五月一日 晴天

抜けるような青空。
街路樹の上の白い鳥、きれいな声でないている。
道端に咲いた黄色い花、そよ風にゆれていた。

そんな春の光景とは対照的に色のない部屋があった。
カーテンは締め切られ、日は差し込まない。
ベッドの上、パジャマ姿、下ろした前髪、少女は膝を抱えて座っている。
表情からはいつもの快活さは失われ、力なくうなだれていた。

(うう……)

(こんなの……私らしくない、おかしーし……)

「助けてよ……澪」

消え入りそうな声で、祈るように呟いた。


――

四月二十日 晴天

廊下を歩く二人の人影、窓からは春の気持ちのいい日が差し込んでいる。

『冬はいみじうさむき。夏は世に知らずあつき』

清少納言の言葉で、冬の寒さと夏の暑さを詠ったものである。

太古の昔京都は湖の底にあった。現在では名残として豊富な地下水があり
その湿気が冬の冷え、夏の蒸し暑さという形で現れているというのだ。

そんな歴史はさておき、二人はどちらでもない春が好きだった。

「なあなあ澪、志望校どこにするー?」

「まだ一年近くあるし決めてないよ」

「わかってないな~澪しゃんは、一年後には花の女子高生だぜぃ」

「そう言うお前はどうなんだよ?」

「……」

「……」

「律っちゃん隊員は先に理科室に向かうでありますー」

「あっ、こら律」

「高校か……」

澪は誰に聞かせるでもなく呟いた。
中三の春ではっきりとした志望校があるという生徒は少ない。
事実彼女もその一人だ、しかしその胸中にはしっかりとした思いがある。

(律と同じ高校に行きたい)

親友である少女もまた同じ思いなのだろう、彼女は少し笑顔を浮かべながら
春の校舎を歩んでいった。

「みーおー、放課後勉強教えてくんない?」

律がそう話しかけたのは昼休みのことだった。

「これは明日は雨が降るな」

「ちょ、どーゆう意味だってば?」

「珍しいなって意味だよ、本気か?」

「本気本気、おかしくねーし」

(なんせ澪と同じ高校行きたいし)

「なんか言ったか?」

「うんにゃ」

(志望校はともかく澪との学力差は埋めとかないとな)

「わかったよ律、放課後図書室でな」

「やたっ、澪しゃんマジ天使!」

「誰が天使だっ!」

そうして昼のひとときは過ぎていった。



放課後、図書室

「まずはこの-9を右辺に移項してだな……」

「ふんふん」

「3で両辺を割る」

「ほうほう」

「するとⅩ2乗イコール9となる、後はわかるな?」

「はい先生、答えはⅩイコール3であります」

「おしい正解は±3だ、でも基本はわかってるじゃないか」

「へへへ~、それはもう愛の力でっ」

もともと律は出来が悪いほうではなかった、性格というか
やる気というか、ともかく澪に教えてもらう事態になったのは確かだった

「でもどうして急に勉強なんか」

「澪と同じ高校に行きたいからだよ~」

「なっ! 本気か?」

澪は思わず赤面しうつむいた、だが次第に笑顔に変わっていくのを悟られないよう
顔を上げなかった。

律の笑顔の前では自分の将来への不安など
小さな事のように思えてくる。
彼女は平常心を取り戻し、ようやく顔を上げた。

「あのー澪さん……、嫌だった?」

「仕方ないな! 律は私がついてなきゃダメダメだからな」

「たはっ、手厳しい」

二人が校舎を出るころ、すでに日は低くなっていた。
交わす言葉も少なめに、家路を進む。

背後から差す夕日は二人の前に長い影を作っている。

「これからもよろしくな、澪」

澪はまっすぐ前を見ていた。その二つの長い影のように
これから歩む二人の道も同じなのだと、そのときは思っていた。



四月二十七日 薄曇り

突然のことだった、律が勉強はもういいと言ったのは。
どうやら因数分解の理解に苦しんでいるらしい。

「律、ここは私もつまずいたんだ」

(私が文部大臣だったら因数分解なんて中学から除外してやる)

「なあ律、受験勉強は因数分解だけじゃないんだぞ」

(お前なら他の教科で十分カバーできるよ)

「やっぱりムリなんだ、私が澪と同じ高校に行こうだなんて……」

「律、お前が言い出したんだろ」

「ゴメン澪、今日はちょっと」

「律、待っ……」

早々と教科書をまとめると、足早に去ってしまった。



律は部屋で教科書を眺めていた。
国語、数学、理科、社会、英語。
受験科目はこんなにある。

「はあ、どうしよ……」

(こんなの一人じゃムリだよ)

(澪と同じ高校にいけない……)

「ヤダよ……そんなのヤダよぅ……」

とりあえず明日澪にあやまろう。
このままではいけない、それだけはわかっていた。

わずかに開いたカーテンの隙間から夕日が差し込んでいる。
二人で同じ影を見ながら帰った日のことが、遠い昔のように感じられた。



四月二十八日 薄曇り

朝の通学路、ためらいがちに声をかける。

「おはよう澪、あのさ……」

あやまるとは言ったものの、なかなか言葉が出てこない。

そうしているうちに、澪が口を開いた。

「どうしたんだ、同じ高校に行くのは諦めたのか?」

(負けず嫌いの律だ、こう言えばやる気を出すはず)

「あーそうですね、私ごとき最初っからムリだったんですよ」

「おい律」

「勝手に進学校でも行くがいいさ」

(澪のバカ人の気も知らないで)

律は思わず口を滑らせ、そのまま学校へ向かってしまった。



四月三十日 曇天

昼休みの教室

澪と律はそれぞれ違う女子と、昼のひとときを過ごしている。
あの日を境に、二人は一人と一人になってしまった。

「ねえ澪ちゃん、律っちゃんと仲直りしなくていいの?」

隣のクラスメイトがためらいがちに声をかけてきた。

「いいんだよ……あんなやつ」

(なんで素直になれないんだ、私たちは)

弁当を食べながら、悲しげな表情を浮かべて言った。
律は、澪の席の四つ後ろで談笑している。

「ねえ澪ちゃんってば」

(……そんなに悲しそうに見えたのか)

(私は)

彼女はよく知っている、律の性格を。
何か悲しいことがあると不自然なほど明るく振舞う。

ケンカしてからというものの、他の生徒から見て
律は澪といるとき以上に明るく写った。
かたや澪は捨てられた子猫のように思われていた。

(ちがうんだ、本当は律のほうが……)

誰も気づいていない、律の本心を
ただ一人をのぞいて。


「それでさそれでさ~聡のやつ~」

「えー、マジで~」

あいかわらず律は会話に花を咲かせていた、
わざと澪に聞かせているようにも見える。

「なあ律」

「ん?」

「澪と仲直りしなくてもいいのか?」

「なんで~? そんなのコッチから願い下げだよぉ~」

(澪、こっちを見てくれ)

「あんな根暗女、ちょっと成績がいいからって図にのってんだ」

(いつものように一発頼むよ、澪)

「……あはは…だよね~」

周囲の女子は笑っていなかった。
そうしているうちに澪が律に近づいていく。
律は世界で一番優しい拳骨を期待した。

「よう、どうした? 座敷童」

突然、乾いた音が教室に響いた。

「いいかげんにしろ、律!」

何が起きたか解らなかった。

衝動的に鞄をつかみ教室を後にし、玄関で靴を履きかえ校門に差し掛かった頃
ようやく少女は現実を認識した。

(澪に叩かれた)

――

澪がいつもの様に頭を小突く。

「誰が座敷童だっ! 大体お前はいつも…」

「ごめーん」

律が笑う。

――

想像していたやり取りは脆くも崩れ去り、
少女は泣きそうになっている自分に気がついた。


2