唯先輩が差し出してくれた手を、私は両手で包むように握り締める。
 その途端、ふっと憑き物が落ちたように今までの怖さが消えたような気がした。

唯「えへへ……んじゃ、お寺の建物まで行って、誰かにツーショット写真撮ってもらおっか」

梓「は、はいですっ」

 本殿、っていうのかな。
 奥を覗いたら大きな仏像があって、写真を撮ってもいいのかな、って後ろめたい気持ちになったんだけど。

唯「すいませんーん! シャッターお願いしますー!」

 見知らぬ人に気軽に声をかけて、デジカメを渡して。
 どんなポーズを取るのかと思ったら、部室でする時みたいに、後ろから私に抱き着いてきて。

梓「は、はう……」

唯「ほらほら、あずにゃん。ピースピース。目線はレンズだよ」

梓「はい……」

 って言われても、私にはそう簡単に出来ることじゃなくって。
 ぱしゃ、って音が聞こえた時には、真っ赤な顔をしながら、超控え目なVサインを出すことしか出来なかった。

唯「ありがとうございました~♪」

梓「ひ、酷いですよ、いきなり抱き着くなんて……心の準備が、その……」

唯「うん、でも、可愛いく写ってる。ほら、照れて真っ赤になってて、すっごく可愛い~♪」

梓「ううっ……も、もういいですよね? 時間もありませんし、早くバスに戻りましょうっ」

 今度は私の方から唯先輩の手を握って、引っ張って。

唯「わ、わわ、あずにゃん? そんなに急がなくても大丈夫だよぉ~」

 聞こえません、知りません。
 もお、唯先輩のどっきり大作戦には乗せられませんからね。



いどうちゅう!

『それでは出発いたします。え~、次の目的地は……』

唯「あれ~ 変なの写ってないや。やっぱり観光地だから、幽霊さんも、騒がしいのが嫌で引っ越しちゃったのかな」

梓「おっ、お願いですから、そういうこと言わないでくださいよぉ」

 折角、何事もなく帰ってこられて、写真を確認してもおかしなモノはなくって、安心しかけたところなのに。
 今度言ったら、人目もはばからず胸に飛び込んでぎゅうって抱き着いちゃいますからね?

唯「そんなに怖がらなくても大丈夫だよぉ。あずにゃんは私が守ってあげるから」

梓「あ……」

 い、いえ、優しく頭をなでられてもですね、騙されないっていうか、警戒は続けるっていうか……。

唯「……ね? あずにゃん」

梓「……はい」

 なでなでなでり、なでなでり。

梓「……ふにゃ……」

 ま、まあ? 今回のところは許してあげないこともないですよ、唯先輩。
 でも、次からは充分に気を付けてくださいよね。



ちゅうしょく!

『それでは、これよりお食事の時間となります。二種類のメニューからお好きな方を選んでいただきまして……』

唯「ご飯! ご飯だよ、あずにゃん!」

梓「はいはい、ちゃんと聞こえてましたよ」

 各々の観光地を巡るのは駆け足だったけど、ご飯くらいはゆっくり食べられるといいなあ。
 唯先輩のデジカメを借りて、画像を確認しながらそんなことを思う。
 何とかの滝。何とか城の跡。どっかで聞いたことがあるようなないような、昔の人の生家。
 どれもこれも10分とか20分とか、いくら格安ツアーだっていっても本当に記念写真くらいしか撮れないじゃないですか。

唯「あ、あそこで食べるのかな。ホテルみたいだけど」

梓「あー。ツアー客用に量を作るんなら、確かにホテルの領分かもですね」

 結婚式でもない限り、厨房がフル回転することなんてないだろうし、持ちつ持たれつ?

唯「二種類のメニューって何だろうね! あずにゃん、別々の選んで比べっこしよっか!」

梓「いいですよ。私的には、唯先輩と同じメニューでも構わないんですけど……」

唯「うーん、何だろうね! 楽しみだよぉ~」

 聞いてない、し。

梓「どぞ、デジカメお返ししますね」

唯「変なの写ってなかった?」

梓「写ってませんでしたよっ!」

 ……ぷしう~。
 どうやら唯先輩が目を付けたホテルで昼食みたい。
 バスが停まって、他の人達もぞろぞろ降りていって、私達も後に続く。
 レストランらしき広い場所に入ると、例のメニューとやらがお盆に載って左右に沢山並べられていた。
 ……へー。
 作り置きしといて、選ぶところからはもうセルフサービスなんだ。

唯「あずにゃん、あずにゃん! 私、こっちにしてもいい?」

梓「はい、私はこっちの海鮮丼っぽいのにします」

 唯先輩と一緒に、お盆を持って席に着く。

唯「んじゃあ、いっただっきまーす!」

梓「いただきます」

 うん、でもまぁ、割と美味しそうな見た目。
 マグロ、ホタテ、甘エビ……んむんむ、これは、なかなか……美味しい、かも。

唯「あずにゃーん。この天ぷらあげるから、そのお刺身頂戴?」

梓「むぐ? あむあむ、んっ、は……はい、どうぞ」

 いえ、まぁ、お刺身っていっても何切れかありますから……ごそっと持っていかれない限りは平気ですけど。

唯「ありがとー。はい、カニの脚の天ぷらが二本あるから、とりあえずこれね。んで、私は……甘エビ、もらっていい?」

梓「どうぞ。っていうか、カニと交換ならもう2・3種類くらい持ってってもいいですよ?」

 受け取ったカニ脚を、早速口に運ぶ。
 まあ、こういうツアーだから形が小さいのは仕方ないとして……。

梓「ふも!? むぐむぐ……お、美味しい……!?」

 あれですね、これはもしかして、わけあり品ってやつですね!?
 品質は普通の商品と変わらないのに、ボイルの段階で脚が取れちゃったりとか、そういう!

唯「んう~♪ 甘エビ、とってもあまぁいよぉ♪ スーパーで売ってるのより何倍も美味しい~」

梓「……ええ。正直、こんなケチぃツアーなので、食事もさっぱりだと思ってました。でも……」

 ん、まぁ、何ていうか。
 日本人には『終わりよければ全てよし』的な、最後の印象がとても重要っていう妙な風潮がありますからね。
 このツアーも、参加した人達は途中の観光地すっ飛ばし巡りのことなんか忘れて、『ご飯がすごく美味しかった! 最高!』っていう感想を言うんだろうなあ。

唯「あう~ん、美味しい、美味しい。あずにゃん、エビの天ぷらもあるよ? 食べる?」

梓「あ……私、もうエビに見合うネタはないんですけど……」

唯「いいからいいから。美味しいから食べて欲しいんだよ!」

梓「では、遠慮なく……ん、あむっ」

 ……え?
 どうして作り置きだったくせに衣がまだサクサクですか?
 エビも美味しいし、衣を重ねて大きさを誤魔化してるわけでもないし!

梓「むぐむぐむぐ……ん、っく」

唯「ね? 美味しいでしょ?」

梓「はい……予想外に、とっても……」

 悔しいことに、箸が進む。
 時間的にお腹が空いてるっていうのもあるけど、お味噌汁やお漬け物に至るまで全てが平均点以上だなんて。

唯「はぁ~あ♪ 美味しかった、ご馳走様!」

梓「ご馳走様でした……ふぅ、意外と満腹になっちゃいましたね」

唯「あ、写真撮るの忘れてた! あっちに置いてあるやつ、今から撮らせてもらってくるね!」

梓「ああ……そんな恥ずかしいことを……」

 ……って。
 係の人にデジカメ見せながら説明して、何か許可もらったみたい。
 あっちでパチリ、そっちでパチリ。
 そして、満足げな表情で戻ってきた。

唯「ふぃ~。これでムギちゃんに提出するレポートはばっちりだね!」

梓「ああ……そういえば、そんな話もありましたっけ」

 でも、唯先輩に任せておいたら、この食事の話だけで終始してしまいそうな気がする。
 食事にお金をかける為に他の部分のコストを削ったのかもしれないですけど、やっぱり、観光なんですから……ねえ?

唯「ところでさ、あずにゃん。全部食べちゃったし、私達は平気みたいだからいいんだけど」

梓「はい?」

唯「甲殻類アレルギー、ってゆうの? そういう人は、このご飯食べられないよねえ」

梓「……割といいとこ突いてくるじゃないですか。それ、絶対にレポートに書いた方がいいですよ」

梓「えへへ~。あずにゃんに誉められた~♪」

 こっちには刺身の甘エビ。もう一方にはエビとカニの天ぷら。
 うん、折角こんなに食事に力を入れてるのに、アレルギーだからって食べられないのは可哀想だよ。
 そういう人達の為に、別の素材を用意してもらわないと納得いかない。



いどう!

『それではこれより出発地の駅に戻りまして、解散となります。皆様とお別れするのは~』

唯「解散だって、解散! この後は旅館じゃなかったの!?」

梓「私に言われてもわかりませんよ……あれじゃないですか、迎えの人が駅前で待っててくれてるんじゃないですか?」

唯「あ……そっか。それか、駅から歩いてすぐに行ける場所に旅館があるとか!」

 どういうポジティブ思考ですかそれ。
 って、もう見覚えのある駅前ですし。

『本日は本ツアーにご参加いただき誠にありがとうございました。皆様、お忘れ物などないよう……』

 いえ、唯先輩がデジカメを出したくらいで、別に荷物はどうこうしてませんが。
 まぁ、とりあえず引っ張り出して、唯先輩の分も下ろして……っと。

梓「デジカメ忘れないでくださいよ、唯先輩?」

唯「うん! えへへ、今日だけであずにゃんとの思い出が一杯出来ちゃったね!」

梓「…………」

 だ、だから、そおゆう恥ずかしいことを真顔で言われると、まともに顔を見られなくなって困るんですってば。

梓「え、ええと……降りましょうか。旅館のことは、そこら辺で休憩しながら考えましょう」

唯「うん」



おむかえ!

 あれ?
 駅前の隅っこの方にクルマを停めて、直立不動で立ってる着物の女の人がいる。
 ……いやあ、まさか、ねえ?

唯「あずにゃん、あずにゃん。あの人、もしかしてお迎えの人じゃないのかなあ?」

梓「だ、だって、私達は割引チケット使ってお安く泊まろうっていう、儲けの少ないお客ですよ? なのに、お迎えとか……」

 とか言い合っていると、私達の視線に気が付いたらしく、着物の人がこっちに近付いてきた。

女将「琴吹亭の女将をしている者です。失礼ですが、琴吹紬様のご友人の方でいらっしゃいますか?」

唯「ほ? は、はい。私達、ムギちゃんとお友達ですけど」

女将「然様ですか。お話は伺っております、どうぞあちらのクルマへ」

梓「…………」

 いやあ、紬先輩?
 女将さん自ら迎えにこさせるとか、割引チケット云々っていうレベルじゃないですよ?

女将「お荷物、お預かりさせていただいてよろしいでしょうか?」

唯「は、はい……あ、カメラだけ別に……お願いします」

梓「あ、私もお願いします」

女将「では、ご案内いたします」

 女将さんが合図をすると、クルマが音もなく近付いてきた。
 トランクに荷物を積んでもらって、後部座席のドアを開けてもらって、戸惑いつつも乗り込んで。

女将「10分少々で到着いたします。申し訳ございませんが、しばし車窓の風景をご覧になってくださいまし」

梓「は、はい……」

 すっごい緊張する。
 紬先輩の名前が出たってことは、私達に対して決して粗相がないように、って従業員全員が身構えてるんだろうし。
 そもそも女将さん直々のお出迎えというのが、何とも、その。

唯「わぁ~。バスの時と違って、山が綺麗に見えるよ! あずにゃん!」

梓「そりゃ、通る道が違ってますからね……」

唯「むむ! 何か固い表情のあずにゃん、いただきぃ!」

 ぱしゃ。

梓「にゃっ!? にゃにゃにゃ、にゃにをするですかっ!?」

唯「えへへへへ。折角ムギちゃんが私達の為に手配してくれたんだから、楽しもうよ。緊張してたら面白くないよぉ?」

梓「……ええ、まあ、そうですけど」

 私達のやり取りを聞いていた女将さんが、くすりと笑ったような気がした。



りょかん!

女将「長らくお待たせいたしました。当旅館・琴吹亭へようこそいらっしゃいませ」

 荷物は、運転手の人が軽々と運んでくれてる。
 もしかしたら私達が部屋に案内されたら先に届いてるかもしれない。

唯「あの~……」

女将「はい、何でございましょう?」

唯「私達、ムギちゃんから旅行のレポートを頼まれてるので……色んなとこで写真撮ってもいいですか?」

女将「はい、勿論です。ただし、従業員用のエリアへの立ち入りは、ご遠慮願います」

梓「はい、ちゃんと私も見張ってますから! ご迷惑はおかけしませんっ」

唯「じゃあとりあえず一枚いきまーす。女将さん、玄関ののれんの横でにっこりしてくださーい」

 うわあ、何この遠慮無用な態度。
 さすがに不躾すぎて、こういう旅館の人は……って。

女将「この辺りでよろしいでしょうか?」

 はい?

唯「はーい。それじゃ……セイ、ウィスキー!」

女将「ウィスキー」

 ぱしゃ。

梓「…………」

 ノリがいいんだか、紬先輩の影響力なんだか。

唯「こんな感じで撮れました!」

女将「あらあら、実物より綺麗に撮っていただいて。ありがとうございます」

 リップサービスもお上手だし。

女将「それでは、そろそろお部屋へご案内いたしますね」

梓「あ、よろしくお願いします」

唯「お願いしまーす」

女将「ああ、念の為……本日、他のお客様はおられませんが……普通のお部屋と、離れのお部屋。どちらになさいますか?」

唯「へ?」

梓「ふ! 普通の部屋でお願いします! っていうかお気遣い無用で!」

女将「うふふふ……承知しました。では、どうぞこちらへ」

 この人、もしかしたら紬先輩の血縁なんじゃ……?



りょかんのへや!

唯「…………」

梓「…………」

女将「お荷物は、そちらへ置かせていただきました」

唯「は、い……」

女将「僭越ながら、お茶の方ご用意させていただきますね」

梓「あ、ありがとう、ございます……」

 広い、和室。
 ううん、この部屋まで歩いてくるまでにも感じていたけれど、ここって、ものすごく格式高い和風旅館なんじゃあ?

梓「あっ、あの、すっごく失礼なことを聞いちゃうかもしれないんですけど!」

女将「何でしょう?」

梓「さっき、他にお客さんいないって言いましたよね? それってまさか、紬先輩が私達の為に手を回して無理矢理……」

女将「うふふ……オフシーズンの旅館なんて、どこもこんなものですよ。お嬢様のご心配なさっているようなことはございませんでした」

梓「そ、そうでしたか……」

唯「うおお! 内風呂もある上にヒノキの露天風呂まであるよ! ここに引きこもって暮らしたくなるくらい素敵なお部屋だよ!」

梓「……あの人はものすごくフリーダムですから、あんまり気にしないでください……」

女将「うふふふ、紬お嬢様から伺っております。とても楽しい方ですね?」

梓「は……はい。一緒にいると楽しくって、嬉しくて、幸せで……唯先輩の方は、私に対してそう思っていてくれるのかわかりませんけど……」

 ……あれ。
 私、何で今日初めて会ったばかりの人にこんなこと話してるんだろ。


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