朝から元気いっぱいね」

「ええ、そりゃあもう!ほら、見てください、私のムスタングです」

ギターのことなんてよく分からないけれど、小柄な梓ちゃんによくあった、ショートスケールのギターでした。
だから、可愛いね、と毒にも薬にもならない意見を言っておきます。
新入部員の梓ちゃんは眉を下げて笑いました。

「変な褒め言葉ですね」

飛び跳ねるように、短い――というのは失礼かもしれませんが――足を交差させて、梓ちゃんは私の隣を歩きます。
同じく、跳ねるような声で言いました。

「今日はどんな練習をするんでしょうか。楽しみで仕方が無いんです、私」

きらきらと輝く瞳、思わず私も笑みがこぼれます。

「そうねえ、まずはお茶じゃない?」

「あはっ、面白い冗談ですね」

屈託なく笑う梓ちゃん、けれど、私はあの時の斉藤と違って、少し眉をひそめずにはいられないのです。
梓ちゃんがそれに気づいて、心配気に尋ねてきました。

「あの、どうしました?」

「いえ、なんでもないのよ。ただ、まだちょっと寒いから、薄着で出たのは失敗だったかな、って」

ふうん、と梓ちゃんは気のない返事をしました。
なんとなく、何かが心配で、私は梓ちゃんの小さい背中に言いました。

「練習、いっぱい出来るといいわね」

「ええ、そりゃあ、あんなに素敵な演奏をする軽音楽部ですから!」

眩しい笑顔で、梓ちゃんは笑います。
そういえば、彼女は梓ちゃんの笑顔が眩しくて直視できないと言っていたけれど、
それはもしかしたら、いったん目を大きく開いて、それから細める、梓ちゃんの独特な笑い方のせいかもしれません。

梓ちゃんの笑い方を知っている、それは、梓ちゃんが楽しんでいるかどうか分かるということです。
顔から何かがわかるって、素敵で、大切で、愛しいことです。

「ねえ、梓ちゃん。部活、頑張りましょうねえ」

「はい!」

まだ似合わない制服を着た梓ちゃんと一緒に、終始微笑んで学校へ向かいました。


……

授業が終わりました。
授業は……これまた言い方は悪いですけれど、溝水です。
だって、四〇人に同じ方法で、同時に教えるなんて、えっと、そう、工場制手工業です。
資本主義の悪しき効率至上の考えです。

「ふうい、しばらくはガイダンスばっかで楽ちんだねえ」

く、と掠れた声を出して、彼女が伸びをしました。

「すぐにお前は和に泣きつくんだろうが」

りっちゃんに言われて、彼女は、そんなことないもん、と頬をふくらませます。
そうです、だって彼女は、多分、私に泣きつく。
そう思って、くつくつと笑いました。

「あ、ムギちゃんが変なこと考えてるよお」

「いや、笑っただけでその言い草は酷いだろ」

ひゃあ、とおどけた仕草で言う彼女に、りっちゃんは言いました。
けれど、ご名答、変なことを考えてました。
だから、笑って誤魔化して言いました。

「まあまあ、それより、早く音楽室へ行きましょう。後輩より遅れてちゃあ、示しがつかないわ」

いい加減でおちゃらけている彼女とりっちゃんも、流石に後輩の前ではいい格好がしたいようです。
大声で、梓ちゃんのことを話しながら、音楽室へ向かいました。

音楽室へ着くなり、彼女は言いました。

「よし、はりきってお茶淹れちゃうよ!」

お湯をわかす姿でさえ、もう随分と様になったものです。
りっちゃんも、もう彼女がお湯を使うことを心配なんてせずに、わくわくと待っています。

「じゃあ、今日は久々に、二人とも淹れようぜ。で、美味しかったほうが梓の先輩な!」

変なことを言います。
みんな梓ちゃんの先輩なのだけれど、まあ、初交流としては面白いし、悪くない企画でしょう。

「ムギちゃんにだって負けないよ」

「あら、師より優れた弟子なんて、いるわけないじゃない」

なんてことを言いながら、私も彼女も、多分りっちゃんも、分かっているのです。
どちらが美味しいか、どれだけ手間をかけたかなんて問題ではなく、結局必要なのは……

「おお、今日は二人が淹れる日か。唯の紅茶はちょっと甘すぎるよな、それはそれで好きだけど」

音楽室へ入ってきた澪ちゃんが、長い髪を揺らして、さっさと席へ着きます。
練習練習言わずに、紅茶も楽しみにしてくれているというのは、けっこう嬉しいものです。

「今日は梓ちゃんの反応見だから、いつもと味は変わっちゃうわよ」

「そうそう、いわばジャブだよね!間合いを取る右中段突きだよね」

そうねえ、と微笑んでいると、また、音楽室の扉が開きました。


「こんにちはっ!」

元気のよい声を出したのは、我らが新入部員梓ちゃんです。
皆さん早いんですね、なんて言うから、私と彼女とりっちゃんはほくそ笑みました。
澪ちゃんが落ち着いた様子で言います。

「まあ、仮にも先輩だからな。それより、梓、その髪の毛、大変じゃないのか?」

「え、何故です?」

「随分と揺れてるから。下ろせばいいのに」

でも、気に入っていますから、と笑って梓ちゃんは言いました。
りっちゃんが席に付くように促すと、梓ちゃんは不思議そうな顔をしました。

「は、お茶?」

「そ、お茶」

続いて、澪ちゃんになにやら目配せをします。
続いて、りっちゃん、彼女、最後に私。

「お茶、ですか。でも、先生に怒られちゃうんじゃあ……」

けれど、残念。さわちゃんだって楽しみにしているのです。

「あー、疲れた。ムギちゃん、私ミルクティーね」

こんなことを入って早々言うくらいには。
梓ちゃんも、少し驚いてから、渋々席に着きました。


「あ、美味しい……甘い」

梓ちゃんは紅茶を口に入れるなり、言いました。
それは彼女の。次に、梓ちゃんは私の淹れた紅茶を飲んでくれました。

「こっちは果物……たぶん、オレンジでも入れてるんでしょう?」

「うん、正解」

梓ちゃんは一度目を大きく開いて、眉毛を下げて笑いました。
それで、所在なさ気にふらふらと、ギターのもとへ向かいます。

「ふう、ムギちゃんのお茶は落ち着くわ。唯ちゃんのお茶は元気出るわねえ」

先生はそんなことを言ってくつろいでいましたし、りっちゃんと澪ちゃんはなにやら雑談していました。
私と彼女は、顔を見合わせて、なにごとだろう、と肩をすくめました。

次の瞬間、爆音が流れました。音量の調整をしていなかったのでしょう、フィードバックノイズまで入って、酷い音でした。

「うっ……どうもすみません」

そう梓ちゃんが言い終わる前に、さわちゃんは立ち上がって、言いました。

「うるさあいっ!」

梓ちゃんは驚いて、しばらく固まりました。
このとき、私たちも、連続で音楽室に響いた大きな音に、子犬のように萎縮してしまっていたのです。
これが、不味かったのかもしれません。

「な、なんですかそれ……」

梓ちゃんの震えた声が聞こえるまで、私たちは何も出来なかったのです。
彼女とりっちゃんが立ち上がったときには、梓ちゃんは大声で怒鳴っていました。

「こんなんじゃ駄目です!みなさんやる気が感じられません!」


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