ぶしつ!

梓「……はい?」

 チューニング中の指がすっぽ抜けた。
 慌てて弦を緩めながら、唯先輩の顔をまじまじと見つめる。

唯「だから、にょ・た・い。私、あずにゃんみたいな可愛い女の子の身体に興味が出てき……」
梓「ちょ!? ぜ、全部言わないでもわかります!」

 この人は何を言っているんだろう。
 いや何となくわからないでもないんだけど。

梓「……で? それがどうかしたんです? 大体、先輩も女の子じゃないですか。自分自身で我慢してください」
唯「いや~、自分の身体だと、あんまりこうふ……ん、えふんえふん。その……ね? こういう恥ずかしいこと頼めるのは、あずにゃんしかいないかなぁ、って……」
梓「憂がいるじゃないですか! それに、どうして私……に……」
唯「……あずにゃん!」
梓「はっ、はひっ」

 珍しく真面目な呼びかけに、思わず声が裏返る。
 まさか。まさか、まさか。

唯「今、他の人がいないからだよ! 部室にふたりしかいないからだよ!」
梓「……はぁ。つまり、別に他の先輩方に頼んでもよかった、というわけですか」

 ふたりきりなら、誰でもよかったんだ。
 っていうか、このテンションなら、家に帰って憂に頼めばいいだろうし。
 ちょっとがっかり……って、何を考えてるのかな、私は。

唯「うーん? えっと、何か……その……あずにゃんが、抱き着いた時に一番愛おしい……から?」
梓「いとっ……」

 愛おしいとか、そんな言葉を真顔で言われたら、勘違いしちゃうじゃないですか。

唯「これでもちゃんと考えたんだけどね……私、どうせならあずにゃんの女体の神秘を追求したいと思って」
梓「わっ!? わた、私の身体なんて、ぺったんこでつるぺたでひんぬーで、追求するなら澪先輩みたくニョタイニョタイしたナイスボディの方がいいでしょう!?」
唯「え~? あずにゃんの抱き心地、すっごくいいから……もっとイイことしたいなあ、って思ったんだけど……」
梓「んくっ」

 微妙なイントネーションの違い。
 ヤバい。顔が真っ赤になってるの、自分でもわかるくらい。
 口元に指を当てて小首を傾げながら、私の目をじっと見つめてくる唯先輩。
 この人が望んでいること……行為は、多分、私の勘違い、じゃ、ない……と、思う。

唯「あずにゃーん、どうしたの? 顔真っ赤だよ?」
梓「ピャ!? い、いえ、何でもないですっ」
唯「それで……どう? わた……お、お姉さんに、貴女の未成熟な身体を弄ばせてくれる気になった?」

 大人ぶった口調で、精一杯妖艶な年上を演じてみたんだろう。
 けど、それはかなり滑稽で、私に冷静さを取り戻させるには充分だった。

梓「……お断りします。唯先輩のことは嫌いじゃないですが、そういう目で見たことはありませんから」
唯「えー……そんな、あずにゃん冷たい……ぶぅ」

 嘘です、唯先輩。時々、『そういう目』で見てます。
 でも、でも、でも……それを先輩が知ったら、私を軽蔑するでしょう?
 憂にもきっと話すだろうし、そしたら同じクラスでいることが気まずくて、息苦しくて……何より、この部室に来られなくなっちゃいます。
 ――私は、今のままでいいんです。満足してます。今以上の関係を望んで、みんなでまったり過ごせるこの場所を失ってしまうことが怖いんです。
 なぁんて、悪ふざけに何マジ反応してるんだか、私……。

梓「……ふぅ」

 小さく溜め息をつく。
 切り替えだ、頭を切り替え。

梓「いいですか、女の子同士でエッチなことをするのは間違ってます。普通は考えるだけで、他人に言ったりするのはタブーなんです」
唯「うぅ……」
梓「唯先輩は、同性の私から見ても可愛いですし、ちょっと抜けてるところもありますけど、今まで何回も男の人から告白されたことあるんじゃないですか?」

 自分に言い聞かせるように。
 自分を突き放すように、そう言ったつもりなんだけども。

唯「……今」
梓「え?」

 今、私何か変なこと言った?

唯「今……『エッチなこと』って言った……」
梓「あっ」
唯「私、何も言ってなかったよね!? でも、あずにゃんは『エッチなこと』を考えたんだよね!?」
梓「あ、あっ……」

 迂闊……だった。

唯「つまり、あずにゃんは、私とエッチなことをする気でいたんだよね!?」
梓「い、いえ、はっきりとお断りしたじゃないですか」
唯「ん~? それは先程の発言と矛盾してないかね、あずにゃん君?」
梓「どっ、どこが矛盾してたんですか!? あと、どさくさまぎれに抱き着こうとしないでくむぎゅう!?」

 言い終える前に、唯先輩に抱きすくめられてしまった。
 私より少し膨らんだ胸の感触、私を苦しがらせないように加減してる優しい腕の力、そして……唯先輩の、とってもいい香り。
 ……ああ。
 こんなに深呼吸したくなることなんて、唯先輩にだきだきされた時しか……いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。

唯「あ~ずにゃ~ん!」
梓「っは、は、放してください! 今は大事な話をしてるんですよ!」
唯「……私も、大事なことしてるよ」
梓「え?」
唯「いつもはあずにゃんに色んなことしたいのを我慢して、あずにゃん分を補給して、冗談で済むくらいに自分を抑えてるんだよ」

 それは、つまり……。

梓「……エッチなこと、したくてしたくて堪らないんですか」
唯「ほら、また『エッチなこと』って言った」
梓「あ」
唯「私、あずにゃんにエッチなことしたいなんて一度も言ってないよ? それなのに……」
梓「ああもう! 離れてくださいっ! じゃないと、もう私に抱き着くの禁止です!」
唯「ええー」

 唯先輩。お願いですから、放してください。離れてください。
 このままずっと先輩の感触や香りを感じ続けていたら、もしかしたら、私もおかしなことを口走ってしまうかもしれないんです。

唯「んむー、無念なり」
梓「はあ……」

 やっと放してくれた。
 けど、鼻孔の奥に、まだ唯先輩の香りが残ってる。
 少しだけ、おかしな神経が、麻痺……させられたみたい。

唯「でも……いっぺん離れたから、抱き着いてもいいよね?」
梓「えっ? ひゃあ!?」

 ぎゅう、と再び抱き締められる。
 触れ合っていた場所の冷えかけていた温もりが、また素敵な香りと一緒に戻ってきた。

唯「……あずにゃん。本当はエッチなことしたいんだよね」
梓「なっ、ななな何ですか!? そんなの、そんな……私……」
唯「エッチなこと考えてなきゃ、そういうこと普通は言わないんじゃないかなあ」

 そう言われると、私、自分で白状してたのと同じかも……いつも考えてたから、かも。
 唯先輩は、それを確かめた上で、またこうやって抱き締めてきたんだろう。
 私から跳ね除けることはない、と確信した上で。

唯「……あずにゃんの、エッチ」
梓「あぅ……」
唯「部活終わったら、どっちがエッチか比べてみない? 出来れば、あずにゃんのおうちで」
梓「……お、お泊まり……ですか? 今日、金曜日なのに、そんな……」

 学校があるから、っていう逃げ口上が使えない。
 他の理由を考えていると、耳元で甘いささやき。

唯「うん。今夜からずっと、月曜の朝まであずにゃんと一緒にいるつもりだよ」

 鼓動が急に早まる。
 今夜、私の部屋で唯先輩と三日三晩も何をするのか、したいのか、出来るのか。
 考えただけで、身体が震えそうになる。

梓「んんっ……!」
唯「憂には、もう言ってあるんだ。週末はあずにゃんのおうちにお泊まりするって」
梓「じゃ、じゃあ……も、もしかして……唯先輩……」

 ……駄目だ。
 こんなの、私じゃない。
 断れ。断るんだ。唯先輩のおふざけが過ぎてるだけかもしれないのに、一方的に勘違いしちゃ駄目だよ。

梓「……わ、私、本気でお断りします。明日、憂とお買い物に行く約束してて……」
唯「嘘つき」
梓「っ!?」

 しまった。
 何で憂の名前を出しちゃったんだろう。
 他の、唯先輩の知らないクラスメイトだったら、誤魔化せたかもしれないのに……。

唯「憂に聞いてるんだよ? あずにゃんは特に週末の予定はないって」
梓「あ……あの、それは……」
唯「……私のこと、嫌い?」
梓「い、いえ……先輩として、尊敬してますし……」
唯「じゃあ……私とエッチなことするの、嫌?」
梓「っく……」

 そんな。
 そんな風に聞くの、ズルいです。

唯「あずにゃ~ん? どうして悩んでるの? 普通の女の子なら即答するんじゃないかな~?」
梓「ひゃ……あっ、あぅ……耳ぃ、息、やめ……! や、やぁぁん、舐めっ……!?」

 不意打ちで耳を襲ってきた刺激に、私は思わず変な声を上げてしまった。
 生暖かくて、鼓膜まで届くような吐息。
 耳たぶをペロリ、なんて可愛いもんじゃなく、耳孔に直接ねじ込まれた舌先。

梓「んひっ、ひぃ、ああ、あっ、唯せんぱ……ふぁ、ああああああっ」

 身体の芯まで、ぞくぞくと震える。
 舌が動いて唾液をネチャネチャと粘らせる音が、とってもいやらしく頭の奥まで響く。
 ……私の脱力する様が全部、唯先輩に、ぴったり密着するくらい強く抱き締めているこの人に、全部伝わっちゃってる。

唯「ぴちゅ、んちゅ……んふふ。ねーえ、あずにゃん? もう一回聞くよ?」
梓「ふぁ、ああ……だっ、駄目です……!」

 本当に駄目なんです。
 止めてください。
 聞かないでください。
 お願いだから、今は、せめて耳元から口を離してからにしてください。

唯「私とエッチなことするの、嫌?」
梓「はっ、はぅぅ……」

 ……正直に答えていいのかな。
 ここまでしておいて、挙げ句に『あずにゃんのエッチーぃ!』なんて笑われたら、きっと立ち直れない。

梓「ねっ、念の為に聞きますけどっ……ほ、本気、ですか?」
唯「うん」
梓「わ、私、唯先輩が思ってるより、とってもいやらしい子かもしれませんよ?」
唯「むしろ、私の想像を遙かに上回って欲しいくらいだよぉ?」

 耳に息がかかってるけど、ついさっきまでと違って、逆に唾液が乾く気化熱で冷たい。
 ちょっと不快で、またすぐに、絶え間なく耳を舐めて欲しくなる感じ……これも、わざとなのかな。

梓「んくっ……じゃ、じゃあ、私のわがままを……聞いてもらえますか……?」
唯「なぁに? 可愛いあずにゃんの頼みなら、何でも聞いちゃうよ~」

 何をして欲しいかわかっているくせに、すりすりと柔らかい頬をこすりつけて、私をいじめる唯先輩。
 ……だから、そう簡単には思い通りになってあげない。

梓「続きは……わ、私の部屋でお願いします」
唯「え? あれ?」
梓「だっ、だから! 先輩方が来る前に、早くっ……は、離れてください、です……」
唯「そ、そんなぁ、あずにゃん……」

 唯先輩は心の底から残念そうに呟きながら、それでも腕を緩めてくれる。
 そして温もりの名残が消え、耳をハンカチで拭き終えた頃、他の人達がやってきた。



かえりみち!

唯「それじゃあ私、今日はあずにゃんのおうちに遊びに行くからこっち~!」
梓「お疲れ様です」
 軽く頭を下げて、唯先輩がいること以外は、いつも通りの帰り道。
 部屋、片付いてたかな。
 夕食はどうしようかな。
 お風呂の順番は……どっちが先かな。

唯「ねーねー、あずにゃーん」

 考えなきゃいけないことが沢山あるのに、唯先輩が絡んでくる。

唯「練習中、お股がスースーしてたんじゃない?」
梓「なっ……!?」
唯「私、あずにゃんに何しようか考えてたら、パンツが湿ってきちゃって……実は、今もなんだけど、すっごいスースーする」

 お気持ちはでっかいわかります。
 いや、結構バレないものですね。

唯「……見てみるぅ?」
梓「天下の公道なんですから、それだけは止めてくださいっ」
唯「ちぇー。濡れ濡れスケスケ状態で、結構せくちーだと思うんだけどなぁ」
梓「とりあえず、やらしい発言は控えてください。あとスーパーに寄って帰りますよ、唯先輩の分の食材を買わないと」

 本当は、見せてもらいたい。
 でも話に乗ったら、この人のことだ。絶対に私のパンツも見ようとするだろう。
 さすがに往来で下着を晒す程の勇気は私にはない……というか、そんな真似をしない常識と理性がある。

唯「あずにゃん、私はオムライスをリクエストするよ!」
梓「え? 別にいいですけど」
唯「ケチャップで私とあずにゃんの名前書いて、でっかいハートマークで囲ってね!」
梓「……わかりました」

 真顔でそう言われても、その、反応に困るというか。
 私は内心の嬉しさを隠しきる自信がなくて、買い物の間もずっと、唯先輩にそっぽを向いたままでいた。



梓のへや!

梓「どうぞ上がってください、狭いですが」
唯「お邪魔しまーす!」

 よかった、思ってたより片付いてた。
 洗濯物も溜めてないし、うん……よし。

梓「それじゃ、先にご飯作っちゃいます。唯先輩はテレビでも見てくつろいでいてください」
唯「着替えないの?」
梓「え?」
唯「着替えないと、制服が汚れちゃうかもしれないでしょ?」

 そういえば、制服のままだった。
 いや、帰ってすぐ着替えないこともままあるんだけど、今日は……何だか、気が急いてるのかな。

唯「あっ! ううん、そのままエプロンっていうのもアリ! 全然アリだけど!」
梓「……着替えてきます。ついでにお風呂にお湯張りますけど、遅いとか言って覗いたら叩きますからね」
唯「『殴る』じゃなくて『叩く』? あんまし痛くなさそうな感じ」
梓「そして帰ってもらいます。私にも、その、心の準備とか、雰囲気とか……女の子的な憧れがあるので」
唯「あー、うん。じゃあ私も部屋着持ってきてるから、あずにゃんがお風呂場で悶々としてる間に着替えておくよ……」
梓「悶々しませんっ!」

 いじけたように人差し指をくわえて……ああもう、唯先輩ってばそんな上目遣いで見ないでください。
 私が抱き着きたくなるなんて、いつもと立場がまるで逆じゃないですか。



おゆうはん!

梓「ど、どうぞ。ケチャ文字、あまり上手く書けませんでしたけど」
唯「ううん、ハートがおっきくてすっごい嬉しいよ!」
梓「てっ……て、手元が狂ったんです。早く食べないと冷めちゃいますよ」
唯「うん! それじゃ、いっただきまーす!」

 唯先輩がオムをスプーンですくい、口に運ぶ姿をじっと見つめる。
 一応、腕によりをかけてみた、つもりなんだけど、どうかな?

唯「んーっ! おいちー! おいちーよ、あずにゃん!」
梓「……それはどうも」

 にこっと可愛らしく微笑んで、子供みたいにがっついて、この人は何て美味しそうに食べてくれるんだろう。
 本当に、作った甲斐があるというものだ。

梓「ほら、先輩。オムライスは逃げませんから……ケチャップがほっぺに付いてますよ」

 ティッシュを何枚か取って、拭いてあげようとする。
 でも、唯先輩はわざとらしく身を引いて、ちょっとにやついた顔付きになった。

唯「ん~? じゃぁ、舐めて」
梓「はい?」
唯「ケチャップ、ぺろって舐めて取って欲しいよぉ、あーずにゃーん」
梓「…………」

 そう言って、キスをねだるように目をつむり、顔を近づけてくる。
 これは……これは、駄目、だ。

梓「う、動かないでください、ね……?」
唯「うん」

 落ち着け私。
 キスじゃない。ただ、唯先輩の唇の近くに付いたケチャップを舐め取るだけ。
 だから、こんなに緊張しなくていい、ハズなのに……。

梓「あ……ちゅ、れるっ」
唯「んっ♪」
梓「……はい、取れましたよ」
唯「ありがとー、あずにゃん!」

 心なしか、唯先輩の頬が紅潮しているように見える。
 もしかして、今のはキスをするべきタイミングだったのかな……。

唯「あずにゃん、あずにゃん」
梓「は、はい?」
唯「ここにもケチャップ付いちゃった。もう一回」

 ケチャップが、化粧みたく唇全体に塗り広げられていた。
 この人は……本当に何を考えているのかわからない。

梓「……素敵な口紅ですね」
唯「あん、あずにゃんのいけずぅ~」

 さっき、ちゃんと言ったハズなのに。
 唯先輩との初キスの味がケチャップだなんて、私そんなの絶対に嫌だし。


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最終更新:2010年12月30日 22:18