- 29. 友人との会話は楽しいけれど、それでも時折、込み上げてくるのは。 2010/12/26(日) 05:33:01.30 ID:MMzCkGP00
- 「和ちゃん、頭、撫でてくれないかしら」
お弁当を広げながら、少し目を伏せて、ムギが言った。
こちらのほうは見ずに、ただ、少し顎を引いて、頭頂部をこちらへ曝け出す。
「はいはい」
恐る恐るムギの頭を撫でると、柔らかい髪の毛が、そっと私の手を押し返してきた。
柑橘系の香りが辺りに漂う。
「ふふ、ありがとう。ねえ、和ちゃん、あのね、その、唯ちゃんと同じことをね、私も思ってるとしたら。
和ちゃんは私のことを、嫌いになるかしら、友達を裏切る卑怯者だって?」
上目遣いにムギが私を見上げてくる。
この後、彼女は何を言う?それを、私は言わせていいのか?
多分、言わせてはいけない。
言わせてしまえば、私の体中に、蔦が絡みつくことになる。
それなのに、声が、声が出ない。
「ねえ、和ちゃん、みなまで言わせないでね……お返事、聞かせて?」
「ちょっと、待って。もう少しだけ」
どこかで聞いたことのある台詞。
使い回しのお願いをした後、気まずい沈黙が私たちの間に流れた。
- 30. 恋慕、欲情、汚い期待。近寄ってはいけないものなのです。 2010/12/26(日) 05:36:06.39 ID:MMzCkGP00
- 「一応、一般生徒はそこには、近寄っちゃいけないことになってるんだけど」
だから、少し気だるげな声が、階段のほうからしたとき、私はほっとした。
長い真っ直ぐな茶髪をなびかせて、端正な顔立ちの女性が、腰に手を当てて立っていた。
「ムギちゃんも和ちゃんも、とりあえず不問にしてあげるから、さっさと教室に戻りなさい」
しっし、と手で私たちを追い払う仕草をする。
困ったね、とでも言うように、隣ではムギが眉尻を下げて笑っていた。
立ち上がって階段を降りようとする私を、先生が引き止めた。ムギの顔が少し不機嫌そうになる。
「ああ、和ちゃんは明日の終業式のことで言っておきたいことがあるから、ちょっとここにいて」
「先生、私も待ってます」
「駄目。生徒会関連のことを他の生徒に聞かせるわけにはいかないでしょ、建前上ね」
そう先生に言われて、ムギはやっとのことで、渋々教室へ戻って行った。
ムギの姿が完全に見えなくなってから、先生は階段に座り込んで、大きく息を吐いた。
「疲れた。あなたたち、セッ……いかがわしいことしてないでしょうね」
「してませんよ」
膝に肘を付き、頬杖を突いて先生が続ける。
「じゃ、いいわ。あなたたちの趣味はどうぞご自由に、って話なんだけど、流石に校内でそういう行為に及ばれても困るからね」
長いまつげが瞳に影をつくっている。
陰も何も無いのに底が見えないような、不可解で不快な、深海のように神秘的な瞳よりも、こっちのほうがまだ好きだ、と思った。
- 31. 飲み込んでも飲み込んでも、吐き出してしまいそうになるのです。 2010/12/26(日) 05:39:47.41 ID:MMzCkGP00
- 「話というのは?」
「無いわよ、そんなん。あなたたちがいちゃついてて苛立ったから、意地悪しただけ」
悪びれもせず、くつくつと笑う。
艶やかな髪が電灯の光を反射させた。
「はあ、そうですか」
そう言って、先生の隣に座り込む。
あら、と言って、妖しく笑う。
「浮気、しちゃ駄目よ」
「別にムギとそういう関係なわけでもないですから」
「そうなの……あれ、おかしいわね……まあ、良いわ」
つまらなさそうに膝に顔を任せて、呆けたような調子で続ける。
「こんな歳になるとね、同性同士だろうが、どっかで幸せそうないちゃいちゃカップルがいてくれれば良いなあって思うのよ」
「本音は?」
「死ねばいいのにね」
くすくすと笑って、先生は湿った目をこちらに向けた。
そういえば、今年もクリスマスを一人で過ごすことになる、らしい。
- 32. 汚い私は嫌いでしょう?可愛い私が好きでしょう? 2010/12/26(日) 05:41:48.18 ID:MMzCkGP00
- 「ムギちゃんと付き合ってない、なんて言ったけど、女の子のことは好きでしょ?そんな感じがするもの」
「どうなんでしょうね」
自分でも、よく分からない。
ムギと、幼馴染と、一緒にいたいと思うのは、恋慕なんかじゃない、もっと汚いものなんじゃないか。
そんな気がする。
「独占欲が強い、とか。友達も独占しようとする人、いるわよね、人間って怖いわ」
それも、違う。
けらけら笑って茶化すさわ子先生を見て、思う。
もっと違うものだ。それをなんとか伝えたくて、先生を見つめる。
その、少し茶色がかった、疲れたような目を見つめる。
「ふうん、自惚れかもしれないけど、あなた、もしかして」
目を細めて、恥ずかしそうに薄く笑って言葉を続けようとする先生の唇。
水のように、さらさらと形を変えていく。
見つめる。光が目に届く、音が鼓膜を震わせる。
どちらも物理的な接触、それなのに、振動は意図的に世界から消去される。
一瞬、呼吸ができなくなった。
先生も、同時に。
- 33. だから、口元を拭って、仮面を着けるのです。 2010/12/26(日) 05:47:17.29 ID:MMzCkGP00
- ぷはっ。
子どもが、どちらが長く水に潜っていられるか、を競った後のような、色気のない声を先生が出す。
そして、声を殺して笑う。
「ふふ、やっぱりね。ま、人の嗜好だからグダグダ言わないけど、ムギちゃん、ちょっと悲しむかもよ?」
その顔は上気なんてしていない。ただ、楽しそうにしているだけ。
何をした、私は今、何をした?
分かっているくせに、そんなことを自分に問いかける。
ごめんなさい。
その一言が、口から出ない。
打ち上げられた魚のように、無様に口だけを動かす私の頬に手を添えて、先生は笑った。
「別に、私は何も気にしてないわよ。和ちゃん、下手すればそこら辺の男より男前だもの。
ただ、他の友だちにこんなことしちゃ駄目よ、なにより、そんな目を見せちゃ駄目」
そっと先生の手に、私の目は覆われて、何も見えなくなった。
それでも、暗幕の降りた世界の中で、手探りで曲線美を探す。
曲線美、曲線美、曲線美、それだけを。
「こら、撫で回さないの……よしよし」
先生が私の頭を撫でた。
明るくなった視界は滲んでいた。
- 34. 綺麗だね、夕陽、と言ったとき、私が見たのはなんでしたっけ。 2010/12/26(日) 05:51:06.25 ID:MMzCkGP00
- あなた、もしかして。
あのときの先生は、何を言おうとしたのだろう。
『期待しちゃうわよ?』
ムギの言った言葉が頭の中に響く。
多分、先生が言おうとしたのは、そんなことじゃあないだろう。
それは、なんとなく分かる。
わかるから、安心出来る。
『ねえ、綺麗だね、夕陽?』
夕焼け、夜と昼の境目のような、そんな薄暗さが、あの目にはあった。
夜の訪れを受け入れて、退廃を享受して、ぼうっと明るいほうを見つめるような、そんな寂しさ。
口のあたりが妙に疲れる。
私は身震いした。
「じゃあ、以上、連絡は特にありません。皆さん、気をつけて帰るように」
そう言って終礼をした先生と、目が合った。
- 35. よく覚えていないけれど、曖昧な境界線、グラデーション、世界の果てまで続くような。 2010/12/26(日) 05:53:34.33 ID:MMzCkGP00
- 相変わらずの目で、私を見ていた。
ひらひらと手を振って、軽く笑う。
曲線美、曲線美、指の先まで。
ぽん、と肩を叩かれた。
「和ちゃん、一緒に帰りましょう?」
柔らかい表情で微笑んで、ムギが立っていた。
「音楽室へは行かないの?」
「りっちゃんは澪ちゃんとお勉強、唯ちゃんは憂ちゃんに教えてもらうみたいよ。この間の試験の結果、芳しくなかったもの」
「ふうん。私と別れた後、あなたは独りで駅まで歩いて行くの?」
「そうね。だって、そうする他無いじゃない?」
首を傾けてくつくつ。
ちらと目線を送ると、先生はもういなくなっていた。
「ま、そりゃそうよね」
「和ちゃん、意地悪ね」
- 37. 混ざりたいのです。溶け合いたいのです。金塊は、なかなか溶解してくれない。 2010/12/26(日) 05:56:03.48 ID:MMzCkGP00
- 律たちは仲睦まじく音楽室へ向かっていた。
それを見て、ムギも嬉しそうに笑っていた。
顔も見たことのない聖者様の誕生日は近い。
傲慢なことに、その神様は、世界中の人を幸せにしてくれるのだろう。
それでもって、異教徒は人ではないのだろう。
ほら、下駄箱に、燃え盛る瞳をした女の子が。
「和ちゃん、最近ムギちゃんと仲良いんだね?」
ぎらぎらと燃え盛る瞳。
アニミズム、拝火教、どこまでも力強いその瞳に、私も屈服してしまいそう。
「あら、そうかしら。唯ちゃん、憂ちゃんに勉強教えてもらうんじゃないの?」
「教えてあげるよ。だからって、家まで和ちゃんと一緒に帰らない理由にはならない、はずだよ」
例えば、ライターの火種が山火事を起こしたとして、その火は人工的なものだろうか。
必死でそんなことを考えていると、ムギが言った。
「そう、じゃあ」
相変わらずの微笑み。
木漏れ日のような優しい笑顔は、空気を鳴かせる業火の前でも消えることはないようで、それが少しばかり意外だった。
「一緒に帰りましょう。仲良く、ね」
最終更新:2010年12月30日 01:16