女将「失礼を承知で申し上げますが、それは無駄な心配というものです。さ、お茶が冷めないうちに召し上がってくださいませ」

梓「あ……はい。唯先輩! 女将さんがお茶入れてくれましたよー!」

唯「はーい!」

女将「ふふっ……あちらの電話の傍に、当旅館の案内がございます。ご不明な点は、いつでもご遠慮なくフロントまでお問い合わせくださいまし」

梓「はい……どうも、ありがとうございます」

女将「それでは、私はこれで……お夕飯は18時、お布団は20時にご用意しに参ります。当旅館には自慢の温泉がござますので、ごゆるりと」

梓「はい」

 すすす……っていうのは、私の頭の中に響いた擬音。
 実際には、女将さんは物音ひとつ立てずに、静かに部屋から出て行った。

唯「お茶菓子ーぃ!」

梓「わあ!?」

唯「……あれ? これ、前にムギちゃんが持ってきてくれた羊羹じゃないかな?」

 そんな、ひと口でほとんど食べちゃってからどんな分析してるんですか。
 いや、でも、確かに包みに見覚えがあるし……ん、味も、とっても美味しい、です。

唯「ずずー」

梓「ずずー」

唯「えへへ。お行儀悪いんだ、あずにゃん」

梓「唯先輩こそ」

 段々とぬるくなるお茶をすすりながら、時計に目をやる。
 さっきお昼ご飯食べたばっかりで、移動を含めても、あんな短距離じゃたかが知れてる。
 つまるところ、お夕飯までは何時間もあるっていうこと。

梓「ずずー……」

唯「ずずず……ずーっ」

 ことん。

唯「ね、あずにゃん」

梓「……ずず、ずー……はい?」

 ことん

唯「時間が来るまでえっちぃことしよっか!」

梓「……わ、私も、それを考えなかったといえば嘘になりますけど……こんな明るいうちからですか?」

 それより旅館の探検とか。
 ほら、こういうとこって、古いゲームとか卓球設備とかがあるって、大体相場が決まってるじゃないですか。

唯「んうー……じゃあ、温泉に入る? 女将さんも、自慢の温泉だってゆってたし……」

 だからどうして貴女は話を明らかに聞いてない風なのに、しっかり聞き耳立ててるんですか。

梓「温泉にしましょう。ええ、何時間も入ってるわけにはいきませんけど、折角来たんですから! ね!」

 女将さんに教えられた通り、電話の横の案内パンフを手に取る。
 えーと……ふむふむ、ふむ。

唯「ご飯の後に温泉の方がいいと思うんだけどなあ」

梓「……『美女の湯』っていうのがあるみたいですよ」

唯「何ゅ」

梓「あと、何かこんなに続くと眉唾ですけど『美髪の湯』っていうのと『美肌の湯』っていうのが」

唯「あずにゃん! 早く浴衣出して! 急がないと!」

 ……唯先輩は、『美肌の湯』に入るくらいでいいと思いますけどね。
 今でも充分に綺麗ですし、これ以上素敵になったら、沢山の人に言い寄ってこられて困っちゃうんじゃないかと。

唯「ほらほら、何してるのかな!? お夕飯まであんまり時間ないよ!?」

梓「はいはい、すぐ準備しますから」



びじょのゆ!

 かっぽーん。

唯「びじょのゆ……ねえ、具体的にどうなるのかな? まさか顔の形が変わるわけじゃないよねぇ」

梓「さあ、私には何とも……お肌が綺麗になっていつもより美人に見えるとか、そういうことじゃないんです?」

 唯先輩はいつだって可愛くて綺麗ですけど……きゃっ、そんなこと口に出していえないっ。

唯「『美肌の湯』もあるってことは、『美女の湯』には別の効果があるに違いないんだよ。でも……何なんだろうね?」

 はぷー、と湯船の外でタオルを絞って、たたんで、頭の上に乗せる唯先輩。
 ううん、綺麗です綺麗です、誰が何と言おうと唯先輩は美女ですよっ。

梓「まあ、言い伝え的なものかもしれないですね。入り口に温泉成分の一覧表があったので見てきましたけど、一般的な温泉と大差なかったですし」

唯「それでも! きっと美女になれるんだよ、ここは!」

 溜め息をつきつつ、のんびり身体を洗い終えた私もお湯に浸かる。
 はー。
 ちょっち熱いけど、なかなか、気持ちいーですねぇ。

梓「はー」

唯「はー」

梓「唯先輩、あんまり長く入ってると、のぼせちゃいますよ?」

唯「そんなこと言って、自分だけ美女になろうって腹だね!?」

梓「……いえ、美肌とか美髪とか、そっちにも入りたいんなら、ローテーション組んで回るのがいいんじゃないかなあ、と」

唯「……おお。それは確かに」

 ちなみに私、美女は諦めてますよ。
 唯先輩と並んで比べられたら、敵いっこないですし。

唯「……でも、うん、あずにゃん。もちょっと一緒に入ってようよ」

梓「はい?」

唯「あずにゃんって、今は『美少女』だけど、大人になったら『美女』になるんだし。入っておいて損はないよー」

梓「んにゃっ……!?」

 だから、どっ、どおして、そおゆうことを真顔で言えるんですか。
 誉めてくれてるんだから嬉しいとか、お世辞だっていうのがわかりきってるけど嬉しいとか、気分は様々なんですけど。

唯「今は本当に可愛いから、可愛いって言ってあげられるけど……大人になったら、それじゃ駄目なんだよねぇ……」

梓「……いえ。私、きっと、大人になってもそんなに変わりませんよ……だから、唯先輩には、いつまでも……可愛いって、言って欲しい、です」

 ぶくぶく、ぶくぶくぶく。

 顔を半分くらいまで湯船に沈めながら、ちらっと唯先輩を眺める。
 何か、複雑そう。
 でも、不意ににっこり笑って。

唯「うん。可愛いあずにゃんでいてくれる間は、一杯可愛がってあげるからね!」

 い、いえ……それは、何だか違う意味にしか聞こえないんですけど……わざとです?
 でも、ずーっと、唯先輩に可愛がって欲しい、です。

梓「……ぶくぶく」

唯「あ」

梓「はい?」

唯「もしかしたら、この温泉の中でえっちぃことしたら、美女になれるかもしんないよ!?」

梓「そんな真似してまで美女にはなりたくありませんっ!」

唯「えー」

 んもう……言い伝え、伝説ですよ。
 入っただけで美女になれるんだったら、いくら閑散期とはいえ、女性客で溢れ返ってるハズじゃないですか。

唯「じゃあ、どこならえっちぃことしてもいいの?」

梓「とりあえず、全部回ってからでしょうか。唯先輩は発情期みたいなので、一緒に回るのちょっと怖くなってきましたけど」

唯「発情なんてしてないよ! でも、でもぉ……あずにゃんの裸を見てると、お腹の奥から火照ってきちゃうっていうか……」

梓「ああ、それは温泉でしっかりあったまった証拠ですね」

 私は気にせず、汗を拭って次の温泉へ向かう。
 美髪、だっけ。結構、気になるし。




びはつのゆ!

 かっぽーん。

梓「はあ……」

 他に誰もいないわけだし、ってことで、湯船に浮かんで髪を浸す。
 温泉成分の表示はなかった、けど、最初のとことは泉質が違う気がするから。

唯「……もきゅ」

梓「……唯先輩? いくら唯先輩でも、変なとこ覗いたら承知しませんからね?」

唯「……ちぇー。デジカメの防水ケースも用意してあるのにー」

 それでどこを撮るつもりだったんですかね?

梓「そういうのは、後で内風呂でやりましょうよ。こう、手拭いで顔を拭いた感じの時にパチリと」

唯「そだね。変なとこ撮って、お返しされたら私も恥ずかしいし」

 だから、どこを撮るつもりだったんですかね?

唯「じゃ、私もあずにゃんみたくぷかぷかするー」

 ざば、とお湯を跳ねる音が聞こえた後は、すっごく静かになった。
 空はまだ明るい。
 外気に触れてる上半面と、お湯に浸かってる下半面の温度差が、ちょっと不思議な感じ。

唯「えーい」

 こつん。

梓「んにゃ……ゆ、唯先輩?」

唯「えへへ。浮かんでるだけじゃつまんなくって」

梓「だからって泳がないでくださいよ……えいっ」

 こつん。

唯「あはっ……地味だけど、楽しーね、これ」

梓「はい」

 こんな温泉に浸したくらいで、髪が綺麗になるんだろうか。
 唯先輩の寝癖を直しやすくなるんだろうか。
 ……まあ、別に、今までと変わらなくたっていい。
 だって、唯先輩とお風呂に入った後、髪を乾かして櫛でとかすのは、私の楽しみなんだから。



びはだのゆ!

梓「……遂にきましたね」

唯「うん……正直、ここが一番の期待だったよ」

梓「お肌が……」

唯「美肌になる……」

 同時に、ちゃぷん。

唯「…………」

梓「…………」

唯「これ、アルカリ泉なのかな?」

梓「ええ、ちょっとぬるっとしますね」

 個人的には、アルカリ泉は好きくないですが。
 だって、肌が溶けちゃうからぬるぬるするのに、手触りがよくなったーって言う人がいるし。
 いえ、酸性泉でも溶けるのは溶けるんでしょうけども。

唯「……お部屋の内風呂はどんなんなんだろうねぇ」

梓「アルカリじゃないのを期待します」

唯「うん、もしそうだったらまたさっきの温泉に入るとして……えーい♪」

梓「にゃぅん!?」

 にゅるにゅるにゅるぅ。

唯「あは……あずにゃんのお肌、ぬるぬるだぁ。いつもと違って、これはこれで気持ちいいね!」

梓「んぅっ……ちょ、やん、唯先輩っ、駄目ぇ……あんまりこすると、後でヒリヒリしますよ!?」

唯「ええ!? ほんと!?」

梓「だ、だって、ほんの少しですが、肌の表面が溶かされてるわけですから……大袈裟に言うと、赤むけ状態になっちゃうんですよ?」

唯「う、ううっ……それじゃあ私はいつ裸のあずにゃんに抱き着けばいいの!?」

梓「部屋の内風呂か露天風呂でいいじゃないですか!?」

唯「ああ……うん、そおだね、そおだったね……そんなのもあったね……」

 ものすごく残念そうに俯かれても、困っちゃうわけですが。

梓「え、えと……唯先輩? そろそろ一旦上がって、ちょっと休んで、また入りませんか?」

唯「防水ケース入りのデジカメ……一度も活躍しないままなんだね」

梓「少しくらい撮らせてあげますよ! でも、唯先輩の写真も写しますからね!?」

 っていうか、そろそろ私がのぼせちゃいますよ。
 ちょっとした写真なら撮られてもいいですし、代わりに唯先輩のも撮らせてもらえばお相子だし。
 だから、もう、お部屋に戻りましょう。



りょかんのへや!

唯「はー。結構だるい感じになっちゃったねえ」

梓「ええ……特別動いたわけでもないんですけどね」

 あ、お茶セットが新しくなってる。
 ちょいちょい、ぱっぱのじょろろろ……っと。

梓「唯先輩、お茶飲みませんか?」

唯「おお、さすがあずにゃん! 気が利いてるねえ~」

梓「いえ、旅館の人が用意しておいてくれたんですけどね」

 自分の分も入れて、ずずずっと。

唯「……はあ」

梓「……ほう」

唯「はー。温泉に入ると、身体の芯からぽぽぽって熱くなるよね」

 ……って。
 浴衣の合わせを開いてぱたぱたされても、目のやり場に困るんですが。

梓「……ずず」

唯「あずにゃんは、ぽっぽーってならない?」

梓「なりますけど……別に、唯先輩みたくぱたぱたする程じゃないです」

唯「あ。興味ないふりして、しっかり見てるんだ?」

梓「見せてるんじゃないですか!」

 もう。唯先輩ってば、本当にもう。

唯「……はい、あずにゃん。好きな時に写していいよ?」

梓「え?」

 デジカメ……。
 好きな時に、って。
 つまるところ、いつでもシャッター★チャンスを狙えっていうことなんです?

梓「…………」

唯「えへへへへ。お望みなら、あずにゃんに言われた通りのポーズ取るよぉ?」

梓「じゃ……じゃあ、窓の外を眺めながら、そこのうちわで首筋を扇ぎつつ気だるげに溜め息をついてください」

唯「難しいね」

梓「何度か繰り返してくれたら、上手いこと撮ってみせます」

唯「うん……」

 唯先輩はうちわを拾って、私の指示通りに視線を窓の外に向ける。
 そして、ぱたぱたと扇ぎながら憂鬱そうに溜め息をつく……寸前、浴衣の胸元をするりと開いた。

梓「わ……」

 ぱしゃ。

唯「ね、ねっ、どーだった、今の!? あずにゃん的には合格!?」

梓「だ、誰が浴衣をずらしてくださいって言いましたかっ!?」

 ぴ、ぴっ。

唯「うわ、えっちぃね。あずにゃんにしか見せらんないよ、こんなの」

梓「……こほん。それは後で削除するとして、次の撮影をしましょうか」

唯「え~? 消しちゃうの?」

 消すか消さないかは、またその時の気分ですけど。

梓「え、えと、唯先輩。こっちにきてください」

唯「んう?」

梓「もっとこっちです」

唯「こお?」

 私の膝の上に、唯先輩がもたれかかる。
 さっき浴衣をはだけたせいで、微妙にえろいやらしい。


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