こんにちは。
姉に恋する平沢妹、ちょっぴりブルーな平沢憂です。

「……うーん」

空は夕暮れ、足は帰路。私の口からは吐息が漏れます。

「はー……違うのに」

気が抜けるようなため息に、魂まで抜かれていくようです。
苦悩、なんて大それたものではないけれど、そのきっかけを作ったのは純ちゃんでした。


ホームルームが終わって、それは放課後のことでした。
たまたまわたしは掃除の当番で、ちりとりでわっせわっせとゴミをかき集めていたのです。
もちろん頭には、わたしの愛するお姉ちゃんのことを浮かべながら。

そんな折りに暇を持て余した純ちゃんがのこのこやってきて、その原因とも呼べる言葉を吐き捨てていきました。

『憂って、ひとりごと多いよね』

聞いた瞬間、頭をどごんと叩かれたようでした。
その言葉が、頭をリフレインして、喉元で反芻して、もうぐちゃぐちゃになって私から離れないのです。

ううん、そんなことないとは思いながらも、一方で、もしかしたら私は呪文のように胸の内を吐露してしまっているのかもしれない、
そんな思いも頭を過ぎります。
ふたつの思いががつがつぶつかりあって、わたしの目はぐるぐる回ります。

ひとりごとなんて、言ってないはずなのに。
……うん、きっと。

わたしは、ひとりごとを言っていたのではないのです。
ただ、晩御飯は何にしようかな、とかお姉ちゃんは何を食べたいかな、とか
お姉ちゃんはいま何してるかな、とかお姉ちゃんってほんとにかわいいなぁ、とか
必要な要項を口に出して確認していただけなのです。

なのに、純ちゃんといったら、

『いやいや、ひとりごとだよ』

『憂は気づいてないかもだけど、結構言ってるからね』

『憂のほうたまに見ると絶対なんか呟いてるもん』

『お姉ちゃんかわいいーとか、お姉ちゃんお姉ちゃん言ってるよ』

そんなふうに、わたしをいじめるのです。

『純ちゃんのいじわる~……』

『うわわ!ごめんごめん!』

わたしが涙目で訴えると、ようやく純ちゃんも謝ってくれました。
しかし油断するのも束の間。

『……でもやっぱりひとりごと多いよ。うん』

……そうして油断したわたしを、さらに追い詰めてくるのです。

純ちゃんはきっとわたしをからかっているんだ。きっとそうだ。
その時はあまり深く考えないようにして、すぐに掃除を終わらせました。

 そして帰り道。
当然のようにわたしはそれを思い出しました。

「純ちゃんめ~」

どうにも納得がいかなかったのです。

ひとりごとが多い、なんて言われて嬉しいはずもありません。それに、純ちゃんの言うそれはただの勘違いなのです。
ひとりごとを言っていないわたしに謂れのない濡れ衣を被せて、きっと純ちゃんは今頃高笑いをしているのでしょう。

わたしは、何に変えても言っていません。
是が非でも、だれが何と言おうと、たとえ天地がひっくり返っても、言ったことなんて認めません。
だって言っていないのですから。

「言ってない。言ってないよ、うん」

そうです。言ってません。

「……あ、買い物忘れちゃった」

買い物は忘れても、言っていないことは忘れません。

「家にあるものでいっか」

そうしてわたしは、心機一転、るんるんと足を弾ませて帰るのでした。

「お姉ちゃんに喜んでもらわなくちゃ!がんばろう!」

口ずさむのはふわふわ時間。
何とも心地よいイブニングです。


「ただいまー」

鍵を開けて、お家に挨拶をしました。
帰宅してただいまを言わないのはいけません。
何といっても家は、いつでもわたしを迎えてくれる素敵な拠り所なのですから。
これに鼻を高くしていかにも当たり前のようにずかずか入り込むというのは礼を失するというものです。

「つかれた~」

リビングの机にカバンを置いて、思わず出てしまいました。
疲れたのはきっと純ちゃんのせいです。
だから仕方ありません。

「すぅー……はぁー……」

両手を広げてゆっくり深呼吸。
これも大事です。
これからの家事モードに切り替えるための言わばスイッチです。
いま、ターンオンしました。

気持ちをリセットして、いよいよ取り掛かります。

「よーし」

カバンを開けて、お弁当箱を取り出しました。
これを流しで水に浸しておき、早速三階へと向かいました。


「えっほ、えっほ」

目指すはベランダ、洗濯物との一戦です。

窓を開け、ゆらゆら揺れる彼らと相見えました。
眼前に広がるのは、お姉ちゃんの肢体を一日前まで包み込んでいた布のかたまり。

「わわ、なにかんがえてるの」

邪な思いを振り払い、お姉ちゃんの下着を手に取りました。
ぺたぺたと何も考えないで折りたたんでいきます。

ふたり分の洗濯物にはそれほどの時間はかかりません。
ぱぱっと済ませて今度はお風呂へ向かいます。

「おっ風呂、おっ風呂」

声に出して歌うのは、リズミカルにことを運ぶためなのです。
ただただ単調にこなそうとすれば、楽しみもなにもあったものではありません。

私は当然お姉ちゃんのことを考えているので無問題なのですが、やっぱり自分からの活気づけもほしいところです。
社会の荒波に飲み込まれないように、わたしは高らかに歌います。


 空は紺色、手には人参。
早々に風呂掃除を済ませ、今度はいよいよ晩ごはんの準備です。

しかし今日は純ちゃんのせいで買い物に行けていません。
冷蔵庫を漁りながら、わたしはもくもくと考えます。

「にんじんと、じゃがいもと、お肉は……ちょっとだけ」

それでも困らないほどの食材はあったようで、ほっと一息つきました。

「どうしようかなー、むー……」

献立というものはいつだって、わたしを苦しめる難敵です。
その日お姉ちゃんが一番食べたいものを作らなければいけない使命感がかえって悩ましいのです。

「かれー……そうだカレーにしよう!」

それとなくメニューは決定しました。
万が一にでも、スパイスに誘発されてお姉ちゃんを恋に落とせたらラッキーとの謀略あってのこと、
ではあまりなくて、それしか出来そうなものがなかったのです。

どちらにしろおいしい料理を作ったら、お姉ちゃんが喜んでくれること請け合いです。

「へへへ……」

包丁を手に、ニヤリと笑みを浮かべました。

 ……鍋はコトコト煮込んでいます。
今宵のカレーはなかなかの出来でした。

「カレー、出来てるのに……」

それでもわたしの気分が芳しくないのは勿論お姉ちゃんのこと。

普段ならとっくに帰って来ている時間なのに、てんでただいまの声が聞こえないのです。

部活の皆さんと一緒に帰っているはずだから心配はないと思うのですが、少し寂しいです。

「電話しようかな、でも迷惑だよね」

携帯電話を開いては閉じ、もうぱかぱか馬が走ってくるようです。

時計を見れば、もう七時。

もし、お姉ちゃんがご飯を済ませて帰ってきたら、泣いちゃおう。
そう心に決めて、悲しい一人ご飯を始めることにしました。

「お姉ちゃんのばか……連絡くらいくれたっていいのに~」

半ばヤケになってご飯をお皿いっぱいに盛りました。

「……こんなに食べられないよ」

そして三分の一まで減らして、カレーを盛ろうとしたその時。

プルルルル。
携帯電話が光ります。

「んっ、お姉ちゃんかな?」

すぐに携帯のメールボックスを開きます。
もしお姉ちゃんからだったら、一刻も早く確認しなくてはなりません。
一連の所作は、さながら閃光の如く素早いものであったと自負しています。

「……純ちゃんかぁ」

気分消沈、意気落胆。
彼女はわたしの気を削ぐことが好きなようです。
なんとも嫌な性格。
でも友達のよしみです。許してあげましょう。

「ご飯食べよー……」

メールは開かないで、カレーを盛りました。

香ばしい香りが、鼻腔をつつきます。
うーん、ナイススメル。

「お姉ちゃんー……早く帰ってこないと食べちゃうよー……」

椅子に座り、カレーライスと向かっても、なかなか口へ運べません。
むんむんと湯気を放つルーは、今か今かとわたしが食べるのを待っているのに。

でもやっぱりお姉ちゃんと食べたいのです。
お姉ちゃんにあーんとしてあげたいのです。してもらいたいのです。
わたしが作ったカレーを食べて、おいしいよって言ってもらいたいのです。

能天気な自分はどこへやら、なんだか悲しくなってきました。

「食べちゃうもん……知らないよ……」

ぼそぼそ呟いても、返ってくるのはなんとも憎いスパイスの香り。
切なさは一層胸に募ります。


気を取りなおして、スプーンに小さなカレーライスを作ります。
こうなったらお腹いっぱいになるまで食べてやろうと決めました。

実のところ、そうでもしないと気が晴れないのです。

「……いただきまー……あ」

プルルルル。
またもや電話が光ります。

「もー」

しかし、孤独感に苛まれる独り身には不本意ながら嬉しくもあります。
気を紛らわせてくれる携帯電話だけが、わたしの心の友です。

その旋律に耳を傾け、いよいよ食べることとしました。


「ありがとう……携帯くん……」

プルルルル。
まるでわたしを励ましていてくれるようです。

ほろりと滲んできた涙をよそに、手を合わせます。

プルルルル。

「いっただきまーぁ……」

プルルルル。

「ちょっとうるさい」

仕方なく画面を開きました。

『From:鈴木純ちゃん』

「……えい」

流れるような指捌きで、ぴぴっと通信を切りました。

「……」

再び訪れた静寂は、一際部屋の広さを私に感じさせます。

「……ううん、別に一人でもいいもん」

部屋を見回しても、どれもこれもお姉ちゃんの顔を彷彿とさせるものばかり。
寂しいはずもありません。

そうだ、今わたしはお姉ちゃんに包まれているんだ。

「じゃあお姉ちゃん、食べようね」

エアお姉ちゃんと食事をすることにしたわたしは、笑顔でスプーンを持ち上げます。

「お姉ちゃーん、あーん」

いま、お姉ちゃんが天使のような笑みで食べてくれた気がします。

「えへー、ありがとー」

心なしか、スプーンのミニカレーも量が減っているようです。

「ええー、わたしはいいよぉ」

それでも甘い誘惑に耐え切れないわたし。
向けられる、ような気がする微笑みにはなんでも許してしまいます。

「もー……あーんっ」

もぐもぐと無言で歯を噛みあわせます。

「うん、おいしいよ……おいしい、よ」

ひとまわりしてわたしの口へ飛び込んだカレーは、もうすっかり冷めてしまっていました。

「……わーん! お姉ちゃーん!」

でもやっぱり寂しい。
とっても寂しい。
お姉ちゃんがいないと寂しい。

連絡もくれないなんて、お姉ちゃんはついに私に愛想を尽かしてしまったのでしょうか。


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