紬「風子様万歳!」


その一、激動の風子

例えば、自分とそっくりな容姿の娘がいたとしよう。
さらに、その娘は、自分とは対照的に、友人にも恵まれ才気に溢れていたとしよう。
さあ、どうする?

「どうするって言われてもねえ」

私が出したお茶をすすりながら、彼女は頬杖を突きながら、私を眺めながら。
尾籠な話かもしれないけど、と彼女は言った。

「あなたは、あれで良かったの? あんなふうに、躾のなってない犬みたいに啼きながら、私に蔑まれるのが?」

しわのついたシャツを着て、いつもかけている眼鏡を指でつまんで、所在なさそうに言った。
だから、私は、床に放られていたシャツを羽織って、微笑んだ。
多分、あの、私と瓜二つで、私と対照的な彼女には、真似できないような醜い笑い方で、ぎいっと笑った。
口の端を吊り上げて、目を開いたまま、ぎいっと笑った。

「それじゃないよ」

彼女は、はだけているシャツを直して、私を睨んで言った。

「そう、別に、もういいけどね」

そして、もう一度、お茶をすすって、吐き捨てるように言った。

「全く、美味しくもないわね。ムギのお茶とは比べものにならない」

そう。私は、小さな声で囁いた。

「はい、じゃあ、ロミオ役は秋山さんに決まりました」

あらら。文化祭の劇の主役は、投票の結果、私のドッペルゲンガーのあの娘に決まった。
真鍋さんは二位、どんな顔をしているだろうと思ったが、思ったより普通の顔だ。
いつもと同じ生真面目な表情で、淡々と結果を述べている。
全く、面白くもない。昨日とは比べものにならない。

「では、次に、ジュリエット役を決めようと思いますが」

昨日みたいな顔は、もうしてくれないのだろうか。
それは、怖い。だから、私は、ありったけの嗜虐心を振り絞って、叩いて伸ばして、
何とか見た目だけを勇気に変えて、声を上げた。

「真鍋さんで良いんじゃないかな。ロミオの票数も次点だから」

頬杖を突いて声を上げた私を、クラスの皆が見つめた。
そうだね、私、あまり喋らないものね。
真鍋さんだけは、教壇の上から私のことを、精一杯の軽蔑を込めて見下ろしていた。
それがなんだか可笑しくて、私はくつくつと笑った。

「平沢さんと、琴吹さんはどう思う?」

ぐるっと左後ろを振り返って、軽音楽部の皆に意見を求める。
大丈夫、秋山さんが軽音楽部だから、彼女たちに聞くだけ。
なにも不自然じゃない。

「ロミオ役はりっちゃんのほうがいいと思うよ、和ちゃんよりも」

真鍋さんの幼馴染でもある、軽音楽部所属の平沢さんは、あっけらかんと言った。
私は満面の笑みで彼女に頷いた。

「風子ちゃんって、意外と笑うんだねえ」

それからずっと、ことあるごとにくつくつと笑っていた私に、にっこりと微笑んで平沢さんが言った。
私はというと、帰宅する時間になって、鞄に荷物を詰め込むときにも、まだ思い出し笑いをしていた。

「意外だった?」

私が訊き返すと、平沢さんは、慌てて手を振った。

「あ、ち、違うよ、高橋さんが根暗だというわけじゃなくてね、いつも本ばかり読んでいるからね」

悪いかしら、本ばかり読んでいて。
わたしが微笑んでそう言うと、平沢さんは顔をひきつらせた。

「風子ちゃん、その笑い方、怖いよ」

「どんな、笑い方?」

「口の端だけあげて、なんていうか……ぎいって」

「そう、ごめんね」

私は一度目を伏せて、無理に優しく微笑んだ。

「楽しかったかしら?」

放課後、誰もいなくなった頃を見計らって教室に戻ると、真鍋さんが、席に座って窓の外をぼうっと眺めていた。
私はゆっくりと彼女に近づいていきながら、言った。

「もっと楽しくなるよ、もうすぐ、きっと」

彼女は私のほうを見ずに、言った。

「不自然だったわよ、さっきの。ムギと唯にだけ訊いて、律には何も訊かないなんて、意図がバレバレよ」

「そう、ぬかったかな。でも、平沢さんは気づかなかったね?」

それが、どうかした。
彼女は無理に、無表情な顔で、無機質な声で言った。

「どうもしないよ。平沢さんもどうもしなかったんだよ。
 幼馴染なのにね。わからなかったんだね、真鍋さんがどう思うか」

真鍋さんは、ちらりとこっちを見て、言った。

「なに、にこにこしてるのよ」

「あら、気付かなかったな、自分でも。まあ、無愛想なよりはいいでしょう?」

真鍋さんは返事をしなかった。私は構わず近づいていった。

「気づかなかったんだ、真鍋さんが、軽音楽部の人と比較されるときに、どんなことを思うか」

幼馴染なのにね。私がそう言ったところで、彼女は立ち上がって、ずいと私に近づいて、私の胸ぐらを掴んだ。

「いつまでもにやにやと笑ってるんじゃないわよ」

くすくすと、自分でも抑えきれない笑い声を漏らして、私は言った。

「怖いなあ、真鍋さん。昨日みたいに優しくはしてくれないの……?」

私は、風子のこと、ちゃんと見てるわよ。
澪と比較したりなんてしてない。
本を読むのが好きで、少し引っ込み思案な風子のこと、ちゃんと知ってるわ、なあんて。

「もう、言ってくれないのかな?」

自分で口に出しておきながら、私の頭の中で、いつもの嫉妬心が暴れだした。
なんであいつが、どうして私は、と、意味も答えもない問を浴びせ続ける、汚らしい嫉妬心が。

「言うわけ無いじゃないの、結局淫蕩で全てを解決しようとしたあなたに、そんなこと言うわけ無い」

「あはは、やっぱりね。真鍋さん、私の言うこと聞いてなかったでしょ。それじゃないって、言ったのにね、私は」

なんであいつはどうして私はどうすれば彼女はいつになれば私は?

「なにが、言いたいの?」

「真鍋さんがねえ、嘘つきだってはなし」

どうして彼女はいつから私はどこまで彼女を彼女は私をどこまで?

「嘘なんて、ついてないわ」

「また、嘘」

どうして彼女は私をそんな目で見つめて皆は私をそんなふうに考えて彼女はあんなことを言ったのに

「嘘、嘘、嘘、ぜえんぶ、嘘。別に、もういいって、言ったくせに、今日はそれで私のことを嫌ったりしてさ。
 比較なんてしないって言ったくせに、私のお茶が琴吹さんより不味いなんて言ってさ」

嘘嘘嘘、嘘ばっかりだよ。
なんであなたはそんなことを昨日はあんなことを言ったのにすぐにあんな嘘をついて私は今日

「風子、うるさい」

頭を割って、嫉妬心が叫び続けていた。
閉じ込めることができなくなっていた。
ひどく頭痛がしたけれど、醜いものは頭から出て行ったから、私は冷静になれた。
私は冷静に泣けた。

「なんで嫌うの、嫌わないで。全部好きになってよ、何をしても、私のことを好きでいてよ」

彼女は、澄んだ目で私を見続けていた。
底が見えないから、彼女が私を嘲っているのか、蔑んでいるのか、よく分からなかった。

「誰とも比べないで、私だけを見ていてよ。
 なんで、なんで秋山さんはあんなに、なのに、なんで私は……わ、わた、しは……」

彼女は、ゆっくりと私の頬に手をそえた。

「風子」

彼女の顔は、張り付いたような、嘘くさい笑顔で満たされていた。
彼女の目には、同情だけが爛々と輝いていた。

「今日、風子が、私のことをジュリエット役に推薦してくれて、嬉しかったわ。
 いつも内気なあなたが、一日中、にこにこと笑っていて、楽しかった」

「なんで、わたしは、ちょっと喋っただけで珍しがられないといけないの……
 ちょっと笑っただけで、奇妙な目で見られないといけないの……」

「可愛いからよ、きっとそう」

「嘘だよ、秋山さんは一杯票を貰ってたのに、私、全然だった。
 見た目は殆ど変わらないのに」

「なんで、澪の名前が出てくるの」

ゆっくりと、頬に添えた手を、首から下にずらしていきながら、彼女は私の目を覗き込んだ。

「関係ないじゃない、澪は」

「でも、じゃあ、なんで私ばっかり、みんな」

「関係ないじゃない、みんなのことなんて」

するすると、彼女はやわらかい手を、私の胸に当てる。
ゆっくりと、シャツのボタンを外していく。

「関係ないのかな」

「関係ないわよ。だって、あなたは私しか見てなくて、私はあなたしか見てないんだもの」

「そうかな、それは、本当のことなの?」

彼女は自分の眼鏡を、そして、私の眼鏡を外した。
近くの机において、私の腰に手を当てて、肩を抱いて私の体を支えた。

「本当のことよ」

彼女が私の目を覗き込むと、レンズとレンズが合わせ鏡になって、ずっと、互いの目だけを映し続けた。

「私以外の人の話は、しない?」

「しないわ」

彼女が私の唇を塞ぐと、声は、私たち二人の間しか、行き交うことができなくなった。

「寒い、よ」

熱だけが、教室の空気中へ逃げ出していた。

「そう、それじゃあ」

そして彼女は……

風子「……ふぅ……」

風子「今日は真鍋さんの誕生日だから……ささやかだけど、妄想くらいはプレゼントしないとね」

風子「真鍋さん可愛いよおおおおおおおおおお!!!!」


紬「……かなり完成された練をかんじるわ」


風子「さて、どんどん妄想しましょう」




その2、投げ技の姫子編

「ああ、っと……ごめん、今日は無理だわ」

汗臭い部活を引退して、茶色く染めた髪を揺らす私は、もてあます時間を、何をするでもなく浪費していた。
友人から遊びに誘われても、こんな風に適当に断って、ただなんとなく、家に帰る。
それだけ。

肩を落とす友人に、ひらひらと手を振って、私は帰路に着いた。
なんとなく、そっと髪の毛に触れてみる。
ぱさ、と、乾いた感じがした。傷んでいるのだろうか。

だらだらと、イヤフォンから流れる音楽を聞きながら歩いてみても、気分は変わりはしない。
相変わらず、憂鬱とも悲哀ともつかない、中途半端な諦観と不安の混ざった気持ち。

勉強が得意なわけでも、推薦がもらえるほどにスポーツの才能があるわけでもない私。
なんとなく、河川敷の辺りをうろつく私。

ふと川のほとりを見下ろすと、短髪の眼鏡の女の子が辺りを見回して、足元の何かを拾っていた。

「なあにやってんのさ、真鍋さん」

私が近づいていって声をかけると、その女の子は、びくっと体を震わせて、ゆっくりとこちらを振り向いた。

「なんだ、立花さんだったのね」

なんだ、だなんて、なんだか悲しいことを言う。
ちらと彼女の足元に目を遣ると、手頃な大きさの石が集められていた。


「あ、あの、これね、川の清掃よ……っていうのは、無理がある言い訳かしらね?」

私の視線に気づいたのか、真鍋さんは慌てて言って、笑った。
一つ、石ころを拾い上げて、とん、と手の上で跳ねさせて、いたずらっぽく笑った。

「あのね、内緒よ、これをね、川のほうにぶん投げるの……あまり褒められたことじゃないと思うけどね」

小さく舌を出した。
次の瞬間、彼女は大きく足を踏み出して、大きく腕を回して、石をほうり投げた。
ぽちゃん、と音を立てて川に落ちた小石が、水面を揺らした。

くたばれオクテット則。そんな訳のわからないことを言いながら。

「ね、スッキリするでしょう?」

真鍋さんは目をきらきらと輝かせて、大きく声を上げて笑った。
そして、同じ、友達と内緒で悪戯をする子供のような目で、私に小石を一つ差し出した。
私はそれを受け取って、少し迷って、投げた。

左足を踏み出して、体重を受け止めて、振り上げた腕を、腰の回転で前へ。
肩を回す肘を伸ばす手首をしならせる。
鞭のように、ひゅっと高い音を出して、私の腕は、小石を放った。

二次関数、物理で習った、綺麗な放物線を描いて、石は川に落ちた。

「すごい、なんか……なんていうか、すごいわ!」

クラスで見る姿とは打って変わって、小さく飛び跳ねて、手をたたきながら、真鍋さんは言った。
私は、黙って、彼女に手を差し出した。

「……ふふ、姫子、欲張り」

彼女は私の名前を呼んで、小さく笑って、私の掌に小石を乗せた。

まだ、どこかに残っていた、中途半端な気持ち。
終わった部活にまだこだわって、これから来る未来に少し震えて、そんな気持ちを……

「……知るか、第一宇宙速度っ!」

おもいっきり、ぶん投げた。
まっすぐに小石は飛んでいく。
射出角は0度、真横に向けて投げた小石は、直ぐに、水面に当たって、空気と水の曖昧な境界線を蹴り飛ばして、跳ね上がった、

広がる波紋が収まった頃、私は後ろを振り向いた。

「すっきりしたかしら?」

さっきまで子供っぽく笑っていた彼女は、きっと、私よりずっと前に、境界線を蹴っていた。
子供と大人の、どこかにある、ぼやけた境界線を蹴り飛ばして、ずっと高くへ登っていた。
少し、追いつけただろうか。
そんなことを、頬杖を突いて地べたに座る彼女を見つめながら、思った。

「ぜえんぜん。駄目だよ、まだ……」

私は、水の中に飛び込んだ。

「これくらいはしないとね」

大きな同心円が幾つも広がって、ここにいると、境界線はここにあると、教えてくれた。
ぱん、と私は平手で水面を打った。

「風邪ひくわよ」

くすくすと笑って彼女が差し出した手を、私は思いっきり引っ張った。
水が、もしかしたら、空気が、必死で隠そうとしていた境界線は、なんどもその姿を暴かれて、批難がましく震えていた。
それとは対照的に、彼女は、嬉しそうに笑った。

「ふふ、びしょ濡れ」

「水もしたたるいい女、ってね」

「あは、そうねえ、そうかもしれない……ここね、きっと、この日。やっと見つけた、この日ね」

「何が……って訊くのは、野暮かな?」

「ええ、訊かないで……ただ、後ろを向けば何かがあって、前を向いても何かがあって、間にいる私なの。
 幅のない線が、きっと今日なの」

なんとなく、彼女のいいたいことは分かった。
急に愛おしく感じられて、水面を、撫でた。

「そっか」

「ええ、きっとそう」

急に頼もしく感じられて、彼女の頭を撫でた。
きらきらと日光を反射する、彼女の髪を撫でた。
ガラスのような手触りだった。

風子「立花さん……あんな見た目で面倒見いいのよね……」

風子「……ふぅ……クリスマス後は捗るわ……積もり積もった嫉妬パワーね」


紬「……近くに強大な百合気が……」


風子「なんか眠たくなってきたわ……あ、眼鏡外すと私って本当に秋山さんそっくりね……」




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