唯「見ちゃうんでしょ?」

紬「……見ちゃわないわ」

唯「いや、見るね。断言できる。そんなところがムギちゃんのいけないところなんだよ」

紬「見ちゃわないってば」

唯「ホントに?それじゃあ私が今からべらべらと私と紬ちゃんのラブストーリーを語るけど良いね?
  ラブストーリーは突然に訪れるけど、良いね?」

紬「えっ」

唯「襲ったりしないね?大丈夫なんだね?」

紬「……まあ、八割がた大丈夫だと思う」

唯「残りの二割は?」

紬「自分を抑えるために熱湯を浴びようと思うわ」

唯「そうなんだ。頑張ってね……」


……

綺麗な女の子。私が最初に思ったのは、ただそれだけのことでした。
自分でも、なんだかなあと思います、けれどしようがないことです。

「よしっムギ、お茶の準備だ」

そんなことをカチューシャをつけた女の子に言われて、彼女はお茶を淹れてくれました。
このときは少し苦いな、と思ったのですが、次に飲んだお茶はほどよく甘くて、なんとなく、すごいな、と思ったのです。

「他に入りたい部活はあるの?」

柔らかい声でそう聞かれたときは、思わずどもってしまったものです。
なんて気持ち悪いんだろう、思い出すだに、鳥肌がたつような思いです。

その日に聞いた演奏は、彼女の演奏技術だけ不自然に突出していて、それでも、
キーボードの音は演奏に溶け込んでいたから、彼女は綺麗なだけじゃない、そう思えたのです。

「あら、唯ちゃんだけ?」

少し肌寒い季節に、乾いた音を立ててドアを開けて、彼女は音楽室に現れました。
彼女と一緒に軽音楽部で活動している私は、いつも、彼女の親切に甘えて、お茶やらお菓子やらを堪能しています。
けれど、それではいけない、と思っています、いくら私でも。

「なんかねえ、りっちゃんは掃除サボって怒られてた。澪ちゃんのクラスは、まだホームルーム終わってなかったよ」

そう言って、私は立ち上がります。
一心不乱に、食器棚の方を目指して、手を伸ばす。
その時に、柔らかい白い手に触れてしまいました。

「ふふ、どうしたの?」

首に巻いたマフラーが髪の毛を軽く曲げています。
金色の髪の毛、これのお陰で、すぐに彼女のことが分かるのです。

「あ、っと、お茶、私が淹れようと思って」

妙に裏返った声、不自然に思われなかったでしょうか。
いいわよ、座っていて、といつもどおりの声で言ったから、多分、大丈夫だったのでしょう。
なんとなくそれが悔しくて、強引に彼女を座らせました。

「いいから、私に淹れさせて」

肩を掴むと、思ったよりも肉付きが良くて、拒まれたら強制できないと思いましたが、
そんなこともなく、彼女は躾のできた犬のように、ぺたりと椅子に座りました。
冷たいね、と言って笑いました。

「じゃあ、たまには甘えてみようかな」

甘えられているのです、今、彼女に、私は。
そう思うと、手が震えます。
良家のお嬢様、そんな彼女に甘えられて、お茶を淹れるのだから。

「うん、任せて。茶葉はどこ?」

マフラーを外して、彼女は食器棚の上のほうを指さしました。
そこにはいくつか茶葉の入った容器があって、よく分からないけれど、
そのなかで一番香りのいいものを選んで、棚から取り出しました。

「あ、唯ちゃん、危ないから気をつけてね」

彼女は席に着いたままでいるものの、明らかにそわそわして、今にも私を制止して、自分でお茶を淹れてしまいそうでした。
だから、そんなことが無いように、急いで茶葉を机において、ティーポットを用意し、お湯を沸かし始めました。
沸騰したお湯を、いったんポットに淹れます。何故って、彼女がいつもそうしているのを見ていたから。

「つっ」

跳ねたお湯が手の甲に当たって、思わず歯を食いしばりました。
彼女は心配そうな顔で、こちらを見つめています。
大丈夫だよ、と彼女にブイサインを出します。
失敗するところなんて、見られたくない。

一度お湯を湯沸かし器に戻して、ティーポットに茶葉を入れ、蓋を閉める。
これも、彼女がいつもやっていたことです。

ぼうっと待っていると、お湯の沸騰した音が聞こえました。
だから、慌ててポットにお湯を入れます。

多分、失敗はなかったはずです。

「その茶葉は小さいから、二、三分位したら他のポットに移し変えてね?」

所在なさ気な彼女が、じっとこっちを見つめて、そろそろと言いました。
多分、私を気遣ってくれているのでしょうけれど、そんなこと、知っています。

「知ってるもん」

私が知っているということを、彼女が知らなかったということは、
私がいつも見ているということを、彼女が知らないということだから、だから無性に腹がたつのです。

「そう、頼もしいね」

小さく笑って彼女は言いました。
気づくと、いつの間にか時間は過ぎていて、これまた慌てて私はポットを移し変えました。

強い香りが鼻をくすぐります。完成です。
私は落としてしまわないように、そっと高そうなティーカップを運んで、お茶を入れました。
きっちり二杯分、私のと、彼女のです。

ティーカップには、底のほうに細かい茶葉が沈んでいますが、多分味に影響はないでしょう。
しばらく冷ましておこうとすると、彼女は数秒後、すぐに飲み始めました。

「熱くないの?」

「私、熱いほうが好きだから」

そうなんだ、と言って、私はまた、紅茶が冷めるのを待ち始めました。


………

「ムギちゃん、美味しい?」

「ええ、美味しいわ。ありがとうね」

彼女に笑顔でお礼を言われて、私は少し、頬が緩むのを感じました。
それで、早くお茶を飲もうとしました。

「あ、唯ちゃん、せっかくだから、私もう一杯飲みたいの。お願い、くれないかしら?」

口の傍までカップを上げたところで、彼女は言いました。
少し迷いましたが、私は、彼女と一緒に、美味しいね、と言ってお喋りがしたいのです。
それでもって、少し経ったら、また冷えきたね、なんて言って、彼女にお茶を淹れてもらうのです。
だから、妙に食い下がる彼女をおいて、私は私の紅茶を飲みました。

「唯ちゃん?」

しばらく黙っていると、彼女が私に声をかけました。情けなくて、声が出なかったのです。
私のお茶は、初めて彼女が淹れてくれたお茶よりも、ずっと、嫌がらせかとおもうほど、苦かったものですから。

「ムギちゃんの、ばか」

理不尽だとは思っていても、言うしか無いのです、
彼女を私が見ていることを、彼女が知らないということは、彼女は私を見ていないということで、
私が上手にお茶を淹れられないということは、まだ全然彼女のことを理解していないということです。
全部、私が悪いのだけれど、それでも言うしか無いのです。

「ムギちゃんのばか、まずいじゃんか……なら、そう言ってよ……」

震える声を情け無いと思いながら、自分で入れた、気持ち悪くなるほど苦いお茶を飲むのです。
最後の一滴、そこには一番苦い部分が沈殿していたような気がしました。

「苦いからって、美味しくないわけじゃないもの」

取り繕うように彼女が言ったから、もう、私は音楽室にいられなくなったのです。
困ったような目でこちらを見る彼女を、きっ、と睨みつけて、音楽室を出ました。
捨て台詞まで、吐いてしまいました。

「ムギちゃん、何もわかろうとしてくれないんだ。そんなことを言いたいわけじゃ、無いのに」


長い廊下を歩いていました。
込み上げてくる苦さが不快で、途中、トイレに入りました。
異臭が鼻を突きます。

けれど、あんなにいい香りがした茶葉から、あんな紅茶を淹れてしまった私だから、
こんな臭いのするトイレのほうがお似合いなのかもしれない。

そう思って、曇った汚いガラスを覗き込みました。
ほろほろと、私は泣いていました。

とぼとぼと、涙の跡のついた汚い顔で、重い足取りで歩いていました。
今、通りを歩いている人の中で、あれほど不味いお茶を淹れられる人が、他に何人いるのでしょうか。
そう思うと、気が飛んでしまいそうで、家に着いたのも気がつかないほどでした。

「おかえり、お姉ちゃん、今日は早かったんだね?」

そう言って顔を覗かせた妹が、私の顔を見るなり、眉を潜めます。
妹が何を言うか予想がついたから、私は無理に笑って言うのです。

「お茶。紅茶、淹れてくれる?」

妹は何も聞かずに、黙って紅茶を淹れてくれました。
少し弱い香りの、薄い色の紅茶で、私の淹れたものよりずっと美味しかったから、もう笑うしかありません。
ははは、と乾いた声を立てて、妹に言いました。

「美味しいよ、憂。自慢の妹だね」

私は笑っているというのに、憂は笑ってくれませんでした。
かと言って、無遠慮に尋ねることもしません。
じっと私を見つめて、首をかしげて、言うだけです。

「笑ってたほうがいいと思うけど」

物心ついた時から一緒にいる妹には、私が笑っているようには見えなかったらしいのです。
また、やけに大きな笑い声を立てて、私は二階ヘ上がりました。
部屋に入って、制服のまま、寝てしまいました。



朝、いつもより早く起きました。
そっと忍び足で台所へ行くと、茶葉がいくつか置いてあります。
そのうちの、一番香りの弱いのを選んで、淹れてみました。

それでも、苦くて不味いのです。

そのうち妹が起きてきて、多分、今にも泣きそうな顔をしていた私に言いました。

「よく分からないけれど、ティーパック、使ったら?
 どうしても自分で淹れたいなら、今日帰ったら教えてあげるから」

どちらも、駄目なのです。
どちらも駄目なのだけれど、私は、選んでしまいました。

選んではいけない選択肢の、多分、もっと選んではいけないほうを。



「今日もりっちゃんたちは来てないよ」

私が窓際に立って、携帯電話を弄っていると、彼女が音楽室に入ってきたから、私は言いました。
机には紅茶の入ったティーポットと、ティーカップが一つ。
彼女はそれを見て、そうでしょうね、と嬉しそうに呟きました。

「お茶、飲んでもいいかしら?」

「どうぞ。二杯分残ってるから」

音も立てずにお茶を飲んで、彼女は、思い切り顔をしかめたのです。
電源の入っていない携帯電話を弄りながら、彼女の顔を窺っていた私は、その表情に驚いて、
続いて、彼女の声に萎縮しました。

「唯ちゃん、座りなさい」

有無を言わせない口調で、静かに、力強く彼女は言いました。
あまりに怖くて、私は何も考えずに彼女の言葉に従ってしまいました。

「唯ちゃん、これはあなたが淹れたの?」

決して彼女は目を逸らさないから、私の視線も逃げることは出来ず、
彼女をじっと見つめたまま、私は言うしか無いのです。

「淹れた、昨日よりは上手でしょ、自分でも飲んだもん」

自嘲的に私が言うと、彼女は厳しく言いました。

「ふざけないで」

そんなことを言われるなんて、思ってもみなかったのです。
ただ、私は彼女に昨日のような紅茶を飲ませたくなかっただけなのに。

「別にふざけてないもん」

私は震える声で、それでも相変わらず彼女の目を見て、言いました。
彼女はため息を付いて、目を伏せて言いました。
彼女はもう、私のことを見ていないのです。

「唯ちゃん、インスタントティーを淹れるのは、お茶を淹れるとは言わないわ」

「でも、お茶じゃん。昨日よりも美味しい、紅茶だよ」

「ばか言わないで。こんなものが、昨日より美味しいわけ無いでしょう。
 私に溝水を二杯も飲ませる気だったのね、あなたは」

「どぶみずじゃ、ない……昨日より美味しいもん……昨日のより、ずっと」

彼女は目を開けました。その目は私を見ずに、高そうなティーポットを見つめていました。

「昨日は、どうしてお茶を淹れてくれたの?」

「ムギちゃんが、いつも大変そうで……それで、喜んでもらいたくて……」

「今日も?」

私が頷くと、彼女は立ち上がって、詰問するような調子で続けました。

「じゃあ、唯ちゃんは……いえ、あなたは、私がこんな風に、お湯を沸かして茶器に移すだけの作業を、
 毎日毎日繰り返してるとでも言うつもりなの?それが大変そうに見えたとでも言うつもりなの?」

私は黙っている他ありませんでした。
彼女は私の肩に手をかけて、震える声で続けます。

「お願い、答えて……そんなふうに、あなたは思っているの?」

「思ってるわけ無いよ!」

私は、怒鳴りつけてしまいました。
彼女のきれいな髪が、批難がましく揺れます。

「そんなこと、思ってるわけない、だけど昨日の紅茶は、不味かった、吐きそうになるほど不味かったんだ!」

「私は吐いたりしてないわ」

「……私は、吐きそうになったよ」

「私のために淹れてくれているのに、唯ちゃんの意見がそんなに大事なの?」

私は、しぶしぶ首を振ります。
そこでようやく、ドン臭い私は、彼女の声の調子が変わっていることに気がついて、顔を上げました。
むぎゅっ、と抱きしめられました。

「お茶の淹れ方、勉強した?」

「ムギちゃんがしてるの、いつも見てたから、できると思った」

「いつも見てたの?」

彼女はくすくす笑って、意地悪く尋ねました。
意地が悪いというより、いたずらっぽい、という感じだったかもしれません。

「見てた、見てたん……だよ……」

見ていたのに、あんな紅茶を淹れてしまった自分が憎くて、いい年して泣いてしまいました。
彼女は察してくれたのか、もしかしたらそうじゃないかもしれないけれど、とにかく私の頭を撫でてくれました。

「そっか、ありがとう……ほら、いい子いい子」

声も手も髪も、いつもの柔らかい彼女に戻っていて、ほっとすると同時に、
抑えていた悔しさが溢れでてくるようでした。

「ごめんね、ムギちゃんはあんなに不味いお茶淹れないもんね……ごめん、なさい」

「まずくなかったわよ、別に」

「うそ」

もう、と彼女は笑って私を放して、顔をじっと見つめました。

「淹れ方を勉強しなかったのは、どうして?」

「ムギちゃんの見てたから、出来ると思ったの」

「そっか、そんなに見ててくれたのね」

私は頷きました。

すると彼女はいっそう優しく微笑んで、私の手を握って立ち上がらせました。

「唯ちゃん、お茶の淹れ方、教えてあげる」

「やだ、見てたから、出来るもん」

意固地になって、私が横に首を振ると、彼女は眉を下げて笑いました。
それから、少し恥ずかしそうに笑って、言うのです。

「私も、唯ちゃんのこと見てるから分かるわ。
 唯ちゃんが何かを出来るようになるには、集中力が必要で、それは大抵好きなもののために発揮されるでしょう?」

「よくわかんないけど、そうかな」

「そうよ、いつも見てるもの……ねえ、私のことは好き?」

突然に彼女は尋ねてきました。
それでも、なぜだか、どもらずに言えてしまったのです。

「好きだよ」

「……そう、じゃあ、私のために集中して聞いていてね?」

少しはにかんで、照れくさそうに彼女は食器棚へ向かいました。

「まずティーポットを温めるの。昨日、唯ちゃんもやってたわね」

熱湯をポットに注いで、彼女は私の頭を撫でます。
けれど、昨日私がやったのは、ただの真似だから、褒められることでもないと思うのです。

「これはね、茶葉の味がよく出るように、するのよ。そうしたほうが、美味しくなるから」

そう言って、彼女はお湯を湯沸かし器に移し変えて、ポットに茶葉を入れ、蓋をしました。

「こうやって少し蒸すと、もっと風味が出るわ、これも唯ちゃんがやったわね」

「やってないよ」

意識する前に、声が出ていました。
ただ、これは絶対に言わなければならないと思うのです。

「私がしたのはただの真似で、お茶を美味しくしようなんて考えてなかったから、だから何もしてない」

「そうかもね」

彼女は笑って、また私の頭を撫でました。
そして、お湯が沸騰してすぐに、泡立つ熱湯をポットに入れました。
ふわふわと、細かい茶葉が熱湯の中を漂います。

「勢い良く注ぐと、こんな風に茶葉が舞うの。これでずっと美味しく出来るわ」

美味しく、美味しく。
彼女がそればかり言うから、私は思わず笑ってしまいました。


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