唯「ただいまぁ~」

夕暮れが迫る頃お姉ちゃんは帰宅した。

憂「お姉ちゃん、おかえり」

玄関に行くと後ろに背の小さい女の子が一緒にいた。
逆行になって顔は見えなかったが、
なぜか不思議と知らない人ではない気がしていた。

憂「お姉ちゃん、その子お友達?」

お姉ちゃんは首を振って答えた。

唯「お墓参り行ったら憑いてきちゃったみたい」


夕日が沈み、女の子の顔がはっきりと見て取ることができた。

憂「あ・・・梓ちゃん・・・」

そこには、数ヶ月前に此の世を去った梓ちゃんが居た。
生きていた?違う、確かに死んだはずだった。
じゃあ矢張り幽霊なのだろうか。

唯「え?憂知ってるの?」

なんと答えればいいのだろう。
梓ちゃんが死んだと聞かされたとき
お姉ちゃんは酷く取り乱し、一晩中大声を上げて泣いていた。
一週間ほど原因不明の高熱に苦しんで
以降は梓ちゃんのことなど無かったかの様に日々を過ごしていた。

そして今、漸く理解した。
お姉ちゃんは本当に梓ちゃんのことを忘れてしまったのだ。




憂「ううん、人違い・・・だよ」

唯「そうなの?でもこの子梓ちゃんって名前なんだよ」

憂「そうなんだ、偶然だね。私の友達にも同じ名前の子がいたから」

お姉ちゃんはごまかせただろう。
しかし、梓ちゃんには何を言えばいいのだろうか。
多分、お姉ちゃんが梓ちゃんのことを忘れてしまったことも、気づいているのだろう。
梓ちゃんは何故お姉ちゃんに憑いてきたのだろうか。
何かを望んでいるのだろうか?
だったら──

憂「お姉ちゃん、先上がってて」

唯「あいよ~」

お姉ちゃんは階段を上がっていった。
梓ちゃんはそのまま玄関に佇んでいた。
どうやら、常にお姉ちゃんの後ろに憑いている訳ではないのだろう。

憂「梓ちゃん、私のことわかるよね?」

梓ちゃんは、こくりと頷いた。


梓「憂、ごめんね」

悲しそうな表情を向ける梓ちゃんをつい抱きしめたくなって
手を伸ばしたが、触れることは叶わないのだろうと思い直して
手のひらをそっと頬に沿わせた。

憂「冷たい・・・」

梓「死んでるからね」

憂「でも、何でお姉ちゃんに付いて来たの?」

梓「唯先輩、お墓参りに行ったって言ってたでしょ?」

梓「私のお墓にお花を供えてくれたの」

梓「でもね、私が姿を見せると、私が誰なのか、何で自分がお墓に居るのか、何で私のお墓にお花を供えたのか、さっぱり分からないみたいだったの」

梓「それで私が、お墓参りに来てたんですよって言うと、そうなんだ──ってそれだけ言って・・・」



お姉ちゃんは心のどこかでは梓ちゃんのことを覚えていて
それで、梓ちゃんのお墓に行ったのだろう。
その時だけは梓ちゃんと過ごした時間を思いながら祈りを捧げたはずだ。
でも、長く心に抱えるのは辛過ぎたのだ。
すぐに思い出を片隅に隠して、自分が何をしていたのかさえ忘れてしまった。
そんなお姉ちゃんのことを思うと私も胸が痛んだ。

梓「憂、唯先輩は本当に私のこと忘れちゃったのかな?」

憂「そんなこと無いと思う。だって、梓ちゃんのお墓にお花供えてくれたんでしょ」

憂「きっと覚えてはいるんだろうけど、梓ちゃんの死を受け入れられないんだよ」

憂「それで、梓ちゃんが生きていたときの思い出まで隠してるんだと思う」

憂「梓ちゃんは何で幽霊になってお姉ちゃんの前に?」

梓「私にもわからない。ただ、唯先輩が悲しそうな顔をしてたから、笑って欲しいなって思ったら・・・」





梓「私、もう一度だけ唯先輩の笑顔が見たい」

お姉ちゃんの笑顔、最近はあまり見ていない。
笑っていてもどこか切なそうだった。
昔みたいな、そう、ギターを弾いているときのあの笑顔を──

憂「・・・私も、見たいな」

梓「ねぇ憂。唯先輩は今でもギター弾いてる?」

言うべきか迷ったが、隠しておいてもどうにもならない。

憂「あの・・・ね、ギターはもう弾いてないの。軽音部もやめちゃった」

梓「えっ!何で?あんなにがんばってたのに・・・やっぱり私の所為なのかな」

何も言えなかった。

梓「今、軽音部はどうなってる?3人じゃ部として活動できないよね」

憂「実はね、私が軽音部に入ったの。もちろん、お姉ちゃんが戻ってくるまでの間だけ」



そう、お姉ちゃんはきっと戻ってくる。
澪さんも律さんも紬さんもみんなそれを信じて待っていた。

梓「唯先輩が私のこと思い出したらどうなるかな?」

憂「わからない・・・でも乗り越えなきゃいけない事だって思う」

梓「私、どうしたらいいのかな?」

憂「梓ちゃんは何か遣り残したことがあって幽霊になったんじゃないのかな」

梓「うん、唯先輩に昔の笑顔を取り戻してあげたい」

憂「私も、協力する。だから一緒にお姉ちゃんの事考えよ」



少し相談した後、梓ちゃんを連れてリビングへ上がった。




唯「おそいよ~何してたの?」

憂「なんでもないよ」

そう言って、梓ちゃんと並んでお姉ちゃんの向かいに座った。

唯「そう。で、梓ちゃんってどこに住んでたの?」

梓「この近く・・・かな」

唯「今、何歳?」

梓「えと、15です。死んだときも15でした」

唯「へぇ~じゃあ私の一つ下だ。憂と同級生だね」

梓「そうですか、じゃぁ唯先輩って呼んでも言いですか?」

さっき相談したとおり梓ちゃんはお姉ちゃんのことを知らない振りをしながら
少しずつ、今までお姉ちゃんと接してきた状況を作ろうとしていた。

唯「いいよぉ~でも先輩ってなんか照れるよね」

梓「そうだ、私のことも何かあだ名で呼んで下さいよ」

唯「う~ん、あずさ・・・だから、あず・・・あず・・・あ・・・」


ここで梓ちゃんのあだ名を思い出してくれれば
そんな淡い期待はすぐに裏切られてしまった。

唯「やっぱり梓ちゃんでいいよ」

梓「そ、そうですか・・・」

憂「そうだ、梓ちゃんは生きてたときは何してたの?」

梓「えと、実はバンドをやってたんです」

お姉ちゃんの表情を見る。
特に変化は無かった。
興味も抱いている様子はあまり無い。

憂「へ、へぇ。どんな楽器弾いてたの?」

梓「ギターをやってました」

梓「それから、それから──」

梓ちゃんは、きっと思い出しているのだろう
軽音部に入って、お姉ちゃん達と過ごした楽しい日々のことを。
そして、意を決したように話始めた。
お姉ちゃんに向かって。



梓「そのバンド、学校の軽音部なんですけど、とっても楽しかったんです」

梓「私は1年生で後はみんな先輩達ばかりなんですけど、みんな優しくて」

梓「それに演奏も凄く上手で、とくに──」

梓「とくに、ギターを弾いてる先輩の演奏に聞き惚れてしまって入部を決めたくらいなんですよ」

梓「その先輩なんですけどね、いつも私に抱きついて来るんです」

梓「私に変なあだ名つけて、いっつも練習サボってお菓子ばっかり食べて」

梓「ギターのコードだってすぐに忘れちゃうんです」

梓「でも、先輩と居ると凄く楽しくて。ずっと一緒に居たいって、一緒に演奏したいって今でも思ってます」

梓「私っ、その先輩のこと好きだったんです」

梓ちゃんの声は震えていた。
泣いてしまうのではないかと思うくらい。
それでも、涙は見せなかった。





お姉ちゃんに目を移すと俯いていた。

憂「お姉ちゃん・・・?」

ゆっくりと顔を上げる。
お姉ちゃんは目に涙を浮かべていた。

唯「あれ・・・?どうしてだろ・・・?」

お姉ちゃんは自分の涙に戸惑いをみせ、両手の袖で涙を拭う。
それでも、頬を伝う涙は止むことはなかった。
ついには、肩を震わせ、声を上げて泣き出してしまった。

憂「お姉ちゃん、大丈夫?」

梓「唯先輩・・・」

唯「ごめんね・・・ごめん・・・私にもよく分からないけど、凄く悲しくて・・・」

思い出したわけではなかった。
それでも、これほど取り乱してしまうお姉ちゃんを見ていて
本当に思い出させることがいいことなのか不安になった。
乗り越えることが大事だとは言ったが、もし乗り越えられなかったら
あの頃の笑顔を見ることは叶わないだろう。




暫くしてお姉ちゃんは立ち上がり自分の部屋へと入って行ってしまった。

梓「憂、どうしよう」

憂「うん、ちょっと無理があったのかも」

梓「そう・・・。私考えたんだけど」

梓ちゃんは一層悲しそうな顔をして言った。

梓「私のことは忘れたままでもいい」

梓「だから、もう一度ギターを弾いてる唯先輩を見たい」

憂「でも、ギターを弾けば──たぶん梓ちゃんのことも思い出さないわけにはいかないかも」

梓「そっか・・・そうだよね。唯先輩がそのことを望まない限り無理だよね」

憂「ねぇ、明日軽音部に来て。もし、みんなにも梓ちゃんが見えるなら協力してもらおうよ」

梓ちゃんは期待と不安を滲ませた表情で頷いた。



……

翌日の放課後、軽音部の部室に梓ちゃんを連れて入った。
それを目に留めたみんなの表情が驚きに満ちているのがわかった。

澪「あ、梓・・・!?」

律「・・・え?嘘だろ・・・」

紬「本当に、梓ちゃんなの?」

みんなにも梓ちゃんの姿が見えるようで安心した。
梓ちゃんもそれがわかったのだろう、みんなに頭を下げて挨拶をした。

梓「みなさんこんにちは。あの・・・幽霊になっちゃいました」

澪さんは私に説明を求めるように目を向けた。
私は、昨日あったこと、
お姉ちゃんが梓ちゃんのことを忘れてしまっていることを丁寧に説明した。

紬「やっぱり、そうでしたか」

紬さんは気づいていたようだった。
でも、お姉ちゃんに梓ちゃんの話しをして確かめる事はしなかったのだろう。
お姉ちゃんが梓ちゃんの死に酷く心を痛めていることを知っていたから
何も言えず、多分みんなにも口止めしていたのかも知れないと思った。

律「そうか・・・そういえば一度だけ梓のこと口にした時、唯何のことだか分からないって顔してたな」

澪「馬鹿っ!あれだけ唯の前では梓の話しをするなって言ってただろう」

律「悪い悪い。つい口から・・・」


紬「それで、梓ちゃんは何でここに?」

憂「そのことなんですけど」

憂「実は、お姉ちゃんに思い出させて上げたいんです。梓ちゃんのことを」

澪「でも、さっきの話だと梓の顔を見てもなにも思い出さなかったんだろ?」

律「どうやって・・・ってそれを相談しに来たわけだな」

梓「はい」

律「全部話しちゃまずいよな・・・やっぱり」

澪「合宿の時の写真もあるけど、あまり強引なやり方だと・・・」

紬「ええ、唯ちゃんの心を傷つけることになりかねませんね」

憂「そのことなんですけど、昨日梓ちゃんがお姉ちゃんの名前を伏せて思い出を語ったんです」

憂「そしたら、お姉ちゃん突然泣き出しちゃって」

憂「だから、無理やり思い出させるんじゃなくて、お姉ちゃんの方から思い出したいって言ってくれるような方法を見つけて欲しいんです」



紬「そうね、とりあえず何で唯ちゃんは梓ちゃんのこと忘れちゃったのか考えましょう」

律「そりゃあ思い出すのが辛いからだろ?」

澪「いや、なんで思い出すのが辛いかって事じゃないのか?」

律「憂ちゃん何かわかる?」

それは何度も考えてみた。
お姉ちゃんが何で梓ちゃんのことを忘れたのか。
死んだことを認めたくないから?
それなら逆に、生きていることを妄想するのではないだろうか
在らぬ幻覚を見て、在らぬ思い出を語る
それを拠り所に、梓ちゃんの死を否定するはずだ。
では、いったい何が原因なのだろうか。

憂「私にはわかりません」

紬「でも、唯ちゃんにも梓ちゃんが見えるってことは、本心から忘れたいと思ってるわけでもないのよね」

澪「そうかも、そもそも梓のお墓参りに行ってたんだ。きっと唯も思い出したいとはどこかで思っているのかも知れない」

律「なんだか、ややこしいな」



澪「とりあえず、みんなで一晩考えてみよう」

紬「そうですね、さっき聞いた話も整理して考えればなにか分かるかもしれません」

律「じゃあ今日の部活は終わりにするか。憂ちゃんも梓も唯と一緒にいてあげたらどうだ」

澪「律、さっきの話聞いてなかったのか?」

律「聞いてたよ。たださ、思い出なんて話さなくても一緒に居るだけなら問題はないだろ」

紬「そうね、普通に一緒に過ごすだけでも何か進展があるかもしれないわ」

紬さんの言葉に少しの期待を抱いて
今日は梓ちゃんと一緒にそのまま家に帰ることにした。

家に着くとお姉ちゃんは昨日のことなど無かったかのように迎えてくれた。
梓ちゃんとも取り留めのない会話をして、楽しそうに微笑んでいた。
その様子を見て、このまま一緒に過ごすうちに何かきっかけを作れるのではないかと
益々期待を膨らませた。


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